田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ブログ記念日

2013-01-13 20:16:18 | その他
 本日、1月13日は私にとって個人的には大きな記念日です。というのは、2008年1月14日から始まったブログの連日投稿が5周年を迎えたのです。こだわり続けてきた連日投稿に一区切りつけようかな?と考えています。 

 私のブログは2006年5月6日にスタートしました。
その記念すべき(?)初めての投稿は「可能な限り自己紹介を」というタイトルで次のように綴っています。

 とうとうブログで自分の思いを吐露することにしました。
 一年後の来年四月、私は退職を機に、北海道の片田舎から札幌に転居することにしました。
 生まれて60年間、田舎暮らしを続けた人間が、はたして大都会の生活にうまく融合できるのか…。不安と期待が渦巻いている現在です。
 特別な趣味も、特技もない自分であるが、あらゆるモノ、コトに対する野次馬的な関心度だけは人一倍と自負しています。
 田舎者の視点で、大都会札幌をレポートすることができれば、退職後も退屈することはないであろう、と考えたのですが…。
 これから一年間は、その助走期間として自分の関心の赴くまま様々なことを書き綴ってみたいと思っています。
 どうぞよろしく!


 当初は現職中だったこともありボチボチと投稿していました。退職し札幌に移り住んでもそのペースは変わりませんでした。そうした中、連日投稿を続けるブロガーと知己になり、それに刺激を受け私も連日投稿を志しスタートしたのが2008年1月14日だったのです。
 以来、雨の日も、風の日も、もちろん嵐の夜も、内容はともかくひたすら投稿を続けました。(正確には、2009年11月13日から4日間は病気で伏せっていて勤務も休んでしまったので、さすがにこの4日間は遠慮しましたが…。)
 一昨年、木曽路を歩いたときはパソコンをリュックに詰めて背負って運び投稿を続けました。
 昨年のアメリカ旅行では高い通信料を払いアイフォーンから投稿を続けました。

 連日投稿を志したことで、私はより意識して札幌探訪を続けました。家に閉じこもることなく、積極的に外へ出かけることを心がけました。
 その結果、まだまだ不足ではあるけれど私は札幌の多くのことを知ることができたと思っています。
 「それが何なんだ」と問われたら、実のところ何もないのですが…。
 ただそうして見たこと、体験したことを、こうしてブログに書き残せたことが一つの成果かなぁ~、と思っているところです。

 文才のない自分が一日も欠かさず書き続けることはかなりの負担でした。幸い仕事から離れ、関心を一点に集中できたからこそこれまで続けてこられたと思っています。しかし、それも今では「十分かなぁ~」と考えています。
 「一日も欠かさず…」というプレッシャーから自分を解放し、書きたいときに書くというスタイルに移行してもいいのでは、と思っています。

 その意味で、今月23日に発つ予定のニュージーランドの旅は一つのキッカケになるかな、と思っています。今回のニュージーランドの旅では旅先からのブログの投稿の考えておりません。友人のところに投宿した際には機会があれば投稿を、と考えてはいますが…。
 ということで、連日投稿5周年を迎えたのを機に少しゆったり構えていきたいと決意しました。といっても極端にペースダウンをすることは全く考えてはいませんが…。

スノーシュー事始め

2013-01-12 23:55:30 | スノーシュートレック & スノーハイク
 今日、今シーズン初めてスノーシューを履いた。運動不足が気になっていたが、それを解消できたとは言わないが、適度な運動にはなった。博物館活動センターの体験学習会に参加してみた。 

 札幌市の博物館活動センターが「冬の円山観察会~スノーシューで歩こう!」という催しの告知があり、スノーシューの言葉に誘われて参加することにしたのだ。
 場所は「宮の森ユースの森」(中央区宮の森1条14丁目)という円山動物園の近くに広がる小さな森です。

 参加者は11名と意外に少なかったが、ここでも女性が多かった。(男性は4名)
 案内・説明員は博物館センターの山崎学芸員という植物を専門とする方だった。

          
  ※ スノーシューを装着する参加者たち。私は持参したが、ほとんどの人たちは博物館が用意したスノーシューを利用した。          

 さっそく森の中に入った。
 久しぶりのスノーシューで歩く感覚が心地良い。
 ところどころで立ち止まり、冬の森の中で見られる特徴について説明してくれた。
 単調に見える森林内も専門家と一緒に歩くと、いろいろな冬の森の特徴が見えてくる。
 説明していただいた中から、記録できたいくつかをレポートすることにします。

