田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

コンサは進化していた!?

2013-11-10 21:48:12 | スポーツ & スポーツ観戦
 久しぶりの福住駅周辺の光景だった…。久しぶりに見る札幌ドームの銀傘だった…。調べてみると、約7か月ぶりの札幌ドーム観戦だった。コンサにいたっては8カ月ぶりである。久しぶりに見たコンサイレブンは?
 

          
          ※ 久しぶりに見るコンササポーターが作るSAPPOROの人文字(?)です。懐かしい!

 コンサドーレは今季、チーム生え抜きの戝前恵一監督を迎えたが、チームは大幅に若返りまったく別のチームのようになってしまった。実際、今季ドーム初戦を観戦したのだが顔馴染みの選手はほとんどいなく、戦いぶりも期待をもてるように内容ではなかった。
 私はコンサに興味を失い、それからスタジアムに足を向けることはなかった。

          
          ※ コンサドーレ札幌の先発イレブンの姿です。

 その後、コンサの戦いぶりはJ2の22チーム中で中位くらいを上下していたが、終盤に来てやや順位を上げ、プレーオフ圏内の6位が見えてきたという状況にある。
 その意味で、本日の対神戸戦はどうしても落とせない一戦だった。
 特に本日の予定のなかった私は、「たまあには観戦してみようか」と急遽観戦を決めて午後4時キックオフの試合に駆け付けたのだった。

 相手は今シーズンJ2で2位を走る強豪である。かなり悲観的な思いで試合を見続けた私だった。
 しかし、なんだか様子が違うのだ。私が描いていたコンサ像とは違い、選手たちは神戸と互角以上に戦っている。以前はあまりにも簡単に相手にボールを取られるために「ヘタクソ!」と思っていたのだが、今日の戦いではしっかりとボールを保持できているし、味方へのパスにも正確さを感ずるのだ。中盤で相手ボールを奪う場面も度々だった。
 それだけにチャンスも神戸よりはずっと多く訪れた。惜しいシュートを何本か外した後の前半も終わり近く、コンサのチャンスに神戸の選手がペナルティエリア内でハンドの反則を犯してしまった。(その瞬間は私のところから遠くて分からなかったが)
 ペナルティキックである。キッカーが今話題のベトナム人選手レ・コンピン選手だ。レ選手はペナルティキックを冷静に押し込んでコンサが先制した。

          
          ※ ペナルティキックを決めてサポーターに喜びを表すレ・コンビン選手です。

 後半には息切れするのではと心配したが、そんな心配は杞憂だった。コンサイレブンの勢いは後半になっても失速することはなかった。何度も惜しいシュートシーンを作ってくれ、あと2~3点は欲しいところだった。
 結局、試合は1対0でコンサの勝利ということになった。

          
          ※ 試合後のヒーローインタビューに答えるレ・コンビン選手です。今日はレ・コンビンデーでした。

 コンサは若いチームだけに一年間戦い続ける中で成長してきたのだろうか?少なくとも今日の試合を見たかぎりではそう思えた。
 本日の試合を終えてコンサは7位という微妙な位置につけている。残り2試合は、21位の岐阜と、17位の北九州である。確実な勝利を期待したいところだ。そしてぜひプレーオフに戦いを進めてほしい。
 多くのサポーターは、プレーオフを乗り越えJ1昇格を!と願っているかもしれないが、私はプレーオフ進出だけで十分だと思っている。仮に昇格しても昨季のようにJ1でボロ負けするより、J1で互角に戦える力を確実につけてから昇格し、大暴れしてもらいたいと思うからである。

              
              ※ ご存じのコンサのマスコット、ドーレ君も大活躍していました。

 残り2試合、頑張れ!コンサドーレ!

今年のボランティア 終了!

