博多祇園山笠の「追い山」コースを歩く
博多山笠「追い山」の出発地点の「櫛田神社」から、決勝点の「須崎問屋街」まで約5キロを巡り歩いた。コース上には多くの寺社が存在していた。またいくつかの出会いもあった。
※ 博多山笠の「追い山」のコースマップです。最終日は青い線のコースを駆け抜けます。
9月16日(月)、福岡(博多)観光の目玉ともいえる「博多山笠」の息吹を感じようと、祭りのフィナーレを飾るという「追い山」のコースを実際に歩いてみた。
「追い山」のスタート地点は博多の中でも中心街にあたる川端町中央商店街の近くにある「櫛田神社」である。「櫛田神社」は博多の氏神にして総鎮守という格付けということもあり、面積はけっして広くはないものの華やいだ雰囲気と共に格式ある構えだった。
※ 「櫛田神社」の本殿です。街中の神社ですので規模はそれほどでもありません。
境内にはさまざまな見所があったが、その中でも高さ10メートルを超える「飾り山笠」の展示が目を惹いた。
また、「力石」と称して、相撲の力士たちが力自慢のために担いだ大きな石が展示してあり、その前に参拝客にも試すための石が置いてあった。屈強そうな若者が挑戦していたがぴくりとも動かなかったところを見て、力士たちの怪力ぶりを想像した。
※ 櫛田神社境内に飾られていた「飾り山笠」です。高さ10数メートルあります。
※ 同じく櫛田神社の境内に陳列されていた「力石」です。「白鵬」、「朝青龍」など歴代の力士が担いだ大きな石が…。
さて山笠のコースだが、添付したマップでもお分かりのとおり、博多の繁華街を行きつ戻りつのコースである。
コースの全てを自分の足で歩いてみて気付くことがたくさんあった。
その一つは、コース上には実の多くの寺社が存在している。博多山笠そのものが神事ということから、寺社が多いところをコースとして選定されたのではと想像される。
※ コース上にはたくさんの寺社が次々と…。写真は山笠と縁の深い「承天寺」です。
※ 「承天寺」の境内には「山笠発祥之地」碑がありました。
※ こちらも山笠に縁の深い「東長寺」の総木造りの五重の塔です。
※ 「東長寺」は福岡藩主黒田家の菩提寺として黒田家のお墓がありました。
また、コース上に寺社が多いことと関係があるかもしれないが、コースによってはとっても狭い小路のようなところもたくさんあった。軽自動車同士がすれ違うのが精一杯のような狭さである。流(ながれ)によっては総勢が1,000人を超える流もあるとのこと、おそらくコースは人でいっぱいになってしまうのではないか。また、狭い小路で直角に進路を曲がるところがたくさんあった。かなりの困難が伴うのではと思われた。
※ 山笠はこんな狭い通りも駆け抜けてゆくのです。
※ この曲がり角は、手前から右に折れて駆け抜けます。
次に気付いたことだが、やはり小路に入ったとき頭上の電線が気になった。私はその時点で「飾り山笠」と「舁き山笠(かきやまがさ)」があることを知らず、櫛田神社で見た「飾り山笠」のことしか頭にはなかった。「はて、この電線をどうするんだろう?」と不思議に思った。通りを通っていた女子大生風の女の子に聞いたが、要領を得なかった。
続いて、クリーニング店から出てきた主婦らしい人に聞いた。すると、「飾り山笠」と「舁き山笠」というのがあり、「追い山」に使用されているのは電線の下を走るのに支障がないほど低く造られた山笠を使用していることを説明してくれた。納得(^。^;)
※ ご覧のように低く垂れた電線の下を潜って山笠は駆け抜けます。
出会いでは嬉しい出会いもあった。
ちょうど、追い山決勝点の「追山笠廻り止」へ向かう最後の曲がり角のところに住居がある初老のご婦人と出会ってお話することができた。博多山笠の実際についていろいろお話を伺ったときに、「山笠のときにはぜひ私の家の付近で見られるのが良いですよ。最後の力を振り絞る男の人たちの表情が見られますから」と言ってくれた。そして私が「山笠のときは人出が凄くて、迷惑に思うことはありませんか」と聞いたときに、とても印象的な一言を聞いた。「いいえ、それが私たち博多の人間にとっては誇りですから」…。なんと素晴らしい言葉だろう、と私は婦人の顔を眺めつつ感動していたのだった。
※ コースの曲がり角にはこんなしゃれた名前を付けた店もありました。
※ 「追い山」の決勝点、「追山笠廻り止」の表示です。
「旅の魅力は出会いである」とも言う。しかし、私は歳をとるにつれて旅に出たときに地元の人に話しかけることを避けていることが多くなった。安全志向が働いているのだろう。
しかし、それでは旅の醍醐味の半分を自ら打ち消しているようなものである。今回の経験は引っ込み思案になっている私に「もっと積極的になることで、旅がもっと豊かになるよ」ということを教えてくれた出会いでもあった…。