田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

富士山登頂記 中編

2013-07-04 15:56:53 | 北海道低山紀行 & Other
 最初の山小屋が現れた7合目付近から登山道の様相は一変した。激しい岩場登りが連続するルートだった。このあたりで標高2,700mということだったが、私の中では酸素が薄くなった影響を感じてはいなかったのだが…。 

               
               ※ 前編とは違った吉田口ルートの概念図を掲載しました。

 7合目に達し、最初の山小屋「花小屋」を通過した後、登山道の様相は一変した。ゴツゴツした岩場が私たちの前にそそり立っていた。時には手足を使って這うように登らねばならないところもあった。
 岩場を一つ越えるとそこには山小屋、というように次から次へと山小屋が現れた。
 私の記録によると、「花小屋」のところで小休止した後、4軒目の「富士一館」のところ2,800m地点で小休止している。この間「花小屋」から「富士一館」まで40分かかっている。つまり高度を100m上げるのに40分を要したということだ。

          
          ※ このような岩場が次々と現れるようになりました。

          

          
          ※ 2,800m地点の山小屋「富士一館」の前です。

 岩場登りは続く…。
 一つの山小屋を通過し、「東洋館」のところで小休止。ここで標高2,915m。私の記録によるとこの間は20分しかかかっていない。これはどういうことなのだろう?
 ここから私はブログに投稿している。その中で「おそらく宿泊の山小屋はもうすぐだと思う」と記したが、それはまったく甘い希望的予想だった…。この時点で14時55分である。

          
          ※ こちらは2,915m地点の「東洋館」です。            

          
          ※ それぞれの山小屋は強風によって屋根が飛ばされぬよう屋根に大きな石を載せていました。

          
          ※ 激しい登りの中での岩場で小休止、ホッとする瞬間です。

 徐々に、徐々に高度を上げながら岩場登りは続く…。
 徐々に、徐々に苦しくはなってきたが、あの天狗山登山の時のようないっぱいいっぱい感はない。小刻みに休憩を入れてくれていることで助かっている。
 15時50分、ようや8合目の山小屋「太子館」に到着する。ここで標高3,100mである。

          
          ※ 山霧に包まれる中、岩場登りが続きます。

          
          ※ 3,100m地点の山小屋「太子館」の前です。

 私たちの宿泊する山小屋は8合目と聞いていたので「間もなくかな?」と期待したのだが、ガイドに聞くと笑って答えてくれない。答えてくれないはずである。私たちが宿泊することになっていた本8合目「胸突 江戸屋」はまだまだ遥か上方にあったのだった。
 この頃からガイドは「あの山小屋まで頑張りましょう」と上方に見える山小屋を目標に設定して私たちを励まし続けた。
 3,200m地点の「白雲荘」を16時40分、3,250m地点の「元祖室」を17時10分に通過した。

          
          ※ 私たちが位置する地点は完全に雲海の上です。

          
          ※ しつこいほどの岩場登りが続きました。

          
          ※ 標高3,250m地点の山小屋「元祖室」の前のテラスです。左側は切り立った崖になっています。

          
          ※ 標高も高くなったここら辺りでは雪渓も見られました。

 この頃になると、陽も傾きはじめ辺りは夕方の雰囲気に包まれ始めた。「いったいいつ着くのだろう?」との思いが募ってきた頃、ガイドが「あの山小屋が今日のゴールです」と初めてゴール地点を明示してくれた。
 「元祖室」からさらに登り続けること35分。17時45分、ようやく本8合目「胸突 江戸屋」に到着した。5合目登山口からここまでに要した時間実に6時間05分ということになる。ペースとしてはかなりゆったりペースなのだろう。標高3,400m地点での一泊ということになった。

          
          ※ 悪戦苦闘の末、ようやく本日のお宿「胸突 江戸屋」に到着した。

 この江戸屋が凄まじかった。おそらくツアー会社と太いパイプで結ばれている山小屋なのではと思われる。山開き当日の宿泊とあって、狭い山小屋に実に150名近くが宿泊することになった。もうてんやわんやのごった煮状態である。

          
          ※ 夕食のハンバーグカレーです。この他の山小屋内の写真は撮りませんでした。

 夕食は三交代に分けて行われた。メニューはハンバーグカレーと3,400m地点で食べられるメニューとしては上等である。食材などはヘリで運ばれるのだろうか?
 食後は次のグループのために寛ぐこともできない。すぐに就寝場所に引っ込まなければならなかった。
 私はここでブログを投稿している。その中で「少々頭痛を感じます」と書き送っているが、この時点ではまだ自分が高山病を患っていると気づいてはいなかった。

 その就寝場所には一応敷布団と寝袋が用意されていたが、幅が人一人の幅しかないのだ。寝返りも打てない状態だった。このことも頭痛ととともに眠れぬ要因だったのかもしれない。眠れぬまま2~3時間過ごしたが、堪らず私は起きだして食事を摂った広間で時を過ごしたのだった。(その時の様子、心境ついてはこちらを参照ください。①⇒  ②⇒

※ 最後の胸突き八丁、そしてご来光を仰ぐ様子は後編にてレポートします。