2013-11-09 23:08:47 | ボランティア
 夏の間、およそ2週間に1度くらいの割で続けてきた近代美術館前の歩道の美化ボランティアの活動も冬を間近に控え、このほど今シーズンの活動を終了することにした。 

 今から4年前、道立近代美術館前の歩道のところに雑草がはびこっていることに心を痛めたマンション内の人たちが語らって、自分たちの手で歩道の美化に取り組むことにした。
 以来4年間、夏の間だけであるが地道な活動を続けてきた。

               
               ※ 活動を4年間も続けると、発行が80号になってしまいました。

 春、雪が消えて舗装が顔を出すと、雪の下に溜まっていた枯葉が醜く歩道を覆っている。まずはそれを取り除くところから毎年の活動が始まる。以来、およそ2週間に1度の割合で私から会員の方に「○月○○日、朝6時から活動をしましょう!」という会報を届ける。
 そうして当日都合の良い会員が集まり、歩道を清掃したり、花壇の除草や手入れをしたりしている。
 近代美術館の庭は大木がたくさん植わっていて、清掃できれいにしても直ぐに枯葉が舞い落ち、2週間に1度くらいではとてもいつもきれいに掃き清められている状態にはならないのだが、私たちとしては「精一杯かな?」という思いもあり、回数を増やそうという話にはなっていない。

          
          ※ 活動前に撮った写真ですが、この日は前日に風が吹いたせいか枯れ葉がそれほど目立ちません。

 今年の活動は4月24日に第1回目の活動を始めて以来、先日10月30日で終了するまで13回の活動をした。その間、延べ87名の方の参加を得た。
 11月7日は今年の活動を振り返る「茶話会」も行い、来年の活動も約束した。

          
          ※ 活動を終えた直後の歩道ですが、少し時間が経つと、歩道にはまた枯れ葉が…。

 心を痛めていることがある。呼びかけてはいるのだが新会員が思うように増えないことだ。私を初めてとして会員の高齢化が心配の種である。いつまで活動を続けることができるかと…。
 元気だと思っていた私も活動に後は、足腰に痛みを感ずるようにもなってきた。
 まあ、無理せずに、できるところまでは継続できればいいかな?と思っている。

ジャーナリズムの現場から(2) 原子力 負の遺産

2013-11-08 21:13:40 | 講演・講義・フォーラム等
 北海道新聞の連載記事が受賞したもう一つの賞はJCJ(日本ジャーナリスト会議)賞という賞だそうだ。受賞した連載記事は福島原発事故を扱った「原子力 負の遺産」という記事である。 

 ウェブ上を繰っていると、北海道新聞の連載「『原子力 負の遺産』~核のごみから放射能汚染まで~」がJCJ賞を受賞した受賞理由が載っていたので、それを転写すると、
 「原発問題でも極めて深刻な「核のゴミ」問題に、多角・広範囲の取材と長期の連載で挑んだ。10万年以上の密閉が不可欠な「核のゴミ」を人類がどう取り扱っていくのか。核のごみや核燃料サイクル政策、放射能汚染などをテーマに、丹念で広範囲の取材で現状を浮き彫りにし、問題の所在を的確に伝えた。(2012年4月から13年2月まで、第1部から第6部にわたり朝刊1面で連載)」
と載っていた。

 最近の私はブログに投稿するためにかなりの時間を費やしていることに気付く。それは最近の私の傾向として体験したことのレポートより、講演・講座において聴講したことに関するレポートが多くなっているからだ。講演・講座のレポートの場合、単に聴いたことだけではなく、それに対する私の思いも少しは加えねばと思う気持ちがある。そうなるとどうしても慎重にならざるを得ない。そこで自分の考えをより確かなものにするために、その背景を調べたり、他者の考えを確認したりという作業が伴う。
 特に今回のように国論を二分(?)しているような問題にはより慎重にならざるを得ない。今日のテーマについても、昨夜から今日にかけてさまざまなサイトに目を通し、賛否両論の主張をいろいろと読ませてもらった。

