田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

保育園運動会に思う

2016-09-10 21:18:01 | イベント
 孫娘が通う保育園の運動会があった。孫娘には悪いのだが、運動会を観る側というのは何と退屈なんだろう、というのが率直な感想だった。その要因は、私の長い体験がそう感じさせるのかもしれなかった…。 

          
          ※ 保育園らしいかわいい運動会アーチです。

 今日(9月10日)、孫娘のうちの妹が通う保育園の運動会があった。
 不安定な天候が心配されたが、競技中はなんとか持った。しかし、競技終了を待っていたかのように雨が激しく降り始め、子どもも観客の私たちも危うく難を逃れることができた。

          
          ※ 開会式に臨む入場行進の様子です。

 孫娘はかけっこも、遊戯も、そしてお母さんとの共同競技も、楽しく参加している様子を観ることができ、それはそれで楽しいひと時だった。
 ところが…、運動会全体を眺めていて、なんとも退屈な思いが私を終始支配していた。
 何故なのだろう?と考えてみると、私の運動会に対するイメージのようなものが根底にあることに気付いた。

          
          ※ かけっこの様子もなんともかわいらしい…。

 私にとって運動会とは? 現職時代いつも運営する側であり、指導する側だった。つまりいつも緊張し、予定通り運動会が進行することに心を砕き、忙しい思いをするのが私にとっての運動会に抱くイメージだった。
 それが観る側に回ると、孫娘が出場している競技以外には、まったく関心が持てないのだ。(まあ、それは他の親や祖父母も同じなのだろうが…)
 わがままな私にとっては、その時間が苦痛以外の何物でもなかった。この時間を他のことに使えたら、と…。
 そうした思いを封印して、孫の成長を喜ぶのが祖父の務めと心得るように努めねば…。

          
          ※ 自分が撮ったビデオを確認しているご婦人の様子です。

 そのこととは別に、ちょっと気付いたことがあった。
 一時、運動会というと三脚に乗っかったビデオカメラが林立する姿がどこでも見られた。確かに三脚を使ってビデオ撮りをしている姿もあったが、多くは三脚を使わずに手に持っただけでビデオ撮りをしている人が目立った。それもお母さんや祖母などこれまではあまりビデオなど操作しなかった人たちが扱っているのだ。
 このことはきっと機器の進歩がそうさせるのだろう。手振れ防止の機器とか、簡単操作のビデオ機器の登場がそうさせるのだろう。

          
          ※ このように以前には見られなかった層の方々がビデオを構えていました。

          
 時代とともに、人々の生活が変化していく姿の一つのように思われた。

          
          ※ こうしたキャンプ用品が目立つのも、最近の運動会の特徴です。


 広島カープが25年ぶりのセリーグ優勝の瞬間をテレビで目撃した!おめでとう!緒方監督の胴上げはもちろんだが、黒田投手、新井選手の胴上げに感激した!
 北海道日本ハムファイターズもぜひ続いてほしい!!

う~ん、ちょっと残念だった札響コンサート

2016-09-09 20:01:14 | ステージ & エンターテイメント
 クラシックの初心者がこんなことを書くのは失礼と知りつつも、つい愚痴をこぼしたくなってしまった今回の札響コンサートだった。無料招待でそんなに期待しなさんな、という声が聞こえてきそうですが…。 

                    

 9月7日(水)午後、札幌市の医療グループ「タナカメディカルグループ」の主催による「札幌交響楽団招待コンサート2016」がキタラにおいて開催された。鑑賞を希望したところ招待券が舞い込み喜んでキタラに向かった。

 タナカメディカルグループは、特に高齢者向けの医療や介護、高齢主向けマンションなどの経営に力を入れている医療グループである。私は入り口で大量のパンフレットなどが配布されるのではと予想したいたのだが、案に相違しコンサートプログラム一枚で、その片隅にグループが経営する施設一覧が載っているだけというスマートさに好感を持った。

