田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

けあ・ばんけい 介護施設の現況を知る

2011-07-11 21:41:39 | 札幌(圏)探訪
 盤渓小学校(昨日のレポート)とともに、盤渓小学校の直ぐ近くにある介護老人保健施設「けあ・ばんけい」を訪れた。この種の施設について無知だった私にとっては学ぶことの多い訪問だった。 

        
     ※ 「けあ・ばんけい」の全景であるが、周りの緑を入れなかったのは失敗!

 某団体の研修は学校を訪れるだけではなく、併せて一般教養的な施設見学も組み合わせているところが一つの特徴である。
 今回は私たちリタイア組にとって無関心ではいられない介護老人保健施設を訪れた。

 「けあ・ばんけい」は人里からやや離れた盤渓の山懐に抱かれた緑豊かな閑静なところに建っていた。まだ内も外も新しい施設のように感じたが、それでも開設後15年が経っているという。きっと手入れが行き届いているからそう感じさせるのだろう。

 研修の内容は施設内を見せていただくことと、高齢者福祉の現況について説明していただくことだった。
 私の場合、幸か不幸か私の両親も妻の両親もこの種の施設にお世話になることなく他界してしまったこともあって、この種の施設については全く無知であった。
 だから見ること、聞くこと全てが新鮮だった。
 説明の中から記憶に残ったことを2~3レポートする。

        
        ※ 施設内で説明を受ける研修参加者たち。

 1.施設に入所できるのは《要介護認定》を受け人だけである。
 2.「けあ・ばんけい」のような介護老人保健施設は短期入所(原則30日以内)が原則。
 3.入所費用は納税額などによって差がある。
などなど、私にとっては初めて知ることばかりだった。

        
        ※ 理学療法士からリハビリを受けるデイケア利用者。

 説明を受けた後、3階建の施設をくまなく見せていただいた。
 1階は主としてデイケアセンターとして通所リハビリに励む人たちの場で、機能回復訓練や作業療法に勤しむ人たちの姿を見ることができた。
 2階、3階は主として短期入所の方々の療養室が並んでいた。認知症専門棟や入居者の居室まで余すところなく見ることができた。

        
        ※ 清潔に見えた療養室の個室です。
 
 遠くない将来に私もこうした施設にお世話になることが十分に予想される。
 なのに私は今までこうしたことにあまりにも無知だったのではないかと反省させられた。
 今回の訪問を一つのキッカケとして、日本の高齢者福祉の現況をもっと知らねばならないことを痛感した研修会だった。

盤渓小学校の特色ある教育

2011-07-10 19:31:35 | 札幌(圏)探訪
 札幌市中央区の盤渓地区に特認校という指定を受けた盤渓小学校がある。過日、ユニークな教育活動を展開している盤渓小学校を訪れる機会に恵まれた。

        
        ※ 緑に囲まれた盤渓小学校の全景です。

 「特認校」とは、正式には《札幌市小規模特認校制度》と称され、「自然環境に恵まれた小規模の小学校や中学校で、心身の健康増進を図り、体力づくりを目ざすとともに、自然にふれる中で、豊かな人間性を培いたいという保護者の希望のある場合に、一定の条件のもとに、これを認める」という制度ということだ。
 札幌市には現在5校の小中の特認校が存在するが、盤渓小学校は昭和52年に全国初の特認校の指定を受けて発足した。したがってすでに特認校として34年の歴史を有している学校である。

 その盤渓小学校が私が所属する某団体の研修会の研修先として選定され、過日7月7日(水)に訪問したのだ。
 盤渓小学校は中央区にありながら、ばんけいスキー場をはじめ、豊かな緑が広がる「盤渓市民の森」が間近にあるという絶好のロケーションに位置している。

 その盤渓小学校で話を聴いた。
 何がユニークかというと、盤渓の自然を生かした「体力づくり」に力を入れているという点である。公立学校として普通の学校と同じカリキュラムをこなしながら、創意工夫を凝らして子どもたちの「体力づくり」に取り組んでいるという。
 夏は自然の地形を利用したサーキットトレーニング、冬はばんけいスキー場を活用したスキー学習に力を入れているという。