               
               ※ 須藤真哉記者です。

 さて、今回の北海道新聞連載の「原子力 負の遺産」は、須藤真哉、関口裕士両記者による連載ということで二人が登壇し、取材の裏側を語った。二人の記者の関心事はその副題にもあるとおり「核のゴミ」すなわち使用済み核燃料の処理には、現在の科学技術では地下奥深くに厳重に密閉した上で10万年以上もの長期間にわたって封印し続けなければ人類にとって安全なものにはなり得ないということだ。
 しかもその処理施設が稼働しているところは世界中に無く、わずかにフィンランドのオンカロというところに地下400メートルのトンネルを掘り、2020年の稼働を目指して工事中だというこことだが、日本ではその処理施設を建設する地さえ決まっていない現状だという。
 二人の記者は、無害化のために10万年以上も要し、しかもその処理施設の目途も立たない中での再稼働論議に疑問を禁じ得なかったことが連載の発端だと語った。

               
               ※ 関口裕士記者です。

 さて、私はこの「原発問題」について、これまでもさまざまな講演・講義を聴くたびにその時点、その時点で問題について考えることを繰り返す中で、控えめながら、おずおずと自らの考えを表明してきた。今の時点で原発再稼働ってありなの?と…。今回の講演を機会に、もう一度自分をフラットにして考え直してみることにした。

 そもそも私たちが生きている社会は人為的に構成され、その中で私たちは生きている。
 私たち一人ひとりは自らの意志を大切にしつつ、社会と和して生きている。(自らの意思を大切にしてとは言いつつも、多分に人為的な社会の動きに左右されてはいるのだが…)私もまたこれまで60数年、自らの意志で生き方を選択し、社会に和しながら生きてきた。
 ところが時に、人為的な作用が大き過ぎて(人為的な作用の誤りで)、人の人生や命運までも左右されかねない事態に追い込まれてしまうケースが出てくる。例えばそれは戦争であり、企業公害であり、原発事故などである。私はシリアやアフガニスタンの市民が砲弾に倒れる姿や、チェルノブイリや福島の人たちが自ら住む地を追いやられる姿などを見ると、率直に「他人が人の人生や命まで左右する権利はないだろう」と思うのである。

 私はやみくもに原発反対を唱えるつもりはない。核廃棄物の処理が自分たちの世代で処理できる方法が開発されたり、事故が発生した際に他に迷惑をかけることなく対応する技術が産み出された際には他のエネルギーと同様に活用することにすれば良いと思っている。

 ※ 私の考えを記すときにキーワードとして「人為的」という言葉を使用した。その意味するところは「自然のままでなく、人の手が加わるさま」として使用した。

ジャーナリズムの現場から(1) 日ロ現場史

2013-11-07 20:42:25 | 講演・講義・フォーラム等
 北海道新聞の二つの連載記事がジャーナリズム界の主要な賞を受賞したという。その受賞を記念して二つの講演会が開催された。その講演の様子を2回に分けて報告することにする。初めに新聞協会賞を受賞した「日ロ現場史」を担当した本田良一編集委員の話を聴いた。 

          

 北海道新聞夕刊に掲載されている「日ロ現場史」は本日(11月7日)で283回を数える長期連載記事である。現在第5部の連載が進行していて、間もなく終了し、やがて一冊の本として刊行されるとのことだった。
 日本とロシアとの間に横たわる「北方領土問題」の最先端である根室市駐在の記者として長年勤めた経験のある本田記者だからそこ新聞界が認めるほどの価値ある記事をモノにできたということであろう。
 私は恥ずかしながら北海道新聞夕刊を購読していたのに「日ロ現場史」の記事に目を通すことはなかった。

 北方領土問題に関してはこれまで直接交渉の場に立ち会った元外務官僚の東郷和彦氏や丹羽實氏をはじめ多くの人たちの話を聞いてきた。(佐藤優氏の話をまだ聞けていないのが残念である)その人たちの話を聞きながら私も少しは北方領土問題の交渉経過等について学ぶことができた。
 その中で誰もが口にしたことが「国益」である。その「国益」を巡って交渉に立ち向かう人たちに大きな齟齬があったというのが私の実感だった。

