田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

阿寒湖のマリモはなぜ丸い?

2012-08-11 23:18:58 | 札幌学 & ほっかいどう学
 世界的に見ても阿寒湖のマリモは大きくて丸いことで知られている。今日(11日)北大博物館市民セミナーで専門家から「マリモはなぜ阿寒湖で丸くなるのか」と題してお話を伺うことができた。 

 マリモとは球状のものばかりを云うのではないらしい。
 マリモは真水では成長しないらしい。
 波で動かされることでマリモはよく成長するらしい。

          

 マリモについて20数年にわたって研究をしている釧路市マリモ研究室の若菜勇氏のお話を伺った。
 本日、北大博物館土曜市民セミナーが開催され、「マリモはなぜ阿寒湖で丸くなるのか ~偶然の重なりがもたらす生物の球化現象~」と題しての講座であった。若菜氏はさまざまな側面から科学的にマリモを説明してくれました。それはきわめて科学的であったために、私の理解が十分とは云えないところもある。私が理解した範囲においてレポートするが、それもあるいは正確性を欠くところがあるかもしれないことをお断りしておく。

          
          ※ 講義をする理学博士の若菜勇さんです。

 まず、マリモの個体は球状ではなく細い糸状体をしているものを指し、それらは着生糸状体、浮遊糸状体、集合糸状体とって存在している。その糸状体のものが阿寒湖という特異な環境(偶然のかさなり)において球化していったという。
 マリモの糸状体のものは世界各国、日本全国にさまざまな形で存在しているが、球化するマリモは日本では阿寒湖だけだという。海外ではアイスランドのミーヴァトン湖に見られるという。

 次に、マリモを採集して水道水で栽培しても大きくはならないとのこと。そこで海水を薄めたものにしたところ成長し始めたということだ。このことはマリモの原種が海近くに存在していたことを示すことであり、阿寒湖の湧水には海水に含まれている火山性のミネラルが含まれていることがマリモの成長を促しているという。

 阿寒湖のマリモを観察すると、波で絶えず動かされ、そのことでマリモは絶えず全面で光合成が可能となるばかりでなく、マリモに付着する泥や他の藻などを払拭することができるそうだ。

 阿寒湖は、湖の形、湖底の状態、波動の環境、水源の多様性などマリモの生育には理想的な環境だということだ。マリモが球化し、成長するには適度の光と波動が必要とのことで、阿寒湖のマリモは成長も早く最大で5年で20cmも成長したという観測記録もあるそうだ。

 若菜氏の話を全て理解できたわけではないけれど、阿寒湖の近くに育ち、小さなころから身近な存在だったマリモについて興味深いお話を伺うことができた講座だった。

東山魁夷展

2012-08-10 17:26:54 | イベント

 今年夏の道立近代美術館の特別展は日本画家の東山魁夷展が開催されている。美術に関しては“猫に小判”そのものである私であるが、本日(10日)意を決して(というほど大げさなものではないが…)覗いてみることにした。 

          
          ※ 入口の門のところに掲げられたポスターと近代美術館です。

 道立近代美術館の夏の特別展というと、近年は世界各地の古代の発掘物などの展示が多かったのだが、今年は絵画展、しかも日本画展の開催となった。
 東山魁夷については、美術に疎い私だが主として青色など単色を基調とした幻想的な絵を描く人として多少の知識はあった。
 そこで絵画展になどよほどのことがないかぎり足を向けない私であるが、今回だけはちょっと覗いてみようと思った。

             
             ※ 彼の出世作の一つともなった「道」(1950)です。

 特別展には東山魁夷の大小の作品80数点が制作時代順に展示されていた。
 それを順に追うことによって彼の画風の変化も見て取れるようになっていた。
 彼の描く絵のほとんどがそうであるように、風景画において彼独特の世界観を描いていたということができそうだ。
 そこに多くの人たちが共感したと思うし、私もまたそうである。
 彼はヨーロッパへの憧憬も深かったようだが、1969(昭和44)年、ドイツ、オーストリアを巡り描いた建物などの絵には私はあまり魅力を感じられなかった。