 その成果が素晴らしい。
 夏場のトレーニングを経て秋に行う体力テストでは、ABCDEの5段階の中で全校児童の80.5%がAとBの段階に達しているという。ちなみに全国平均ではABの出現率は38%だそうである。
 さらに素晴らしいのがスキーの技能の上達ぶりである。
 昨シーズン終了時にSAJのバッジテストで1級取得者が8人、2級取得者が26人だったということだ。学年わずか20人しかいない学校でこの数字は、5・6年生はほとんどが1・2級の取得者ということになる。このバッジテストは大人向けのものであり、受験するためにはジュニア1級を取得していなければならないということだから、子どもたちのレベルは相当なものである。

          
          ※ スキー学習の様子です。(同校HPより転載)

 詳しくは聴けなかったが、学力自体もかなりのレベルにあるという。
 何せ1学級20人という理想的な定員だから、個々の児童の学習状況を把握することができ、学習指導の効果も上がっているものと想像される。

 学校の説明を受けた後、実際の子どもたちのサーキットトレーニングに取り組む様子を見学した。どの子も真剣にトレーニングに取り組んでいた。
 子どもたちが真剣になるには自分の成長が実感でき、意欲的になれるように記録をとり続けているとのことだった。

        
        ※ 盤渓小のグランド横の崖を利用したフィールドアスレチックを使った
         トレーニングの様子です。

 少人数で、学習にも、体力づくりにも意欲的に取り組むことができる盤渓小学校。学齢期を迎えた子どもがいるご家庭においては、学校を選択する上で有力な候補の一つになる学校のような気がした。

近美を愛するブリリアの会 会報 №35

2011-07-09 22:45:45 | ボランティア
 近代美術館前の歩道を勝手に清掃する「近美を愛するブリリアの会」の活動はその後も順調に続いている。先日、1年前に活動を開始してからちょうど1周年を迎えた。 

 「近美を愛するブリリアの会」について、4月25日付の拙ブログでレポートしたが(そのレポートはこちら  )、その後も順調に、地道に続いている。
 2週間に1度のペースで朝6時に集まり、およそ1時間、雑草を除去したり、落ち葉を掃き清めたりしている。
 今年はその活動と共に、雑草畑と化していた空間を花壇化したためにそこの管理も活動の一つとなった。
 今年になってこれまで6回の活動を行ったが、毎回全員が集まるわけではない。その時々都合の良い方が7~8名集まって活動しているのが実状である。

        
        ※ 清掃を終え、きれいになった近美前の歩道です。

 この活動をスムーズに維持・継続させている要因の一つに「会報」の発行があると私は考えている。
 会報は活動日を周知することと、活動の様子を伝えることを主な内容としている。したがって1度の活動に2回の会報が発行されることになる。
 活動の様子を伝えるのは、私たちの会員の中にはサポーター会員という方がいる。それは体が弱かったり、仕事が忙しかったりと、活動には参加できないが応援したいという方がいて、その方々に活動の様子を伝える意味合いがあるのだ。

        
        ※ 集めた落ち葉やゴミはゴミ袋10袋になりました。

 表題にあるように昨日(8日)、会報№35を発行した。
 その№35の内容は、表面に6回目の活動報告として「落ち葉がゴミ袋に10袋も!!」と題して活動の様子を報告した。(写真入りで)
 裏面は、会員の方へのインタビュー、そして中央区の「花と緑のまちづくり交流ワークショップに参加しませんか?」という記事を掲載している。

          
     ※ 「近美を愛するブリリアの会」会報№35の表面です。

 リード文で「1周年を迎えた」と書いたが、第6回目の活動日だった7月5日は、遡れば昨年の7月5日に初めて会としての活動を開始した日だった。
 だからと言って何か記念日的なことをしたかといえば、何もしていない。ただそのことを会員の皆さんに伝えたときに、それぞれが感慨深そうにうなづいたのが印象的だった。
 これからも細く長く続けていきたい活動である。

東海大学のラベンダー

2011-07-08 15:41:21 | 札幌(圏)探訪
 最盛期には少し早かったようだが、東海大の正門脇の広場には紫の絨毯が広がっていた。東海大がある南沢は日本におけるラベンダー栽培のルーツだそうである。

