「イランカラプテ」…、私たちにとってはかなり馴染みとなった言葉である。この言葉を「こんにちは」と解するには無理がある、と講師は冒頭に言った。「えーっ!?」と思いながら講義を拝聴した。
6月23日(日)午後、「北海道博物館ミュージアムカレッジ」を受講した。この日の講義は「アイヌ語由来の標語・愛称を再考する」と題して、札幌学院大学教授で、北海道博物館の非常勤研究職員も兼ねる奥田統己氏だった。奥田氏は言語学者であり、アイヌ語研究の歴史は長く、その道ではかなり高名な方らしい。(詳しくは分からない)
奥田氏はまず、この日の主題について話された。それによると①「イランカラプテ」はアイヌ語の「こんにちは」なのか。②「ウポポイ」では誰が歌うのか。と問題提起された。
「イランカラプテ」は、私たち一般人にはアイヌ語で「こんにちは」という意味で今や広く知れ渡っている。さらにはアイヌを祖先にもち、アイヌ語研究もされ「萱野茂のアイヌ語辞典」も著している萱野茂氏が「イランカラプテ」とは「あなたの心にそっと触れさせていただきます」という意味が込められているとしたことから、この言葉を北海道のおもてなしの合言葉にしようというキャンペーンが繰り広げられている現状がある。
しかし、奥田氏はいう。そもそもアイヌ語には「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」というような区別のある言葉はなく、「イランカラプテ」を「こんにちは」と解するには無理があるとし、言語学的に縷々説明された。その内容は多岐であり、私には難解なためにここで紹介することはできないが、アイヌ語研究者の間では通説となっていることなのだろう。
奥田氏はまた2020年4月に白老町に開館する「民族共生象徴空間」(国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園)の愛称が「ウポポイ」に決まった。その選考は一般からの投票によったそうだが、その募集段階において「ウポポイ」は「おおぜいで歌うところ」とされていたようだ。ところが言語学者らから異議が出た結果、決定の時点では「おおぜいで歌うこと」に書き改められていたと奥田氏は主張された。この「ところ」なのか「こと」なのかについても言語学的に細やかに説明されたのだが、省略したい。
最後に奥田氏は次のようにまとめられた。「イランカラプテ」を「こんにちは」と訳すのは日本語の文化と想像力に基づいたものであり、「ウポポイ」の訳(ところとしたことについて)は日本語の構造と意味を下敷きにしていると指摘した。つまり二つの事例は、多数者である国民にとって操作しやすく、決定プロセスが行政にとって扱いやすいものになっているとした。そして、「アイヌ語やアイヌ文化の将来を決めるのはアイヌ民族自身であるべきだ」と主張された。
一方で奥田氏は、研究者たちが言語学的に分析したものが、そのままアイヌ語の将来を拘束するものではないとも述べた。このことは「言葉は生きている」ということを意味したのだろうか? つまりアイヌ民族自身が納得した場合は、 言葉の意味が変わったり、変化したりすることもあり得るということを述べられたものと理解したい。
いずれにしても、今後はアイヌ語やアイヌ文化がこれまで以上に国民の中に広まっていくことが考えられる。そうしたとき、その意味や意義についてアイヌ民族の意思を尊重しながら、研究者の意見も十分聴取したうえで、正しい意味や意義を国民一般に広めてほしいと願いたいものである。