田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

大殊勲!ジャパンラグビー!

2015-09-20 04:08:12 | スポーツ & スポーツ観戦
 ジャイアントキリング…、誰がこのような結果を予想しただろうか? WCラグビー第一戦で、日本代表は過去に二度の世界一となった南アフリカを最終盤に劇的な逆転勝利で飾るという奇跡を演じてくれた!
 

 それほど関心をもっていたとは言い難いWCラグビーであるが、日本の第一戦であるということ、そして実はもの好きにも私は10月3日の対サモア戦をユナイテッドシネマで行われるパブリックビューイングでの観戦を申し込んでいるため、予備知識として一応見ておこう、くらいの軽い気持ちで今朝未明の試合をTV観戦したのだ。

          
          ※ 日本ラグビー界のスーパースター五郎丸歩選手です。

 日本代表がオーストラリアをWCで準優勝に導いたジョーンズHCを招いて強化を図っていることは耳にしていた。また、日本代表とはいってもかなりの外国出身選手が占めていることも知識としてはあった。
 とは言っても、大半の選手は日本の選手なのだから、世界へ出ていくとラグビーの場合は体力的に難しいだろう、と考えていた。

 だから、今朝の試合も二度の世界チャンピオンに輝き、現在の世界ランクが第三位の南アフリカ相手では、相当な点差をつけられて敗戦するだろう、と思いながら観戦していた。
 ところが、まずは日本が誇るキッカー五郎丸選手のPKで先取点を取ったではないか!
 しかし、さすがの実力国南アフリカである。すぐさまトライをゲットし、その後は常にリードする展開だった。
 リードされながらも、前半に日本がモール状態からトライをゲットしたことが大きかった。日本が五郎丸選手のキックで何点か取ることは予想されていたが、強国南アフリカからトライを取ったということは選手の自信になったのではないだろうか。
 私も、解説者もそうだったが、前半リードされて折り返したものの、僅差の展開に大満足していた。

          
     ※ 札幌山の手高校出身で、日本代表の主将リーチマイケル選手です。すでに日本国籍を取得しているそうです。

 後半に入っても日本代表は元気だった。
 五郎丸選手のキックが好調で、リードされる展開ながらも、何度か追いつくという試合展開だった。
 強国南アフリカも前半はPKを得ても、トライを狙いに行っていたのだが、後半の試合終盤になると、そんな余裕もなくPKで得た3点で逃げ切りを図るという、余裕のなさを見せていた。

 そうした中、日本は素晴らしい善戦だった…、で終わるのかと思いきや、なあ~んと最終盤に見事のトライをゲットして奇跡のよう逆転劇を演じてみせてくれた!
 私は20日未明の部屋の中で一人奇声を発し、両手を激しく打ち鳴らして日本の勝利に酔ったのだった。

 ジョーンズHCが、今WCにおいて「ベストエイトを狙いに行く」と言っていることもあながち夢ではなくなってきたようにも思う。
 これは俄然面白くなってきたぞ! 10月3日のパブリックビューイングの観戦希望が叶えられるといいのだが…。

 ※ 予定になかった投稿だが、興奮してしまって、20日未明に書き綴った私だった…。

雑がみ再資源化工程見学会 2

2015-09-19 21:41:41 | 環境 & 自然 & 観察会
日本製紙北海道工場 

 広い敷地に、数々の工場群が立ち並ぶ日本製紙北海道工場だった。古紙問屋が集めた雑がみなどの古紙が、本州製紙の「パルプ製造工程」、「新聞用紙製造工程」を経て、新聞用紙に生まれ変わるところを見学した。とはいっても、大きな機械群を見て回るだけだったのだが…。 

 苫小牧の東方、勇払原野に建設された日本製紙苫小牧工場は広~い敷地の中にさまざまな工場群が林立していた。その敷地の面積は札幌ドーム100個分とか…。見学前のガイダンスで説明された方が、ちょっぴり得意そうに「敷地内にはプライベートのゴルフ場もあるんですよ」と語っていた。

          
          ※ 日本製紙北海道工場の全景です。写真上部に原料の木材パルプ運搬船が横付けされる
           専用の埠頭が見えます。その下部の濃い緑の横辺りが社員自慢(?)のゴルフ場かな?
 