        
        ※ 写真の部分は早生の品種らしい紫の花をいっぱい付けていた。

 暑い一日だった(この日6日の最高温度は27℃とのことである)。
 南の沢は札幌の都心から離れ、我が家から車で南に向かうこと約30分かかって到着した。東海大ではラベンダー見学者のために駐車場を用意していてくれた。

        
        ※ ラベンダーの花を近撮したところです。

 正門のところで記帳をした後、パンフレットを受け取り正門脇のラベンダー畑に向かった。
 満開に近いところもあったが、全体的に見ると最盛期はもう少し先のようである。
 畑では職員とおぼしき人たちがラベンダーの株間に繁った雑草を抜く作業をしていた。
 作業服を着るでもなくワイシャツ姿で炎天下の作業は、急遽上役からの命があったのだろうか? サラリーマンは辛いね?学生は栽培に関わってはいないのだろうか?
 資料によると学生サークルに「ハー部」というサークルがあるそうだが…。

        
        ※ 畑の向こう側はまだ花を付けていなかった。右上に除草作業をして
         いる職員の姿が見えます。

 以前、この南ノ沢をウォーキングしている時、南沢神社の脇に「ラベンダー発祥の地」の記念碑が立っているのを見て「へぇ~」と思っていたのだが、同じ南ノ沢に校舎を構える東海大学としてはこのことをアピールしたいと考えたようだ。
 「LAVENDER CAMPUS IN SAPPORO」と記されたパンフレットには「本学ではこの歴史を広く伝えると同時に、ラベンダーを通じて地域とのつながりを深めることを目的に~」と述べている。
 各大学では今、地域に貢献することが重要視されていることもあり、とても良い試みだと私は思う。

        
        ※ ラベンダーを見学する人のために立派なパンフレットと葉書が用意
         されていました。

 計画的に増殖されたラベンダーは今3,600株という。
 大学の「ハー部」では単に観賞に供するだけではなく、ドライフラワーにするなどの活用方法をいろいろ模索中だとか…。
 ラベンダーを通して東海大学と地域住民の距離がいっそう近くなることを願いたい。

札幌Cafe紀行 №72 HALLSTAIRS CAFE有楽ビル店

2011-07-07 22:47:49 | 札幌Cafe紀行
 楽器や洋書がさりげなく配され、剥き出しのスピーカーが天井近くに陣取るなど、今の人の心をくすぐる雰囲気を感ずる店内は渋く落ち着いた空間でもあった。

        
        ※ 壁際の棚には洋書、そしてバイオリン、天井近くには大型の
         スピーカーが下がる店内です。

 札幌市や本州主要都市に積極的に店舗展開を図る「宮越屋珈琲」の新しいコンセプトのカフェ「ホールステアーズ」の名で札幌都心に出店している店の一つがこのHALLSTAIRS CAFÉ 有楽ビル店である。

 大通地下街の最も東側(テレビ塔に近い)に位置する第2有楽ビルの地下2階には、このCafe紀行の№58で取り上げた喫茶「東」をはじめ、「可否茶館 大通店」、そして「HALLSTAIRS CAFÉ 有楽ビル店」と3つのカフェがひしめいている。さぞかし競争も激しいのではと想像されるのだが果たして?

        
        ※ 写真のように店は通路側に開放された造りです。

 店は通路側に開放された造りになっているのだが、店の中に入ってみると落ち着いた色調がそうさせるのか、店外に開放されているとは感じられないほど落ち着いた雰囲気だった。
 店内はカウンター席、グループ用(?)の長いテーブル席、そして普通の4人掛けテーブル席からなっていた。

        
        ※ 落ち着いた色調のテーブル&椅子です。

 メニューはフレンチコーヒー、マイルドコーヒーともに550円と都心のカフェとしては平均的な価格設定だろうか。
 友人と二人で入ったのだが、私たちはクッキーとマイルドコーヒーのセット(750円)をオーダーした。
 実を言うと私は宮越屋珈琲のコクのある重いコーヒーが苦手である。マイルドといっても私にはやはり重たく感ずるので、今回だけはミルクを用いてしまった。

        
        ※ マイルドコーヒー&クッキー(二人分)のセットです。

 私は苦手と書いたが、あのコクのある味がたまらないという宮越屋ファンはきっと多いのだろう。そうした方々の支持が多店舗展開を可能にしているのだと思われる。
 都会的なセンスを感ずる店造りの「ホールステアーズ」は今後伸びていきそうである。