             
             ※ 私が最も好きな作品の一つ「冬華」(1964)です。

 彼の描く幻想的な風景画を間近に見て「素晴らしい!」と思いつつ、そこから何の広がりも、連想も生まれてこないところが美術に疎い者の悲しさである。
 でもまあ、いいーっかぁ…。「素晴らしい!」と思えるだけで十分と思っておこう。

          
          ※ 一層の幻想的雰囲気にあふれた「白馬の森」(1972)です。

 今回の夏の特別展はいつもと違いゆっくりと観賞することができた。
 見る方にとっては有り難いことだが、主催している側はちょっと拍子抜けの感じをしているのではないだろうか?
 それほど例年の夏の特別展は作品の前に人が二重、三重となるような大盛況なのだが…。


東アジアのなかの北海道 3

2012-08-09 22:40:57 | 大学公開講座

 講師の徐氏は言う。「当たり前と思わないで下さい」と…。「東アジアのなかの北海道」シリーズ第三講は「台湾から見た北海道」と題して、台北駐日経済文化代表処札幌分処処長の徐瑞湖(ジョ ズイコ)氏のお話を伺った。

 
 駐日代表処札幌分処とは、駐日大使館札幌領事館という立場であるが、ご存じのように日本と台湾の間には現在諸般の事情から正式な外交関係が樹立されていないためこうした名称で呼ばれている。

          

 冒頭の徐氏の言葉「当たり前と思わないで下さい」というのは、賢明な諸氏はすでに推察されたと思うが、台湾人から見ると魅力ある素材に溢れた北海道の現状を当たり前と思わないで、その魅力の活用をもっともっと図ってください、というメッセージである。

 徐氏はまず札幌農学校(現北大)の卒業生の松本通義、新渡戸稲造、松村松年、磯永吉などの名を挙げ、台湾の農業、経済、文化の振興に寄与した数々の事績を紹介し、台湾の開発に多大な貢献をしたと語った。
 ただこれらの事績は日本の植民地時代に占領地政策の一環として行われたことだった。しかし、日本の統治政策が温和だったこと、教育を重視したことなどが台湾人の中に日本に対する怨念の感情を産み出さなかったようだ。

 次に徐氏は台湾と北海道の相似性と補完関係性を指摘した。
 似ている点としては、①島である、②開拓地である、③原住民の存在、④農漁業が主産業である。(但し最近の台湾はIT産業)、⑤近隣に強権国が存在する、ことなどを挙げている。
 補完的な関係性としては、①地理的に比較的遠距離である。②気候が全く違う。③人口(密度)が違う。④物産品が違う、などなどを挙げた。

 そして台湾人の北海道に抱くイメージは一言でいうと「素晴らしい!」という言葉につきるという。その証拠として台湾人の来道数は近年うなぎ上りだという。
 台湾人にとって北海道は四季がはっきりとしており、自然の美に恵まれ、アジアのヨーロッパというイメージで、台湾人の一番行きたい所になっている。
 その他には徐氏は自ら北海道内をくまなく巡った経験をもとに具体的に北海道の良さを次々と挙げた。

 そして徐氏はそのことを「当たり前と思わないで下さい」と私たちに投げかけ、もっと観光促進に努力すべきだと指摘した。
 氏が特にその改善を要すると指摘するのは、行政や企業・業者がもっと現状の改善に力を注ぐべきだと指摘する。

 徐氏の話を聞いた私たち一般市民はどうすべきなのか。当たり前と思わないで、一人ひとりが北海道の魅力を発信することもその一つの方法なのかな、と考えてみた。


 ※ 昨日の投稿で女子レスリングでW金メダルを目撃できるかもしれないと書いたが、そのとおりになって驚いている。私の睡眠不足を心配するコメントもいただいたが、今夜(明日未明)もなでしこジャパンの決勝戦を見守らねばならない。眠いなど言ってはいられない。まだまだ私の至福の時は続きます。


関塚JAPAN準決勝で散る…

2012-08-08 23:27:30 | スポーツ & スポーツ観戦
 快進撃を続けていた日本の男女サッカーだが、昨日未明に女子がフランスの猛攻に耐えに耐え決勝に駒を進めたが、対する男子は本日未明に行われた対メキシコ戦に逆転を許し決勝進出は叶わなかった。その他の競技観戦も含めて、今の私の生活は昼夜逆転の状態である。