 コンサートのプログラムは次のような構成になっていた。
 【第1部】オルガン独奏 サン=サーンス/幻想曲 変ホ長調
      ハイドン/交響曲第88番ト長調Hob.I:88「V字」
        ……… 休憩15分 ………
 【第2部】シベリウス/交響曲第2番ニ長調op.43

      指 揮:佐藤 俊太郎
      管弦楽:札幌交響楽団
      オルガン独奏:吉村 怜子

 ここからの感想はクラシック初心者の私の独断と偏見に基づくものだから、札響ファンの方々、及び関係者にはご容赦いただきたい。
 まず、私にはオルガン演奏の良さが分からないのだ。コンサートホールにあの独特の野太い音が響き渡るのをどうしても好きになれないのだ。単に好き嫌いの問題であるのだが、私にはどうしても好きになれないオルガン独奏だった。

 続いて、札響による演奏でハイドンの交響曲が演奏された。このとき「おやっ?」と思った。演奏する団員の数がずいぶん少なく感じたのだ。数えてみると40人前後だった。
 おそらくこの曲には、この程度の人数で十分ということなのだろうけど、やはり大人数に比べると音の厚みに欠けていたように思われた。
 ただし、ハイドンの曲自体は美しいメロディーで、弦の響きも心地よく、今回のコンサートの中では私が最も楽しめた曲だった。

 問題は第2部のシベリウスだった。
 演奏する団員の数も60名前後に増えて、ようやくオーケストラらしい演奏が期待できるかに思えたのだが…。
 解説文によると、フィンランド人であるシベリウスが南国イタリアを旅行中に曲想を練ったということで、南国らしい明るく軽やかな演奏が期待できるものと思って演奏を待った。しかし、私に聴こえてきたのは、明るさや軽やかさはどこへやら、どこか重々しく、重厚な感じのする曲に聴こえてきた。また、印象に残るような旋律も私の耳には届かなかった。(単に聴く力がないだけなのかもしれないが…)
 シベリウスはフィンランドのみならず、20世紀を代表する作曲家の一人としてたくさんの作品を世に出している大作曲家である。今回の交響曲だけで云々することはできるはずもないのだが…。
 さらには、その作曲家の曲を演奏しただけの札幌交響楽団には何の責任もなく、演奏者たち一人ひとりの技量は十分であり、全体が奏でる音にも不満はなかった。

 ただ私からすると、これまで何度か聞かせていただいた札響のコンサートと比較したとき、コンサート全体に対してちょっと残念な思いが残ったということなのだ。
 もっとも、無料で聴かせていただいて何を不平を言っているんだい、という声が聞こえてくるような気がしないでもないのだが…。

 

「おこると損」ってホントですか?

2016-09-08 21:13:15 | 講演・講義・フォーラム等
 怒ると体に悪い、とは昔から言われていたように思う。そのことがどうやら科学的にも証明されているらしい。いつも笑顔で明るく暮らしたい、という思いは誰もが抱く願望であるが、なかなか思うようにいかないのも事実である。北海道で演劇を指導されている方からの話を伺った。

 受講してから少し時間が経ってしまった。
 9月2日(金)午後、かでる2・7で開催された「かでる講座」の第7回講座は、札幌で活動する日本俳優連合所属日本演劇教育連盟の金田一仁志氏「『おこると損』ってホントですか?~演劇から人間を考える~」と題して講演されたのを聴いた。

          

 金田一氏は、表題の疑問に対する答えを一冊の本から見出だしたという。
 それはアメリカの心理学者ゲイツ博士が行った実験結果だそうである。
 ゲイツ博士は人間が吐き出す息について分析する実験をしたという。それは人間が吐き出す吐息を冷却したガラス管に集め、さらにそれを液体窒素で冷やすと沈殿物ができるという。その沈殿物が、健全な人の場合は無色だが、怒った状態で吐き出したものは栗色、悲しみや苦しみを伴ったときは灰色、後悔し苦しんでいる状態のときは薄紅色になったそうだ。
 そして博士は、栗色の沈殿物(怒ったときの吐息)を水に溶かしてネズミに注射したところ、ネズミは数分後に死んでしまったという。

