田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

カオハガン島って知っていますか?

2013-11-20 22:40:29 | 講演・講義・フォーラム等
 何もない島カオハガン、南の小さな島カオハガン、そんな島に住み続けて23年。フィリピンの小島カオハガン島に住む崎山氏の話を聞いた。 

          
          ※ この写真はオランゴ環礁の全体写真です。カオハガン島はこの環礁の右手前にポツンと緑が見える小さな島です。

 このところの私は自分でも呆れるくらいたくさんの講演・講座を受講する日々が続いている。まるで日課のように…。それくらい札幌では聴こうと思えば待ってくれている講演・講座の類が用意されているということなのだ。(これでも私はなんでもかんでも受講しているわけではない。自分の興味関心の抱くものを選別して受講しているつもりである) 
 そんなことで、いっそのことブログタイトル名を「田舎おじさん 札幌で聞く・聴く・訊く」にしようかと思うほどである。ということで、しばらくはブログの投稿も受講したことの感想的なものが主となってしまうがご容赦いただきたい。

 11月13日(水)午後、北海道新聞本社において「道新ぶんぶんクラブ」主催の講演会「何も無くて豊かな島 カオハガン島からの贈り物」と題して、カオハガン島オーナーの崎山克彦氏の話を聞いた。
 そのカオハガン島であるが私も今回初めて知った。島はフィリピンのセブ島に近い、オランゴ環礁に属する小さな島だということだ。面積は約5万平方メートル、札幌ドームより小さい感じで、そこに約600人が暮らしているという。

          
          ※ カオハガン島の位置図です。イメージできますか?

 その島が売りに出されていたのを1987年、当時52歳だった崎山氏が購入したという。(当時の価格で約一千万円だったそうだ)
 それから数年後、崎山氏は島に移り住み、23年が経過したという。
 崎山氏は、カオハガン島を「この島に適した過程を踏んで」発展させ、その中で「ほんとうの発展の目的であるはずの、真の人間の「しあわせ」を考えてみたいと思ったそうだ。
 そのために、単に「自然環境」だけではなく、信頼や、互恵性に基づいた、ネットワークを重視する「社会関係環境」までを含めた環境を、次世代に引き継ぐ「持続可能」なものにするために23年間カオハガン島で活動を続けてきたと言う。

               
               ※ カオハガン島のオーナー崎山克彦氏です。

 崎山氏はそのための活動資金を産み出すために「カオハガン・ハウス」という島を訪れる人たちのための宿泊施設を作り、そこの運営利益を100%活動資金に充てているそうだ。そして宿泊施設の従業員として島民たちに働いてもらうことで雇用も生んでいるという。
 崎山氏の話では、23年間の間に島に必要なさまざまな施設を作ったり、制度を整えたりと、獅子奮迅の活躍で住みよい島づくりに努めた結果、当初330人程度だった島民が600人にまで増えたという。これ以上の人口増は望まないが、それも島民たちと話し合い、理解を得ていきたいという。
 カオハガン島では2050年までを見通した島のあり方を構想する「カオハガン2050」運動を展開中で、大きな自然を保ちながら、自然と共に歩む生活を志向していきたいと話した。

 話をお聴きしていて、自らの考え・生き方に向かって全力傾注する崎山氏の生きざまに心から「格好いい生き方だなあ」と思った。
 一つだけ疑問に思った点があった。それは崎山氏の話から島にはどうやら村長がいるらしい。島のオーナーである崎山氏とその村長との関係はどのようなものなのか、という点である。話を聴くかぎりでは、崎山氏が考えられていることが次々と実現していっているように聞こえてきたのだが…。
 講演の後の質疑応答で伺いたいと思ったのだが、元気の良いおばさんパワーに圧倒されてしまい、質問できずに終わってしまったのが残念だった。

剥き出しの地球 南極大陸

2013-11-19 16:33:30 | 講演・講義・フォーラム等
 気温マイナス30℃、風速30メートルのブリザードが吹き荒れる極地の大陸「南極」での3ヶ月のキャンプ生活…。想像を絶する中での生活に3年続けて参加したという写真家・ビデオジャーナリストの安部幹雄氏の話を聞いた。 

 「道民カレッジ」を運営する北海道生涯学習協会が直接開催する「『ほっかいどう学』かでる講座」の11月講座は11月12日(火)午後、「剥き出しの地球 南極大陸」と題して写真家でビデオジャーナリストの安部幹雄氏が講師を務めた。

 安倍氏は札幌在住の方であるが、その活動歴を見るとミニャ・コンガ登山隊に加わり生死の世界を彷徨ったり、カムチャツカ半島のジミナ峰(3,080m)の頂上から滑降したり、と写真家というよりは冒険家としての活動の経験をかなり積んだ方らしい。
 そして、今回の舞台南極へは2007年から3年連続して日本南極地域観測隊のセール・ロンダーネ山地地学調査隊のフィールドマネージャーとして参加した体験を私たちに語ってくれたものである。

          
          ※ 講演をする阿部氏です。半そで姿で現れました。若い!

