一級建築士である講師の江崎氏は言う。日本の古代の建築法である木造建築は、実は地震に対する順応性が高い建築方法なのだと…。木造建築は、地震に対して耐震性が高いのではなく、免震性が高い建築方法だと強調された…。
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※ 典型的な古民家の風情を醸し出していた茅葺の「旧菊田家農家住宅」です。
6月11日(土)午前、北海道開拓の村において「北海道開拓の村たてもの観察会」が開催された。
北海道開拓の村には、北海道の開拓時代に建築された歴史的な52の建造物が移築保存されている。それらの建築物を何回かに分けて、専門家が詳しく解説してくれるという素晴らしい企画だったので参加してみることにした。
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※ 観察会の最初に訪れた「旧近藤染舗」の店舗兼住宅です。
講師は、一級建築士で北海道古民家再生協会の理事長を務める江崎幹夫氏だった。氏は「建物の構造面について説明します」ということで、この日は
(1)1913年建築の旧近藤染舗
(2)1919年建築の旧青山家漁家住宅
(3)1882年建築の旧岩間家農家住宅
(4)1893年建築の旧菊田家農家住宅
(5)1897年建築の旧樋口家農家住宅
の五つの建築物を見て回り、解説を伺った。
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※ 豪壮な造りの「旧青山家漁家住宅」です。出稼ぎの漁夫の部屋と親方の住居が一緒です。
※ 旧青山家の屋根裏の梁ですが、これは西洋の工法を取り入れた梁の造りだそうです。
五つの古民家を巡って歩いて、伝統工法(昭和25年以前に建てられた日本家屋の建て方を指すそうだ)に二つの大きな特徴があることに気付かされた。
その一つが梁や柱の太さである。特に関谷家と樋口家の屋根裏には太い梁が幾重にも張り巡らされていた。これらは雪の重さに耐えられるとともに、家全体を上部から押さえつけ安定性を保つ働きがあるとの説明だった。
二つ目の特徴は、いずれも建物ともに基礎に自然石が使われていたことだ。これを「石場建て」と称するそうだ。凹凸のある自然石に合せて、その上に立てる柱を加工することを「光付け」というらしいが、石の曲線に合せて加工する技はまさに職人芸である。
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※ 最も伝統工法を見ることができた「旧岩間家農家住宅」です。
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※ 住宅の基礎部分に自然石が置かれて「石場建て」の住宅です。
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※ 柱が石の中にめり込んでいるように見えますが、そうではなく石の湾曲に沿って柱を加工する「光付け」でできています。
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※ 確かこのような太い梁が三重になっていたと記憶しています。
その他には伝統工法には在来工法にはない特徴についていろいろと説明を受けた。そして講師の江崎氏は強調した。
日本の木造建築の代表的建造物である法隆寺が1400年経過した今も健在であること。地震多発国である日本において、倒壊せずに今なお健在であるということは驚異といえることだが、その大きな理由は上記2点の伝統工法による日本建築の特色が生かされたからだという。
それは、地震に対して在来工法が耐震的な「鋼構造」を追求するのに対して、伝統工法は免震的な「柔構造」という違いにあるという。在来工法の場合は、地震の揺れを受け止め、その揺れを逸らすというようなイメージである。
ただ、建築基準法が昭和25年に成立して以来、地震に対しては「鋼構造」を追求する流れとなり、大きな地震が起こる度にその基準は厳しさを増しているとのことだ。
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※ こちらも旧岩間家と似た造りの「旧樋口家農家住宅」です。
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※ こちらの住宅も「石場建て」がはっきりと見ることができました。
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※ 梁り太さ、多さも旧岩間家同様でした。
残念なことに伝統工法は今のところ建築基準法的には顧みられない工法とされているそうだが、それは伝統工法がなぜ地震に強いのかということについて科学的な解明がなされていないということがあるそうだ。
科学がこれだけ発達した現代において、なぜ解明できないのか不思議な気もするが、何時の日かはそれが明らかになることもあるのでは、とも思われる。
そのことが解明された暁には、先人の知恵を活かした建築基準法に改めるべきでは、と思うのだが、それは素人の浅はかな考えなのだろうか?
