田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

奇跡のピアノ 前編

2014-01-21 16:19:50 | 講演・講義・フォーラム等
 ドイツに生まれ、福岡に移り、旧満州・大連、上海と渡り、今札幌にあるという一台のピアノ…。その渡り歩く間にはあのアインシュタインも直接弾いたことがあるというピアノが札幌大谷大学にあったのです!
 

 1月18日(土)午後、札幌大谷大学公開講座の一環として「~歴史的ピアノ「フランツ・ヴィルト」修復記念~ “アインシュタインが弾いたピアノ”お披露目レクチャーコンサート」が開講され、受講することができた。

          
          ※ 札幌大谷大学の「大谷記念ホール」の入口です。

 その奇跡のストーリーをごく簡単に紹介すると…。
 明治初期、ドイツで医学を学び九州大学医学部教授だった三宅速(みやけはやり)が、政府の欧米医療視察旅行でウィーンを訪れたとき(1922年)に家族の要請を受けグランドピアノ「フランツ・ヴィルト」を購入した。視察旅行の帰途、日本船にはアインシュタインが同乗していた。その彼が体調を崩し、それを三宅が診察したことが縁で、アインシュタインは福岡の三宅宅を訪問し、そこにあった「フランツ・ヴィルト」を奏でたということである。その後も三宅家とアインシュタインの交流は続いたということだ。

 ピアノはその後、三宅家の末娘である富子に引き継がれ、彼女の嫁ぎ先(高岡家)である大連、そして上海へと移っていく。
 やがて1944年になって高岡家は夫の実家のある札幌にピアノを伴って転居した。その高岡家の娘(三宅富子の娘)である高岡立子のピアノレッスン用に使用されるようになった。
 そして大学を卒業した高岡立子は1965年札幌大谷短大の音楽科教員として赴任した。そのころを前後して「フランツ・ヴィルト」は使用に耐えないほど劣化していたようだ。

          
          ※ 奇跡のピアノ「フランツ・ヴィルト」を寄贈された高岡立子さんです。

 なんとか修復したいと願った高岡立子は、修復技術においては日本でも指折りの山本宣夫氏に懇願するのだが、なかなか首を縦に振ってくれなかったという。山本は言う。「それほどピアノの劣化が酷かった」と…。
 しかし、高岡立子の熱意の負けた山本は渾身の力を傾けて修復に取り掛かり修復を完了させた。高岡立子はその修復なった「フランツ・ヴィルト」を自らの大谷大学教授の退官を機に札幌大谷大学に寄贈したということなのである。

          
          ※ 修復なった「フランツ・ヴィルト」を前に修復の苦労を語る山本宣夫氏です。

 その修復なった「フランツ・ヴィルト」の演奏会を一般に披露するのは今回が初めてということで、ちょっとオーバーに言うと歴史的なコンサートだったわけです。
 コンサートはまず、修復師の山本宣夫氏の修復の様子を私たちに語ってくれました。山本氏は本場ウィーンの芸術史博物館専属修復師を務めるほどその腕を認められた一級の修復師です。その彼が断わりつづけたほど修復は困難を極めたようでした。
 山本氏のお話から彼が相当に音楽に、古楽器に、造詣の深い方であることが伝わってきた。彼は一連の修復物語を語り終えたとき感極まって涙したほどだった。それくらい困難な仕事であり、彼にとっては誇らしい仕事だったようです。

 そして講座はピアノの演奏会へと続くのですが、これがまた豪華なピアニストの布陣でした。(その様子は明日の後編で…)

日ハムチームドクターは語ったが…

2014-01-20 23:13:01 | 講演・講義・フォーラム等
 日本ハムファイターズのチームドクターが語るということで、スポーツ選手の障害やそれを克服した事例などについて聞くことができるのでは、と期待したのですが…。う~ん、ちょっと期待外れだったでしょうか? 