 南極観測隊といっても設備の整った「昭和基地」での観測ではなくて、3ヵ月間テント生活を強いられるという過酷なものである。安倍氏の担当のフィールドマネージャーとは、研究者たちを支え、装備・食料を準備し、安全を管理することがその任務だということだが、誰も怪我させず、ひとりも失わないで帰ってくることが最大の任務だったという。

 安倍氏が語った南極でのキャンプ生活の一端を描写してみると…。
 風速30メートルで吹き荒れるブリザードは、極地用の頑丈なテントが何度もつぶされ、吹き飛ばされたそうだ。
 そうした中、生活はまず水づくりからだそうだが、水は全て氷を融かして作る以外なかったということだ。
 テント生活のため風呂はもちろんなく、3ヵ月間風呂なしの生活で、身体を時々体拭きシート(介護用)で拭くくらいのため、時間の経過に従い身体から発する臭いに悩まされたそうだ。
 食事はそのほとんどがフリーズドライのものが主だったという。

 氏が隊員の食料に準備したフリーズドライは、工夫を加えることによって多彩なメニューが実現し隊員を喜ばせたようだ。その経験を活かし、氏は現在「極食」という会社を起こし、フリーズドライ食の販売を手掛けているそうだ。

          
          ※ 阿部氏が開発し(?)、販売するフリーズドライの数々です。

 南極から日本に帰ってきて嬉しいことが三つあるという。それは、
 1)夜(闇)がある。 ※安倍氏たちが滞在するのは南極の夏で夜がほとんどない。
 2)お金が使える。
 3)蛇口をひねるとお湯が出る。
ということだという。
 そして最後に「南極の自然に人間は敵わない!」と締めた。

          
          ※ ハンバーグではありません!南極で収集したという隕石です。15cmくらいの大きさでした。

 安倍氏は現在60歳だという。その若々しさに驚いた。きっとそれもあくなきチャレンジ精神の賜物なのだろう。
 安倍氏には敵うべくもないが、私もあまり老け込んでばかりはいられないなぁ…。

環境教育論に物申す

2013-11-18 23:35:49 | 講演・講義・フォーラム等
 理念は語ったけれど、そして授業のイメージは語ったけれど、彼らは具体的な授業論を語ったか? 教育施策立案の中枢にいたと誇らしげに語る講師の言葉に、私は久方ぶりに燃え上ってしまった…。 

 やや時が経ってしまったが、当別エコロジカルコミュニティーが主催する「環境学習会 エコセミナー」の第2回講座が11月6日(水)夜、エルプラザで開催された。
 第2回講座のテーマは「学校と環境教育 ~持続可能な社会を目指す環境教育~」というテーマで、東京学芸大学名誉教授の小澤紀美子氏が務められた。

 小澤氏は言う。
 環境教育とは? 人と人、人と自然、人と文化・歴史、人と地域、人と地球の関係を再構築することであると…。けっして環境問題を教えることではない。教育そのものの在り方を問う教育だ、と…。そうした環境教育を実現する場が「総合的な学習の時間」であるという。

 「総合的な学習の時間」は、これまでの教育の主流だった系統的学習から発見型学習へと転換を図る突破口となるべき教科であると説く。その発見型学習のイメージは〔1+1=2〕の教育ではなく、〔2=?+?〕の教育であるという。
 さらに教育は〔学び方を学ぶ〕のであり、〔~について知る・学ぶ〕ことであり、〔~を通して学ぶ〕ことだという。

 「総合的な学習の時間」は2000年から段階的に学校教育現場で実践されるようになった。
 当時は私もまだまだ現役だったので、学校現場に新しい考え方の、新しい教科が誕生するということで懸命に学び、どのように具体化すべきか研修を重ねたものである。学校において苦慮したことは、行き過ぎた知育偏重の教育の是正を図るという理念は理解できるものの、教科としてどのように授業化していくかということであった。