 オリンピック…。さすがに四年に一度の世界的祭典である。スポーツ観戦好きの私にとっては至福の日々が続いている。何せ世界最高の技と力が次々と眼前に繰り出されるのだから…。
 その中でも最も大きな関心と興味をもっているのが日本の男女サッカーの戦いぶりである。

 女子については昨年のWC優勝という実績からある程度勝ち進むだろうとの予想はされていた。予選、準々決勝はある程度なでしこらしいパスサッカーが出来ていたようにも見えた。
 しかし、準決勝の対フランス戦はけっしてほめられた試合とは言えなかった。相手GKのミスから生まれた得点やラッキーなヘディングシュートがゴールに飛び込んだ得点シーン以外は、フランスに攻めに攻められ、シュートを雨あられのように打たれた。日本はそのシュートを掻き出すのが精いっぱいで、組み立ても何もない。勝ったとはいえ、私の中では苦い思いだけが残った…。

 スポーツは結果が全てとも云われる。だからだろうか、日本のマスコミは苦戦の内容をあまり伝えていない。
 決勝の対アメリカ戦もフランスとの戦いのようになるのであろうか…。どこかに日本らしさを見せながら戦ってほしいと思っているのだが…。

 対する男子は、大会前の評判は決して高くなかった。
 しかし、予選第一試合の対スペイン戦に勝利して波に乗った。特に準々決勝までの4試合を無失点で乗り切った守備陣の固い守りが目立っていた。守備陣が安定していたため攻撃陣にも好影響を与え快進撃を演出したと云える。特に準々決勝の対エジプト戦は進化した日本サッカーを世界に示すことができた試合ではなかったか?

 準決勝の対メキシコ戦も期待をもって見つめたのだが…。残念ながらメキシコが一枚上手だったことは認めねばならない。ボール支配率で圧倒され、日本の良さを消されてしまった。それでも大津が日本人離れしたビューティフルシュートを決めたときには「あるいは」とも思わせてくれたのだが、力量に優る相手に対してミスをしていては勝利の女神は微笑まない。特に試合の帰趨を決めることになった2点目の失点は悔やまれる。
 残念ながら男子は準決勝敗退となったが、戦前の予想からすると大健闘である。
 残念がってばかりはいられない。二日後(11日未明)に銅メダルをかけて韓国との戦いが待っている。両チームのメダルをかけた死闘を楽しみに待ちたいと思っている。

 今夜(いや明日の未明)はこれから、女子レスリングの二つの階級の決勝戦が待っている。あるいは小原、伊調両選手のダブル金メダルという快挙を目撃することになるかもしれない。
 いや~、今夜も私は眠れない。

「命の授業」を聴く

2012-08-07 23:05:13 | 講演・講義・フォーラム等
 話の内容は素晴らしかったのだが…。私にはどうしても講師の話しぶりが鼻についてしかたがなかった。プロの講演家という先入観が私のその思いを増幅させたのかもしれない…。 

 8月6日(月)ちえりあ(札幌市生涯学習センター)ホールにおいて札幌市教育センターが主催する「『命の授業』講演会」があり拝聴してきた。
 夏季休業中の教員の方々に研修の一環として聴いてほしいと主催者の意向のようであったが、会場は必ずしも満員状態ではなかったが、はたして参加率は良かったのか?

             

 講師は元中学校体育教師という腰塚勇人氏という方だった。
 腰塚氏は37歳の時、スキー事故で首を骨折してしまう。寝たきり状態、あるいは車椅子生活になるという危機を、氏の回復したいという強い意志と懸命なリハビリによって不自由な部分は残りつつも四月後に職場復帰を果たす。
 
 その時の体験、その時感じたこと、その時考えたことを氏は全国の人たちに語り伝えようと学校の教員を辞職し、「命の授業」講演家として自立したということだ。
 氏の口からは数々の珠玉の言葉が発せられます。
 例えば、「今までどれくらいの人に命と人生を助けられ、支えられてきたのだろう。それを考えたらたくさんの方の顔を思い出し、心が温かく、優しくなりました。みなさんは私のドリーム(夢)メーカーでした」
 