 1月17日(金)、かでる2・7において「ほっかいどう学」かでる講座の第9回目が行われ受講しました。
 今回のテーマは「スポーツと健康」と題して、日ハムのスポーツドクターを務める北海道大学病院の横田正司医師が務めました。

          

 開講前に「?」と思うことがありました。それは受付で受講料を支払い、資料を受け取ったのですが、講義を待っていると係の人からさらに一枚のペーパーが渡されました。そこには「痛み・怪我に関するウソ・ホント」というクイズ形式の質問が20項目記されていました。受け取った資料と直接の関連はなさそうなクイズでした。
 そこで私は想像を逞しくした。「ははあ~ん。先に準備したレジュメの資料だけでは90分間持たないと考えてクイズを用意したのかな?」と…。

 横田氏は徳島大学医学部出身の方で、郷土愛の強い方とお見受けしました。講義が始まると、まずは故郷自慢から始まりました。講義の前振り(つかみ)として面白く聞いていました。
 そして、いよいよ本来の講義が始まるのかな?と思っていたところ、昨秋引退した二岡選手の肘の障害についてふれた後、配布されたクイズの話になっていったのです。
 クイズそのものは、「ひざが痛くなったら動かずに休んだ方がいい」、「腰痛になったら動かずに休んだ方がいい」、「肉ばなれになったらじっと安静にして直す方がいい」などという質問に「ウソ」、「ホント」と二者択一で答えるもので興味深かったのですが…。その20問の回答をしながら、解説を医師らしく丁寧に延々と語るのです。「これは時間が大丈夫かな?」と思いながら聞いていたのですが、案の定…。

 クイズの回答・解説が終わった段階ですでに残り時間30分少々となっていました。
 いよいよ本来の資料に沿っての話となったのですが、話のペースはいっこうに上がりません。先生のお話から、私が得たことは膝の故障で例え「人工関節」を装着したとしても膝に過度な負担をかけない軽易なスポーツだと楽しむことができる。ということと、五十肩、肩こり、腰痛など体や関節の痛みには「ヒアルロン酸注射」が効果的であるといったことくらいだった。(先生は自ら、私はヒアルロン酸信者である、などと言っておられた)

 先生としては、これからファイターズの選手の障害を例にスポーツ障害について語ろうと考えたいたようでしたが、すでに予定時間をオーバーしていて、担当者の方から「講義をストップしてほしい」との要請があり、なんだか消化不良のような形で講座は終了してしまった。

          
          ※ かでる講座には毎回多くの受講者が集い開催されています。

 私は再び想像する。
 先生はこうした講演(講義)にあまり慣れていないため、相当に緊張されて事前に何度も検討した結果、クイズ形式を思いついたのではないだろうか、と…。そのために時間配分を大きく間違えてしまったのではないだろうか?
 また、テーマも「スポーツと健康」とはずいぶん漠然としたテーマです。もう少し絞ったテーマの方が話を組み立てやすいし、先生の体験談なども引き出せたような気がしました。
 まあ、私が講義する側に廻ることは考えられないことなのでいらぬ心配ではあるのだが…。

クロカン第1戦 HBCラジオ大会

2014-01-19 22:24:55 | スポーツ & スポーツ観戦
 好天のもと、白旗山の野山を1,500人の老若男女が走る、走る…。私もその中に紛れて参加したのだが…。

          
     ※ 白旗山競技場のクラブハウスです。ふだんは距離競技の選手たちが利用する施設です。

 私にとって今シーズンのクロカンスキーの第1戦(というほど格好いいものではないのですが)となる「HBCラジオ ハウス 歩くスキー大会」が今日(1月19日)白旗山競技場で開催され、参加してきました。
 参加した種目は恥ずかしながら最短の5キロの部です。こんな短い距離に出場したのは自分史上最短距離です。それだけ体力に自信もなかったし、練習もしていなかたからでした。

          
          ※ 開会式に勢ぞろいした参加者たちです。

          
 朝の天候は不安定だったのですが、競技が始まる11時頃には空が気持ち良く晴れ上がった絶好の大会日和となりました。
 確かこの大会は3度目の出場となりますが、毎回ゲストとしてオリンピック複合選手の萩原次春さんが招かれていますが、今回も明るいキャラクターそのものといった感じで私たちを激励してくれました。