          
          ※ 私も一時取り組んだ「総合的な学習の時間」における米づくりである。

 最も戸惑ったのは、それまでの各教科には教科書という目ざすべき目標と、そこへ導く道筋が描かれたものが存在していたが、「総合的な学習の時間」にはそれがなかったのだ。具体的な授業案は各々の学校、各々の教師が作れという。具体的な授業像も示さずに…。
 これでは現場が混乱するのは当たり前である。教師の力量も、学校の実態も千差万別である。そこには学校によって、教室によってまったくバラバラな「総合的な学習の時間」が現出したのである。
 中にはもちろん成功事例もあった。しかし総じていえば、児童や生徒にいったいどのような力を育んだのかさえ判然としないようなこととなり、外からの批判が集中した。
 その結果、そうした声に抗しきれず現在は「総合的な学習の時間」は以前と比べて時間数を大幅に削減され、いまや風前の灯の感さえある。

 そうした現状にあって、なお理念を唱え続け、微かな成功事例を挙げて自説を強調する小澤氏の論には到底賛成しかねた。
 行き過ぎた知育偏重の教育は私もけっして賛成するものではない。発見型学習の理念は私も理解できる。しかし理念だけを唱えるだけでは「~の念仏」と違いはない。自ら実践して具体的な授業像を示し、児童や生徒の変容が確かに認められるような仕組み・方法を提示することが何より大切なのではないだろうか?

 教育現場を離れてすでに年数が経ち、いまさら何をか言わんや感もあるのだが…。そうしたこともあり教育に関する発言は極力控えてきたつもりである。しかし、今回の講座を受講して堪らず声を上げてしまった…。

 


現代の「聖地」としての世界遺産

2013-11-17 23:07:01 | 大学公開講座

 現代人にとっての「聖地」といえば、「世界遺産」が思い浮かぶ。「世界遺産」という冠をいただけば世界的な有名観光地リストに載ったようなものとも言える。その「世界遺産」登録への背景を聴いた。 

 北大公開講座「現代の『聖地巡礼』考」~人はなぜ聖地を目指すのか~」の第三講は11月11日(月)夜、「現代の聖地、世界遺産を楽しむ!」と題して、北大観光学高等研究センター長の西山徳明教授が講師を務めた。

          
          ※ 今年念願かなって世界遺産登録された「富士山」です。

 西山氏はまず「世界遺産」の基礎知識から講義を始めた。
 「世界遺産」がユネスコの総会において採択されたのが1972年、発効したのが1975年だという。発効してからまだ38年しか経っていないのだ。しかも日本が世界遺産条約を批准したのは1992年というから、私たちが「世界遺産」ということを意識し出してからわずか21年しか経っていないということになる。
 現在世界遺産として登録されているのは、世界的には981件、そのうち日本では17件が登録されている。

 世界遺産が世界遺産たる価値を有している否かは、次の三点が基準になっているという。
 (1)顕著な普遍的価値
 (2)完全性
 (3)真正性
 それぞれの意味について関心を持たれた方は別途調べていただきたい。
 とここまでは、関連書物などに触れられれば簡単に分かることばかりである。西山氏は登録にいたるまでの裏舞台について語ってくれた。

          
          ※ 2007年に世界遺産登録された「岩見銀山」です。

 世界遺産の登録を申請する場合は、自然遺産が「国際自然保護連合」、文化遺産は「国際記念物遺跡会議」という諮問機関に申請し、現地調査を踏まえて「世界自然遺産委員会」に勧告される仕組みとなっていて、その勧告が事実上の登録か否かを決めているという。
 その勧告は3段階になっており、第1段階のみが当該年度の登録になるということだ。

 そこで氏は2007年に登録された「石見銀山」を例にとった。「石見銀山」は勧告段階では顕著な普遍的価値の証明などが不十分ということで第3段階の勧告だったという。その勧告を受けて日本はその価値の証明などのロビー活動をかなり展開したらしい。その結果、勧告を覆して登録にいたったということがあったという。この例をみると、登録には政治的な力学も見え隠れしているようだ。
 ところでこの「岩見銀山」だが、登録前まではそれほど日本人に知られた存在ではなかった(と思う)。我々にはむしろ「佐渡金山」の方が名高いのではないか。しかし、世界的に見ると「石見銀山」の産出量の最盛期には世界的にその名が轟いていたという。したがって、世界的に見たときには「石見銀山」の方が顕著な普遍的価値が認められるということになる。

 国内的には世界遺産の登録を待っている暫定リストが現在11件あり、そのうち「富岡製糸場と絹産業遺産群」と「明治日本の産業革命遺産~九州・山口および関連地域」の二つが次期の世界遺産登録を期して諮問機関に申請中とのことだ。
 来年6月に開催される世界遺産委員会の結果が注目されるということだった。

 世界各地において「世界遺産」に登録されたことによって、訪れる観光客が倍増するなど観光業的には大きな効果をあげているという。だからこそ各国・各地が競って登録申請をするのだろう。
 しかし、「世界遺産」の登録数が間もなく1,000件を超えようとしていると聞いた。私は「世界遺産」の価値の一つはその希少性にあると思っている。登録数が増え、その希少性が薄れてきたとき、「世界遺産」というブランドは現在のような価値を保ち続けることができるのだろうか?