 私たちがガイダンスを受けたところは、工場の敷地の東端に立つ「銀環館(ぎんわかん)」という会社の歓迎ホールのような建物で、実際の見学は、またバスに乗って移動するほど敷地は広く、新聞用紙を製造する工場そのものは離れたところに建っていた。
 バスに乗って移動する間、素人にはまったくわけのわからないパイプや機器が剥き出しのようなところを通ったが、私たちが実際に見学した「パルプ製造工程」、「新聞用紙製造工程」の工場は整然とした建物の中にあった。

            
            ※ 歓迎ホール「銀環館」でガイダンスを受ける参加者たちです。

            
            ※ 新聞用紙製造工場まで移動するバスの中から迫力のある工場の一部を写しましたが、写真が斜めですね。

 さてここで、ガイダンスで説明を受けた「古紙(雑がみ)が新聞用紙に生まれ変わる」までを簡単におさらいすることにする。
 【古紙】は〔離解(りかい)〕工程によってドロドロに溶かされ、〔除塵(じょじん〕工程で不純物を取り除き、〔脱インク〕工程により脱色し、さらに〔漂白〕工程を経てDIPという新聞用紙の原料となるパルプが完成する。
 従来の木材からパルプを作るのも基本的には同じ工程と解するが、おそらく古紙の場合よりは工程を省略できるところがあるものと思われる。

            
            ※ パルプ製造工程、新聞用紙製造工程のマシンが入っている工場の外観です。

 そうしてできたパルプ(DIP)を紙に製品化するのが「抄紙機(しょうしき)」というマシンである。その仕組みについても簡単に説明があったが、素人にはブラックボックスのようなものである。

            
            ※ 私たちのように抄紙機の横を通りながら見学する子どもたちですね。

            
 この二つの工程を実際に見たのだが、現代の工場見学はどこでもそうであるが、ただ巨大な機械を眺めるだけであった。唯一我が目で確かめられたのは、水分を含んだ紙がローラーの間を廻りながら乾燥する工程と、最後の製品が出来上がって巻き取られる工程だけだった。
 全てがオートメーション化された工場内には機械の機器を監視する社員をたまあに見かける程度だった。
 それより、私たち見学者のための説明、対応のために10名を超える社員の方が待っていてくれたのに驚いたほどだった。

            
            ※ 抄紙機から出来上がった紙が巻き取られているところです。紙の白さから新聞紙ではないようです。

 日本製紙北海道工場の抄紙機は古紙から生成されたパルプ100パーセントで新聞紙を作ることが可能なマシンだということだったが、現在は雑がみのパルプ95、木材パルプ5の割合で新聞紙を製造しているとのことだった。
 また、北海道工場では毎月660トンの古紙を原料として使用しているとのことだった。

            
            ※ 海外から運ばれてきた原料の木材チップが山積みされているところです。

 新聞紙がリサイクル紙によって製造されていることは薄々理解していたが、ほぼ100パーセント古紙に頼っているという現状をお聞きし、その技術レベルの高さに驚くとともに、古新聞紙、雑がみの回収にこれまで以上に協力しなくてはいけない、と悟らされた今回の工場見学だった。(続きは明日へ)

※ なお、工場内の写真撮影はNGとのお達しから、今回投稿ではウェブ上から一部写真を拝借した。

雑がみ再資源化工程見学会 1

2015-09-18 22:28:43 | 環境 & 自然 & 観察会
 “やはり人手しかないのか”…。そんな思いをしながら見学した雑がみの選別作業の見学だった。今日、私は札幌市などが主催した「雑がみ再資源化工程見学会」というなんとも味気なくも正確な名称を付けた見学会に参加した。 

 何にでも興味を示す私の本領発揮(?)である。
 見学会の趣旨を深く理解しないまま、札幌市の広報に掲載されていたタイトルのような見学会への参加を申し込んだところ、幸いにも参加を許可され、その見学会が本日あり、参加してきた。

            
            ※ 朝8時、参加者75名が2台のバスに分乗して、札幌市役所前を出発です。

 主催は、札幌市製紙原料事業協同組合と、札幌市(ごみ減量推進課)の共催という形だった。参加を許されたものは全部で75名、その内訳は私たちのような仕事を持たないシニア層と主婦層がほとんどであった。
 見学先は、初めに市内にある(株)マテックという古紙問屋、そして苫小牧市勇払にある日本製紙(株)北海道工場、最後に札幌に戻って北海道新聞総合印刷本社工場という順での見学だった。
 全てを見終えて、見学会の趣旨は古紙や雑紙が集められ、新聞紙として再生され、再び活用されるという一連の流れを実地に見学することによって、市民からの古紙や雑がみの回収率を向上させたいというところにあったようである。

