「あさくさ」駅から地下鉄で移動し東京メトロ日比谷線の「築地」駅に降り立った。東京の台所を支える街を巡ってみたいと思ったからだ。私が訪れたのは午後だったため、活気に満ちた雰囲気を味わうことはできなかったが…。
※ 私がウォークの指南書としたマップです。築地では矢印とは全く反対に歩きました。
このコースは乗り継ぎの地下鉄の関係で、私の場合はマップのゴール地点の「築地」駅からスタートし、ゴールを都営大江戸線「築地市場」駅とした。
「築地」駅に降り立って、まず直ぐ近くにある「築地本願寺」を訪れた。このお寺の外観は日本のお寺というよりはインド寺院風の建物である。非常に広壮な建物で、内部にはパイプオルガンも据えられていると聞いた。
※ 写真のように日本の中では一風変わった外観の「築地本願寺」です。
築地本願寺を後にして、この地にある「聖路加病院」を目ざすが、その前に「築地川公園」という小さな公園があったので一休みした。
そして「聖ルカ通り」を行くとこの一帯は聖路加病院関係の建物がドドーンと建っている。聖路加看護大、聖路加国際病院1号館、2号館、そして聖路加タワーである。周囲は緑に溢れ、一帯は別世界のような感じを受ける。
「聖路加」という名称が「St.Luke`s」という呼び名に漢字を当て嵌めたものだということを初めて知った。
※ 都会のオアシス「築地川公園」です。私もここで休憩を取りました。
※ 「聖路加病院」の正面(?)です。守衛が立っていますね。
※ 聖路加病院敷地の周りはこうした緑に囲まれていました。
※ 「聖路加国際病院」の英語表記はこのようになっていました。
そしてまたこの一帯は、「慶応義塾発祥の地」、「明治学院発祥の地」、「暁星学園発祥の地」などいう碑があちこちに見られ、その昔は学園都市的様相を呈していたのかもしれない。
聖路加病院敷地内の「トイスラー記念館」や敷地の隣に建つ「築地カトリック教会」の外観を眺めた後、隅田川沿いを歩くと開閉橋として有名だった「勝鬨橋」が見えてきた。
※ 写真の暁星をはじめ、たくさんの学校発祥の碑を目にしました。
※ 聖路加国際病院の宣教師館として建てられた建物で、明治8年の建造だそうです。
※ ギリシアのパルテノンを思わせる外観の「築地カトリック教会」の前面です。
「勝鬨橋」の袂に小さな「かちどき橋の資料館」があったので覗いてみた。開閉をしていた時代に橋桁を動かした大きなモーターが展示してあったが、他に見るべきものは特になかったようだ。
※ 開かずの橋となってしまった現代の「勝鬨橋」です。
※ 資料館内には往時の開閉橋だったころの勝鬨橋のミニチュアが展示されていました。
いよいよ「築地場外市場」に導かれる。界隈は狭い路地の両側にそれぞれ独立した小さな店がびっしりと軒を連ねている。全てが食品関係の店であることはいうまでもない。私が訪れたのは午後2時をまわっていただろうか。辺りにあまり人は見当たらず、どの店もそろそろ店仕舞いにとりかかっていた時間帯だった。それでも私が通りかかると、店子の方が声をかけてくるところがあった。
食事はすでに終えていたし、土産的なものを買うつもりもなかったので、ただ眺めながら通り過ぎるだけだった。
※ 「築地場外市場」の様子です。写真のように雑然とした感じですが、これがまた良いのかもしれませんね。
※ マグロの頭の部分ですが、利用し尽くした後の姿でしょうか?
場外市場をマップのコースどおり辿り、ゴールとした「築地市場」駅に向かおうとしたとき、「東京都中央卸売市場築地市場」の正門の前に出た。すると、大して車や人も通っておらず、中へ入っていけそうな雰囲気だった。注意を受けたら退散すればよい、と考え中へ足を踏み入れてみた。こちらも祭りの後の静けさ、といった感じだったが、水産物部仲卸業者売場とか、青果部仲卸業者売場などを覗くことができた。
※ 「築地市場正門」です。閑散としていたので中へ入ってみることにしました。
※ 仲卸業者の店舗ですが、すでに本日の商いは終了した後という感じです。
※ 市場の中の様子ですが、看板には「洋菜売場」と出ています。「
※ こちらは「水産物部仲卸業者売場」のようです。「カンパチ」と書いた発泡スチロールの箱が積まれています。
青果売場ではすでに翌日のセリにかけられる青果が大型トラックで続々と入荷しているときだった。たまたま目にしたスイカだけでも全国各地から集荷されたものが積み上げられていて、「さすが全国の食品が集中する築地だわい!」と感じ入った瞬間だった。
※ 私が目にしただけでも、「八街」、「鳥取」、「冨里」、「群馬」、「金沢」、「熊本」産のスイカが山積みされていました。
築地市場を出ると目の前に「朝日新聞社 東京本社」の社屋が目に入った。
そして私がゴールと定めた地下鉄都営大江戸線「築地市場」駅に向かったのだった。
築地市場はいろいろと紆余曲折はあったものの、近い将来廃止となり、市場は豊洲への移転が決まったようである。
そうするとこの一帯は再開発されるのであろうが、銀座が近いという立地などから近代的な街に生まれ変わりそうな予感がするのだが、果たして…。