高梨沙羅の強さの秘密

2013-11-16 23:06:49 | 講演・講義・フォーラム等
 高梨沙羅の強さは単に資質だけではないという。彼女の強さには“考える”強さがあるという。そう語るのは、彼女に密着取材したNHKディレクターの永井康之氏だった。 

               

 11月9日(土)午後、プリンスホテル国際館で「スポーツの力、知の力」と題して「立教大学札幌シンポジウム」が開催された。
 シンポジウムは基調講演として「NHK『天を翔る少女 高梨沙羅』の制作現場から」と題してNHKスポーツ番組部ディレクター(前職)の永井康之氏が務めた。
 続いて、永井氏と日本卓球協会常務理事を務める立大の星野一朗氏、そして札幌旭ヶ丘高校の男女のバスケットボール部員が登壇してのパネルディスカッションが行われた。

 永井氏は番組を通して「高梨沙羅のひたむきな姿」と「考え続けることの大切さ」を伝えたかったと語った。
 そして彼女が現在のような強さを備えた理由(わけ)を次のように分析した。
 先ず第一に彼女にはジャンプに対して《好奇心・興味》があったとした。父や兄が取り組んでいたのを目の当たりにしてジャンプの世界に入ったという。
 そして次は《現状認識》の力が優れているという。人より脚が長いわけでもない。脚力があるわけでもない。
 そこで《対策を考える》力があったという。こう飛んだらこうなるというようなイメージを膨らませることで自己の《スタイルを確立》させていったそうだ。
 このように自ら考えながら、自分のスタイルを確立したことにより、修正能力が素晴らしいそうだ。つまり不調になっても直ぐに修整する力があるという。だから好不調の波が小さいらしい。一つ一つジャンプ台が違うワールドカップにおいて昨年16戦中8勝もしたのも、そうした知らざれる彼女の能力の賜物だったことを知らされた思いだった。

          
          ※ 講演をする永井康之氏です。

 考えるスポーツ選手として永井氏はハンマー投げの室伏広治選手の例も紹介された。室伏選手の独特のトレーニング方法も、彼が考え続けた結果に産み出されたものであると永井氏は取材経験の中から語った。
 そして、「高梨選手は考え続けることで世界のトップに君臨し続けている」と永井氏は話を締めた。

 来年2月にはいよいよソチ冬季オリンピックが開幕する。その大舞台でも高梨選手はきっとソチのジャンプ台に適応するように考え、修正して素晴らしい成績をあげてくれるのではないか、との期待を一層持たせてくれた講演会だった。

映画 110 清須会議

2013-11-15 22:51:49 | 映画観賞・感想

 三谷幸喜の原作・脚本・監督ということでコメディータッチの笑える映画かな?と思いながら観た。豪華キャストを揃え、笑えるところもそれなりにあった映画なのだが…。 

               

 役所広司・大泉洋・小日向文世・佐藤浩市・妻夫木聡・浅野忠信・松山ケンイチ・伊勢谷友介・鈴木京香・中谷美紀・剛力彩芽・西田敏行と錚々たるキャスト勢揃いの映画である。他にも天海祐希、中村勘九郎が出ていたらしいが気付かなかった。

 今日(11月8日)、ぽっかりとスケジュールが空いたので、賑やかに宣伝攻勢をかけていた三谷映画「清須会議」を観てみようと思い、午後ユナイテッド・シネマに出かけた。最近の私の映画の選択はどうもコマーシャルに左右されている感じがするが、どうしても話題(作られた話題?)の映画は気になるものである。

 清須会議はご存じのように、信長亡き後、その後継を巡って清須城において柴田勝家(役所広司)と羽柴秀吉(大泉洋)が虚々実々の駆け引きの末に秀吉が勝家を出し抜いて後継の座を実質的に射止めた会議である。
 映画はエンターテイメントとしては十分に楽しむことができた。俳優たちもそれぞれ持ち味を出し、ストーリーも明快だった。
 しかし観終えた後、心から楽しめたかというと疑問符を付けざるを得ない。何か物足りなさが残ったというのが正直な気持ちだ。