 今回の道新の「日ロ現場史」は、地元根室の人たちの声を丹念に拾い集めながら国の交渉に翻弄される人たちの様子をレポートしたものである。連載の中で一貫したテーマは「国益」だったという。ところがその「国益」というものが国際環境の変化によって、あるいは 日ロ交渉に立ち会う人によって、時には揺らぎ、あるいは変わってしまうこともあったという。
 その度に地元根室の人たちは翻弄され、何一つ地元の利益には繋がらなかったと…。

 本田氏は今後の領土問題について次のように予想する。
 プーチン大統領(当時首相)から出た「引き分け論」が焦点になるだろうとし、もしその線で交渉が進めば、4島返還は難しくなり、2島返還プラスアルファとなる可能性が高いのではという。このアルファが今後の交渉のポイントになるのではと予想した。

 地元紙として政治上の重要課題である領土問題をじっくりと丹念に取り上げ、息の長い連載を続けたことが評価されたことに対して同慶の意を表したい。
 また、長い間動くことのなかった北方領土問題が今解決に向かって動き出したかの状況を注意深く見守っていきたい。


コミュニティーデザインとは?

2013-11-06 22:20:54 | 講演・講義・フォーラム等
 コミニティデザイン…、それは「マチづくりの構想」とでも訳すことができるだろうか?コミュニティーデザインを研究する専門家から話を聞いた。 

 当別町にNPO法人「当別エコロジカルコミュニティ―(TEC)」という環境に関わる活動を展開する団体がある。
 そのTECが主催する「環境学習会 エコセミナー」(4回シリーズ)が10月30日夜、エルプラザで開催されたので参加した。
 第1回目は「コミュニティーデザインと環境教育」と題して、立命館大学准教授の山口洋典氏が講師を務めた。

               

 山口氏の話は多分にアカデミックな雰囲気に満ち、私には咀嚼できない部分も多々あった。
 山口氏の問題意識は、昭和40年代からの高度成長により、地方から都市への人口の流動化が起きた結果、都市では人間関係が希薄になり、地域社会が崩壊してしまったこと、その一方地方においては著しい人口減によって地域の文化や伝統が失われつつある現状をどう再生するか、というところにあると受け止めた。

 その問題に対して、山口氏は概略次のような処方箋を描いて見せた。
 一つは「集合体を包み込む良い雰囲気づくり」だとする。
 例えば、ある事象に対して「構造的な関心」を持つ者と、「状況的な関心」を持つ者に分かれるという。両者の溝は簡単には埋まらない。そうした時、両者の「関係」を変えようとするのではなく、「関係性」を変えることで良い雰囲気が作り出せるという。

 二つ目は「異質性に支えられた人間と環境の関係」だという。
 このことは、ある意味一つ目の処方箋とも通ずるように思われるのだが、人間社会は異質な人たちの集まりと捉え、そのことを前提として人の繋がる仕組みをつくることがコミュニティーデザインであるという。山口氏は、コミュニティーは「共同体」ではなく、「共異体」で良いではないかという。

 三つ目に「無縁社会と言われる時代の『結縁』をつくる」ことだとした。
 山口氏は大学で教える一方、大阪のお寺の住職であるという。そのお寺では既存の寺とは違って、お寺は地域の集会場として機能しているという。お寺を会場に多彩な催しを次々と行い、地域の「結縁」づくりに励んでいるということだ。

 山口氏の話は概略上記のようなことだと理解したが、コミュニティーデザインと環境教育との関わりについて言及することはなかった。
 主催者は地域の人たちに環境教育を推進しようとする団体である。したがって、地域において環境教育を推進しようとするとき、さまざまな考え方、さまざまな人たちが存在することを前提としながら、そうした人たちを包み込み「環境」をキーワードにして人々を結んでいくことが必要である、と山口氏は言おうとしたのだと私は捉えたのだが…。