          
          ※ 枯れた葉をわずかに付けたミズナラの木です。 

 森の雪の上には木から落ちたさまざまなものが見つかります。白い雪の上だからこそ、見つかりやすいとも云えます。たくさん見つけた中から二つだけ紹介します。         

          
          ※ マメ科の植物であること示すニセアカシアの種子です。

          
       ※ こちらはご存知の山ブドウです。「ユースの森」ではたくさん見つかりました。

 一方、まだ春はしばらく先ですが、森の中では密かに春への準備を始めている木もありました。

          
  ※ いつか撮りたいと思っていたオニグルミの葉痕です。何かの顔に見えませんか?この枝の先は硬い皮を被った幼芽がありました。

          
          ※ 森の中で唯一緑色の芽をもっていたエゾニワトコの芽です。     

 今回の観察会は小さな森のこと、それほどたくさん歩いたわけではない。私にとっては少々物足りない感じも残った。
 私はどちらかというと、スノーシューで雪中を歩くことそのものを目的としている感があるが、今回の場合はあくまでもスノーシューは手段として用いた観察会だった。
 スノーシューを用いたイベントはこうした手段として扱われる場合が多いようだ。
 となると、単独行でのスノーシューとなるが、さりとて冬の単独行は危険が多すぎる。さてどうしたものか…。

          
          ※ 森の中を往く参加者たちです。

金融経済教育フォーラム 2

2013-01-11 20:08:13 | 講演・講義・フォーラム等
 フォーラムは昨日レポートした奥田氏に続いて、平岡氏、濱地氏と続いた。興味深い話や耳の痛い話など伺うことができ、意味ある時間だった。その概要をレポートします。 

 フォーラムは若干の休みを挟んで、「“伝える力”で経済の学習はもっと面白くなる」と題して札幌大谷大学の平岡教授の話に移りました。
 平岡氏は模擬授業の形をとりながらの講演でした。氏は大谷大学ばかりでなく、札幌市内の複数の私立大学で経済学概論のような授業を担当しているようです。その経験から、経済に関心を持たない学生、経済用語を正確に書けない学生、等々かなり深刻な実態が報告されました。氏は高校段階で経済の基礎的な学習をぜひ実施して基礎的な学力をしっかりと身に付けさせてほしいと訴えました。
 その上で、現実の大学で授業は身近な事例を数多く取り入れて学生の関心を高めるために腐心していると話し、その実際を数例示しました。
 現代の学生の学力不足は多方面で指摘されていることですが、実際に教えている側からそうした話をうかがうと一層深刻さが伝わり、中学・高校はもとより小学校においてもその対策に本腰を入れねばならないことを感じさせられました。

          
          ※ 講演をする平岡札幌大谷大学教授です。

 続いて、北海道教育大札幌校の濱地講師による「なぜ金融教育を学ばねばならないのか」についての講演を伺いました。
 澤地講師の冒頭の話は少し端折って、タイトルに対するダイレクトな答えは、戦後日本の高度経済成長が年功序列と終身雇用という「日本モデル」を形成し国民生活も安定していたが、バブルの崩壊により「日本モデル」も崩壊してしまった。その結果、一人ひとりの国民が自らの生活を守るためにも金融教育が必要になったと説きました。

 ところで金融教育とは、そもそもなんぞや?ということですが、フォーラムでは語られることがありませんでしたがウェブ上で調べると、「金融教育とは、お金や金融の様々なはたらきを理解し、それらを通じて自分の暮らしや社会について深く考え、自分の生き方や価値観を磨きながら、より豊かな生活やよりよい社会づくりに向けて、主体的に行動できる態度を養う教育である」とあった。
 つまり澤地氏に言わせると、給料の低下や非正規雇用の増加など、国民の生活環境が厳しくなっているので自らの生活を守るためにも金融教育が必要であるということのようです。
 しかし、仮にそうだとしたら寂しい話だと思いました。先行き暗い日本経済の中で自らの生活を守るために金融について学ばねばならないというのですから…。