          

 それは何だったんだろう?と考えてみた。
 その理由の第一は、大泉洋演ずる羽柴秀吉である。大泉は実に器用な俳優である。映画においても、テレビにおいても、彼は非常に才能を発揮しているように思えるし、この映画でも十分に監督の期待に応える演技をしていたと思う。
 私はむしろその脚本・演出に原因があるのではないかと考えた。この映画における秀吉はその姿恰好からしても道化に徹しながらも、狡猾にしたたかに天下を取りに行った姿を描いていると思った。大泉はそのコミカルさを上手く出していたが、それがどうも中途半端に思えてしまったのだ。表のコミカルさと、裏に回っての狡猾さ、の対比を思い切り演出してほしかったと思ったのだ。

 二つの目には、セリフ回しが気になった。俳優たちのセリフに現代的な言い回し方が頻繁に現れるのだ。時代劇とはいっても観る側は現代人なのだから、現代人に通じないようなセリフではもちろん困る。しかし、時代劇調のセリフ回しをしていたかと思ったら、その中に突然今風の言い回しが出てくると観ている方としては興醒めしてしまう。

 そしてもう一つ、私には音楽も気になった。コミカルタッチを意識した明るい音楽を選定したと思われるのだが、私には音量が大き過ぎ、ちょっとうるさくさえ感じてしまった。

 と重箱の隅を突くようなレポートをしてしまったが、前記したようにエンターテイメント映画としては十分に楽しめる映画である。役所広司の柴田勝家役などは勝家の特徴を見事にとらえた演技と思えるほどハマっていたし…。
 まあ、私の期待が大き過ぎた、としておきましょう。


日ロ学術シンポジウム「知られざる極東ロシア」

2013-11-14 22:43:46 | 講演・講義・フォーラム等
 いやいやとんでもないところに迷い込んでしまった! シンポジウムは完全に研究者同士の研究成果の発表の場だった。しかし「参加したからには…」の思いで懸命に研究者たちの発表に耳を傾けた。

                

 連休三日間の国際シンポジウムに参加した私は、懲りもせず翌日5日(火)に市民公開講座という形で一日日程で開催された表記シンポジウムに参加した。

 後記するように一日日程のシンポジウムで、日本とロシアの科学者の研究報告を計10本にわたって聴いたことになる。
 前回のシンポジウムと同じように全ての報告を詳しくレポートすることは、量的にも、私の力量的にも難しいので、全体の報告の印象を記してお茶を濁すことにする。

 報告は全て日本(北大)とロシアの共同研究の成果を報告するものだった。
 10本の報告のうち、実に7本がロシア人研究者の報告だったが、彼らが口々に述べていたことが、日本側の招待に対して感謝の言葉であった。このことは断言できないが、共同研究とはいってもその費用の大半は日本側が負担していたのでは、と思ってしまったのだが、はたして真相は?
 また、共同研究は早いもので1980年代から始まったようだが、広い範囲で本格的に始められたのは1990年代に入ってからということで、すでに20年以上経過している研究分野が多かった。

 共同研究の意義としては、ロシア極東における自然現象の変化は日本、特に北海道に多大な影響を及ぼすという観点から始められたようだ。
 研究はオホーツク海に注ぐ大河アムール川の水質の変化、オホーツク海を囲むカムチャッカ・千島・極東の火山活動と地震、極東陸域における自然現象etc.と多岐に及んだ。

 印象に残った報告としては、近年になってアムール川流域の開発が進み、川の水質が変化してきていて、それがオホーツク海に生息する魚類に大きな影響を与えているとのことだった。特に鉄分の含有量が減少していることが憂慮されるという。

 また、オホーツク海を囲むように火山噴火・地震が環を作るように発生している。特にカムチャッカの火山活動が活発化していて目が離せない状況であるという。火山活動の活発化は連鎖反応もおおいにあり得るので、監視体制を一層強める必要があるとした。

 さらに、極東内陸地区においてはシベリアの特徴の一つである針葉樹林地帯(タイガ)の変化が報告された。タイガは永久凍土地帯に位置しているのだが、地球温暖化の影響によって凍土が融け湿地化が進んでいるという。湿地化することでタイガ樹林帯が枯死する危険にさらされているという。