 「共異体」で良いんだ、という言葉が私の中に残った。

映画 108 先祖になる

2013-11-05 21:47:33 | 映画観賞・感想

 この映画は何といっても主演の77歳にして現役の木こりである佐藤直志さんのキャラクターに尽きる。そしてピカッと光ったのが、佐藤さんの人柄に惹かれ、佐藤さんを陰に陽に支える菅野剛さんの表情が何とも云えず温かかった…。 

               

 先日(10月25日)の「あの日―福島は生きている」に続いて、北海道新聞社が企画した「『震災地は今』ドキュメンタリー映画連続上映会」の第2弾である。
 10月29日(火)夜、道新ホールで開催され、運良くこちらも観ることができた。

          

 映画は、1934(昭和9)年生まれで当時77歳になる木こりをしながら農業も営む佐藤直志の日常を追った映画である。
 佐藤は東日本大震災の津波で長男を失った。長男は消防団員として津波から地域住民を避難させようとして自らが遭難してしまったのだ。
 残されたのは、佐藤と妻、そして長男の嫁の三人である。当初は佐藤の意志に従い津波で被害を被った家に同居していたが、やがて二人は仮設住宅に移ってしまう。しかし、佐藤は一人になっても自分の家を離れようとはしなかった。
 そして佐藤は家を建て直すことを決意する。これまで先祖が生きてきた土地に再び家を建て直すことで、佐藤自身も「先祖になる」んだと…。

          

 津波で枯れた森の木を自らチェーンソーで次々と切り倒し、立て直す家の材木を用意し始めた佐藤。それを味噌・醤油などの製造販売に従事する傍らで伝統文化の継承にも精力的に取り組む15才年下の菅野剛らがしっかりとサポートする。

          

 佐藤直志のキャラクター、それは…。
 誰がなんと言おうとも、自ら決意したことけっして曲げない強靭な意志と、飄々とした佇まい…。それでいて、どこかお茶目でシャイなところ。
 土地に根ざし、土地に生きる人々の行く末を思う佐藤の強さと優しさは徐々に人々の心を動かしていく。けっして声高に叫ぶこともなく、ただ淡々と…。画面には笑いが溢れていた。佐藤から滲み出るユーモアがところどころで顔を出すからだ。
 前出の菅野は「あたりまえのことをしているから惹かれる」と言う。
 画面にはそんな佐藤の魅力があますところなく映し出されていた。

 映画が終わってから、監督の池谷薫と、道新の記者とのトークがあった。その中で池谷は「撮らせてもらっている間はドキュメンタリーは撮れない。一緒に作るときに初めてドキュメンタリーとなる」と語った。まさに「先祖になる」は佐藤直志と池谷薫の合作だったのだ。

               
               ※ この映画の監督である池谷薫さんです。

 最後に待望の家が、前と同じところに完成した。茶の間から見える太平洋の夕陽は輝いていた。しかし、そこにいたのは佐藤一人だけだった。
 映画のところどころに出てくる奥さんのコメントもユーモア溢れるものだった。佐藤の頑固さにはあきれながらも、きっと今は二人仲良く新居から太平洋の夕陽を眺めていることだろう。


宇宙飛行士 山崎直子とニーバーの祈り

2013-11-04 19:30:02 | 講演・講義・フォーラム等
 日本人で2番目の女性宇宙飛行士となった山崎直子氏は、宇宙飛行士に選抜されてから実際に宇宙に飛び立つまでに11年の月日を要している。その間、くじけそうになることもあったが「ニーバーの祈り」に救われたという。その「ニーバーの祈り」とは…。

               
 
 10月29日(火)午後、共済ホールにおいて札幌市教育委員会主催の「札幌市教育フォーラム」が開催され、参加した。
 フォーラムは、講演とパネルディスカッションで構成され、その講演の部に元宇宙飛行士で、札幌市青少年科学館の名誉館長も務める山崎直子氏が「宇宙、人、夢をつなぐ」と題して講演された。
 山崎氏の講演は確かこれまでにも2度ほど聴いたことがあると記憶しているが、主たる話はそのときと重複していて、生い立ち、宇宙飛行士としての訓練の様子、実際の宇宙や飛行船での生活などについてだった。
 そうした話の中の一つとして「ニーバーの祈り」について触れたことが私には新鮮に思われた。(あるいは以前の話の中にも出ていたのかもしれないが…)