 明るい話を聞いたり、暗い話を聞いたり、といろいろでしたが、一般的に学校教育関係者は金融経済については疎い人たちが多いような気がします。
 しかし、いつまでもそうであってはならないと思います。例え経済の世界から遠い教育関係者とは云っても、国の根幹を左右する金融経済について理解し、それを噛み砕いて子どもたちに伝える必要があると感じた金融経済フォーラムでした。自らの過去を反省しながら…。

金融経済教育フォーラム 1

2013-01-10 22:48:00 | 講演・講義・フォーラム等
 金融経済と教育というと、最も対極にあるように思ってしまいます。その経済や金融について学校で教育カリキュラムに入れていこうという動きがあるようです。証券知識普及プロジェクト主催の「金融経済教育フォーラム」に参加してみました。 

 ニュージーランド関連の話をひとまず置いておいて、最近参加したフォーラムについてレポートすることにします。
 1月8日、ホテルオークラ札幌(中央区南1西5)において表記フォーラムが開催されました。教育関係者向け、しかも中学・高校対象とのことだったが、無理を言って参加させてもらいました。

 参加の動機は学校教育においては耳慣れない金融経済についての教育とはどのようなものか知識として知っていて損はないとの思いからでした。
 フォーラムは多岐にわたっていたが、私が参加したのは次の三つの基調講演でした。

◇「“子どもたちに教えたい”激動する世界情勢と日本企業の底力」
                野村総合研究所 名古屋オフィス代表 奥田 誠 氏
◇「“伝える力”で経済の学習はもっと面白くなる」
                        札幌大谷大学教授 平岡 祥孝 氏
◇「なぜ金融教育を学ばなければならないのか」
                   北海道教育大学 札幌校 講師 濱地 秀行 氏

 
              
 これらの講演の中で、私がおおいに興味・関心を覚えたのは奥田氏の講演でした。
 氏の話は主として日本企業の将来について語るものでした。
 その話の概要は、家電業界の衰退が象徴しているように日本企業は諸外国の購買力を付けてきたローエンドと呼ばれる新興国のボリュームゾーン(2007年15億人)に対する価格競争で後れを取った。
 2025年の予測でいうと、ハイエンドが17億人、ミドルが7億、ローエンドが28億、その下のBOP(Base of the Economic Pyramid)が20億人と予測されている。
 そこで日本企業はハイエンドをターゲットとする高技術・高品質・高付加価値の製品を産出するとともに、一方でローエンド、BOPの大ボリュームゾーンに焦点を当てた企業戦略を取るべきだとする。日本では20~30年前に枯れてしまった技術・ノウハウでもそれを求めている新興国は多いという。
 また日本は少子高齢化をはじめ課題先進国だという。このことも見方を変えると、その解決策のノウハウを活用すれば、そこに大きなビジネスチャンスが生まれると奥田氏は説いた。

               
               ※ 奥田氏の顔写真をウェブ上から拝借しました。

 奥田氏の話を伺っていると、なんだか元気が湧いてくるようでした。経済には疎い自分だが、いつも新聞を眺めていると暗~い気持ちになっていたのですが…。
 あるいは奥田氏は専門家からはオプティミストと見られている方かもしれませんが、少なくとも権威ある野村総合研究所のアナリストが主張するのだから根拠のない話ではないと思います。
 学校の先生たちを通して、日本企業の底力を子どもたちに伝えたいと思ったものでした。

 奥田氏の話の概要をレポートするだけで本日の枚数は尽きてしまいました。次回に残り2人の話の概要をレポートします。

私のニュージーランド物語 5

2013-01-09 23:24:34 | 海外の旅

 セルフプロデュースの旅が国内とは違い、格別に難しいことを実感しています。正直に言って、お勧めできる方法ではありません。私の場合はそのことも含めて旅を楽しんでいると思っていますが、やはり海外旅行は旅のプロの手に任せるべきでしょう。ようやく旅全体の骨格が固まりました。 

         
         ※ ダニーデンの街中の様子ですが、ダニーデンはスコットランドの文化を色濃く残す街だそうです。建物もスコットランド風の建物が多いということです。

 右往左往する場面もありましたが、懸案だった《ダニーデン⇒クイーンズタウン》間のタイエリ渓谷鉄道も手配することができ、宿と移動手段をようやく決定することができました。
 私自身の頭の中を整理する意味からも、今回の旅全体を概観してみたいと思います。