 このことが、医学的・科学的にどれだけ広く証明されているかどうかは不明だが、さもありなんと思う実験結果である。

          

 さて、金田一氏の話は氏の生い立ち、過去の仕事上の出会い、演劇を教えている時のエピソード、等々…。話題があちこちと飛んだために、それをまとめる力は私にはない。
 その中で、私が最も関心を抱いたのが、金田一氏の高校時代のエピソードである。
 氏は紋別市の出身であるが、紋別南高時代に演劇に興味を持ち、脚本づくり没頭していたとき、ある中学校の演劇顧問との出会いが本格的に演劇へ進む契機になったということだった。
 その演劇顧問という方が、私にとって同じ町で教鞭をとったことのある松岡義和氏だった。彼は日大の芸術学部を出て、網走管内(現在オホーツク総合振興局管内)の中学校に勤務し、網走管内に芸術教育の種を蒔き続けた方である。私も彼が主管するワークショップに参加した経験があった。
 金田一氏の話から、氏が松岡氏の教えにいかに影響されたか、そして今も心から尊敬していることがよく伝わってきた。

 金田一氏は「笑う門には福来たる」ということにも触れられたが、同じかでる講座で5月に、北海道笑ってもいいんでない会笑司長の伊藤一輔氏が『笑いは健康の源!~笑いと人とのステキな関係~』と題する講演も伺った。
 言われていることはとても分かるのだが…。

 怒りをどこかへ忘れ、いつも笑って過ごしたいとは誰もが願うことだが、そうはいかない現実との狭間の中で生きている私である。
 

映画 170 シン・ゴジラ

2016-09-07 21:45:56 | 映画観賞・感想

 予想外の大ヒットになったという映画「シン・ゴジラ」。遅ればせながら9月5日(月)午後、シネマフロンティアで観賞してきた。なるほど、と思えるリアル感たっぷりの映画はヒット作になる魅力に満ちた映画だった。 

                  

 私がゴジラ物を映画館で観たという記憶はない。そもそもフィクション物は私の好みではなく、しかもゴジラ物はそのフィクションの最たるものだと思っていたからだ。
 それなのにどうして今回は観ようと思ったのかって? それには二つの理由がある。

 一つは今作が予想外と言えるほどのヒット作となったということだ。何故なのか?それを実感したいと思った。

 もう一つは、道立近代美術館が9月9日から「ゴジラ展」を開催するという。まるで映画とコラボするような企画だが、両者ともに観てみるというのも一興に値するのでは、と思ったのだ。

                  

 さて映画の方だが、評判どおりの素晴らしい出来である。
 映画のプロデューサーが「完成した映画でファンタジーなのはゴジラだけ」と述べたということだが、その言葉どおりリアル感たっぷりで、どこか作り話的な匂いを感ずるフィクションとは一線を画する仕上がりとなっている。

        
        ※ 放射能の影響もあり、初めの2倍の大きさになって鎌倉の海岸に現れたシン・ゴジラです。

 映画は東京湾に現れた「巨大不明生物(後にゴジラと命名)」が東京の街を破壊し、続けて神奈川・鎌倉市に現れて街を破壊しつくすのだが、日本政府はその対応に右往左往する様が実にリアルに描かれている。
 自衛隊の出動を要請するも、自衛隊が持つ火器ではゴジラはびくともせず、再び東京都内を破壊し始めた。政府はとうとう米軍の支援を要請し、米爆撃機の特殊爆弾によって初めてゴジラは傷を負うが、それでも破壊は止まらない。さて結末は?