          
          ※ 大会ゲストの荻原次春さんが私たちを楽しく激励してくれました。

 この大会は大会参加料が無料の上、大会に協賛するハウス食品、COOPさっぽろからたくさんの参加賞で提供されるとあって、子どもや初心者にも人気で、主催者発表で1,500人もの出場者があったということです。
 歩くスキー大会の場合、気が付くことは参加者の高齢化が目立つことです。(私もかなりの高齢に属するが)私の参加した5キロの部こそ、子どもや主婦もかなり混じっていましたが、10キロ、15キロになるとベテランの姿が目立ちます。大会プログラムによると15キロの部に81歳の方が出場していたようですが、凄いですねぇ~。

          
          ※ こうした上りがとても多い白旗山のコースです。

 さて、大会は私たち5キロ部からスタートしました。ゆっくり、ゆっくりとは思いつつも、後ろから、後ろから人がやってくると、どうしてもペースは乱されます。「辛い思いはしたくない」とスタートしたのですが、またもや辛さに耐えかね何度立ち止まったことか…。
 それでも今回はけっして無理はしないと決めていたので、3年前ほどの辛さは味わうことなく、雪の上を走る楽しさも少しは味わえたような気がします。
 山を上り、丘を下り、雪上で格闘すること40数分、なんとか無事にゴールすることができました。

          
          ※ 5キロに40数分もかかって、なんとかゴールしました。

 ゴール後には、ハウス食品とCOOPさっぽろ提供のたくさんのお土産と、これまたハウス食品提供の温かいシチューが疲れた体に浸みわたりました。

          
          ※ ハウス食品提供のシチューやホットミルクにたくさんの人が群がっています。

 朝9時に我が家を出て、地下鉄・バスを乗り継いで会場に着き、40数分間の歩くスキーの競技をして、再びバス・地下鉄を乗り継いで帰宅したのが午後1時30頃…。
 これだけの時間と労力を費やしてまで参加する価値があるの?とひやかされそうですが、これが趣味の世界なのかなあ…。
 私は来週の日曜日にも滝野公園で開催される歩くスキー大会にエントリーしているのです。

年金のハナシ

2014-01-18 20:52:38 | 講演・講義・フォーラム等
 年金生活者にとって頼りの年金制度のことについて、最近は暗い見通しばかりが語られます。いったい年金ってどうなっているの?と思いながら話を聞いたのだが…。 

            

 昨年10月から毎月1度開かれている「コープさっぽろオトナ塾」を受講しています。内容がイマイチ私の関心事から遠かったこともありレポートしていませんでしたが、今回はチョットだけ講義内容を振り返ってみたいと思います。
 「コープさっぽろオトナ塾」は「人生再設計のススメ」というテーマの下、次のような内容で開講されています。〈講義会場は北2東1のコープさっぽろ中央文化教室です〉
 ◆第1回 10/10(木)「エンディングノートの役割と書き方」
 ◆第2回 11/14(木)「今から考える遺言・相続」
 ◆第3回 12/12(木)「身近な税金あれこれ」
 ◆第4回  1/16(木)「きっと役立つ年金のハナシ」
 ◆第5回  2/13(木)「よくばりは禁物!医療保険」
 ◆第6回  3/13(木)「終の棲家とセカンドライフ」
というラインナップで、今回は第4回で年金のハナシだったのです。

 一部の資産家にとっては年金など関心外のことかもしれないが、一般庶民にとって老後の公的年金は死活問題に関わる関心事です。その年金が話題に上がる度にどうも暗い話ばかりが耳に入ってきます。曰く、年金未加入者の増加、年金支給額の減額、はては年金制度の崩壊、などということが声高に語られます。

