現役時代に輝かしい戦績を残し、現役を退いてからも北海道アマ球界の隆盛のために奮闘を続ける柳俊之氏は熱く語り続けた。
8月6日(日)午後、北海道博物館で現在開催されている特別展「-北海道と野球をめぐる物語- プレイボール!」の関連イベントとして開催された講演会に参加した。
講演はNPO法人「北海道野球協議会」の理事長を務める柳俊之氏が「日本野球界の現状と北海道野球協議会の取組」と題して話された。

柳氏の野球界における貢献について、2015年に「北海道新聞スポーツ賞」を受賞した際の授賞理由が簡潔にまとめられているので、それを転写することにする。
「今年2月に社会人野球などを統括する日本野球連盟の副会長に道内から初めて就任した。北海道のアマチュア野球界を選手として、裏方として50年近く支えてきた生き字引だ。岩見沢東高、芝浦工業大を経て電電(現NTT)北海道時代は投手として、野球殿堂入りした若松勉さん(68)らとプレー。1974年の都市対抗大会では、大昭和製紙北海道の補強選手として4試合で自責点1と活躍し、最高殊勲選手に送られる橋戸賞を受賞した。78年の引退後は、日本野球連盟の競技力向上専門委員長や、NPO法人北海道野球協議会の理事長など要職を歴任。道内球界の情報発信の中心を担ってきた。同協議会には今年7月、プロ野球の日本ハムも加盟した。アマ間交流だけではなく、プロアマ交流拡大など期待も大きく、引退はしばらく先になりそうだ」

※ 北海道新聞スポーツ賞を受賞する柳俊之氏です。
柳氏は、自身の野球との出会い、野球で学んだこと、特に日本代表の一員としてキューバに遠征して当時アマ球界世界一と謳われたキューバ野球から多くのことを学んだと話された。そうした多くの経験を、柳氏は次代を担う少年たちに伝えていきたいという熱い思いを抱いていることがお話の中から伝わってきた。
続いて、日本野球の歴史、オリンピックにおけるに日本野球の戦いぶりなどについて触れた。古い歴史について私の知らないところもあったが、オリンピックにおける戦いぶりなどについては懐かしくお話を聴くことができた。
後半は、北海道野球協議会の取組についてお話された。
柳氏のお話の中で特徴的だったのは、北海道は全国的に見てもけっして野球後進国ではなく、むしろ野球先進国であると強調されたことだった。
特に明治40年に結成された函館オーシャン(太洋)倶楽部は日本一古いクラブだということだ。
柳氏が理事長を務める北海道野球協議会は2000年に7団体でスタートし、2015年には全国野球振興会、北海道日本ハムファイターズも加盟し、文字どおりプロもアマも含めたオール北海道として野球振興に力を注いでいるということだった。
具体的には、①指導者の育成事業、②選手の養成(野球教室、野球塾)、③審判員、記録員等の育成、④医科学講習会、⑤チャンピオンシップの開催、⑥ベースボールフェスティバルの開催、等々多岐にわたる。

柳氏が野球界の大きな課題としてあげたのが、野球界には全国を統括する団体が未だないことだという。サッカー界などは統一組織が全体を統括して、日本のサッカー界の競技力向上などに効果を発揮しているという。2016年には日本野球協議会が発足したが、一日も早い統括組織ができることを望んでいるとした。
柳氏が尽力されて北海道において、プロ・アマ合同の組織が起ち上っている。国内でもできないはずがない。柳氏にはさらに尽力いただいて、そうした統一組織が一日も早くできることを望みたいものである。
8月6日(日)午後、北海道博物館で現在開催されている特別展「-北海道と野球をめぐる物語- プレイボール!」の関連イベントとして開催された講演会に参加した。
講演はNPO法人「北海道野球協議会」の理事長を務める柳俊之氏が「日本野球界の現状と北海道野球協議会の取組」と題して話された。

柳氏の野球界における貢献について、2015年に「北海道新聞スポーツ賞」を受賞した際の授賞理由が簡潔にまとめられているので、それを転写することにする。
「今年2月に社会人野球などを統括する日本野球連盟の副会長に道内から初めて就任した。北海道のアマチュア野球界を選手として、裏方として50年近く支えてきた生き字引だ。岩見沢東高、芝浦工業大を経て電電(現NTT)北海道時代は投手として、野球殿堂入りした若松勉さん(68)らとプレー。1974年の都市対抗大会では、大昭和製紙北海道の補強選手として4試合で自責点1と活躍し、最高殊勲選手に送られる橋戸賞を受賞した。78年の引退後は、日本野球連盟の競技力向上専門委員長や、NPO法人北海道野球協議会の理事長など要職を歴任。道内球界の情報発信の中心を担ってきた。同協議会には今年7月、プロ野球の日本ハムも加盟した。アマ間交流だけではなく、プロアマ交流拡大など期待も大きく、引退はしばらく先になりそうだ」

※ 北海道新聞スポーツ賞を受賞する柳俊之氏です。
柳氏は、自身の野球との出会い、野球で学んだこと、特に日本代表の一員としてキューバに遠征して当時アマ球界世界一と謳われたキューバ野球から多くのことを学んだと話された。そうした多くの経験を、柳氏は次代を担う少年たちに伝えていきたいという熱い思いを抱いていることがお話の中から伝わってきた。
続いて、日本野球の歴史、オリンピックにおけるに日本野球の戦いぶりなどについて触れた。古い歴史について私の知らないところもあったが、オリンピックにおける戦いぶりなどについては懐かしくお話を聴くことができた。
後半は、北海道野球協議会の取組についてお話された。
柳氏のお話の中で特徴的だったのは、北海道は全国的に見てもけっして野球後進国ではなく、むしろ野球先進国であると強調されたことだった。
特に明治40年に結成された函館オーシャン(太洋)倶楽部は日本一古いクラブだということだ。
柳氏が理事長を務める北海道野球協議会は2000年に7団体でスタートし、2015年には全国野球振興会、北海道日本ハムファイターズも加盟し、文字どおりプロもアマも含めたオール北海道として野球振興に力を注いでいるということだった。
具体的には、①指導者の育成事業、②選手の養成(野球教室、野球塾)、③審判員、記録員等の育成、④医科学講習会、⑤チャンピオンシップの開催、⑥ベースボールフェスティバルの開催、等々多岐にわたる。

柳氏が野球界の大きな課題としてあげたのが、野球界には全国を統括する団体が未だないことだという。サッカー界などは統一組織が全体を統括して、日本のサッカー界の競技力向上などに効果を発揮しているという。2016年には日本野球協議会が発足したが、一日も早い統括組織ができることを望んでいるとした。
柳氏が尽力されて北海道において、プロ・アマ合同の組織が起ち上っている。国内でもできないはずがない。柳氏にはさらに尽力いただいて、そうした統一組織が一日も早くできることを望みたいものである。