 朝8時から始まり丸一日を要した見学会の様子・感想を少し丁寧に見学先別にレポートしてみたい。

マテックプラザ(古紙問屋) 

 マテックプラザは白石区の一画に広い敷地を占めてあった。
 ここは、市内各所で収集された古紙や雑がみを集積し、梱包するところである。
 倉庫のような大きな建物の中でその作業は行われていた。
 私たちが見ることができたのは、家庭から送られてきたビニール袋に入った雑がみを、袋から取り除いているところだった。3人の若い作業員たちは黙々とビニール袋を破り、不純物が入っていないかどうかチェックしているところだった。
 「ふ~ん、やはり人手しかないのだなぁ…」というのが率直な感想だった。

            
            ※ 写真のように作業員たちは袋に入った雑がみを取り出していました。

 次に、雑がみは大きな塊として梱包するため、ベルトコンベアーに載せられる。ここでさらに二人の作業員が不純物のチェックを目視で行っていた。現在は、紙として再生できる雑がみと、紙に再生できない科学紙とか、コーティングされた紙が多いため、選別作業も大変なようである。
 そうして一辺が2m大の立方体として梱包されていた。

            
            ※ こちらは、ベルトコンベアで運ばれる雑がみから不純物を取り除いています。

            
            ※ そして製紙工場に送るために梱包された雑がみの塊です。

 担当者は、雑がみに含まれてくる不純物(実に様々なものがあるようだ。実物も見せられた)が、いかに作業効率を落とすかを説き、市民への協力を求めた。
 見学はこれだけだったが、後ほど関係者に聞くと「札幌市製紙原料事業協同組合」に加盟する会社は12社ということだった。このことから、紙のリサイクル事業がかなり盛んになっていることを実感させられた。

            
            ※ 雑がみの中に紛れ込んてた不純物を並べているところです。

 人手をこれだけ要するということは、コストもかかることに繋がる。それでも採算が取れるということは、紙の原料である木材の高騰化、さらにはリサイクル思想の広がりによって世の中のシステムが変わってきたということだろう。
 歓迎すべき変化だと思われるが、単純作業とも思える作業の部分の効率化、機械化は無理なのかなぁ…。

            
            ※ 敷地内には会社のロゴが描かれた収集車が停まっていました。 

 ちなみに「マテック」という会社名は、「MATEC」と表示するが、「MATERIAL(資源)」と「CREATION(創造)」を組み合わせた造語であるという。本社は帯広市にあり、かなり手広くリサイクル事業を展開しているようである。

 そんな感想を抱きながら、次の日本製紙北海道工場に向かった。(明日に続く)


池の中は過激な世界

2015-09-17 21:30:35 | 大学公開講座
 山間の水たまりのような池の中では壮絶な生存競争が繰り広げられているという。まさに食うか、食われるかの過激な世界だそうだ。エゾサンショウウオやエゾアカガエルなどの両生類の壮絶だが、聴く者にとっては興味深い話を聞いた。 

 北大公開講座「北海道の野生生物:自然史と環境変化への応答」の第5講が9月16日(水)夜、地球環境科学院にあった。
 この回のテーマはタイトルのように「池の中は過激な世界 ~両生類のドラマチックな生き様を知る~ 」と題して北方生物圏フィールド科学センターの岸田治准教授が講師を担当した。
 今回の講座は提示される写真も、図解もとても分かりやすく、本シリーズでも最も楽しく受講することができた。

            
            ※ 講師が講義室に持ち込んだエゾサンショウウオの成体です。

 まずエゾサンショウウオだが、産卵した卵が高密度の環境の場合、孵化してから猛烈な共食いが始まるという。他より成長の早い幼生は、他の幼生を餌として非常に大きく成長することが実験で確かめられたそうだ。
 さらに、大きく成長できなかった餌となり得るようなサンショウウオは頭部にコブのようなものが発達し、飲みこまれないように形質が変化することも確かめられたそうだ。

 さらに実験では、エゾサンショウウオの幼生を、単独で飼育した場合と、複数で飼育した場合を比較したという。すると、単独の場合より、複数で飼育した方が早く成長するという結果が出たそうだ。このことは、複数で飼育される場合は、共食いのときの勝者となるためにもいち早く成長しようとするホルモンが働くためではないか、と講師の岸田氏は推測した。

