1月18日(土)午後、札幌大谷大学公開講座の一環として「~歴史的ピアノ「フランツ・ヴィルト」修復記念~ “アインシュタインが弾いたピアノ”お披露目レクチャーコンサート」が開講され、受講することができた。
※ 札幌大谷大学の「大谷記念ホール」の入口です。
その奇跡のストーリーをごく簡単に紹介すると…。
明治初期、ドイツで医学を学び九州大学医学部教授だった三宅速(みやけはやり)が、政府の欧米医療視察旅行でウィーンを訪れたとき(1922年)に家族の要請を受けグランドピアノ「フランツ・ヴィルト」を購入した。視察旅行の帰途、日本船にはアインシュタインが同乗していた。その彼が体調を崩し、それを三宅が診察したことが縁で、アインシュタインは福岡の三宅宅を訪問し、そこにあった「フランツ・ヴィルト」を奏でたということである。その後も三宅家とアインシュタインの交流は続いたということだ。
ピアノはその後、三宅家の末娘である富子に引き継がれ、彼女の嫁ぎ先(高岡家)である大連、そして上海へと移っていく。
やがて1944年になって高岡家は夫の実家のある札幌にピアノを伴って転居した。その高岡家の娘(三宅富子の娘)である高岡立子のピアノレッスン用に使用されるようになった。
そして大学を卒業した高岡立子は1965年札幌大谷短大の音楽科教員として赴任した。そのころを前後して「フランツ・ヴィルト」は使用に耐えないほど劣化していたようだ。
※ 奇跡のピアノ「フランツ・ヴィルト」を寄贈された高岡立子さんです。
なんとか修復したいと願った高岡立子は、修復技術においては日本でも指折りの山本宣夫氏に懇願するのだが、なかなか首を縦に振ってくれなかったという。山本は言う。「それほどピアノの劣化が酷かった」と…。
しかし、高岡立子の熱意の負けた山本は渾身の力を傾けて修復に取り掛かり修復を完了させた。高岡立子はその修復なった「フランツ・ヴィルト」を自らの大谷大学教授の退官を機に札幌大谷大学に寄贈したということなのである。
※ 修復なった「フランツ・ヴィルト」を前に修復の苦労を語る山本宣夫氏です。
その修復なった「フランツ・ヴィルト」の演奏会を一般に披露するのは今回が初めてということで、ちょっとオーバーに言うと歴史的なコンサートだったわけです。
コンサートはまず、修復師の山本宣夫氏の修復の様子を私たちに語ってくれました。山本氏は本場ウィーンの芸術史博物館専属修復師を務めるほどその腕を認められた一級の修復師です。その彼が断わりつづけたほど修復は困難を極めたようでした。
山本氏のお話から彼が相当に音楽に、古楽器に、造詣の深い方であることが伝わってきた。彼は一連の修復物語を語り終えたとき感極まって涙したほどだった。それくらい困難な仕事であり、彼にとっては誇らしい仕事だったようです。
そして講座はピアノの演奏会へと続くのですが、これがまた豪華なピアニストの布陣でした。(その様子は明日の後編で…)