 こうした極東の一つ一つの自然現象の変化が日本にも大きな影響を及ぼすことは私が言うまでもないことである。広大な極東における調査・研究は大きな困難を伴うと想像されるが、ロシア・日本両国のために今後も研究を進め、環境の保全・維持、あるいは対策に科学者の立場から警鐘を鳴らしてほしいものである。



 ※ ここから以降は、私の受講記録のためなので目を通す必要はないとも思われます。

 受講案内にはこう記されていた。
「本学は、我が国において、極東ロシアとの自然科学分野の協力活動で最も活発に取り組んでいます。本学のこれまでの取組みをカウンターパートのロシア人研究者や国内の関連研究者も交えて紹介するとともに、今後の協力のありかた、可能性を探るシンポジウムを開催します」

【日ロ学術シンポジウム「知られざる極東ロシア」全プログラム】
◆セッション1. 海洋・地球環境分野(10:00~11:50)
 ◇「北大との協力による低温海域研究の過去、現状、そして未来」
      オレグ ソコロフ(極東海洋気象研究所副所長)
 ◇「アムール流域における最近の生態問題及び北大との研究協力の見通し」
      ボリス ボロノフ(ロシア科学アカデミー極東本部 水・生態問題研究所長)
 ◇「氷河・火山・気候相互作用研究:カムチャツカ半島における北大との長期共同研究の成果からみる古気候・火山災害的意義」
      ヤロスラフ ムラビヨフ(ロシア科学アカデミー極東支部 火山地震研究所
副所長)
 ◇「環オホーツク海地域の環境変動に関する日ロ共同研究」
      江淵 直人(北海道大学 低温科学研究所 教授)

◆セッション2 カムチャツカ、千島、極東での地震火山研究(13:00~14:20)
 ◇「火山に関する日ロ共同研究」
      エフゲニー ゴルディエフ(ロシア科学アカデミー極東支部 
火山地震研究所長)
 ◇「ロシア極東における地震観測~連邦プロジェクトと国際協力
      アレクセイ マロビチコ(ロシア科学アカデミー 地球物理調査所長)
 ◇「ロシア極東の地震火山研究~研究と防災~」
      高橋 浩晃(北海道大学 地震火山観測センター 准教授)

◆セッション3 サハ地域のおける陸域環境モニタリング(14:30~16:00)
 ◇「ロシアにおける大学システムの改革と国際協力」
      ワシリー ワシリエフ(北東連邦大学副学長)
 ◇「ロシア東シベリア永久凍土生態系の長期日ロ共同研究」
      トロフィム マキシーモフ(ロシア科学アカデミー 寒冷圏生物学研究所
           永久凍土生態系研究室長/北東連邦大学)
 ◇「サハにおける16年のフィールドワーク:共同研究とその成果」
      杉本 敦子(北海道大学 大学院地球環境科学研究院 教授)

◆パネルディスカッション(16:10~17:50)
 「極東・東シベリアにおける日ロ協力の展開のあり方~社会科学との融合や人材育成も日本の研究ハブ機能の構築に向けて~」
  ・ヴァレンチン セルギエンコ(ロシア科学アカデミー極東支部 総裁)
  ・ポリス ボロノフ(ロシア科学アカデミー 水・エコロジー問題研究所長)
  ・西村 可明(環日本海経済研究所 代表理事・所長)
  ・長野 裕子(文部科学省 科学技術・学術戦略官<国際担当>)
  ・行松 泰弘(北海道大学 創成研究機構 URAステーション長)
  ・白岩 孝行(北海道大学 低温科学研究所 准教授)
司会・田畑伸一郎(北海道大学 スラブ研究センター 教授)

韓国映画 109 チスル

2013-11-13 23:04:11 | 映画観賞・感想

 「チスル」とは、韓国チェジュ(済州)島の方言で「じゃがいも」のことだという。この映画はいわゆるメジャーではなく、独立系の映画であるが、韓国において非常に注目を集めた映画だという。それはいろんな意味で成熟しつつある韓国の一つの姿だと云えるかもしれない…。 

                
         ※ 映画「チスル」のポスターです。この場面でも兵士は右手の島民を撃つことはできなかった。

 11月4日(月・祝)、三日間にわたって開催された国際シンポジウム「越境するメディアと東アジア」の最後のプログラムとして上映されたのがこの「チスル」だった。

 「チスル」の内容は次のとおりである。
 1948年11月、済州島民たちは海岸線5㎞以外の中山間地帯にいる者は全員暴徒とみなされ、島民たちは訳もわからぬまま山の中の洞窟に逃げる。その背景となるのが済州4・3事件である。
 済州4・3事件とは、1948年4月3日、南朝鮮だけの分断・単独選挙に反対して起こった島民たちの武装蜂起に対する米軍政及び韓国の軍警の無差別な虐殺を伴う鎮圧過程で、3万人近くの無辜の島民が犠牲になった事件である。「チスル」はこの痛ましい事件を、負傷した軍人にまでジャガイモを差し出す島民の暖かさ、殺す/殺されるという恐怖やその中の葛藤を通して、モノクロで淡々と描いている。