            
            ※ こちらはエゾサンショウウオの幼生です。

 次にエゾアカガエルについてだが、エゾアカガエルもエゾサンショウウオと同じ池で産卵されるが、通常エゾアカガエルの方が1~4週間早く孵化するという。孵化が早ければ、それだけ成長も早く、エゾサンショウウオの餌ともなりにくいということだ。
 これが孵化する時期にそれほどの違いがない場合は、エゾアカガエルの幼生はエゾサンショウウオに丸呑みされるということだ。それを阻止しようと、エゾアカガエルの頭部が
呑みこまれないようにと、通常より丸く大きく成長することも確かめられているという。

            
            ※ エゾアカガエルの成体です。意外に小型のカエルでした。

 この他にもさまざまな実験から確かめられたことをお聞きしたが、ここでは割愛する。
 上記の中で、エゾサンショウウオの餌となる小さなエゾサンショウウオやエゾアカガエルがただ手をこまねいているだけではなく、環境に逞しく対応して、頭にコブを作ったり、頭部を大きく成長させたりと形質を変化させることで生き残りを図っているという面白い事実をお聞きすることができた。

 このお話を聞きながら、エゾサンショウウオやエゾアカガエルだけではなく、自然界の生き物は、種が生き残るために環境に逞しく適応しながら種の保存を図っているのだということを再確認した思いである。

めだかの学校 給食会

2015-09-16 22:16:36 | その他
 めだかの学校の「給食会」に誘われ始めてからすでに1年以上が経過した。給食会とはいうものの、実態は飲み会なのだが、これが実に興味深い。先日の給食会は特にめだかの学校が目指しているものの一端を伺えたように思われた。 

 めだかの学校は平均して月に2回の市民向け講座を開催している。その内訳は映画鑑賞だったり、施設見学だったり、企画委員が計画するさまざまな講座である。
 その月2回開催する1回の講座の後に必ず「給食会」が設けられている。つまりめだかの学校では毎月飲み会が行われているということなのだ。私はその「給食会」にかなりの密度で参加させてもらっている。

 「給食会」での歓談の内容は他愛ない話がほとんどであるが、そうした中からときどき秀逸な企画が生まれることがあるという。
 私も別な機会で経験があるが、適度な酔いが心の垣根を低くし、思わぬアイデアが飛び出し、それが好企画に繋がることが多い。まさに「歴史は夜に創られる」のである。

              

 さて、先日の14日(月)の給食会である。私はたまたま「めだかの学校」を運営する会の、会長と事務局長、そしてベテランの方の席の近くに座った。
 すると話題は「道民カレッジ」のことに話が及んだ。実は「めだかの学校」を運営している方々は、道民カレッジでの学びを通して知り合った方々だという。彼らは道民カレッジの単位を2千単位、3千単位と取得している猛者ばかりのようだった。ちなみに私はまだ500単位強しか取得していない。

 そんな中、道民カレッジで学んだ成果を生かすシステムがないのではないか、ということが会長、事務局長、あるいはベテランの間での話題となっていた。確かに2千単位も、3千単位も取得した方にとっては、それを生かしたいという思いが生れてくるのも分かる気がした。私のように学び始めたばかりの者にとっては、「自らの雑学が深まればいいや」的な思いしか抱いてはいなかったのだが…。

 めだかの学校を運営している方々は、道民カレッジの運営に、学ぶ側として関わっているということが話の中からうかがえた。
 道民カレッジそのものは、北海道、あるいは北海道教育委員会が主管しているものと解されるが、その運営主体である(公財)北海道生涯学習協会に対して、彼らは意見や希望を述べることができる方々のようなのだ。(私の解釈が違っている場合も考えられるが…)

 私は全く外部から、特にリタイアした方々の生涯学習機会を提供してくれる「道民カレッジ」として、有り難がっているところがあった。しかし、意識の高い方々はその一歩先を見据えているということが、今回の「給食会」で初めて知ることができた。

 今後、ますますリタイア組が増えてきて、そうした方々の生涯学習に対する欲求も高まってくると考えられる。その受け皿としての「道民カレッジ」の学びのシステムが、より学習者にとって励みとなるようなシステムが整備されていることを願いたい。
 そして、「めだかの学校」を運営されている方々が、より良い「道民カレッジ」のシステム構築のために寄与されることを期待したいと思った「給食会」だった。

映画 140 馬喰一代

2015-09-15 21:35:10 | 映画観賞・感想

 私はすでにこの映画を観ていると思っていた。しかし、映画「馬喰一代」は二度にわたって映画化されている。私が観たと思っていたのは主演が三船連太郎(1963年制作)の作品だった。今回は主演が三船敏郎(1951年制作)の作品だった。

               