          
          
 緊迫した政府、あるいは関係者を演ずる俳優陣も長谷川博己、竹野内豊、石原さとみを筆頭に300人が出演するという豪華版で熱演している。
 この映画の魅力は、観る者によってまだまだあるが、私がリアル感をもって観ることができたのは、「東日本大震災」や「福島原発事故」、あるいは「熊本地震」など、身近に災害を感ずることが多くなってきたことがある。
 さらには「南海トラフ地震」も現実味をもって語られる昨今にあって、放射能と関連する「ゴジラ」が出現し、大都会を壊滅的に破壊するというストーリーは、「あるいは似たような現象が将来起こるかもしれない」という恐怖感をもって映画を見入ってしまうところがあった。

 映画があくまで絵空事であることを願うのはもちろんのことだが、久しぶりに興奮しながらスクリーンに魅せられた映画だった。

 ※ なお、「シン・ゴジラ」の「シン」は、「新」、「真」、「神」の意味が含まれているとのことだ。


コミュニティ・ビジネス起ち上げのレッスン

2016-09-06 18:23:44 | 講演・講義・フォーラム等
 私のようなシニア年代になると、ワークショップはどうしても入って行きずらいところがある。ところが今回のワークショップは、意外や意外、けっこう楽しく、かなり本気になって取り組むことができた楽しいワークショップだった。 

 9月2日・3日の二日間にわたって行われた「課題対応型学習活性化セミナー」の一日目後半と二日目の午前は、参加者同士によるワークショップが行われた。
 テーマは「学んだ成果を活用する仕組みの構築 ~高齢者によるコミュニティ・ビジネスの実践~」ということで、指導者(コーディネーター)として株式会社石塚計画デザイン事務所代表取締役の石塚雅明氏が務め、細内氏が途中までアドバイザーを務めた。

 ワークショップはまず、4人の小グループに分けられた。私のグループは私を含め3人がシニアの男性、それと20代後半と思われる女性のグループだった。
 最初にそれぞれ、「自己紹介:私の趣味、特技」を付箋紙に書き込み、披露し合うところから始まった。皆さんがどんどん書き始めたのを見て、私も負けじと書き始めた。「子どもを教えることができる」、「スキーが得意」、「旅が好き」等々と…。
 書き終えた後で、それぞれが自己紹介を兼ねて、趣味・特技を披露し合ったが、面白い結果が出た。それは、シニア男性の3人が期せずして皆スキーが得意と自己紹介したことだ。私たち北海道のシニア世代にとって、スキーがいかにメジャーなスポーツだったかを図らずも示した事実だった。

          
          ※ ワークショップの途中に開設する細内氏と、その横に立つコーディネーターの石塚氏です。

 続いて 「コミュニティ・ビジネス(CB)の種を探そう」ということで、それぞれの自己紹介の中からCBに結び付きそうなことを話し合った。 
 私たちは三つの種を見つけて、発表した。三つの種全てを記憶できていないので、私が提案したものだけ記すことにすると、私はグループの女性が「クラシックについての知識が豊富」ということを聞いて、次のように構想し、用意されたヒントカードに記入した。

 Q1.地域に眠っているヒト資源~クラシックについて造詣の深いシニア or クラシックを学んだ主婦
 Q2.地域の切実な課題~クラシックに興味があっても敷居が高いと考え、コンサートなどに足が向かない人
 Q3.都市(住民・企業)や現代社会の切実な課題~クラシック愛好者の層が広がらない。クラシック演奏家の演奏機会が少ない。

 こうしたことを受けて、「クラシック音楽を優しく解説しながらコンサートを楽しむツアー」をビジネスとして起ち上げることができるのではないか、と…。
 第一日目は、こうした各グループが見つけたビジネスの種を披露し合うことで終わった。

 こうして、私たちを乗り気にさせたのにはコーディネーターの石塚氏の力によるところも大きいと感じた。そもそも石塚氏の本職そのものがコミュニティ・ビジネス(CB)的なものと思えた。その上、石塚氏は自らのリタイア後の自らが起ち上げようとしているCBの夢を語ってくれて、そのことが私たちに具体的なイメージを与えてくれるのに大いに役立った。