                


 山崎氏は2006年2月に宇宙飛行士として選抜されている。以来、宇宙飛行士としての訓練が開始された。宇宙飛行士の訓練はあらゆる事故を想定して、そのことに対処する訓練が相当部分を占めるという。その訓練を来る日も来る日も繰り返す日々だという。その間、いつ宇宙空間へ飛び立てることができるのか全く予想も立たない中での訓練が続けられるという。
 加えて、チャレンジャーやコロンビアの事故(いずれも乗員7名全員が死亡している)のような事故に見舞われる危険性も覚悟しなくてはいけない。
 そうした中で11年間も待つということは精神的に相当辛いものがあったという。そのとき救われたのが、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが唱えた「ニーバーの祈り」だったという。その日本語訳を記してみよう。

   神よ
   変えることのできるものについて、
   それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
   変えることのできないものについては、
   それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
   そして、 
   変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
   識別する知恵を与えたまえ。

              
 山崎氏は云う。宇宙旅行は将来的には誰もが飛び立てる時代がやってくるだろうと…。しかし少なくとも、山崎氏の場合は身体的にも、頭脳的にも、選びに選ばれた存在であり、その優秀な人が訓練に訓練を重ねながらも、目的である宇宙へ飛び立てる日がやって来るのか、来ないのか、それすらも分からない日々の中で、この言葉に出会ったという。
 山崎氏の場合は、特に4・5行目あたりの言葉に縋りたかったのだろうと想像する。

   変えることのできないものについては、
   それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

 そうして耐えた山崎氏は2010年4月5日、念願かなって宇宙へ飛び立ち、任務を完遂して16日間の宇宙飛行を終え、地球に帰還したのだった。
 私たちの人生の中には「変えることのできないもの」ってたくさんあるなぁ…。それを「受け入れるだけの冷静さ」なんて凡人の自分には永遠に与えられないのだろうなぁ…。

アルプスが現代の「聖地」となった軌跡を追う

2013-11-03 23:56:32 | 大学公開講座

 17世紀までのアルプスは人々にとって大地に突き出た醜いものでしかなかったらしい。それが18世紀に入り価値の変容が始まり、ついにはその山岳風景が「聖地」とまで呼ばれるようになったという。その軌跡を追った。
 

 北大公開講座「現代の『聖地巡礼』考」~人はなぜ聖地を目指すのか~」の第二講は10月28日(月)夜、「山岳風景の聖地としてのアルプスの発見」と題して、北大大学院メディア・コミュニケーション研究院教授の西川克之氏が講師を務めた。

          
          ※ 私を一週間も留めた有名な「アイガー北壁」です。

 アルプスというと、その峻嶮さ、壮麗さ、etc.…、さまざまな形容で称され、今や誰もが憧れる世界の大観光地である。
 私も少ない経験ながら、学生時代にヨーロッパを旅したとき、アイガー北壁の麓の村のグリンデルワルトに一週間投宿したり、その後年を経てベルナーオーバーランドやシャモニーでスキーを楽しんだりした経験を持つが、その素晴らしさを一言で言い現わす術を知らないほどのスケールと美しさである。
 そのアルプスが17世紀ころまでは「醜いもの、疣、おでき、化物じみた突起物、大地の屑、自然の恥部」などと酷い表現をされていたと知り、驚いた。

 そのように人々から忌み嫌われていたアルプスが18世紀に入り、いろいろな方面から新しい見方が出始まったという。
 まずは人々の間に「荒涼とした自然景観が精神的再生の源になる」と考える人が出てきた。
 そしてロマン派の詩人たちがしだいにアルプスを賛美する詩を発表するようになった。
 さらに冒険家たちにとっても未知なる新しい世界を体験したいと考える人たちが出現してきたという。
 また科学的学問の分野では「自然神学」(科学と宗教を両立させる思想)という考え方が成立し、その「自然神学」において「人間が探究する価値のない自然などない。したがって、探究すべき対象は無限に拡大する。自然はますます科学的分析や審美的鑑賞の対象になっていく」とする考え方が広まっていったということである。