 さらに氏は人に助けられ、支えられたことから、自らに次の「五つの誓い」を立てたということだ。その「五つの誓い」とは…。
 一つ目は、口は人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう。
 二つ目は、耳は人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう。
 三つ目は、目は人のよいところを見るために使おう。
 四つ目は、手足は人を助けるために使おう。
 五つ目は、心は人の痛みをわかるために使おう。
というものだった。

             

 氏の口から発せられる一つひとつの言葉は素晴らしかった。しかし…。
 その氏の語り口が何とも私の心の琴線をふるわせてくれないのだ。
 氏は2010年から本格的に講演活動を始めて、年間100回前後の講演をこなしているという。
講演内容は一貫して変わらないはずであるから、その内容はシナリオ化されているようにも思えた。囁くように話したかと思うと、大声で叫ぶ…。演台を離れ、ステージ前面まで進み出て話す。
 極めつけは話をしているうちに氏は目に涙を浮かべ、鼻をすすり始めたのだ。
 確かに辛く厳しい体験だったとは思われるが、なんだか感動を強要されているような気がしてしかたがなかった。
 私にはその内容が素晴らしいのだから、むしろ淡々と語ってくれた方が心の中にじわっーっと感動が広がったと思ったのだが…。

東アジアのなかの北海道 2

2012-08-06 22:25:53 | 大学公開講座

 講座名が「東アジアのなかの北海道」、そして主催が北大大学院法学部である。私の中に多少とも構えたところがあったのだが、案ずることはなかった。市民向けに平易な言葉で、易しく講義してくれる講座のようである。 

          
          ※ 公開講座が開催されている北大法学部の建物です。

 7月26日(木)に続いて8月2日(木)「中国から見た北海道」と題して北大メディア・コミュニケーション研究院の野澤俊敬教授の講義を受講した。
 野澤氏は現在北大の北京オフィスの所長も兼任され、月の1/3は北京に滞在されているそうだ。

 講座は中国と北海道の歴史的な関わりと、氏の専門である映像を通して中国人が抱く北海道のイメージについて話された。

 中国と北海道は、江戸時代から中国の沿海州の山丹人とアイヌとの間で交易があったということだ。山丹交易と呼ばれているものだ。その山丹交易で特徴的なことは北海道の海鼠(なまこ)が中国人には珍重されたということだ。海鼠は中国料理の花形材料として現在も北海道の海鼠は中国では高級品として人気があるらしい。

 また近年では北海道農事試験場で水稲栽培を研究していた原正市氏が1982年から21年間にわたり中国で水稲栽培を指導し、原氏の手法による水稲栽培が中国の水稲栽培面積の50%以上に普及していることは私たちにはあまり知られていないことである。
 原氏は中国農業界においては相当な著名人であるということだ。

          
             

※ 講義をする野澤俊敬教授です。



 さて野澤氏の専門である映像を通して、中国人が北海道に抱くイメージである。
 中国人に対して圧倒的な影響力をもったのは2008年公開の中国映画『非誠勿擾 日本名:「狙った恋の落とし方」』である。この映画は道東の各地を舞台にしたラブコメディーである。道東の美しい風景、北海道の海鮮グルメ、北海道人のおおらかさが中国人の間に北海道ブームを巻き起こしたという。事実、この後中国人観光客が北海道にドッと押し寄せる現象が生じた。
 この映画については私も観ることができ、その感想をアップしているので興味のある方はこちらをクリック ください。 

 しかし、野澤氏は中国人が北海道に憧憬の念を抱くのには、それ以前からその下地があったと指摘する。それはそれ以前から中国人が接していた北海道に関する映像がたくさんあるというのだ。野澤氏はそのキーパーソンは俳優高倉健だという。1978年に中国で公開された高倉健主演の映画『君よ憤怒の河を渡れ』は中国人に熱狂的に支持されたという。それは中国において外国映画が解禁された直後という背景もあった。この映画のロケ地は日高、浦河町である。
 その他、高倉健主演で中国で公開された映画には次のようなものがある。( )内は北海道でのロケ地です。
 ◇『遥かなる山の呼び声』(根釧原野、中標津)1981年中国公開 ◇『海峡』(函館)1983年公開 ◇『居酒屋兆治』(函館、札幌)1984年公開 ◇『幸せの黄色いハンカチ』(夕張、網走、帯広、新得)1985年公開