 そこで果たして年金制度はどうなるのか、その見通しについて話していただけるものと期待して講座に参加しました。ところが…。
 本来的にこの講座は、制度が将来どうなるかとか、制度改革がどう進むか、という話よりは、現行制度の中でいかに損をせずに生活防衛できるかといったことが趣旨の講座だったようです。表現の仕方に問題があるかもしれませんが、コープ(生活協同組合)だけに基本的に主婦層を対象とした講座であるということのようです。

 したがって、公的年金制度が今までどおりに継続されることを前提として、受給資格期間の問題とか、後納制度とか、付加年金のこと、あるいは支給開始年齢を何時にするのが有利か、といった内容に終始していました。

 公的年金制度が破綻するなどという事態は考えたくもないですが、そこまではいかなくとも、支給額が徐々に、徐々に減額され、生かさず殺さずなどという事態にだけはなってほしくないと願うばかりです…。

笑いを誘った竹田津節

2014-01-17 23:34:49 | 講演・講義・フォーラム等
飾らない人柄の竹田津氏が会場を笑いに誘いながら映画「キタキツネ物語」の制作の裏側を語ってくれました。それをお聴きすると若干興醒めのところもありましたが、反面興味深く伺うこともできました。

                

 北海道エコネットワークを主宰する小川巌氏と竹田津氏は長年の気のおけない友人のようです。これまで何度も竹田津氏の講演を拝聴している私ですが、今回はそうした関係もあってか、竹田津氏はことのほかリラックスされてお話されていたように伺えた。

 竹田津氏はまず制作35周年を期してリメイクして昨年公開されたリニューアル版をあまり高く評価されていないようでした。というのも、リメイク技術の進歩によって画面はオリジナル版より鮮明にきれい仕上がったということですが、そのことによって撮影時のピントの甘さが露呈してしまっているということなのです。確かにオリジナル版では冒頭においてキタキツネのフラップが遠くの流氷の上から陸地に向かってくる印象的なシーンはピントの甘さを感じましたが、それすらも効果的に感じたのですが、リニューアル版ではそのようには受け取れないようです。        

 さて撮影時の裏話ですが…。
 出演したキツネたちは全て竹田津氏が一年以上にわたり飼い慣らしたキツネだということで、画面の中の60%以上はそのキツネたちが登場しているということです。
 そしてフラップが流氷上を渡ってくる背後に太陽が昇ってくるという印象的なシーンですが、撮影場所は雄武沖のオホーツク海だったそうです。(そこでないと流氷上に太陽が上がらない)そして、キツネが真っ直ぐに陸の方へ向かうように、キツネの歩く両側にトランジスタラジオを配置して真っ直ぐに歩いてくるように工夫したということです。(キツネの習性を利用した?)

 そして、映画の中で傷付いたり、死んだりしたキツネのことですが、やはりそこには仕掛けがありました。トラばさみに囚われた場面は、キタキツネは睡眠薬で眠らせている間に苦痛を感じないように作成したトラばさみを付け、血のりは本物と見紛うものを用意して撮影に臨んだとのことでした。爆死するシーンや銃殺されるシーンも同様で、竹田津氏としてはキツネを傷付けることは断固拒否したということです。

                  

 竹田津氏は映画を創るということは、「無い世界から、有る世界を創る」ことだと述べた。その意味するところは、アイデアを集大成することにより、いかにも実際にあったかのような世界を描き出せたということだろうか。そして「キタキツネ物語」ではその達成感を味わうことができたと述べられた。
 それだけ高いレベルで完成したからこそ、800万人もの人たちに観賞され、テレビ放映時にはなんと44.7%という非常に高い視聴率を獲得できたのだろうと思われます。
 私もそこまで創られていた映画だと知って少々興醒めする気持ちもありましたが、一方で観る者をドキュメンタリーと信じ込ませるだけ創意工夫を重ねた映画だと知って映画制作人の苦労に思いを馳せる気持ちにもなりました。