          
          ※ フランス・シャモニーのマチから眺めたモンブランの山群です。

 こうしたさまざまな動きによって、18世紀においてアルプスに対する 価値観はすっかり変わってしまった。そして19世紀に入るとその考え方は一般化・大衆化の道を辿ったという。
 19世紀中頃になると、急峻なアルプスを目ざす近代的登山が始まり、アルプス観光の大衆化も始まった。1863年にはトマス・クック(イギリス)による初めての団体のスイス旅行が行われたということだ。
 現代では冒頭に触れたように、人々にとってアルプスは世界の一大観光地として人々がぜひとも訪れてみたい憧れの地(聖地)となっている。

 今回の講座では、人々のモノの味方、考え方が変わることによって、それまで忌み嫌われていたところが「聖地」へと変わっていくことを学んだ。前回の講座では、意図的に「神」を演出した空間として創出し、そこが「聖地」となっていった例をレポートした。
 う~ん。「聖地」にもいろいろなケースやパターンがあるようである。


北大の銀杏並木の秋‘13

2013-11-02 23:47:36 | 環境 & 自然 & 観察会
 札幌市内の紅葉スポットの定番「北大の銀杏並木」へ行ってみた。銀杏の葉が黄金色に色づいたとの報道があったためか、学園祭かと見紛うほどの人たちが訪れ大賑わい! 訪れた誰もが頭上に視線を投げて紅葉〈黄葉?〉を楽しんでいた。 

 「知事公館の庭の秋‘13」(10/28投稿)が好評につき、第2弾を投稿することにした。いやいや誰からも「良かった」などという反応は届いていない。私一人で満足しているだけである。というより、拙ブログにしばしばコメントを入れていただく「出ちゃっ太」氏からは「文章の方がいい」というコメントをいただきながらも、敢えて再び写真だけの投稿をすることにした。

 本日(11月2日)、北大で公開講座があり受講したので、その足で黄金色に色付いたという銀杏並木の見物に出かけた。
 並木が近づくにつれていつもとは違い、人の姿が異様に多い。銀杏並木ばかりでなく「大野池」の周囲も人でいっぱいだった。
 
 銀杏並木の葉はいつもの秋のように見事に黄金色に変身していた。
 訪れた誰もが視線を頭上に向け、さまざまな形状のカメラを銀杏に向けていた。
 並木の下では、北大生の音楽サークルが爽やかな音色を奏で、銀杏並木カフェが開店していた。
 ふと見ると、学生が何やら配布している。近づいてみると「北大金葉祭 HOKUDAI KONYOSAI」というパンフを配布していた。金葉祭…、なるほど祭りと位置づけているらしい。そして学生から「5時からライトアップしますが、めっちゃきれいなのでぜひ見に来てください」と勧誘を受けた。

 講座の終了が午後5時だったので、学生の誘いどおりライトアップした銀杏並木も楽しんできた。
 講釈が少し長くなってしまった。それでは拙い写真の羅列をどうぞ!!

     

     ※ 頭上を覆うかのような銀杏の葉が見事に黄金色に色付いていました。

     

     
     ※ 一枚、一枚の葉はご覧のような形です。

     
     ※ 銀杏並木の脇にはご覧のような楓の葉が真っ赤に色付いていました。

     

     ※ 黄金色と紅色が重なり合うと、それはそれで見事です。

     
 
     
     ※ 一部の銀杏が季節の列車に乗り遅れていたようです。

     
     ※ ご覧のように銀杏の木の下は人でいっぱいでした。(写真がボケちゃいました)