 映画は衝撃的であるにもかかわらず、事実を淡々と描くといった手法である。殺す/殺されるというような直接的表現も控えながら、その生々しさは十分に伝わってきた。またモノクロ映画だからこその画面の美しさも特色の一つである。上映会後のディスカッションでどなたかが「水墨画のような美しさである」と表現していたが、言い得て妙と感じた。
 映画は韓国及び米軍にとって触れてほしくない過去の恥部である。しかし、韓国においてはこうした映画が制作され、さらにはそれを受け容れる土壌が国内に存在することを知らせてくれた映画だった。

         
    ※ 恐怖に怯えながら洞窟の中に逃げ込んだ島民たちです。映画はモノクロなのに、入手できた写真はなぜかカラーでした。

 済州4・3研究所所長である金昌厚さんによると、韓国内においてこの映画に対する批判はほとんど聞かれないという。また、長年「済州4・3事件」に関わってきて映像媒体による影響力の大きさを実感しているという。それまでの文字媒体による事件への訴求力に比すると比べようもないほど反響が大きく、マスコミ取材も過去最大になったそうだ。

 韓国の映画がエンターテイメント的な映画ばかりでなく、こうしたドキュメンタリー的(この映画はドキュメンタリーではない)な上質な映画が創られ、それを歓迎する多くの国民がいることを教えてくれた映画だった。


越境するメディアと東アジア 後編

2013-11-12 23:52:51 | 講演・講義・フォーラム等
 近接する日中韓の三国は政治的には難しい問題を抱えて対峙することが多い。しかし、一方では近隣だからこそ連携できることがあるのではないかと模索する層も存在する。東アジアのメディアについて語り合う今回のシンポジウムも確かにそうした試みの一つに違いない。 

          
          ※ シンポジウムの一コマとして登壇者同士が討論した様子です。

 今回のシンポジウムは日中韓の三国とはいえ、中国についてはやはり文化的にもまだまだ閉ざされている感があり中国について語られたのはごく一部であり、主として語られたのは韓国における日本のメディアの影響についてだった。
 私がこの三日間のシンポジウムでメモした量は相当な量である。それを基にレポートするとなると何日もかかってしまうことになる。ここでは三日間のシンポジウムに参加した感想を記すだけに止めたい。

 リード文でも触れたが本シンポジウムのねらいは、政治面でギクシャクする三国の関係を、メディアに関係する民間人の側から融和を図りたいという願いが込められているものと解釈した。
 その意味において本シンポジウムはそれなりに意義あることと思われるが、一方で本当の文化的融和を実現するためには高いハードルが横たわっていることも実感した。
 高いハードルとは…。
 それはやはり各国が独自に育んできた文化には、それぞれの国の民族性と、それぞれの国が歩んだ歴史がその背景にはあるということだろう。そこを乗り越え、真の文化的融和を図ることの難しさを実感したということである。

 しかし、だからといって怯んでいては何も進まない。メディアの世界においては2001年に「日韓中テレビ制作者フォーラム」という組織が日本の呼びかけで立ち上がったという。思うような交流ができているとは言い難い実状のようだが、そうしたことを一つの突破口として少しでも前進させていただきたいものだ。

 シンポジウムの最終日、中国の出版界では高名だという雑誌『新世紀』の主筆で、中山大学メディア学院長の胡舒立氏の話を聞くことができた。
 胡氏は中国内の金融界のスキャンダル報道などで大きな反響を呼んだようである。しかし、やはり政治的な報道にはかなりの制限があるような発言だった。
 胡氏の発言からは、許容される範囲内で最大限の報道を心がけているようだが、言外に現状に対する歯がゆさが伝わってきた。果たして中国言論界において自由な発言が許される日が来るのは何時のことなのだろうか?

