田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

久しぶりに合田節を聴く

2015-09-01 20:55:43 | 講演・講義・フォーラム等
 合田節は健在だった。事件記者として氏の経歴がそうさせるのだろうが、取材対象に足繁く通い、臨場感あふれる話を次々と披露してくれる。齢81とお聞きしたが、衰えを感じさせない語り口は魅力たっぷりだった。 

             

 8月29日(土)午後、「北海道自分史友の会」という団体が創立20周年を迎えたそうだ。その記念式典の後に、ノンフィクション作家の合田一道氏が講演をする際に、一般の方の受講も歓迎するという新聞記事を見て受講を申し込んだ。

 「自分史友の会」などという存在自体が私にとっては耳新しいことであり、多少はそのことに興味もあるが、今回の受講動機はあくまで合田一道氏のお話を久しぶりに聴きたいということだった。

 合田氏は「北海道自分史友の会」の立ち上げにあたって指導的な役割を果たして、現在名誉会長という立場での記念講演ということだった。
 演題は「生きること、死ぬること、そして自分史」というタイトルだった。
 合田氏は新聞記者時代からノンフィクションを書き始め、作家生活42年になるというが、その間に100冊の著作をものにしたということだ。その極意は「書きたいときに、書けるうちに、書く」ということだという。記者時代も時間を見つけては書き続けたという。そして書き残すことの尊さを説き、自分史を書き続ける会員の方々にエールを送った。

 そして本題に移った。
 合田氏は、氏が取材して印象的だった三つの話題を提起した。
 一つは、昭和43年に起きた美唄炭鉱ガス爆発事故で生き埋めになり、自らの最期を悟った坑内員が極限の状況の中で木札に書いた遺書のことについてだった。短い文章の中に坑内員の思いが凝縮されているのではないか、と氏は話した。

 二つ目は、満蒙開拓団の終戦時の悲劇と、占領ソ連軍の非人道的な扱いの中で死んでいかねばならなかったこと無念さを語った。中で集団自決を図った人が、家の壁に書いたという遺書について触れ、その尊さを語った。

 最後は、武田泰淳の小説「ひかりごけ」のヒントともなった戦中の1944年に知床半島で発生した死体損壊事件(俗にいう食人事件である)で生き残った船長を根気よく取材し、船長の心を開かせた経緯を詳しく語ってくれた。

 全てが現地に足を運び、当事者あるいは関係者への取材を丹念に行う中で事件の真相に迫っていく様は、聴いていていつも心躍るものがある。
 今回も時間の経過が早く感じられるほど楽しお話に聴き入った。

 毎年受講していた札幌学院大学の公開講座の合田一道氏の講座を、今年はどうしようかと思案中だったが、今回のお話を聴いてやはり受講することを決めた私だった。