            
      ※ 友人が「レシートが面白いから撮ったら」とのアドバイスで撮ったものです。

【HALLSAIRS CAFÉ 有楽ビル店 データ】
札幌市大通西1丁目第2有楽ビルB2F
電  話 011-221-8007
営業時間 (月~土)8:00~21:30 (日・祝)9:00~21:00
定休日  不定休
座  席 45席くらい
駐車場  なし
入店日  ‘11/07/02

北海道低山紀行 13 手稲山(平和の滝コース) 後編

2011-07-06 17:02:20 | 北海道低山紀行 & Other
 人間の背丈ほどの大きさの岩石が斜面にゴロゴロしているガレ場を登ること1時間! 急角度と、危険回避のために神経を張り詰めての上りに私はへとへとに疲れてしまった。

 布敷ノ滝を後にすると、斜度はますます険しくなってきた。
 そのうち登山道の中に岩石が顔を出し始めた。ゴロゴロした岩石を踏み越えながら高度を増していった。しかしこれはまだ序章に過ぎなかった。コースはまだ林の中にあり、岩石ばかりでなく、時には木の根を階段状に上るところもあったからだ。

        

 やがて林が切れて岩石だけが一面にゴロゴロと転がっている斜面に出た。どこを登ると良いのか分からない。ガイドブックでは「ペンキの後を追え」と書いてある。確かにところどころに赤いペンキが見える。ただ、今回は先行者がいたので、その人たちの後を辿ればよかった。
 とてもとても一気には登れない。ガレ場の途中で大休止をとった。

        

 気を取り直して再び登り始めるも、岩石が大きくてどこに足を掛けて良いのか迷いっぱなしだった。
 休みながら苦労して登る私の横で若い女の子たちが山に登りながらスキューバーダイビングの予定を話し合っている。「山を登っていて、海の話をするな!」と心の内で罵りながら、若さを羨むオヤジだった…。

        


 大きなガレ場から再び林の中に入ったが、岩石が転がっていることには変わりない。何度も、何度も立ち止まりながら登り続けた。

        

 悪戦苦闘することおよそ1時間。ふっと斜度が緩くなった。
 もうこれまでのことを考えると天国のようなダケカンバの林である。
 するとまたちょっとしたガレ場が見えた。そこでは登山客が昼食を摂っていた。「山頂が凄い混んでいるのでここにした」というようなことを言っていた。

        

 そのガレ場のちょっと上に大きなケルンが積まれていた。ガイドブックでは「ここを終点としたい」とあったが、ここまで来たらやはり山頂に立ってみなくてはならない。そこから約10分、およそ登山道には相応しくないような車道を歩いて山頂に立った。

        

 手稲山山頂はご存知のように札幌オリンピックの大回転コースがあるため山頂までリフトが伸びている。また、道内放送各社が山頂に放送用の中継アンテナを立てているため、車道が整備されている。
 その道を利用してバスで山頂までやってきたハイキング客が目立った。
 山頂は登山客とハイキング客でいっぱいだった。

        

        



 私は写真だけ撮って早々に退却し、先に登山者たちが休んでいたガレ場まで戻り、持参したおにぎりを頬張ったのだった。

 ところで「山ガール」である。
 手稲山にも山ガールが跋扈していた。あっちにも、こっちにも派手な色彩のウェアを身に付けた若い娘が目立った。
 流行のファッションに身を包み、軽やかに登山をする人たちが増えるのは悪いことではない。街中でたむろしているよりはよっぽど健康的である。

        

        
 
 さて下山の項であるがこちらは割愛したい。しかし、下山もガレ場はやはり強敵だった。
 二日間筋肉痛に悩まされたが、今日(6日)になってようやく解放されたようだ。
 さて、次はどこを目ざそうか?