◇1月23日(水) 千歳 ⇒ 関空 関空からオークランドへ(夜)
◇1月24日(木) オークランド着(午後) オークランド泊
◇1月25日(金) オークランド ⇒ ダニーデン  ダニーデン泊
◇1月26日(土) ダニーデン滞在  ダニーデン泊
◇1月27日(日) ダニーデン滞在  ダニーデン泊
◇1月28日(月) ダニーデン ⇒ クイーンズタウン  クイーンズタウン泊
◇1月29日(火) クイーンズタウン滞在 トレッキング クイーンズタウン泊
◇1月30日(水) クイーンズタウン ⇒ ダニーデン  ダニーデン泊
◇1月31日(木) ダニーデン滞在
◇2月01日(金) ダニーデン ⇒ オークランド  オークランド泊
◇2月02日(土) オークランド滞在
◇2月03日(日) オークランド(早朝)から関空へ 夜到着 関空泊
◇2月04日(月) 関空 ⇒ 千歳

 以上、12泊13日の旅となります。

 正直に告白します。この旅程の中で、素人ゆえの大きな失敗が二つ含まれています。
 それは往路でオークランドに一泊しなければならなくなったこと。そして復路で関空にホテルを取らなければならない事態になったことです。
 旅をできるだけ安価にと思ってスタートした計画でしたが、各所に綻びが出てしまいけっこうな金額になってしまいました。

 さて、骨格は固まりました。
 問題はこの度をいかに楽しみ、意味あるものにするかということです。
 出発までの2週間はそのことと旅の準備に集中しようと思います。


私のニュージーランド物語 4

2013-01-08 21:14:00 | 海外の旅

 次々と難題を突き付けてくる今回の旅ですが、まだまだこんなことは序の口でしょう。添乗員も現地ガイドもつかない旅本番ではどんな難題が待ち構えているか分かりません。ともかく今は机上で降りかかってくる問題の解決に努めます。 

          
          ※ 今回の楽しみの一つでもある「タイエリ渓谷鉄道」の様子です。

 まずは最初に予約が成立しなかったクイーンズタウンのホテルですが、日程を1日前倒しして28、29日で申し込みました。間に土・日が入ったこともあり先方から連絡が入らずやきもきしましたが、昨日(7日)無事に予約ができたと連絡が入ったので本日手続きを終えました。
 なぜ1日前倒ししたかというと、「タイエリ渓谷鉄道とクイーンズタウン一日ツアー」を催行している会社から「29日はダニーデンから団体客の予約が入っていて個人客はチケット予約ができない」という連絡を受けていたのです。
 
 残りは、往路のダニーデンからクイーンズタウンへの渓谷鉄道&バスの予約と、先に予約が完了していた復路のクイーンズタウンからダニーデンまでのバスチケットを31日から30日へ予約変更手続きをすることです。
 こちらの方もそれぞれ手続きを進めました。
 復路のバスチケットの日程変更は問題なく可能だと思うのですが、問題は往路の渓谷鉄道&バスの方です。同行者が現れればツアーとなりますが、そうでなければ鉄道&バスを個人的に現地でチケットを取得することになりそうです。

 これで全てのチケットの手配が完了したわけではありませんが、チケット関係についてはおおよそ固まったということが言えると思います。

 問題はリード文でも触れているように旅本番で待ち構えている難問です。
 錆びついてしまった英会話にはまったく自信がありません。(それでよく一人で旅する気になったものだ、という声が聞こえてきそうですが…)
 最初に考えられる不安は、オークランド空港に着いて入国手続きの後、空港内に放り出された時、どこから、どのバスに乗った良いのか? 首尾よく乗れたとして、どこのバスストップで降車したら良いのか? そして予約したホテルを無事に探し出せるのか?
 不安、ふあん、フアンのマークが三つも四つも付きそうなくらい不安だらけです。
 頼りは自分自身のクソ度胸(?)だけです! 今回は私の度胸試しの旅でもありそうです。

 ここを乗り切ることができれば、少しは自信めいたものが芽生えるのかなぁ???


