「イリアンジャヤ」って聞いたことがありますか? 恥ずかしながら私は初めて聞いた言葉だった。イリアンジャヤとは、オーストラリア大陸の北に浮かぶ島ニューギニア島の西側半分を占め、インドネシアに属する地域である。そこには首狩り族が存在していたという最後の秘境である。
※ 地図の下の部分はオーストラリア、左側はインドネシア本国。赤い部分が「イリアンジャヤ(別称:インドネシア領パプア)です。
8月7日(月)午後、生涯学習グループ「めだかの学校」が主催する「ビデオ観賞会」が行われた。この回は道民カレッジが所蔵するビデオ「新世界紀行」の中から「最後の秘境イリアンジャヤ」のⅠ巻・2巻を鑑賞する会だった。
ビデオは、1992~93年にかけてスタッフが現地に派遣されて制作されたものだった。
Ⅰ巻目は、現地の原住民の生活に密着したレポート、Ⅱ巻目は現地の海岸壁数十キロにわたって描かれている古代の壁画をレポートするものだった。
Ⅱ巻目の壁画もなかなか興味深いものだったが、私にはⅠ巻目の原住民の生活の様子の方がより興味深く映ったので、そちらをレポすることにする。
先述したようにイリアンジャヤはインドネシアに属する地域のため「インドネシア領パプア」とも称されているようだ。
この地域の海岸線は開発も進んでいるが、内陸に入るとまだまだ未開のところが多いようだ。ビデオはそうした内陸にある部族(何という部族だったか不明)の一つに入り込み生活を共にしながらレポしたものだった。
※ 日本でいえば縄文文化期に見られた竪穴式住居のようです。
原住民の住まいは、壁や屋根を葦のような素材で覆っただけの掘っ立て小屋、その姿は局部だけをわずかに隠しただけの裸姿である。
食料はヤシの木に含まれるでんぷん質を抽出したもの、たんぱく源としては木の中に巣食う昆虫の幼虫が主であるという。
男たちは弓矢を持っているが、ニューギニア島には哺乳類はほとんど存在しないということだ。男たちの弓矢は狩りのためではなく、部族同士の抗争時の武器として使用したらしい。
部族同士の抗争は、激しい殺し合いがあり、捉えられた捕虜は勝利者によって首級を持ち帰られるという風習があったらしい。撮影時にはそうした風習も消えつつあったようだが、ビデオの中では昔獲った頭骨がいくつも登場したのにはいささかゾッとした。
※ 写真の男性たちは儀式用に着飾った状況のようです。
原住民や首狩り族の話については、テレビドキュメンタリーなどでもアマゾン川の源流地帯のレポートを何度か視聴した経験があるが、文明に乗り遅れた彼らは果たして不幸な民族なのだろうか? 彼らが違う文明を知ってしまったことは、違いを乗り越え、順応するための相当な苦しみを味わうことになるのかもしれない。しかし、もし知らずに一生を終えることができたとしたら、それはそれで幸せな一生だったといえるのではないだろうか?
取材時から24~5年経過した今、おそらく現地は激しく変貌を遂げているものと想像される。画面に登場した原住民たちははたしてどのような生涯をおくったのだろうか?