田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

福岡の古を巡る旅 5

2013-09-22 23:31:43 | 道外の旅

幾多の歴史の舞台となった関門海峡(下関側)を往く 前編

 源平合戦の地、武蔵と小次郎の決戦の地、そして幕末の長州と英仏軍などが戦火を交えた地、としてつとに有名な関門海峡を下関側から眺め、散策した。 

  
  ※ 下関側から見た関門橋です。みもふさ川公園から写しました。

※ 原稿を書こうと写真を整理したところ、外せない写真が思いのほか多いことが分かった。そこで下関編は前・後編に分けてレポートすることとした。

          
          ※ ちょっと歴史を感じさせる関門トンネル(人道)の門司側入口です。(下関側にも同じものが)

 9月13日(金)、門司港レトロタウンの散策を終えた私は関門トンネルを(人道)を越え、下関側に渡った。
 資料によると人道は地下約60mに造られている。長さは全長780mということでおよそ15分もあれば通過してしまう。意外だったのは、この人道トンネルが近隣の人たちにはジョギングやウォーキングコースとして利用されていたことだ。熱心に汗をかく人に何人も出会った。

          
          ※ 地下50m入口からエレベーターで降りたところのホールです。

           
          ※ 関門トンネル(人道)の門司側スタート地点です。

 歩いていると車が走る音が聞こえてくる。考えてみれば、トンネルは車道と人道の二層構造となっており、上を車が入っていることに気付いた。トンネルは国道2号線だったのだ。
 トンネルは1958(昭和33)年の完成というから、すでに完成して半世紀以上が経過しているのでけっして新しくは感じられないが、メインテナンスはしっかり行われているように思われた。

          
          ※ 海底下の福岡県・山口県の県境です。ここがトンネルの最深部でもあります。

          
          ※ ゴール地点(どちらにも)にはこのような記念写真用のボードがありました。

 下関側のトンネル出口を出ると、そこはもう源平合戦の壇ノ浦古戦場の跡であり、幕末には長州藩が外国船籍の船を砲撃した地でもある「みもふさ川公園」だった。
 公園には長州藩が関門海峡を通過する外国船籍の船に向かって砲撃した大砲のレプリカが展示されていた。
 この戦闘の経緯や結末については他に譲るとして、長州藩としてはけっして戦果を挙げた戦い(どころか屈辱の戦いではなかったか?)ではなかったとしても、この戦闘が薩長土肥による明治維新のキッカケになったということからそのレプリカで展示されているということなのだろう。

          
          ※ 関門海峡を睨むように砲列を敷くレプリカ砲です。
         
 その大砲のレプリカの前に、なにやら昔風の装束に身を包んだ方が見えた。近づくと、「歴史体感紙芝居 壇ノ浦合戦絵巻」と書かれた紙芝居が用意されている。伺うと「いつでも始めます」と言うことだったので、早速お願いした。
 私が札幌から来たと知ると、「東の方は源氏が好みのようですが、下関では平家好きですので、平家側から見た壇ノ浦合戦です」と断りを入れて始められたが、鉦や太鼓を駆使した一人芝居はなかなか堂に入っていた。聞くと「NPO法人 青少年共育活動協会」の方がボランティアで毎日やっておられるとのことだった。観光地というと全てに入場料、見学料といったものが付いて廻るが、この紙芝居は無料で公開していた。下関にとっては観光客からの好感度がぐーんと上がる素晴らしい活動である。

           
          ※ 歴史体感過去芝居を演じた青少年共育活動協会のボランティアの方です。        

 紙芝居が行われていた直ぐ傍には、碇を背中に担ぎ入水する平友盛と八艘飛び姿の源義経の像が旧跡壇ノ浦を向いて立てられていた。

          
          ※ 下関は平家好みとのこと、平友盛の方にスポットを当てて敬意を表しました。(?)

 みもすそ川公園を後に、関門海峡沿いを西へ移動する。
 すると間もなく、道路沿いに立派なお寺が目に入る。「浄土真宗 極楽寺」である。このお寺を取り上げたのは、外国船籍との抗争が緊迫化する1963年、高杉晋作などが組織した「奇兵隊」が外国船隊の防備のためにこのお寺に屯所をおいたという史跡をお寺に境内で見つけたからである。

          
          ※ 極楽寺の本殿です。

          
          ※ このような「史跡 奇兵隊屯所」という史蹟を見つけました。

 僅かな滞在時間であったが、下関は歴史的にはなかなか興味深い街である。一編だけでは収まりきらず、明日続編をレポートすることにする。