【手稲山(平和の滝コース) 登山データー】
標 高  1023.1m
駐車場  平和の滝駐車場に50台以上が駐車できる。
行 程  《上り》登山口→(1時間)→布敷ノ滝→(30分)→ガレ場の斜面のとり付き→(1時間)→ケルンの立つコブ→(10分)→手稲山頂
      《下り》ケルンの立つコブ→(30分)→ガレ場の斜面のとり付き→(30分)→布敷ノ滝→(50分)→登山口
時 間  登山(約2時間40分)、下山(約2時間)
天 候  薄曇り
登山日  ‘11/07/02


北海道低山紀行 13 手稲山(平和の滝コース) 前編

2011-07-05 18:19:43 | 北海道低山紀行 & Other
【札幌近郊低山紀行】とは、「低山」の定義を標高1,000m前後の山としてその山々を巡ろうというものである。数えたところ札幌近郊には30峰以上の登山に適した低山があるようである。そこを体力づくりも兼ねながらぼちぼちと挑戦することにした。 

 登山口からの入りこそ穏やかだったのだが…。後半のガレ場には本当に手を焼いた。やはり1,000m級の山だった。これまでの低山紀行の中でも最も手強い山だった…。


 これまで低山の定義を1,000m未満としてきた。しかし札幌近郊には1,000mを少し超えたくらいの高さの山に魅力的な山が多い。そこで低山の定義を1,000m前後とすることにより選択の幅を広げることにした。
 そしてその第一弾に選んだのが「手稲山(1,023m)」だった。

 我が家から車で約25分。登山口のある平和の滝にある駐車場に着いた。午前9時を少し超えていたが50台は入るだろうと思われる駐車場は満杯だった。しかたなく近くの路上に駐車したが、都心から近くにあって本格的な山登りができる手稲山ということで人気が相当に高いようだ。(この日は7月3日、日曜日。天候は薄曇りだった)

        
        ※ ご覧のように駐車場は登山客の車で一杯だった。

 登山口の象徴でもある「平和の滝」をカメラに収めて早速出発である。

        
        ※ 札幌市内の名所の一つ「平和の滝」です。

 頑丈なゲートで閉ざされた登山口から林道を歩く。
 ほとんど平坦な砂利道が続く。ちょうど野幌森林公園の遊歩道を歩いている気分である。
 そうした道がおよそ1km続いた。すると小さな広場があり、その先に大きな砂防ダムがあった。

        
        ※ 手稲山(平和の滝コース)の登山口は大平和寺の横を通ります。

        
        ※ 登山口からはこのような平坦な道が続きます。これにだまされた?

        
        ※ 写真では砂防ダムの大きさが分かりませんが、高さ10m位はありそうです。        

 砂防ダムのところからは少しは登山道らしくなってきたが、相変わらず体に応えるほどのものではない。多少のアップダウンも気にならず快調に歩を進めた。
 傍らを発寒川が流れ、その水の流れが耳に心地よい。

 沢の流れを見ながら登っていると、沢登りをしている一団に出会った。6~7人のグループだったが、女性も中にいて声をかけ合いながら登っていた。いろいろな趣味があるものである。
 やがて発寒川から離れて尾根コースとなったが、そこからは斜度もきつくなり徐々に登山気分になってきた。汗も全身を覆ってきた。

        
        ※ 夏季の沢登は爽快でしょうね~。

 朝早くに登った人たちの下山と出会うようになった。
 その中で、小学校3~年生くらいの男の子と父親に出会った。「もう登ってこられたのですか?」と尋ねると「いや、8合目くらいから引き返しました」という答えだった。小学生の男の子の表情を見ると相当に辛そうだった。その思いを私も後ほど嫌というほど味わされることになる。

        
        ※ 写真ではあまり斜度が感じられませんが、相当に登っています。

 けっこうな辛さを感ずるようになった頃、大きな滝が待っていた。登山道の中で一つの目安となっている「布敷ノ滝」である。岩盤上を水が滑るように流れている滑滝(なめたき)と呼ばれる滝である。

        
        ※ 山中にある「布敷ノ滝」は汗をかいた登山者には一服の清涼剤です。

 ここまで登山口から約2.5km。約1時間が経過していた。
 持参のボトルの冷たい水で喉を潤し、気を取り直して上を目ざした。
 ここからが本当の手稲山登山となり、私の悪戦苦闘が始まった…。
  (以下、後編に)

兼好法師の恋??