 9月14日(月)午後、「めだかの学校」の9月例会として「映画の中の北海道~昭和編」が行われた。今回取り上げられた映画はタイトル名の「馬喰一代」だった。

 映画「馬喰一代」は、作家で、日本ユースホステル協会を起ち上げ、初代会長も務めた中山正男の自伝的小説を映画化したものである。
 舞台は昭和初期、北見地方で馬喰を生業とする家庭に生まれた中山正男(大平)の父親(片山米太郎)を描いたものである。
 荒くれ男で、無茶苦茶な生活を送る米太郎だが、大平が成長し、大平の地元を離れて進学したいという希望を叶えようと、米太郎らしい愛情の示し方で大平の夢を実現させるというストーリーである。

 私が以前観た三国連太郎主演の方では、役作りにこだわり、怪優とも称される三国の異様な荒くれぶりだけが印象に残った映画だった。
 今回の主演の三船敏郎は、世界的名声を得た三船だが、どちらかというと不器用で、口の悪い人に言わせると大根役者とまで呼ぶ人もいたようだ。三船の映画でも昭和初期のどうしようもない荒くれぶりを演じているのだが、どこかに人間味を感じさせる米太郎を演じていたように私には感じられた。

                   

 中山の生まれ故郷の北見(正式には佐呂間町)地方は、私も人生の大半を過ごした地である。
 昭和初期と、昭和20年代と違いはあれ、私の記憶にある当時の農家も主役は農耕馬であった。父親の実家も、母親の実家も農家だったので、馬は身近な存在であった。特に母方の祖父は曲がりなりにも馬喰のようなこともやっていたと聞いた。
 そうしたこともあり、かなりデフォルメされた当時の庶民の姿だったが、私にはある種の親近感を抱きながら観ることができた映画だった。


サケが生れた川に帰る謎

2015-09-14 23:28:58 | 大学公開講座
 タイトル名は非常に興味深かったのだが…。いかんせん講義内容が私にとっては難しすぎた。講義内容を理解するためには、相当の科学的知識を要する講義のように思えた…。 

 北大公開講座「北海道の野生生物:自然史と環境変化への応答」の第4講が9月9日(水)夜、地球環境科学院にあった。
 この回のテーマはタイトルのように「サケが生れた川に帰る謎」と題して北方生物圏フィールド科学センターの上田宏特任教授が講師を担当した。

                  

 上田氏はテーマについて、三つの観点からの最新の研究成果について論じた。
 その三つの観点とは、(1)動物行動学的研究、(2)神経内分泌学的研究、(3)感覚神経生理学解析、の観点からだった。
 (1)動物行動学的研究についてはまだ付いていけたが、(2)、(3)になるともう上田氏の言っていることがちんぷんかんぷんだった。したがって、ここでは(1)を中心として、概論的な内容になることをお断りしておく。

 まずサケの〔動物行動学的研究〕であるが、研究の世界も日進月歩のようである。シロザケの行動を解明するのにデーターロガー(遊泳速度・水深・水温が記録できる装置)をサケの背に取り付けて大西洋を遊泳させたそうだ。私はまだ登山などに用いるGPSロガーも使えないというのに、サケの方はデーターロガーを背負っているという…。
 その結果、あるシロザケの個体はベーリング海から北海道沿岸まで2,760Kmを67日間かけて泳いだことが分かったそうだ。そして、そのサケは北洋を北海道に向かって迷わずに回帰していることも判明した。

 ただ、大洋上におけるサケの細かな行動を追跡することはまだ難しいため、洞爺湖の中で棲息するヒメマスとサクラマスが母川に回帰する行動を、さまざまな感覚機能を妨害する手法を用いて追跡したそうである。そのことから、サクラマスは視覚と嗅覚を用いて、ヒメマスは視覚を用いて母川へ回帰していると考えられると結論付けたそうだ。
 従来は、サケは磁気感覚が発達しているのではないか、との推論もあったが、どうやらこの実験ではそのことは確かめられなかったようである。

 続いて、〔神経内分泌学的研究〕であるが、サケの稚魚が降河回遊(川から海へ出ていくこと)のとき、母川を記銘するのは、脳から分泌され甲状腺系ホルモン、下垂体から分泌される甲状腺刺激ホルモン、甲状腺から分泌される甲状腺ホルモンが重要な役目をしていると考えられている。このような話を聞いただけで、私の脳は激しく拒否反応を示した。
 この後、上田氏がそうしたホルモンが回遊中にどう作用し、どのような働きをしてサケを母川に導くのかというメカニズムについて細かく説明してくれたが、私にはまったく理解不能な話だった。(う~む無念!)
 とても荒っぽい結論として、上記したようなホルモンの分泌動態が海へ出るとき、回遊して母川に近づいたときに激しく変化することから、そうしたホルモンがさまざまに作用しているらしいということが現在考えられているということだった。

