古の歴史が詰まった大濠公園を歩く
福岡城のお堀だった大濠公園は、福岡城址をはじめとして、大濠池、市立美術館、日本庭園、護国神社、陸上競技場などなど…。そして貴重な遺構と、魅力がいっぱい詰まった公園だった。
※ 「大濠公園」内にある「大濠沼」を二分するようにして架かる「観月橋」です。
「大濠公園」は福岡の中心部「天神」から地下鉄で2駅目であるから、ほとんど都心といってもよいが、比較的閑静なところにあった。
地下鉄駅の直ぐ横が公園であり、公園に入ると直ぐに大きな水面が目に飛び込んできた。「大濠沼」である。
※ 大濠公園に入りまず目に飛び込んできたのが池の周囲を走るジョガーたちの姿でした。
公園に入って気付いたのは、大濠沼の周囲を走るジョガーの姿がとても目立ったことだった。さすがに福岡国際マラソンのスタート&ゴールである「平和台陸上競技場」が公園内にあるだけにランニングを趣味とする市民にとってはメッカ的存在なのかもしれない。
ジョギングをしている人に聞いた。「一周何キロですか?」と、すると「一周ちょうど2キロです」と言いながらジョッガー用に塗り分けられた走路を颯爽と走り去っていった。
沼にはいつくかの島が並んでいて、その島同士を橋で繋ぎ池を縦断できるようになっている。そこを縦断するようにモデルコースもなっていたので、私も縦断することにした。
公園内では沼にボートを漕ぎだす人、沼で釣りをする人、ベンチに佇む人、それぞれがそれぞれに憩っていた。
※ 「観月橋」の上から見た「大濠沼」の光景です。
※ どこか昔の風情を残す「大濠沼」のほとりの様子です。
「大濠沼」を後にし、公園内を巡って歩いた。
まずは「大濠公園日本庭園」、「福岡市美術館」と続く。二つの施設ともパスして、森に囲まれた静謐な空間「護国神社」へと進む。まったく人は訪れておらず、静まり返った空間に戦争の犠牲者たちは眠っていた。
※ 大濠沼の横に広がる「大濠公園日本庭園」に入口を入ったところの光景です。
※ その日本庭園の横に建つ「福岡市美術館」のエントランスです。
※ 広々とした境内の奥に「護国神社」の本殿が建っていました。
続いて「福岡城跡」へと進む。福岡城についてはあまり期待していなかったこともありほとんど下調べもしないまま訪れたのだが、意外に興味深いものとなった。
この城跡はマップ上ではそれほど広くはないのだが、他の城や城跡と違い、それほど整備されていないためだろうか、思いのほか広く感じられた。
城跡は石垣がほとんどで、城として保存されていたのは「多門櫓・二の丸北隅櫓」くらいだった。と思ったのだが、帰宅してからよく調べてみると、その他にも保存されたり、復元されたりしている建物があるようだ。
※ 福岡城の城壁は雑草に浸蝕されているようにも見えたのですが…。
※ 福岡城に唯一(?)現存する「多門櫓」です。
※ その多門櫓に続いて建つ「二の丸北隅櫓」です。
福岡城の「天守台」跡の展望台からは福岡市内が一望できました。左手には大濠公園の水面がかすかに見えます。
私が大濠公園を訪れた最も大きな理由は「平和台陸上競技場」を訪れることだった。毎年12月世界の精鋭が集まり覇を競い合う「福岡国際マラソン大会」が行われる舞台である。どんなところだろう!?期待しながら近づいて行ったのだが、意外や意外…。
なんと想像していたのとは大違い!! 少し古ぼけた質素な競技場のたたずまいだった。
トラックやフィールドこそ一種公認の競技場だから整備されていたが、スタンドを見るとメインスタンド側の一部がスタンド席になっている以外は全て芝生席だった。その芝生もかなり伸びていて、整備が行き届いていないようだ。「えーっ?これがあの平和台の陸上競技場なの??」私は少々ガッカリした思いで競技場を眺めていた…。
※ 憧れの「平和台陸上競技場」はどこにでもあるごく普通のちょっとさびれた競技場でした…。
続いて、近くに存在していた旧西鉄ライオンズの本拠地「平和台球場跡」に行ってみた。
そこはすでに「鴻艪館埋蔵調査地区」と名称が改められていた。「鴻艪館」とは、それこそ古の頃、平安時代に大陸からの賓客をもてなす迎賓館だったという。
ということは、「平和台球場」はその「鴻艪館」の跡地に建設されていたらしい。そのことを、その調査地区の横に建つ「鴻艪館跡展示館」の窓口の方に聞いたところ「そのとおり」ということだった。
※ 平和台球場跡地の横に建つ「鴻艪館跡展示館」の建物です。
私が少年の頃、稲尾投手が投げるライオンズと、その稲尾投手に対峙する長嶋・王のジャイヤンツが平和台球場を舞台に日本選手権を争う試合をラジオから流れるアナウンサーの声に一喜一憂していた頃を思い出していたのだが、その球場がまさか平安時代の外国との交流の舞台だったとは…。
※ 多くの野球ファンが一喜一憂した「平和台球場」跡地は草むらと化していました。
大濠公園には古代から現代まで、多くの歴史が詰まった魅力ある公園だった
※ 写真のキャプションは今夜帰宅後に入れることにします。