 野澤氏はこのように高倉健映画が北海道に憧憬を抱く中国人を醸成する下地を作ったのではないかと指摘する。氏は高倉健映画以外にも中国人に影響を与えたと思われる映像を紹介してくれたが、紙幅の関係上割愛する。

 そして野澤氏も指摘する。こうした状況をビジネスチャンスと捉えるべきだと…。
 氏が紹介してくれた興味深い資料に、中国国内のウェブサイトで見たアンケート結果を紹介している。
 東日本震災前の2011年1月に中国国内で行った「日本で最も興味ある観光地は?」とのアンケートで北海道は富士山、東京を抑えてトップに選ばれていたそうだ。
 また、震災後の原発放射能漏れの影響が懸念される中、今年に入って行った「あなたが日本に旅行に行くとして、行きたい場所はどこか?」というアンケートでも、京都、大阪、沖縄などを抑えて北海道がトップだったという。

 震災前も、震災後も北海道は中国人にとって変わらぬ憧れの地であるらしい。
 私たち自身は北海道の魅力にあまり気付いていないようだが、もっともっと足元の素晴らしい資源を見つめ直すべきと資料は語っているようだ…。


至福のとき…

2012-08-05 17:42:07 | その他
 それはきっと…。 
 彼らにとって至福のときだったのではないだろうか? 
 そう思えるほどその光景は幸せに満ちたひと時のように私の目には映った…。
 

 北海道の高原に位置する温泉地…。
 夏とはいえ、夕暮れが近づいてくると昼の暑さはどこへやら、心地良い風が吹いてくる芝地で親子はたたずんでいた。
 「お母さん、 ボク速く走ることができるようになったよ!見ていて!」
 そういうと子どもは走り出した。母親のところから30mくらい走っただろうか。子どもは立ち止まり、母の方を見て「どうだい!」と云わんばかりの顔をして母親の方を見ていた。なるほどその走りは速く、きれいな走りだった…。
 そしてまた子どもは母親の方に向かって走り出した。
 母親のところまで来ると、子どもはご褒美のお乳をねだった。そのとき母親は満足そうな表情を浮かべ、子どもにお乳を与えるのだった…。

 7月30日、私は層雲峡温泉に宿泊した夕刻、ホテルから散歩に出かけた。
 その時、道路の向こうの柵の外側にエゾシカの親子がたたずんでいたのだ。
 ずっと様子をうかがっていたが、母親のシカは私を認めても逃げようとしない。そのうち生まれてまだ間もないと思われる小さな子ジカが柵に沿って駆け出した。もう立派な美しい走りである。
 あるところまで走って立ち止まり、そこからまた母シカのところまで帰ってくるのだ。
 帰ってくると、子ジカは母親のお乳をねだるように乳房に吸い付いていた。母シカは嫌がる素振りをするどころか満足そうに乳を与えていた。

          

 その様子を見ていて私はまるで人間の親子を見ているような気分になった。
 人間の親が子どもの成長ぶりを喜ぶように、母シカにとっても子ジカの成長した走りは嬉しかったに違いない。
 心地良い気温の夕暮れの中、それは親子のシカにとって至福の時間であったに違いない。
 それを見ていた私にとっても、それは至福のひと時であった。

 おっと、残念ながらこの様子を写すべくカメラを私は用意していなかった。代わりにスマートフォンのカメラで2枚だけ撮ることができた。

          
          
 厳しい自然の中で繰り広げられる生存競争にあの二頭の親子ジカは生き残っていけるのだろうか? いや、すでに人目のつくところに出てきているということは群れの中から追い出されてしまったからかもしれない…。そういえば心なしか母親の体も小さかったようだ。
 願わくば彼ら親子の至福の時が少しでも長く続くことを祈りたい…。

          

大雪山 雲の上を往く 5 高山の花編

2012-08-04 16:10:00 | 北海道低山紀行 & Other
 今回のコースは高山植物があまり見られないと聞いていた。事実、最初の旭岳の登山ではほとんど植物らしきものを見ることができなかった。しかし、2000m台地を移動するとき数々の花に出会い、リーダーたちからその花の名を教えていただいた。その中から何点かを紹介したい。 

