幾多の歴史の舞台となった関門海峡(下関側)を往く 後編
下関には壇ノ浦古戦場跡や幕末の外国船籍との戦いの場跡だけではなかった。まだまだ数多くの史跡が目白押しだった。その全てを廻ることはできなかったが、興味深い下関散策だった。
※ まるで竜宮城のようにも見える「赤間神宮」の「水天門」です。
9月13日(金)、関門トンネルを(人道)を渡り、壇ノ浦古戦場跡、奇兵隊屯所跡などを訪れた後、さらに西に向かった。
すると、直ぐ近くに大きな社の森が目に入ってきた。「赤間神宮」である。赤間神宮は壇ノ浦合戦で平家側に付いた安徳天皇がわずか8歳で入水したと伝えられる天皇を祀った神社である。
その赤間神宮の入口にあたる「水天門」はまるで竜宮城のような形をしていて、朱色と白色に塗り分けられたところが鮮やかだった。
本殿をはじめ内部も鮮やかで、特に本殿前の池の緑色が鮮やかだった。色遣いを相当に意識した神殿造りがなされたものと想像される。
※ こちらは「赤間神宮」の拝殿です。
※ 「赤間神宮」の本殿前の沼は鮮やかな緑色をしていて、本殿の朱色との対比が鮮やかでした。
赤間神宮の敷地の直ぐ隣に「日清講和記念館」がある。
1895(明治28)年3月、日清戦争の講和会議がこの地で開催されたが、それを記念して建てられた施設ということだが、内部には会議が行われた部屋が再現されていた。テーブルや椅子がそのまま再現されているのを目にして、当時の国を背負って対峙した代表の人たち(伊藤博文や陸奥宗光ら)の緊張した息遣いが聞こえてくる思いだった。
※ 日清講和会議を記念する「日清講和記念館」です。
※ 「日清講和記念館」内に復元された講和会議時のテーブルと椅子です。
さらに西へ少し移動し、国道から少し奥まったところに「本陣 伊藤邸跡」があった。伊藤邸は坂本龍馬と妻のお龍が慶応3(1867)年2月から2ヶ月近く過ごしたところとして知られている。坂本龍馬が妻お龍とこれほど長く一ヵ所に滞在したことはないという。坂本龍馬はこの年の11月暗殺されているから二人にとってはここ伊藤邸での2ヶ月は思い出多い投宿先だったのではないだろうか。
※ 坂本龍馬とお龍が2か月間投宿した伊藤邸跡です。
※ その邸宅跡には写真のような表示が残っていました。
さらに西に進むとちょっと丘を上がったところに「亀山八幡宮」がある。
この神社も由緒ある神社なのだが、私の目的は日本一といわれる「ふくの像」を見ることだった。フグの街として有名な下関らしい石像であるが、見る角度によってユーモラスな表情が可愛かった。
※ 「亀山八幡宮」の外観です。
※ 「亀山八幡宮」の境内に設置されている日本一といわれる「ふくの像」です。
※ その「ふくの像」を別の角度から写してみました。
下関の歴史的な見どころはまだまだある。例えば、明治維新の志士たちの資料を展示する「幕末維新村展示館」、奇兵隊の本拠地となった「東光寺」、日清講和会議の清国全権大使・李鴻章の宿泊所となった「引接寺」などなど…。
しかし、私は時間の関係もありフェリーで門司側に帰らねばならなかった。
フェリーが出港する「唐戸桟橋」から小さなフェリーでおよそ5分、あっという間に門司側に渡り、9月13日「福岡の旅」2日目を終えた。
※ わずか5分、フェリーは下関側からアッという間に門司側に運んでくれました。