ご存じ森繁久彌さんが原作に惚れ込んで自らプロダクションを起ち上げてまで制作した映画である。また、この映画をきっかけに誕生した「知床旅情」は多くの人たちに歌い継がれる名曲となっていることは多くの人の知るところである。
※ ウェブ上をあちこち繰った上でようやく映画ポスターを見つけました。
知床半島…、それも半島の突端付近は今なお人が住むことを拒む未開の地である。その突端にある鮭番屋で一人冬を越す老人を描いた映画である。
1960年に制作されたというから、すでに完成から半世紀が過ぎているが私は初めて観る映画だった。羅臼町のしおかぜ公園に立つ老人の像や数々の資料から年老いた主人公を想像していたが、実際に演じた森繁久彌は当時まだ47歳だった。その彼が回想シーンも含めて25歳から75歳まで演じた。メーキャップの素晴らしさもあってそれほど不自然さを感じさせなかった。
※ 映画「地の涯に生きるもの」の一シーンです。
映画は国後で漁業に生きた老人が望郷の念を抱きながら、時代時代を回想する形で描かれていたが、そのためもあってか私は映画に没頭することができなかったというのが正直な感想である。映画レビューを見ても賛否半ばする評価で、映画としては森繁が力を入れたほどにはヒットしなかったということのようだ。
ただ、50年以上も前に制作された映画としては、映像は素晴らしく撮影技術の確かさを感じさせてくれた。
※ 羅臼町しおかぜ公園に建てられた老人の碑です。
映画上映の後、北の映像ミュージアムの理事である高村賢治氏が制作の背景などについて語ってくれた。それによると、戸川幸夫の原作「オホーツク老人」に惚れ込んだ森繁久彌が東宝に映画化を熱望したが断られたために、自ら森繁プロダクションを設立して映画化させた作品だそうだ。当時で製作費1千百万をかけたということだ。
※ 解説された高村賢治氏です。
高村氏によれば、この映画は国後で漁師として生きた主人公が、国後への望郷の念を抱きながらもいつかそこへ帰りたいという思いがバックボーンとして描かれているという。そのことに関して、「知床旅情」の元歌となった「オホーツクの舟歌」の最後にはその思いが歌われている。(それは森重久彌自身の思いでもあると思う)その歌詞の部分は次のようにうたっている。
霞むクナシリ 我が故郷
何日の日か詣でむ 御親(みおや)の墓に
ねむれ静かに
いまや老人自身が知床の墓に眠っているのであろうが、いつの日か老人の思いが実現する日が来ることを願って止まない…。