 
 今回の大雪山縦走にあたってどちらのカメラを持参するか迷った。しかし、自分の体力のこと考え、バカチョンデジカメにすることにした。写真の出来にそれほどこだわらない私にはそれで十分と思ったからだ。

 姿見の池付近で撮ったチングルマの花を終えたものと、イワブクロについてはシリーズ№2で紹介したので、その後に出会った花々について紹介することにする。

 まずは旭岳を下り、雪渓を下り間宮岳に向かう平地に入ったところでたくさんの花に出会った。

          
          ※ 黄色い可愛い花を付けたメアカンキンバイ(雌阿寒金梅)です。

          
          ※ 鮮やかな紫色が印象的なイワギキョウ(岩桔梗)です。

          
          ※ 黄色い円い花の形がおもしろいアオノツガザクラ(青の栂桜)です。

          
          ※ こちらはピンクの色が可愛いエゾノツガザクラ(蝦夷の栂桜)です。

          
     ※ 大雪の花を代表する花の一つチングルマ(稚児車)です。後からもう一度登場します。

          
          ※ 花や葉の形に特徴があるヨツバシオガマ(四葉塩釜)です。 

 そして間宮岳付近から、それまで目にすることができなかった大雪を代表する花の一つ「コマクサ」に出合うことができた。
 他には植物がまったく生えていないような砂礫の中で可憐に花を咲かせていた。登山者の中でその姿が愛おしいと思ったのだろうか、コマクサを中心にして小石で囲んでいた光景が何か所かあった。

          
          ※ 出会えないかと思っていたコマクサ(駒草)に出合うことができました。

 御鉢平展望台を過ぎ、黒岳へ向かう穏やかな平地に出たところ緑が少しずつ目立ってきた。そんな中で鮮やかな花の群落が目に入ってきた。

          
          ※ 紫色の小さな花びらのエゾコザクラ(蝦夷子桜)です。

          
          ※ そのエゾコザクラの群落です。

          
          ※ 最後は鮮やかなチングルマ(稚児車)の群落です。

          

 まだまだ名前の知らないたくさんの花があった…。本当に大雪山は高山植物の花の宝庫である。
 写真は必ずしも満足のいくものではない。手前の花にピントが合っていなかったり…。集団登山の場合はゆっくりとピントを合わせている暇はない。カメラを向けるとすかさずシヤッターを切るためにピントは甘くなってしまう。
 それでも良しとしよう。
 喘ぎ喘ぎの登山の中で、これだけシャッターを切り記録を残せたのだから…。
 

大雪山 雲の上を往く 4 黒岳編

2012-08-03 23:45:29 | 北海道低山紀行 & Other
 リーダーが提供してくれたポールは私を大いに助けてくれた。その後も私の体は徐々に疲労を増していったが、中岳から、黒岳、そして黒岳からの下山と長い行程が続いたが、なんとか持ちこたえることができたのもポールによるところがかなり大きいように思った。

 
 中岳から移動すること20分。11時45分に北鎮分岐に着いた。

          
          ※ 北鎮分岐の標識です。北鎮岳まで0.4Kmと表示されています。

 この分岐から40分程度で北鎮岳(2244m)を往復できるという。チーフリーダーはその往復を希望する者を募った。私はもちろん希望しなかったが、3人が希望した。
 ガイドのリーダーを含めて4人が北鎮岳を目ざし、他の者は分岐付近の風が強いため風の弱いところまで移動して休憩を取ることになった。

          
          ※ 写真から風の強さを感じることができるでしょうか?          