私のニュージーランド物語 3

2013-01-07 17:07:07 | 海外の旅

 自らの手で旅をプロデュースする。それはここ数年、私がこだわってきた旅のスタイルでした。(昨年のアメリカ旅行は別として)しかし、国内と違って対象が海外となるとその困難さは想像以上でした。私は今、その困難さをどこかで楽しんでもいるのですが…。 

          
          ※ 私が今回の旅で主に利用するJestar航空の機体です。

 何事もそうであるように、素人が何かを始めるということは失敗を繰り返しながら学んでいくということなのかもしれません。
 躓きの第一歩は私の単純なミスからでした。

 全てのエアーチケットの手配を終え、改めて全体の時間表を作成してみたところ、なぁ~んと往路のオークランド空港からダニーデンに向かう飛行機までのトランジットの時間が全くないことに気付きました。単純な確認ミスです。
 慌てた私はニュージーランド航空の便に間に合う便があったので、それを予約しようと思いました。残り座席数が少なかったのですが、私が手続きをした時には「空席はございません」とのメッセージが出てしまいました。
 う~ん。万事休すです。
 私はオークランドで足止めを食うことになってしまいました。

 へこんでばかりはいられません。
 さっそくエアーチケットを、手数料(NZ$40)を納入して翌日の便に手配し直し、オークランドのホテルを手配することになったのです。
 このことで旅全体の11泊12日の予定は変わりませんが、T氏がいるダニーデンでの滞在日程が1日削られることになってしまいました。
 これで一安心、と思っていたら…。

 今度は予約できたと私が勝手に思い込んでいた南島の景勝地のクイーンズタウンで二泊する予定のホテルが満員で予約できないとの連絡が入りました。
 おまけにダニーデンからクイーンダウンに向かうツアー「タイエリ渓谷鉄道とクイーンズタウン一日ツアー」は最低2名から催行となっていたのですが、旅行社から「現在のところ申込みは1名なので予約を受けられない」と連絡も入ったのです。
 う~ん。一難去って、また一難。
 私がこだわるセルフプロデュースの旅は、私に次々と難題を持ちかけてきます。
 (この難題に私はどう立ち向かったのか? 次回に続きます)


私のニュージーランド物語 2

2013-01-06 18:05:18 | 海外の旅

 ニュージーランド行を決心した私は突然のように情報を収集し、そして各種の予約作業に取り掛かりました。しかし、用意周到さに欠ける旅行計画は各所に綻びを露呈することになってしまいました…。
 

              
         ※ ニュージーランドで最初に降り立つ予定のオークランドは南島の南部に位置します。      

 T氏から「歓迎する」とのメールを受けた私は喜び勇んで旅行計画の作成に取りかかりました。
 まずT氏のランゲージスクールが休みになる土・日を中心にダニーデンに滞在することにして、土・日(1月26,27日)の周囲に周辺の都市観光やトレッキングを組み込むことにしたのです。
 そうすると、1月23日に日本(札幌)を出発して2月3日に帰ってくるという11泊12日の旅行計画が出来上がりました。
 具体的には23日夜に関西国際空港を発って、翌24日ニュージーランド北島のオークランドを経由してダニーデンに到着します。
 ダニーデンに25,26,27日と滞在して、28,29,30日はダニーデンから300kmほど離れた南島の景勝地クイーンズタウンでトレッキングを楽しみ、再びダニーデンに帰って一泊した後、オークランドに移動して2泊して帰国するという旅程です。

          
          ※ オークランド市のランドマーク「スカイタワー」(地上328m)が聳える中心街です。

 こうして旅行日程が出来上がったので、私は直ちに予約作業に移りました。
 飛行機は徹底してLCCを利用することにしました。ニュージーランドまで飛んでいるLCCはジェットスター航空です。ジェットスターはニュージーランド国内も飛んでいます。私は千歳→関空間、オークランド→ダニーデン間も含めて全てジェットスター航空で予約しました。(唯一、関空からの帰りはピーチ航空です)

 また、オークランド、クイーンズタウンのホテルの予約作業も行いました。
 ここまで全てインターネット上での作業でした。
 旅行期間まで一か月を切っているという焦りもあって一気に予約作業を進めました。
 この焦りが躓きの第一歩でした。その躓きとは?(これ以降は次回に続きます)