 最後に〔感覚的神経生理学解析〕だが、サケは河川固有のニオイを識別して母川に回帰すると古くから言われてきたが、このことを確かめる研究である。
 これまでの研究で、サケが低濃度から感知できるニオイ成分はアミノ酸だそうである。このアミノ酸の組成や濃度を分析したところ、河川ごとに違う結果が出たということだ。
 このことからアミノ酸が母川回帰に重要な役割を果たしているらしいと結論付けられているようだ。

 まだまだ解明すべき点は多いようだが、「サケが生れた川に帰る謎」についてかなり研究が進んでいることをぼんやりとではあるが理解することができた。

保坂正康講演会

2015-09-13 22:55:12 | 講演・講義・フォーラム等
 評論家の保坂正康氏は、左寄りと言われたり、あるいはネトウヨと称される人たちからは国賊呼ばわりされたりすることもあると聞くが、果たしてそうなのか? 保坂氏は人一倍日本の国を愛するからこそ、警鐘を鳴らし続けているのではないか、そう思えた講演会だった。 

            

 保坂氏の講演会の感想をブログに投稿するかどうか、ずいぶんと逡巡した。というのも、私は常々公言していることだが、拙ブログにおいては努めて政治的な話題を取り上げたり、発言したりすることは控えようと努めてきたからだ。
 保坂氏の場合は、リード文でも触れたように保坂氏の名前を出しただけで政治的な話題と受け取られかねないと思ったのである。

 そうした逡巡もあり、時間が経ってしまったが、やはり自分が聞いた講演・講座の記録は残すべしとの判断から、本日ようやく投稿する決断をしたのだ。ただし、私の感想などは極力控えて、保坂氏が述べたことを出来るだけ正確に記すことにしたい。
 講演会は9月3日(木)午後、(公財)「秋山記念生命科学振興財団」の特別講演会として開催された。講演題は「戦後70年を考える ~歴史的視点での考察」と題して80分間にわたる講演だった。

 保坂氏はまず、「戦後70年」という意味について、70年という時間は「同時代史」から「歴史」への移行を意味していると説いた。このことは、戦争を肌身で知っている世代が少なくなり、遺された文書や記録から太平洋戦争を語る時代になっていく、ということを指したものと受け止めた。
 
 そうした時代に移行していくからこそ、保坂氏は思想的立場や政治的信条を抜きして、当時の政治、軍事指導者が誤った次の3点については語り継いでいかねばならないとした。
その3点とは、
 (1)軍事が政治をコントロールしたこと。
 (2)特攻作戦、玉砕を国家のシステムとして採用したこと。
 (3)捕虜に関する条約を無視したこと。
と指摘した。この3点は、諸外国は用いなかったことだという。例えばヒトラーにしても、スターリンにしても、基本的には政治家であり、軍人ではなかった。しかし、日本においては軍が政治をコントロールし、ついには形の上でも軍が政治を司る形となったのは周知の事実である。

            

 保坂氏は上記3点を核にして多方面から論じたが、それを再現する力量は私にはない。
 一つだけ印象的な言説があった。
 それは「戦間期の思想」という言葉だった。戦間期とは、いわゆる戦争と戦争の間の期間のことだ。この「戦間期の思想」というのは、負けた側にとっては「復讐」の念に駆られる期間だという。第一次世界大戦に敗戦したドイツ、日露戦争で負けたロシア、いずれもが復讐の念に燃えて、ドイツは再び戦争を起こしたし、ロシアは終戦間際に日本に宣戦布告をして領土を取り返すこととなった。
 ところが、日本はこの70年の間、一度も「戦間期の思想」を持たなかったという。しかし、現在の日本は諸外国から「戦間期の思想」を持ったのではと疑念を抱かれている、と保坂氏は述べた。

 保坂氏の語り口が非常に抑制的であったことが印象的だった。しかし、氏の危機感は大きいようだ…。

藻岩山全コースひと筆書き縦走

2015-09-12 23:24:27 | 北海道低山紀行 & Other
 …をしたという話ではない。「したいなぁ…」ということなのだ。息子から提案のあった登山をどこの山にしようか、と思案していたところ、思わぬ情報をキャッチし、「これこそ名案!」と思ったのだが…。 

