「病は気から」ということをよく聞くが、講師は医療者の立場からそのことについて説いた。研究者から町医者に転じ、“気”の大切さを感じ続けた60年の医師生活だったという奈井江町在住の方波見康雄医師のお話を聴いた。
6月18日(火)午後、「ほっかいどう学」かでる講座の第3回講座が開講され受講した。第3回目の講座は「病気には表情がある~町医者の診療日記こぼれ話~」と題して、奈井江町で60年以上にわたり町医者として多くの患者と関わってきた方波見康雄医師が講師を務めた。方波見氏は医療活動の傍ら、著作活動にも取り組まれ、多くの著作を世に送り出しているが、私たち道民には北海道新聞に連載しているエッセー「命のメッセージ」で多くの人に知られている方である。
私はまず方波見氏の若さに驚いた。今年93歳になるという方波見氏は歩き方も颯爽とされ、2時間の講演時間も淀みなくお話される姿に内心驚きながら氏のお話をうかがった。
方波見氏は氏の体験から多くのことを語られたが、その中でも私が特に印象に残ったことを中心にレポすることにする。
方波見氏が特に強調されたことは「医療とは“まるごと人間”を診ることである」という言葉だった。この言葉は医療者の一人として自らの戒めにも用い、後輩たち医療者に対しての箴言でもあったようだ。そしてもちろん私たち被医療者もそうした思いで医療者に接してほしいという方波見氏からのメッセージとして私は受け取った。
方波見氏は氏の著書の中で次のように語っている。(記している)
「開業医としての診療には、何よりもまず生きた人間との出会いがあった。地域に住みつき生活する。生まれも育ちも顔つきも違う「まるごと人間」から始まるのが町医者の医療であった」
また、方波見氏は言う。「医療技術は機器の発達も伴い飛躍的に進歩したが、診察の第一歩は五感を大切にする医療だ」と…。特に触診は、病める人の身体との対話・交信である。すべての対話がそうであるように、お互いの表現であり、手と肌との会話でもある、と言っていた。
※ 方波見氏の著書の一つ「いのちのメッセージ」です。
これらの言葉は、何も開業医だけを指すのではなく、大学病院や大病院に勤務する医師への忠告も含まれている言葉だと思う。(方波見氏は現在北海道内の多くの大学で講師を務められている)検査結果のパソコン画面ばかりを見ながら診断する現代の多くの医師に対して方波見氏はある意味の危機感を抱いているようにも思えた。
最後に我々高齢の受講者の関心事である“認知症”について触れられた。老人性認知症に罹ることは避けたいことだが、たとえ罹患したとしても医療者としては最後まで人間として接したいと語った。「画像の病変だけで、その人が、その人の人間性が、定義づけられるものではない。脳の障害だけで、劣った生き物にされて良いのか?どうして『まるごとの人間』ではなく『脳』だけの扱いにされてしまうのか」と、これまた現在の医療界への疑問を呈している。
方波見氏は町医者の第一人者として、医療界の現状に警鐘を鳴らすとともに、私たち被医療者に対しても、医療者に対して積極的に働きかけよ、と促されたのかな?と私は受け止めたのだが…。