私のニュージーランド物語 1

2013-01-05 17:28:16 | 海外の旅

 ニュージーランドへ行ってみよう! 
 と思い立ちました。この思いはずーっと胸に秘めつつも半ば諦めていたことだったのですが…。年末になって急に思い返して実現に向けて突き進むことにしたのです。その実現への道を現在進行形でレポートします。

           
          ※ 私の友人が語学留学しているダニーデン市は南島の南部に位置します。

 昨年、暮れも押し詰まった12月27日のことでした。
 私は春の旅行を「奄美大島群島巡り7泊8日」と決めて旅程を立て、ホテルやエアーチケット、フェリーチケットの手配を始めました。
 エアーチケットはまだ使用したことのないLCCを使ってみたいと思いウェブ上で探しました。確かにこれまでの常識では考えられない破格の料金に驚きながら手配を進めようとしました。

 と、ここまできて「まてよ…」と私の好奇心が疼きだしました。
 「仮にLCCでニュージーランドまで飛んだらどれくらいになるのだろうか?」と思い出し始めたのです。
 調べてみたところ片道5万強という格安の料金で行けることが判明しました。「これなら私でも行けるかな?」という思いが私の心の内に火を灯しました。

 なぜニュージーランドかというと…。
 実は、私の友人のT氏が退職を機に昨年8月からニュージーランドのダニーデン市というところに語学留学していて「私の滞在中に来るのなら歓迎しますよ」と言ってくれていたのです。「そうは言ってくれてもちょっと遠いし無理だなぁ」という思いと、「これを逃すとニュージーランドを訪れるチャンスなど二度と訪れないなぁ」という思いが交錯していました。しかし、現実的には無理なことだとあきらめていた話だったのです。

 一度灯った火は簡単には消えません。
 私はすぐにT氏にメールすると、T氏から直ぐに「歓迎する」との返信メッセージが届きました。
 するともうダメです。私の中に灯った火はますます大きくなり、止めることができません。私はニュージーランドに向けて真っ直ぐに突き進むことになったのです。
 しかし、このことが私に大きな試練を与えてくれることになるのでした。
(この後のことは次回に続きます)


正月風景と注連飾り

2013-01-04 19:33:49 | イベント

 街角から正月らしい風景がどんどん消えている。昨日、初詣に出かけたとき街角を眺めながら神宮に向かったのだが、注連飾りなどを飾っているところは数えるくらいだった。そんな中、ちょっと変わった注連飾りをカメラに収めた。 

 以前もレポートしたことがあるが、街角から正月らしい風景がどんどん消えていっている。
 お正月、といっても街角の様子がふだんとほとんど変わっていないのだ。
 以前はそんなことはなかったはずだ。私が育った道東地方でも、私が子どもの頃はどの家でも大なり小なり注連飾りを飾っていたものだ。時代の流れがそうさせているとはいえ、街角から季節感が消え寂しいかぎりである。

 そんな思いを抱きながら昨日北海道神宮へ初詣に赴いたのだが、それでも数えるくらい少ない数ではあったが、注連飾りを飾っている家や店を目にすることができた。その中から、伝統的な注連飾りとはちょっと趣向を変えた注連飾りを目にすることかできたのでそれをカメラに収めてきた。

          
          ※ この注連縄は専門家が作成されたように見えますが…

               
               ※ こちらは手作り感が感じられる一品ですね。

               

               
         ※ こちらはいかにもお花屋さんが自分の店のためにディスプレイしたという感じですね。

 このようにちょっと趣向を変えることによって、家や店の入口にディスプレイを施す感覚で季節感を演出できると思うのだが…。
 各家や店がそうしたことを楽しもうとする余裕さえなくなっているとしたら、それもまた寂しいかぎりである。

 注連飾りではないが、初詣の帰りに立ち寄った甘味処「巧」の店内は日本情緒溢れるディスプレイが施されていた。一枚だけ紹介することにする。

          

 また、我が家はマンションのために注連飾りこそ飾ることはできないが、妻が室内に正月らしい演出を施してくれた。我が家の室内はちょっとした正月ムードが漂っている。
 他の家を覗くことができないが、もしかして我が家同様に注連飾り代わりにこうした室内のディスプレイを楽しむ家庭が増えてきているのかな?

               

               
               ※ ちょっとガラス容器が傾いて写っていますね。