          
          ※ 石塚氏が仮装好きの人たちを集めてビジネスに昇華した例を紹介しているところです。

 第二日目、グループの構成メンバーは前日と入れ替えられ、私たちのグループはシニア男性が2名、20代と思しき女性が1名、さらに主管する道の職員(40代)が1名という構成だった。
 作業は前日、各グループから提出された「ビジネスの種」の中から有望そうな種を見出し、それをさらにビジネスへと結び告げる方途を整理してみよう、という作業だった。
 グループの話し合いは、もう一人のシニアの男性がリードする形で進められた。彼がヒントカードを見ながら、「藻岩山で星を眺めるというのは面白いね」という一言から、「星について詳しい」というカードを取り上げ、ビジネス化を考えることとした。

          
          ※ 私たちのグループがまとめた「大都会札幌で満天の星を味わおう!」のアイデアをまとめた表です。

 商品のアイデア・サービスは 「大都会札幌で満天の星を味わおう!」と決めた。札幌は全国的に見ても稀にみるほど都心と自然とが近い。その象徴が藻岩山である。藻岩山は街に近いため、街の灯りが星の観察を邪魔するのでは、という意見も出たが、そこは藻岩山を踏査することによって観察ポイントを見つけることができるはずだ、ということで乗り切った。つまり場としては、「藻岩山」とした。
 ヒト資源としては、星に詳しいシニア、あるいは学校理科教員OB、また大学等の天民同好会の人たち。
 ビジネスの対象としては、星に興味を抱き、星のことについて詳しく知りたい欲求を持っている人、大都会の生活に疲れ癒しを求めている人、札幌へ観光旅行に来てこれまでと違った観光スポットを求めている人、等々を対象とする。

 そこで私たちとしては、いきなりビジネスを起ち上げるのではなく、まずNPO法人化して、仲間を募り、無償でのモニターツアーを実施することとした。そのモニターツアーを実施することで、ビジネス化の可能性を探るとともに、ビジネス化へ向けて足りない点、補正する点を見出し、商品としての完成を目指すこととした。
 このアイデアを全体の前で発表し、この日の午前の部を終えた。

          
          ※ 私たちのグループを代表して20代の女性に発表してもらいました。右はコーディネーターの石塚氏です。          

 ワークショップは午後も続いたのだが、私は午後に別の講座を受講するために、参加はここまでだった。おそらく午後は、さらにビジネスモデルとしてより整理され、完成されたものを目ざしてコーディネーターとのやりとりが続いたものと想像される。

 ワークショップの途中で、ビジネスとして起業するということは、法的な規制などさまざまなハードルが立ちはだかるのでは、と私は考えその点を質したのだが、コーディネーターはNPO法人の形でもよいし、個人商店の形、あるいは本格的な企業の形とさまざま形態がある、と答えてくれた。
 利益を目的としないNPO法人が市民対象にさまざまな企画を実施していることは見聞きしていた。思っていたよりハードルは低いのかな?というのが率直な印象である。
 グラントワーク西神楽の例を見るように、リタイアした後でもやりがいのある分野が目の前にあるのだな、という印象を持った。その陰には当然のようにさまざまな苦労も内在していることは当然予想されるのだが…。
 昨日のブログの冒頭でも触れたように私がコミュニティ・ビジネスに関わるということは年齢的に言っても難しいと思うが、とても興味深いセミナーだった。

コミュニティ・ビジネスとは?