2011-07-04 19:38:13 | 講演・講義・フォーラム等
 兼好法師(吉田兼好)といえば随筆『徒然草』の著者として有名だが、恋多き人物であったらしい!? 道新ぶんぶんクラブ教養講座「いにしえの日本を探る」で兼好法師の恋話を聴いた。

        

 30歳前後で出家したと伝えられる兼好法師だが、史家の調べでは恋多き人物だったことが浮き彫りとなっているようだ。本来、出家した人間に恋話などご法度のはずだが、「徒然草」と「兼好法師全歌集」を読み比べてみると、そこから兼好法師の心のうちが見えてくるということらしい…。

 7月2日(土)、道新ぶんぶんクラブと国学院大学の共催による教養講座「いにしえの日本を探る」と題して開催され受講した。
 講座は国学院大学教授の山岡敬和氏が「徒然草~兼好法師の恋」と題しての講座だった。
 山岡氏は気鋭の国文学者といった感じで、立て板に水のごとくスピード感あふれる話し方で、メモする手も追いつかないほどだった。

        

 山岡教授が解説するには、「徒然草」の方では兼好法師自身を第三者に見立てたり、他からの伝聞のような形をとって記述しているが、それと明らかに同じ場面と見られるところを「兼好法師全歌集」においては自身の心の内を率直に詠っているものがあるというのである。
 あるいは少し難しいかもしれないが(私自身が難しい)、紹介いただいたたくさんの証拠の文の中から一つだけ転写してみることにする。

◇『徒然草』第百五段
  北の屋かげに消え残りたる雪の、いたうこほりたるに、さし寄せたる車の轅(ながえ)も、霜いたくきらめきて、有明の月さやかなれども、くまなくはあらぬに、人はなれたる御堂の廊に、並々にはあらずと見ゆる男、女と長押(なげし)に尻かけて、物がたりするさまこそ、何事にかあらん、尽きすまじけれ。かぶし、かたちなど、いとよしと見えても、えもいはぬ匂ひの、さとかをりたるこそをかしけれ。けはひなど、はづれはづれ聞こえたるも、ゆかし。

◇『兼好法師全歌集』三十二
  冬の夜、荒れたる所の簀子(すのこ)に尻かけて、木だかき松の木より、くまなくもりたる月を見て、暁まで物語りし侍る(はべる)人に
 思ひいづや軒のしのぶ霜さえて 松の葉わけの月をば見し夜は

 この二つの文を見比べてみると、『徒然草』では二人の男女の逢瀬を第三者的に描写している。一方、『兼好法師全歌集』の中の詩は次のように解釈できるという。
「思い出していますか。軒の忍草に降りた霜が冷たくて、松の葉の間から月を見た夜のことを」と逢瀬を楽しんだ女に呼び掛けているのである。

 こうした箇所が何カ所も表れていてそれを紹介しながら、解釈してくれるという講座だった。
 このように『徒然草』と『兼好法師全歌集』を読み比べることによって、兼好法師の恋愛観のようなものが垣間見えるという。
 こうして教授されると出家した宗教者というイメージからかけ離れ、今風の言葉で言うと「ひらけたお坊さん」というイメージが拡がってくる。
 鎌倉時代にこんな「ひらけたお坊さん」がいたなんて面白いことです。

 古文を一人で楽しむだけの力量はないが、こうした機会を利用していにしえの世界に遊ぶのも面白いことである。

秘境 奇景 樽前ガロー

2011-07-03 21:43:56 | 札幌(圏)探訪
 ほぼ垂直に切り立った崖の表面は苔に包まれ、その下を樽前川の美しい水が流れている。緑のカーテンを拡げるその様はまるで別世界!まだまだ観光地化されていない樽前ガローを訪れてみた。 


 6月30日(金)、私が所属する某団体の秋の観楓会の目的地である登別、苫小牧を担当として事前下見のために訪れた。
 そして目的地の一つに取り上げてほしいと私が推薦した「樽前ガロー」に行ってみた。

 国道36号線を苫小牧から室蘭に向かう途中、白老町の手前くらいに「樽前ガロー」と記された看板(注意してみていないと見落とす)ところから左折して、標識に従いながら4Kmほど走ると駐車場があり、その前に架かる橋から眺めるのが一般的なようだ。

     

 橋から見下ろすと、両側が切り立った崖になっており、その下を川が流れている。その崖一面が緑の苔に覆われていた。
 しかし、崖に上には樹木が繁茂していていまひとつよく見えない。
 川の横に車1台が通れるくらいの道がついている。そちらに向かうともう少し崖の様子がよく見えるところがある。