 ちょっと日記帳のようなブログになってしまうのだが、今日は我が孫の通う保育園の運動会があった。聴きたい講演、講座が重なっていたのだが、ここは好々爺(?)になって運動会に駆け付けた。
 思っていた以上に孫が成長している姿を見ることができ嬉しいひと時だった。

 運動会が終わり、息子の家の庭で、嫁さんの親も交えてのバーベキューとなった。
 孫の成長を肴にして、あれこれと語り、食べ、飲む、楽しいひと時だった。
 そうした中で、孫が保育園の行事で近々“藻岩山”に登ることが分かった。
 その話を聞いて“閃く”ものがあった。

 ふだん山登りを趣味としていない息子は“藻岩山”も未体験である。これは親子の、そして爺孫の、共通の話題を創る上でも23日(祝)の親子登山(?)は藻岩山しかないだろう、と…。
 しかし、単純に藻岩山を登るのでは体力のある息子にしても、体力のない爺やにしても少し物足りない。
 そこで考えたのが、藻岩山にある五つの登山口を経由して登った、というネット情報が
記憶の中にあった。五つの登山口を全て経由する?さてどのように登ると良いのだろうか?ということを宿題にして帰宅した。

       
       ※ sakagさんの「藻岩山全コースひと筆書き縦走」の記録です。(HPから拝借)

 帰宅してネット上で先達の記録をいろいろと検索しているうちに、なんと函館の超人おじさんことsakagさんの記録を探し当てたのだ。そのタイトル名が「藻岩山全コースひと筆書き縦走」という記事だった。
 記録ではスキー場コース(登り) ⇒ 山頂 ⇒ 旭山公園コース(下り) ⇒ 慈啓会病院コース(登り) ⇒ 小林峠コース(下り) ⇒ 北の沢コース(登り )⇒ 山頂 ⇒ スキー場コース(下り)という経路で、文字どおり一筆書を完成している。
 記録によると、Sakagさんは昨年このコース(距離の総計21キロ)を6時間30分で完成している。ということは私の場合、2割増しと考えて7時間4~50分はみなければならない。う~ん、これはかなり厳しいなあ、という感じである。

 この記事を書いているうちに不安になってきた。こうなると、藻岩山も物足りないどころか、行動時間だけを比較すると昨年の羊蹄山に匹敵するではないか!
 さあ、どうしよう??? ちょっと尻込みをしはじめた私である。(なんとも締まらない投稿になってしまった…)

面白い!セブンイレブンくつろげマス席

2015-09-11 17:23:39 | スポーツ & スポーツ観戦
 オヤジたちの“喝!”も虚しく完膚なきまで打ちのめされたソフトバンク三連戦だった…。こうなったらファイターズファンとして考えるのは、栗山監督がCSシリーズを睨んで壮大な戦略上の戦いを仕掛けたのではないか?と信じたいのだが…。それにしても「セブンイレブンくつろげマス席」は面白く、笑える席だった。 

 いや~、まいりましたねぇ。大谷投手があそこまで打ちまれるとは…。前回の対ソフトバンク戦でも叩かれていたので,今回こそはリベンジを果たしてくれるものと信じていたのですが…。
 私たちの席が沸いたのは、2点リードされた5回裏に中島選手が放った2点タイムリーで同点にした瞬間だけだった。せっかく追いついたものの、その裏6回表に打率2割1分と低迷する二宮選手に2点タイムリーを献上する姿に好調時とはほど遠い大谷投手を観た思いだった。

          
          ※ 日ハムの若きエース大谷の快投に期待したのだが…。

 くつろげマス席は、二宮選手の一打ですっかり白けきったようだった。一人、二人と席を離れ、ドーム内を散策し始めるオヤジが出てきた。
 その「セブンイレブンくつろげマス席」だが、席は一塁内野席の最上階近くに10のボックスが設置されていた。そこは周りの座席をかなり犠牲にして作られていた。
 席の広さは畳三畳分、そこに期待どおりの丸いちゃぶ台と、小座布団が5枚が用意されていた。スペシャルなサービスとして双眼鏡が2台、持ち去られないように工夫されて置かれていた。

          
          ※ 写真のように最上階近くに「セブンイレブンくつろげマス席」が10ボックス設置されていました。

          
          ※ 「セブンイレブンくつろげマス席」の内部です。ゴミ箱の中双眼鏡がありました。

 畳三畳とはいってもばかにできない広さである。全員がそうするのは無理かもしれないが、大人が横になって観戦することも可能な広さでなのだ。
 私たちはさっそく買い求めてきた弁当や総菜をちゃぶ台に並べ、ビールを取り寄せ、試合前から盛り上がっていた。「今日こそは、大谷がソフトバンクを握り潰してくれるはず」と…。あゝ、それなのに…。