 北鎮分岐から移動すること15分。雪渓を下り、風が弱くなったところで休憩となった。
 そして10分後、私たちが行動を開始しようとしたところ、驚くことに北鎮岳を目ざした4人が帰ってきた。聞いたところ体力のある4人は走るようにして往復してきたという。私から見ると素晴らしい体力の持ち主たちだ。

          
          ※ 正面に見える円い山が凌雲岳です。

 風が強い。ウィンドブレーカーがバタバタと叩かれる。
 その風のためか、雲が流され見通しがやや良くなってきた。目の前に凌雲岳(2125m)、遠くに目ざす黒岳(1983m)が視界に入ってきた。

          
          ※ 正面遠くに山頂部が台形に見えるのが黒岳山頂です。

 12時30分、御鉢平展望台に着いた。この日最も風が強く感じたが、若い登山者はその強い風の中に佇みながら御鉢平を眺めていたのは若さゆえか?
 私たちはあまりにも風が強かったため写真を撮っただけで早々に御鉢平展望台を後にした。

          
          ※ 御鉢平展望台の標識です。



※ 御鉢平展望台からパノラマ写真でその全貌を撮ってみました。

 御鉢平展望台からは一度下りながら黒岳石室を目ざす。
 下った後は平坦な道、そして緩やかな上りが黒岳石室まで続いていた。
 私の小パーティはCグループなのだが、私の前の女性二人がかなり疲労して送り気味となり、A、Bグルーブとはかなり離れた状態での山行になってきた。
 途中、チングルマ、コザクラなどの花々が群れて咲くところを通り過ぎた。(その写真は明日掲載します)

          
          ※ 先を行くA・Bグループは遠く離れてしまい見えません。

 13時15分、黒岳石室に着いた。ここは石室の宿泊施設やトイレ、ちょっとした売店があり縦走する登山者にとっては一つの目標とするところである。

          
          ※ 登山者が宿泊できる黒岳石室です。

          
          ※ 黒岳石室から望める桂月岳です。

 各自、トイレを使用したり、休みを取ったりして10分後、最後の上りになる黒岳を目ざした。ここの上りはけっこう勾配が急なうえ、石がゴロゴロと転がっている上りである。注意しながら上ること25分、途中から雨が降る中、13時50分黒岳頂上に着いた。
 風雨が強く、写真を撮っただけで皆が頂上を離れて風の弱いところに避難した。
 雨が依然降っていたこともあって、レインウェアの下もそれぞれ身に付けた。

             
             ※ 雨の中の黒岳山頂の標識です。

 黒岳頂上付近でも休んだのは10程度で黒岳7合目に向かっての下りが始まった。下りとはいえ、黒岳の下りは大きな石が積み重なる階段状の下りは膝に大きな負担がかかる下りである。
 私の前の女性たちが下りになると、より慎重となったために先行するグループと離れるために休憩を一度も取らず、1時間15分をかけて7合目にあるリフト乗り場に到着した。

 その後、リフト、ロープウェイを乗り継いで層雲峡温泉に着いた。

 登山を終えて3日が経過した。疲れはかなり取れてきたが、私の体の中ではまだまだその余韻が残り火のように燻っている。
 登山をしているときはいつも辛い思いばかりだが(特に今回の旭岳の上りは辛かった)、登山を終えた後の“達成感”そして心地良い疲れがなんともたまらない。

 登山を終えてホテルに帰り、売店で買い物をしていた時にレジの女性(私よりは一回り以上若い女性)が「いいですね。私は登山をしたいと思っても足腰が弱くて出来ません」と言っていた。
 体力の衰えは感ずるものの、登山ができる体であることに喜びを感じ、これからもできるだけ機会を見つけて登山を楽しみたいと思う。(明日は大雪の美しい高山植物の写真を掲載します)

大雪山 雲の上を往く 3 間宮岳・中岳(北海道低山紀行 26・27)

2012-08-02 16:21:53 | 北海道低山紀行 & Other
 2時間10分もかけ、疲労困憊の末に辿り着いた北海道最高峰の旭岳(2291m)だったが、まったく眺望はきかなかった。湿気を含んだ強風が吹き付け休むのもままならない。私たちは早々に次の間宮岳、中岳目ざして出発した。そこに疲労した私を助ける思わぬ助け舟が待っていた…。


 何一つ見えない頂上だった。
 湿気をたっぷり含んだ強風が吹き付け、休むのもままならない。達成感を味わう余裕もない。しかし、これも登山の一つの姿である。貴重な経験をさせてもらったと解釈しよう。