 竹田津氏は今回の講演において何かのメッセージを伝えようというよりは、竹田津ファンへのリップサービスといった感じで、肩の凝らない楽しい講演会でした。

映画 114 キタキツネ物語

2014-01-16 22:27:51 | 映画観賞・感想

 1978年に制作され観客動員230万人という大ヒットになったオリジナル版の「キタキツネ物語」を観る機会を得た。ドキュメンタリーということで大反響を呼んだ映画であるが、そこには隠された秘密もあったようだ…。

                  

 1月14日(火)夜、札幌学院大社会連携センターにおいて、北海道エコネットワークという環境に関する団体が創立22周年というなんとも区切りの悪い周年の記念事業として「竹田津実さんの講演と映画会」が開催され参加した。
 そこで本日と明日にわたってその様子をレポートすることにしますが、今回は映画編で、明日は講演編ということにします。

 映画は流氷の彼方から姿を現した男キツネのフレップがオホーツクの砂丘でレイラと出会い恋におち、カップルが成立するところから始まる。やがてカップルの間に5匹の子ギツネが誕生し、そのファミリーの一年を追いかけるという展開である。
 野生の生物たちにとって自然は厳しい…。
 懸命な子育てをする中、次々と他の生物たちが彼らを襲う。それに必死で抵抗する二匹の親ギツネ。しかし、目が見えない一匹の子ギツネはそうした生存競争から脱落し死んでいく…。
 そして自然以上に厳しいのが、彼らにとっては“人間”なのだ。
 まず、トラばさみによって子ギツネの一匹を失う。続いて子ギツネたちのために必死に餌を探していた母ギツネのレイラが餌に爆薬を仕掛けた囮をくわえてしまい爆死する。次は人間たちハンターによって子ギツネが討ち取られる。というように次々と人間の仕業によって彼らは死んでいく。
 映画はキツネの視点から人間の残酷さを映しだす。

 映画の中で子ギツネがトラばさみにかかったシーン、そして母ギツネが爆死するシーンがあるが、私は実際にはキツネたちは死んではいないと思って見ていた。それは動物監督として竹田津氏が参加していたからだ。誰よりもキタキツネを愛し、長い間観察し続けてきた原作者であり獣医師の竹田津氏が映画制作に参加していてキツネを殺すはずがないと…。
 その答えは、その後の竹田津氏の講演の中で明らかにされたので、明日レポートすることにします。

               

 映画は美しくも雄大なオホーツクの自然をバックに、キタキツネの親子の微笑ましいシーン映すが、同時にキツネたち野生生物のおかれた厳しい現実も映し出す映画だった。
 この映画が当時多くの方々から支持された理由は、ドキュメンタリータッチでありながら、キタキツネ一家の子育てや子別れなど、ストーリー仕立てになっていたところが感情移入することができ支持されたのではないか、と思ったのだが…。
 私は確か過去に一度見ていたはずだがすっかり記憶が遠ざかっていて、初めて観るようにスクリーンに釘付けになって最後まで観ることができた映画だった。


「部活」って何?

2014-01-15 23:14:15 | 講演・講義・フォーラム等
 「部活」と聞いてどのようなことをイメージするだろうか? 今年最初に受講する講座として「運動部活動」についての功罪を研究対象とする先生のお話を伺った。 

 若干時間は経ってしまったが1月9日(木)夜、札幌大学において「北方文化フォーラム」が開催され受講しました。テーマは「『部活』って何? ~運動部活動の過去・現在・未来~」と題して、一橋大学専任講師の中澤篤史氏が話された。

          
          ※ 講義をする一橋大学専任講師の中澤篤史氏です。

 中澤氏はまず日本における中高生のスポーツの現状を諸外国の実態と比較されて提示された。すると、日本は世界的に見ても学校中心のスポーツ活動が大規模で行われており、その種目も多く、その加入率も高いことを示された。つまり、日本は学校における運動部活動(以下「部活」と称します)が世界的に見ても非常に盛んな国であるということです。