     

 川床を見ると人が降りて下りているのが見えた。近くに川床へ下りていく小道が付いていたので、下へ下りてみた。川床から見る景色は一段と迫力が感じられた。
 しかし、そこからの帰り小道を上るのが大変だった。普通の街歩きの格好だったのだが、これは全く不向きだった。せめてトレッキング並みの格好でないと無理である。

     

 ただ後から知ったことだが、もう少し上流まで遡るともっと簡単に川床に下りられるところがあるらしい。
 観楓会の本番(10月)のときは、そちらを目ざしてみたい。

     

 そもそも「ガロー」とは何ぞや? と初耳の方はお思いであろう。
 私とて同じであった。
 「ガロー」とは調べてみると「崖の間を川が流れる場所」という意味らしい。しかもカタカナ表記だったので英語からきているのかと思ったのだが、これが東北の方言からきているらしい。福島県いわき市には「背戸峨廊(せとがろう)」というところがあるとのこと。それならいっそ漢字表記の方が相応しいような気がするのだが…。

     

 崖の表面が苔に覆われていることで有名なのは、同じ樽前山の反対側に位置する「苔の洞門」が有名である。しかし、その苔の洞門と違い川が流れていることが趣をいっそう神秘的にしているようにも思える。
 秋、紅葉に包まれた「樽前ガロー」を訪れるのが楽しみである。

※ 今回の投稿は「樽前ガロー」の様子をよく知ってもらうため、いつもより大き目の
写真を投稿した。

山下泰裕の柔道一直線

2011-07-02 22:16:01 | 講演・講義・フォーラム等
 ロサンゼルス五輪の柔道金メダリストにして、現在東海大学教授の山下泰裕氏の話を聴いた。氏の話はまさに柔道に育てられ、柔道で栄光を掴み、柔道に生涯をかける柔道一直線の話だった。

          

 6月28日(火)夜、ホテル札幌ガーデンパレスで東海大学公開講座が開催されたが、運良く受講の機会が得られ、柔道家で東海大学教授の山下泰裕氏の話を聴くことができた。
 氏は「現代社会におけるスポーツの果たすべき役割」と題して、90分間にわたり精力的に語られた。
 話は氏の柔道人生を振り返りながら、柔道を学んだ時代、柔道で闘った時代、柔道の指導者の時代、そして柔道の心を伝える時代、と順を追って話をした。

 山下氏が成長する中で最も影響を受けた方は、山下氏の中学・高校時代に柔道の指導を受けた白石禮介氏だったようだ。山下氏は熊本市の東園(とうえん)中学校、九州学院高校で白石氏の指導を受けたという。(山下氏は高校2年の途中で東海大相模高校に転校している)
 東園中学校は全国優勝をするほどの実力校だったが、白石氏が絶えず生徒に語りかけたことは「人生に生きる柔道」「人生に生かす柔道」ということだったという。そして「目ざすのは人生の勝利者だ!」と説いたという。
 この白石氏の指導が山下氏の人格形成の中で相当大きな位置を占めていることが話からうかがわれた。

 氏は自らの選手時代のあまりにも有名な栄光の数々については多くを語らなかったが、指導者になってからの悩みについて率直に語った。それは自らが他者の後塵を拝する経験がなかったために、伸び悩む者、他より劣る者への配慮に足りなかったということについてだった。しかし、このことも氏の謙虚な人柄によって克服していくのである。

 現在、氏は54才。
 柔道で培った精神、柔道で積み重ねた知名度、それらを基盤として社会で幅広く活躍されている。
 その中でも「柔の心を世界へ(Share the spirit of Judo to World)」を合言葉としてNPO法人「柔道教育ソリダリティー(Solidarity)」を設立し、世界への貢献活動を展開しているという。


 ※ 「柔道教育ソリダリティー」のHPの表紙にあった写真です。

 山下氏は最後に次のように述べて話を閉じた。
 「柔の心、和の心、日本の心を世界に伝えていきたい」
 そして講道館柔道の創始者である嘉納治五郎の言葉である「自他共栄」の世界の実現のために少しでも寄与したいと…。