 旭岳山頂で15分休んだだけで9時05分、間宮岳に向かって下山を開始した。
 かなりの急斜面の下りである。私の前を往く女性二人が「こんなに急角度とは思ってもいなかった」と云いながら、慎重に慎重に下っていく。私たちのパーティの中で女性たちを追いこさないことが不文律となっていたため、疲労していた私には助かるペースであった。

          
          ※ 旭岳から間宮岳に向かって恐る恐るの下りが続いた。

 かなり高度が下がったところには雪渓も待っていた。雪渓への入り口と出口ではリーダーがしっかりとサポートしてくれる。
 30分も下ったろうか?少し平坦なところに出ると、いろいろな高山植物の花が目に入ってきた。メアカンキンバイ、イワブクロ、エゾノツガザクラ、チングルマ、等など…。(高山植物の写真も同時掲載しようと思ったが、写真が多くなるため後日掲載することにした)

          
          ※ そして雪渓の下りである。左でサポートするのが女性リーダー

          
          ※ 2000m級の高山にいたトンボですが、すでに死んでいた。

          
          ※ 雪渓の下部にはこのような水の流れも…。

 旭岳山頂出発から50分後、腰を下ろせる岩場のあるところで休憩を取った。
 確かその休憩を取り、間宮岳を目ざしての登りに入ったときだったと思う。私たちのリーダーが私の様子を見ていたのか「ポール(ストック)を使いませんか?」と云って、ポールを渡してくれた。
 私は今までポールを使うのを良しとしてこなかったところがあった。しかし最近はかなりの人たちがポールを使用して登山をしているのを見て、どんな効果があるのだろうと思っていた。そんなこともあり、素直に好意に甘えることにした。
 使ってみて、これが予想していた以上に効果を発揮してくれ、それ以降の私を助けてくれた。上りにおいては体の前傾を助けてくれ、下りにおいては体を支えてくれ、敢えて云えば二本足歩行から四本足歩行に変わったような感覚である。ポールの効用を実感し、帰ったら早速ポールを購入したいと思った。

 休憩後、私たちは間宮岳の上りに取り付いた。休憩から20分後、間宮岳分岐に到達した。分岐に取り付いたということは大雪の御鉢平のヘリに辿りついたということである。しかし御鉢平は何も見えなかった。

          
          ※ 間宮分岐の標識。旭岳から2km移動したことになる。

 間宮分岐からほどなく5分ほど横へ移動したようなところに間宮岳山頂(2185m)の標識があった。これもまたあっけなく、といった感じだった。
 間宮岳では写真を撮るくらいで休むことなく通過し、中岳を目ざした。

          
          ※ 間宮岳山頂標識です。と言っても縦走路の途中にという感じだった。

          
          ※ 依然として雲の中を突き進む私たちです。

          
 間宮岳、中岳などは御鉢平カルデラの外輪山となっているため、その間の移動には大きな高低差はないので比較的楽な山行となった。
 10時50分、中岳分岐に到達した。すると誰からともなく弁当のおにぎりを頬張りはじめた。見るとリーダーも頬張っている。空腹感はあまりなかったが、私も周りに倣うことにした。
 中岳分岐からは中岳温泉という野趣豊かな温泉に至る道が続いているということだ。

          
          ※ 昼食を摂った中岳分岐の標識。

 中岳分岐で昼食を摂り、雲間が晴れたときには目前に見える中岳目ざしての上りが始まった。

          
          ※ 雲間から目ざす中岳山頂が見えました。

          
          ※ 御鉢平もちらっと顔を見せてくれました。

 下りや平坦なところではホッと一息つきながら行くものの、上りとなるとやはり辛い。それでも旭岳を登っていた時に比べると、その辛さにも耐性が出来てきた(?)のか、それとも前の女性のペースが遅いのに助けられたのか、はたまたポールが私を後押ししてくれたのか、なんとかパーティのペースを乱すことなく行動することができた。

          
          ※ 中岳山頂はもう直ぐ! 登る、登る、登る。

 中岳分岐から上ること20分、11時25分に中岳山頂(2113m)に到達した。
 中岳山頂は吹きつける風も強く、昼食休憩をとってからそれほど時間も経っていなかったためにそのまま通過し、黒岳を目ざすことにした。
(本日はここまで、続きは明日へ)