 次にその歴史を見ると、学校における運動部活動の原型は学校が制度化された明治期に遡るということですが、現在の形の部活は戦後教育改革によってスポーツが「自由と自治のシンボル」として奨励されたことに始まるようです。
 その部活は1964年の東京オリンピック以前は「選手中心主義」だったものが、以後はスポーツの大衆化が叫ばれ「平等主義」がもてはやされたと中澤氏は分析します。さらに時代が進んで日本が豊かになり高校全入の時代になると生徒の非行が目立ち学校が荒れはじめたため、部活が生徒を管理する手段として活用されるという「管理主義」の時代に入ったといいます。その傾向は今に続くと中澤氏は言います。
 この分析はやや粗いようにも思われますが、一応聞き置くことにします。

 ここで中澤氏は部活の現状について次のように課題を挙げています。
 ◆学校教育にとっての「部活」の〔理念〕と〔実践〕の乖離
  〔理念〕・子どもの自由・子どもの自治・楽しいスポーツ・みんなのスポーツ・民主主義・平等主義
  〔実践〕・子どものしつけ・子どもの規律・訓練スポーツ・非行予防スポーツ・生徒指導・管理主義
 ◆教師にとって「部活」が抱える〔教育者〕なのか〔労働者〕なのかという矛盾
  〔教育者〕・自主性の教育・自治能力の育成・人間形成・生徒指導・生徒理解・教育の一環
  〔労働者〕・大きな負担・不十分な手当・超過勤務・指導力不足・職務のあいまいさ・軽減すべき労働

 中澤氏はお話の中で明言はされなかったが、現状の「部活」についてはやや否定的な見方をされていると感じられた。確かに部活の現状と課題を見ていくと、やはり整理されていない部分が多く目に付きます。
 私は学校教育に関わっていたとは言いながら小学校教師でしたし、私自身は部活を経験してはいますが小規模の中学校、高校の経験者だったので体験的にこの問題を論ずることはできません。

 私が言えるとしたら、やはり教育の〔理念〕に基づいた部活に立ち帰るべきなのだろうと思います。部活が生徒たちの人間性を育んできた部分は確かに大きいと思われますが、問題があまりにも多いように思われます。
 関係者の努力によって問題点を整理され、一日も早く〔理念〕に近づく部活を実現してもらいたいと思います。

古神札焼納祭(どんと焼き)

2014-01-14 22:27:56 | その他

 家内安全、商売繁盛、無病息災、受験合格、はては選挙当選、…etc. 人々のさまざまな願いを見護ってくれた神札や御守を神火によって焼納する祭(どんと焼き)が行われたので、私も焼納する品を持ち出かけました。

          

 今日1月14日は北海道神宮の「どんと焼き」の日であることを、いつも拙ブログにコメントをいただく出ちゃっ太氏のブログで知った。我が家にも少々焼納しなければならない品があったので、北海道神宮まで歩いて出かけました。

                    

 北海道神宮は初詣ほどの人出ではなかったものの、たくさんの人たちが手に手に焼納する品を持ち、どんと焼きが行われているところに集まっていました。
 我が家で焼納するのは、注連縄のような立派なものではなく、正月の室内飾りやまゆ玉、そして私が初詣の時に持ち帰ったお御籤などでした。

          
   ※ こうしてそれぞれに焼納品を持ち込んでいました。この方は施設の方のようで特に多かったようです。                
 
 私が神宮に着いたのは10時40分くらいだったので、すでに神主によるお祓いは終わっており、どんと焼きの火は盛んに燃え上っていました。
 円形に造られたどんと焼きの場所は直径20メートルほどでしょうか、熱風が頬を襲います。
担当の人が「自分で投げ入れてください」と指示していたので、火に近づき投げ入れようとしたのですが、熱風ために躊躇するほどでした。

          
          ※ 焼納品を火の中に投げ入れた後、このようにお祈りする姿が目立ちました。

 人々が持ち寄る焼納品とともに、担当の人たちが大量の注連縄などを投げ込みます。いったい何時集まった品なのでしょうか? さすがに札幌です、その量が違います。
 熱風の中でより良く燃やすために、消防士が着るような防熱服(っていうの?)を着込んだ人が火床を調整していました。