          
          ※ 早速宴会開始です。ちゃぶ台には載りきらない弁当、総菜がまだまだ…。          

 時間は前後するが、今回の企画担当である私は参加するオヤジたちにある宿題を課していた。(こうしたことを考えるのが好きな私をきっと仲間たちは煙たがっているのでは?)
 その宿題とは、「ウェブ上からファイターズのディープな情報を探してくること」というものだった。

          
          この日は、陽選手の故郷、台湾から大挙して応援団がかけつけ大盛り上がりでした。

 H氏は、選手の年俸についてさまざまな角度から調べたものを提示してくれた。それによると、ファイターズの年俸総額は12球団中11位。対するソフトバンクは第1位で、ファイターズの2倍近くだということが分かった。(それだもかなわないわなぁ…)その他、H氏の分析では、選手は30歳代になると年俸が飛躍的に増えているそうだ。このことは30歳になっても残っている選手はレギュラーなど主力級に限られてしまうという現実だろうと思われる。

          
          ※ せっかくの大応援団の前で1安打こそ放ったものの4三振と大ブレーキ。
           応援団も残念だったろうが、陽選手が一番残念だっただろう。  

 S氏は、球団の歴史を調べてきてくれた。それによると、日本ハムは、「セネターズ」(1946)、「東急フライヤーズ」(1947)、「急映フライヤーズ」(1948)、「東急フライヤーズ」(1949~1953)、「東映フライヤーズ」(1954~1972)、「日拓ホームフライヤーズ」(1973)、「日本ハムファイターズ」(1974~2003)、「北海道日本ハムファイターズ」(2004~現在)となるそうだ。ずいぶん変遷を重ねながら今に至ったことが分かる。私の記憶が明らかなのは「東映フライヤーズ」の頃からだが、その前には年毎に経営主体が変わるという苦難の時代があったようである。

          
          ※ オーロラビジョンが大きくなっことで各選手の細かなデータが提示されるようになりました。
           画面は中島選手のデータですが、OPSとか、BBIPなど見慣れぬデータが…。

 もう一人のH氏は、宿題を忘れたということで、バケツをもって室外に立たされるところだったが、仲間の温情でなんとか免れることができた。

 肝心の私であるが、ネットサーフィンをあまりしない私はおざなりな検索で「ファイターズ 裏話」というページから「ファイターズファンあるある30」という話題を提供した。
 ファイターズファンなら「あるある!」といった話題である。例えば、「今のファイターズがあるのは新庄のおかげだ」、「栗山監督の涙にもらい泣きする」、「今でも稲葉のことが好き」、「ドラフトで競合しても自信あり」、「大谷のメジャー挑戦を考えると切なくなる」などなど…。「うん、言えてるね」という話題が数多く並んでいて興味深かったので話題として提供をした。

          
          ※ 試合に興ざめした私は、大して意味もなくドームの天井を撮ったりしていました。

 といったようなことを肴にしながら、試合開始を待ったのだが、すでにご存じのとおり、大谷の登板も虚しソフトバンクに3対7といいようにやられて3連敗を喫してしまった。
 あまりの不甲斐ない敗戦に、「これではCSで戦っても相手にならないわ」と考えつつ、別な考えも頭をもたげてきたのだった。
 それは、栗山監督はきっとソフトバンクに対して壮大な戦略を仕掛けてこの三連戦に臨んだのではないかと…。つまり「死んだふり作戦」である。ソフトバンクに早々にシーズン優勝を決めてもらって、ソフトバンクナインに「ファイターズは相手ではない」と油断させておいて、爪を研き決戦に臨むという戦略を描いたのではないかと…。そんなことないか?! でもそうでも考えないといたたまれない思いにもなる三連戦だった。

          
          ※ 私たちの席からグラントを見たところ。グランドを俯瞰することはできますが、細かなプレーはちょっと…。

 「セブンイレブンくつろげマス席」は、面白く、笑える席だったが、我々シニア年代には、長い時間座っての観戦は下半身に負担を及ぼす観戦スタイルでもある。見終わったときにはかなり足腰に痛みを感じてしまったのも事実である。そのあたりの対処法を考えて観戦すると、仲間内とか、家族とかで、ワイワイと楽しみながら観戦できる絶好の席なのでは、と思った。