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※ 典型的な古民家の風情を醸し出していた茅葺の「旧菊田家農家住宅」です。
6月11日(土)午前、北海道開拓の村において「北海道開拓の村たてもの観察会」が開催された。
北海道開拓の村には、北海道の開拓時代に建築された歴史的な52の建造物が移築保存されている。それらの建築物を何回かに分けて、専門家が詳しく解説してくれるという素晴らしい企画だったので参加してみることにした。
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※ 観察会の最初に訪れた「旧近藤染舗」の店舗兼住宅です。
講師は、一級建築士で北海道古民家再生協会の理事長を務める江崎幹夫氏だった。氏は「建物の構造面について説明します」ということで、この日は
(1)1913年建築の旧近藤染舗
(2)1919年建築の旧青山家漁家住宅
(3)1882年建築の旧岩間家農家住宅
(4)1893年建築の旧菊田家農家住宅
(5)1897年建築の旧樋口家農家住宅
の五つの建築物を見て回り、解説を伺った。
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※ 豪壮な造りの「旧青山家漁家住宅」です。出稼ぎの漁夫の部屋と親方の住居が一緒です。
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※ 旧青山家の屋根裏の梁ですが、これは西洋の工法を取り入れた梁の造りだそうです。
五つの古民家を巡って歩いて、伝統工法(昭和25年以前に建てられた日本家屋の建て方を指すそうだ)に二つの大きな特徴があることに気付かされた。
その一つが梁や柱の太さである。特に関谷家と樋口家の屋根裏には太い梁が幾重にも張り巡らされていた。これらは雪の重さに耐えられるとともに、家全体を上部から押さえつけ安定性を保つ働きがあるとの説明だった。
二つ目の特徴は、いずれも建物ともに基礎に自然石が使われていたことだ。これを「石場建て」と称するそうだ。凹凸のある自然石に合せて、その上に立てる柱を加工することを「光付け」というらしいが、石の曲線に合せて加工する技はまさに職人芸である。
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※ 最も伝統工法を見ることができた「旧岩間家農家住宅」です。
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※ 住宅の基礎部分に自然石が置かれて「石場建て」の住宅です。
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※ 柱が石の中にめり込んでいるように見えますが、そうではなく石の湾曲に沿って柱を加工する「光付け」でできています。
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※ 確かこのような太い梁が三重になっていたと記憶しています。
その他には伝統工法には在来工法にはない特徴についていろいろと説明を受けた。そして講師の江崎氏は強調した。
日本の木造建築の代表的建造物である法隆寺が1400年経過した今も健在であること。地震多発国である日本において、倒壊せずに今なお健在であるということは驚異といえることだが、その大きな理由は上記2点の伝統工法による日本建築の特色が生かされたからだという。
それは、地震に対して在来工法が耐震的な「鋼構造」を追求するのに対して、伝統工法は免震的な「柔構造」という違いにあるという。在来工法の場合は、地震の揺れを受け止め、その揺れを逸らすというようなイメージである。
ただ、建築基準法が昭和25年に成立して以来、地震に対しては「鋼構造」を追求する流れとなり、大きな地震が起こる度にその基準は厳しさを増しているとのことだ。
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※ こちらも旧岩間家と似た造りの「旧樋口家農家住宅」です。
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※ こちらの住宅も「石場建て」がはっきりと見ることができました。
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※ 梁り太さ、多さも旧岩間家同様でした。
残念なことに伝統工法は今のところ建築基準法的には顧みられない工法とされているそうだが、それは伝統工法がなぜ地震に強いのかということについて科学的な解明がなされていないということがあるそうだ。
科学がこれだけ発達した現代において、なぜ解明できないのか不思議な気もするが、何時の日かはそれが明らかになることもあるのでは、とも思われる。
そのことが解明された暁には、先人の知恵を活かした建築基準法に改めるべきでは、と思うのだが、それは素人の浅はかな考えなのだろうか?