          
          ※ 火に近付いてより燃えやすい状態を作るためこうした防熱服を着た人がお世話していました。

 次から次へとやってくる人たちが火の中に焼納品を投げ入れ、真摯にお祈りしている姿を見て、伝統的な日本の良さを感じた私であった…。

          


懐かしい顔・顔・顔…

2014-01-13 22:39:06 | 道内の旅



 そこには懐かしい顔があった。
 叱咤激励を受けた先輩諸氏。
 共に語らい、共に切磋琢磨した同輩諸氏。
 私たちに続いてほしいと助言させてもらった後輩諸氏。
 そこには総勢70数名の懐かしい顔があった。

 “同窓”という絆で結ばれた70数名は来し方を振り返り、行く末を語った。
 今年は特別な年であり、現職を退いた私にも招きがあったのだ。
 おそらく私にとっては最後の出席機会となるであろう。
 時を惜しむように私たちは語り合った…。

 時を変えて翌12日、北見に場を移した。
 前日の集いには参加しなかった北見在住の同輩諸氏10名が集まってくれた。
 こちらは肩の凝らないプライベートな集まりである。
 学生時代、現職時代、そして今を忌憚なく語り合った。
 終始笑い声が絶えない賑やかな会だった。
 皆が皆、若々しく、それぞれの立場で生き生きと日々を過ごしているようだった。
 二次会までも続いた楽しい会は、それぞれの健康と安寧を願いつつ、何時の日かの再会を誓った。

 12日の会合の前に若い時代にお付き合いさせていただいたY氏夫妻を訪ねた。
 家族でのスキー旅行の話など、当時の思い出話に花が咲いた。
 私よりやや年長のお二人はお元気そうで、穏やかな日々を送られているようだった。

 そしてT氏である。
 彼は私より少しだけ若いのだが、素晴らしい人間性を備えた男である。
 彼と二人三脚で成し遂げられたことが数多くあった。
 彼と二人で過ぎ去りし日々の仕事を語った。
 そして彼は私の仕事を継いでくれた頼もしき後輩だった。
 今回の北見の会合もT氏のプロデュースによって実現したものだった。

 たくさんの懐かしい顔に出会い、ノスタルジーに浸りながらも、たくさんの元気をもらったオホーツクでの二日間だった…。


北へ

2014-01-12 16:39:00 | 道内の旅

 列車は、北へ向かって疾走する。
 列車は、白い雪原を疾走する。
 列車は、懐かしの彼の地へ向かって疾走する。

 Mはいま札幌から列車に乗り、北の地を目ざしていた。
 そこはMがこれまでの人生のほとんどを過ごした懐かしの地だった。

 走る列車の窓から北国の冬の景色が次々と飛び去ってゆく。
 どこまでも続く白い雪原。
 雪原の中にすくっと立つ木々は白い雪の中では黒く映る。
 そして時おり顔を見せる川の流れもまた暗い色を映している。
 それはまるで墨絵の世界を見るようだった。

 札幌から網走へ向かう1番列車、特急オホーツク1号。
 一人誰とも話すこともなく、窓から外を眺め続けていると柄にもなく詩心がうずいたようだ。
 Mは昔お世話になった先輩に、共に語らい共に励んだ同輩に、そして叱咤激励した後輩との再会のため網走に向かっていた。

 雪煙りを巻きあげつつ列車は疾走する。
 列車の窓に映る墨絵の世界は次々と新しい絵を見せてくれる。
 北海道独特のこの風景をMはとても貴重なものだと思いつつ窓外を眺め入るのだった…。


※ Mはこの後、網走にて懐かしい人たちとの再会を楽しんだ。そして今日もまた別の人たちとの出会い、今夜もこれから懐かしい出会いを楽しむことになっている。その様子については帰札した後、ゆっくりと報告したいと思っています。