     
     ※ それでは口直しに昼の並木の写真をもう一度…。

     
     ※ 夜は技術がなければ難しいですね。葉の色もきれいに出ませんでした。人の姿は夜になっても変わらないほどでした。

     

     

竹中平蔵が語る日本経済の復活の道

2013-11-01 22:52:21 | 講演・講義・フォーラム等
 自説を饒舌に、しかも自信満々語る竹中氏には何の不安もないかのように見えた。しかし、本当にそうだろうか?あまりの饒舌さにかえって不安を感じたのは私だけだったのだろうか…。 

 10月26日(土)午後、日本証券業協会が主催する「『投資の日』記念セミナー」がホテルオークラを会場に開催された。セミナーは午前の部もあったが、こちらは投資に関するやや専門的なセミナーだったので、投資などに縁もゆかりもない私は興味がなかった。午後は竹中平蔵氏と最近マスコミに登場する機会の多くなった経済アナリストである第一生命経済研究所の永澤利廣氏が講演するというので参加することにした。

 竹中氏は「日本経済復活のキーワード」、永澤氏は「アベノミクス効果と日本経済のゆくえ」と題して、それぞれ講演した。永澤氏は主たる聴衆が投資家ということを意識したのか、アベノミクス効果によって日本経済が復活の道を歩むということを様々な統計資料を提示して投資を勧めるという趣旨だったこともあり、ここでのレポートは割愛することにする。

               
     ※ 竹中氏の肩書は、「慶応義塾大学総合政策学部教授」と「グローバルセキュリティ研究所所長」とあった。

 竹中氏の話も投資家を多分に意識した話ではあったのだが、元金融担当大臣など経て、今なお日本経済に影響力のある人の話なので興味深く伺った。
 竹中平蔵氏というと小泉政権において「小泉構造改革」を主導した人物として名高い人である。
 そして今、今回の講演においても明言したが「アベノミクスは100%正しい」とする立ち位置の人である。
 竹中氏はアベノミクスの「三本の矢」と云われる経済政策について概略次のように話した。

 第一の矢である「大胆な金融政策」は、いわゆる金融緩和であり、デフレ対策である。デフレは、物価は下がるが給与も下がる。デフレ下においては企業は内部留保に努める。日銀が金融引き締めることはデフレを増進させることである。今回の黒田総裁がとった金融緩和の効果は2年後に現れてくるだろう。

 第二の矢の「機動的な財政政策」は、今年緊急経済対策として約10兆円を政府支出している。このように当面財政を拡大することにより将来(7年後を見込む)の財政再建を目指しているが、まだ分からないところである。財政再建のためには歳費支出を抑えねばならない。例えば、高齢者対策を17%減ずるとか、消費税率を17%に上昇させるとかの対策が必要である。

 第三の矢の「民間投資を喚起する成長戦略」については、国にとって経済成長はいつの時も必要である。そしてその経済成長は民間の自由な競争から生まれる。民間の自由な競争を促すには、規制を緩くし、税を軽くし、企業にとっての条件を良くすることだ。例えば「岩盤規制」とも云われる、農地の取得規制や医学部新設規制などについては一日も早くその規制を解かねばならない。

               
     ※ もう一人の講師の永濱利廣氏は「第一生命経済研究所経済調査部主席エコノミスト」という肩書だった。

 竹中氏はアベノミクスについて概略以上のように述べた。私のメモをもとにしているので大意に違いはないと思う。
 聴いている人たちが主に投資家だったということもあるのだろうか、氏の話は企業の成長のことだけを語っていたように思われてならない。氏の話の中には国民の生活という視点がすっぽりと抜け落ちているような印象があった。例えば、高齢者対策(社会保障費のことを指していると思われるが)の17%減などということをいともあっさりと言明してしまうところに氏の姿勢が透けて見える。

 竹中氏の評価については、世間的には功罪相半ばしているかのように聞こえてくる。
 今回氏の話を伺ってみて、あまりにも饒舌に、そして自信満々に語られると、人間はえてして懐疑的になってしまう性質を持っていることを教えられた思いがする…。