          
          ※ 雑誌『新世紀』の主筆 胡舒立氏です。

          
          ※ 説明はなかったが、雑誌『新世紀』が報道した金融界のスキャンダルを報じた一頁だと思われます。

 面白い発言があった。
 それは日本映画と韓国映画の比較についてである。日本映画は国内のマーケットで完結できるので多分に国内向けの制作志向のようだという。
 一方、韓国映画は最初から外国のマーケットを意識して制作しているという。この違いが現在の韓国映画の隆盛を産んでいるのかもしれない、と思った。
 日本の映画も韓国、中国はもとより諸外国においても反響を呼ぶような映画づくりも必要なのではと思ったのだが…。
 ということで、明日はシンポジウムの中で放映された韓国映画『チスル』についてレポートすることにする。


越境するメディアと東アジア 前編

2013-11-11 21:55:34 | 講演・講義・フォーラム等
 11月最初の連休だった2・3・4日は表題のシンポジウムに連日参加した。かなりアカデミックな内容であり、しかも1日を除いて全日のシンポジウムだった。凄いボリュームの内容をどうレポートしようか頭を悩ませた。

                

 北大のメディア・コミュニケーション研究院の東アジアメディア研究センターという長い名前のところが主催する「国際シンポジウム東アジアメディア文化交流プロジェクト『越境するメディアと東アジア』」(これも長い!)と題するシンポジウムを一般市民にも開放した形で実施した。
 私は「道民カレッジ」の単位をたくさん取得できるという不純な動機も働き三日間の全ての日程を受講した。

 私自身の記録としても残すために、まずは全プログラムを記すことにする。

◆11月2日(土) 国際シンポジウム メディアの越境は何をもたらすか
  第1部 メディア文化フローのダイナミズム 10:00~12:00
   《研究発表》
     ・「日韓の文化越境における禁止と受容のメカニズム」金 成玟(北海道大学准教授)
    ・「越境するアニメソングの共同体」玄武岩(北海道大学准教授)
     ・「児童用テレビ番組からみる文化フローのダイナミズム」
                       平侑子・張慶在(北海道大学大学院生)
     ・「リメイクドラマから見る日韓ドラマの[社会性]」
                       芳賀恵・金周英(北海道大学大学院生)
  第2部 東アジアの越境的リージョナル放送に向けて 13:30~17:00
    《基調講演》 今野 勉(放送人の会理事長)
    《問題提起》
     ・「日中韓共通の放送コンテンツ作りに向けて」鈴木広貴(十文字学園女子大)
     ・「日中韓テレビ制作者フォーラムの課題と可能性」崔銀姫(佛教大学)
     ・「中国におけるコンテンツ産業の現在」渡邉浩平(北海道大学)
     ・「韓国におけるコンテンツ産業の現在と振興政策」白承火赤 ※(韓国コンテンツ振興院)
     ・「東アジアにおける日中韓コンテンツ流通の未来」林健嗣(前STVディレクター)

◆11月3日(日) 討論会 ポスト韓流時代と北海道
  第1部 北海道の映画文化と韓国映画 13:00~15:00
     《トーク》・中島 洋(シアターキノ代表)
          ・内田純一(北海道大学准教授)
          ・芳賀 恵(北海道大学大学院生)
  第2部 北海道のラジオとK-POP 15:30~17:30
     《トーク》・室田智美(STVラジオ放送センター編成制作部課長)       
          ・金 成玟(北海道大学准教授)

◆11月4日(月) 日中韓セミナー 東アジアで共有できること
  第1部 東アジアメディア文化交流プロジェクトの中国での取り組み 10:00~12:00
     《講演》「中国の経済成長とメディアの果たす役割」
                 胡舒立(雑誌『新世紀』主筆・中山大学傳播設計学院学院長)
  第2部 東アジアが共有するメディアと歴史の記憶    13:30~17:30
     《上映会》韓国映画『チスル』
     《講 演》金昌厚(済州4・3研究所所長)
     《討 論》玄武岩、浜井祐三子、芳賀恵

 ※ 韓国・中国の人名の一部(※印)にワープロソフトに無い文字があり、表記できていない場合があります。

 こうしてプログラムを見ただけで、そのボリュームの凄さを分かっていただけるだろうし、その内容もおおよそ把握していただけるのではないだろうか。まさに、日中韓におけるメディアについての全てを網羅したかのようであり、その研究者たちが一堂に会した感じさえしてくるシンポジウムだった。

 シンポジウムの内容についてはできるだけメモに努めたが、その一つ一つについてレポートするには私の力量が足りない。
 本ブログにおいてはシンポジウムから受けた私の感想的なものを明日のブログに記すことにする。また、日程の最後にあった韓国映画『シスル』についても別途レポートしてみたい。(乞う!ご期待 明日以降のブログに)