ある意味で理想的(?)とも思える「世界連邦」という考え方がなぜ広まらなかったのか? 関係者の話を聞きながら、そのことを考え続けてみたのだが…。
「世界連邦」という考え方がなぜ起こったというと、1648年に締結された近代国際法の元祖ともなったウェストファリア条約の存在があるという。
そのウェストファリア条約には二つの原則が存在する。それは、〔国家主権絶対〕と〔内政不干渉〕という二つの原則であり、その原則が今の国際連合(国連)においてもその土台となっているという。
ウェストファリア条約を土台とした国連(1945年成立)では戦争抑止力が低いと判断した世界の文化人や科学者たちが1946年、拙ブログの前号でも触れたように「モントルー宣言」を明示して世界連邦運動をスタートさせた。この運動には、バートランド・ラッセル、アルベルト・アインシュタイン、アルベルト・シュバイツァー、ウィンストン・チャーチル、湯川秀樹などのノーベル賞受賞者が賛同したと言われる。

※ 「世界連邦運動」を表すポスター募集の入選作(?)のようだ。
第一次、第二次と続いた世界大戦によって膨大ともいえる死者を生んでしまったことに危機感を抱いた世界の人々は、この理想とも思えるモントルー宣言に対して大きな期待を抱き、賛同する会員も一時は世界で100万人を超えて大きなムーブメントになりそうな形勢であったという。
しかし、やがて訪れた冷戦の時代が自国の体制、自国の利益を優先させることが第一となり、この運動を失速させた。そしてその後、この運動は再び勢いを得ることはなく今日に至っているというのが現状のようである。
日本においても、その動きは世界の動きと軌を一つにしてきたようである。
ただ一つ、日本において特徴的なことは2005(平成17)年に国会において「世界連邦実現に関する決議」が超党派によって採択されていることが関係者にとって大きな拠りどころとなっているようだ。
しかし、講演をされた荻野代表によると、その後の動きは鈍く、勢いを盛り返すまでにはなっていないのが現実だという。
荻野代表の講演自体は、日本の側から見た世界連邦運動の歴史であり、主張といった趣が強かったように思われた。そのことが、果たして世界に通用するのか、という疑問が私の中には残ったのだが…。

※ フォーラムの司会を務めた副代表の日色無人氏(左側)、右は荻野代表です。
その後行われたフォーラム「世界連邦運動は、危機を回避できるか」というテーマで、参加者の意見交換が行われた。その中で、運動の現状が露呈されたようにも映った。
つまり、そこでは今回の参加者数が示すように運動は衰微の一途を辿っているという。荻野代表も質疑に答え、運動自体を継続していく費用にも事欠いている実情が述べられた。
私には運動自体が風前の灯のようにも映った。
一つの理想的な姿とも思えた「世界連邦運動」がなぜこうまで衰退してしまったのか?
私ごときが考えられるような問題ではないのだが、混沌とする世界、魑魅魍魎が跋扈する世界の中にあって、理想主義などというものはどこかへ吹き飛んでしまう存在なのだろうか?
現状を眺めてみると、残念ながらそう思わざるを得ない現実でもある。しかし、一方で難しくはあっても理想の旗を降ろしくほしくない、という思いも抱いた今回の講演会&フォーラムだった。
「世界連邦」という考え方がなぜ起こったというと、1648年に締結された近代国際法の元祖ともなったウェストファリア条約の存在があるという。
そのウェストファリア条約には二つの原則が存在する。それは、〔国家主権絶対〕と〔内政不干渉〕という二つの原則であり、その原則が今の国際連合(国連)においてもその土台となっているという。
ウェストファリア条約を土台とした国連(1945年成立)では戦争抑止力が低いと判断した世界の文化人や科学者たちが1946年、拙ブログの前号でも触れたように「モントルー宣言」を明示して世界連邦運動をスタートさせた。この運動には、バートランド・ラッセル、アルベルト・アインシュタイン、アルベルト・シュバイツァー、ウィンストン・チャーチル、湯川秀樹などのノーベル賞受賞者が賛同したと言われる。

※ 「世界連邦運動」を表すポスター募集の入選作(?)のようだ。
第一次、第二次と続いた世界大戦によって膨大ともいえる死者を生んでしまったことに危機感を抱いた世界の人々は、この理想とも思えるモントルー宣言に対して大きな期待を抱き、賛同する会員も一時は世界で100万人を超えて大きなムーブメントになりそうな形勢であったという。
しかし、やがて訪れた冷戦の時代が自国の体制、自国の利益を優先させることが第一となり、この運動を失速させた。そしてその後、この運動は再び勢いを得ることはなく今日に至っているというのが現状のようである。
日本においても、その動きは世界の動きと軌を一つにしてきたようである。
ただ一つ、日本において特徴的なことは2005(平成17)年に国会において「世界連邦実現に関する決議」が超党派によって採択されていることが関係者にとって大きな拠りどころとなっているようだ。
しかし、講演をされた荻野代表によると、その後の動きは鈍く、勢いを盛り返すまでにはなっていないのが現実だという。
荻野代表の講演自体は、日本の側から見た世界連邦運動の歴史であり、主張といった趣が強かったように思われた。そのことが、果たして世界に通用するのか、という疑問が私の中には残ったのだが…。

※ フォーラムの司会を務めた副代表の日色無人氏(左側)、右は荻野代表です。
その後行われたフォーラム「世界連邦運動は、危機を回避できるか」というテーマで、参加者の意見交換が行われた。その中で、運動の現状が露呈されたようにも映った。
つまり、そこでは今回の参加者数が示すように運動は衰微の一途を辿っているという。荻野代表も質疑に答え、運動自体を継続していく費用にも事欠いている実情が述べられた。
私には運動自体が風前の灯のようにも映った。
一つの理想的な姿とも思えた「世界連邦運動」がなぜこうまで衰退してしまったのか?
私ごときが考えられるような問題ではないのだが、混沌とする世界、魑魅魍魎が跋扈する世界の中にあって、理想主義などというものはどこかへ吹き飛んでしまう存在なのだろうか?
現状を眺めてみると、残念ながらそう思わざるを得ない現実でもある。しかし、一方で難しくはあっても理想の旗を降ろしくほしくない、という思いも抱いた今回の講演会&フォーラムだった。