2016-09-05 19:26:37 | 講演・講義・フォーラム等
 最近、コミュニティ・ビジネスという言葉を見聞きするようになった。いったいそれはどのようなこと?という疑問が沸き、公的機関が主催するセミナーに参加してみた。セミナー名は厳めしかったが、なかなか興味深い内容だった。 

 9月1日、2日の両日、北海道生涯学習推進センターが主催する「課題対応型学習活性化セミナー」なる講座に参加した。セミナーのテーマは「学んだ成果を活用する仕組みの構築~高齢者が活躍するコミュニティ・ビジネスを考える~」というものだった。

            
            ※ セミナーは高齢者ばかりでなく、公的機関の若い職員の参加も目立ちました。

 セミナーの構成は、「基調講演」、「インタビュー・ダイアローグ」、そして参加者同士による「ワークショップ」という構成で2日間にわたって行われたのだが、今回は前記二つのことについてレポしたい。
 基調講演は、有限会社コミュニティビジネス総合研究所代表取締役所長の細内信孝氏「コミュニティ・ビジネスによる地域の元気づくり ~高齢者の社会参加~」と題する基調講演を行った。

 細内氏によると、コミュニティ・ビジネスとは、簡潔にまとめるとボランティアと利益追求を目的とする商店・企業などとの中間に位置する存在ということだ。つまり、利益追求が第一の目的ではないが、活動に対する対価を得てビジネスとして成り立たせるとともに、地域の活性化に資する活動がコミュニティ・ビジネスである、ということだ。それは、高齢者が社会参加する手段として適しているのではないか、という趣旨だった。
 そして細内氏は全国各地で展開されているコミュニティ・ビジネスの成功例を紹介してくれた。

            
            ※ 基調講演をする細内信孝氏です。            

 私としては、私自身がこれからコミュニティ・ビジネスを起ち上げるという意欲は年齢的にも正直言って難しいと思うが、私の後輩たちが現職をリタイアした後の生き方の一つとしてアイデアを提供する、という立場からは面白い話だと受け止めた。

 続いて行われた「インタビュー・ダイアローグ」だが、この言葉は私には耳新しかった。
 調べてみると、ダイアローグとは、創造的なコミュニケーション活動ということらしいが、インタビュアーである細内氏の質問に応えて、二人の実践者の報告を聞くという形だった。
 その中で、私が非常に興味をもったのが、NPO法人グランドワーク西神楽の理事である谷川良一氏の実践報告だった。

 グランドワーク西神楽は、実に多彩な活動を行いながら、利潤もあげ高齢者の雇用確保にも資しているということだ。
 旭川市の西神楽地区は、1,621世帯、3,348人が在住しているということだが、地域住民が主体となって、地域おこしに取り組んでいるということだ。その活動は実に多彩で、次の七つの専門委員会を設置して地域おこしをしているという。
 ◇地域の環境と景観を考える専門委員会
 ◇農業の未来を考える専門委員会
 ◇地域の歴史と遺産を考える専門委員会
 ◇子供たちの健全な育成を考える専門委員会
 ◇NPOの事業を考える専門委員会
 ◇西神楽さと川パークゴルフ場運営管理専門委員会
 ◇地域の高齢者福祉を考える専門委員会

                 
          ※ NPOグランドワークでは、このような通信を発行し、会員間の凝集力を高めているようです。

 こうした専門委員会が例えば、パークゴルフ場の運営管理事業をしたり、ディサービス事業を行ったり、ふるさとサロンを経営したりと、多角的な事業を展開して、今や年間で総額1億円以上の売り上げ実績を誇り、40名もの雇用を産み出しているということだ。
 こうなると、NPOの核となって活動している谷川氏はもちろんのこと、関わっている人たちは大いなる生きがいを感じながら活動に従事されているのではないだろうか?

            
            ※ 報告で最も顕著な成功例としてパークゴルフ場の維持管理、経営活動を挙げられていました。
 
 いざビジネスを起こそうということになると、立ちはだかるハードルが数多くあるのでは、と想像される。しかし、そのハードルを乗り越え、高齢期を生き生きと生きていくための手段としてコミュニティ・ビジネスは有力な手段の一つではないかと思えた。
 これから第一線を離れてリタイアする後輩たちに一つの生き方として提示してみたいと思った今回のセミナーだった。

 明日は、実際にコミュニティ・ビジネスの起業を考えるワークショップの様子をレポしたい。


富士山 余韻…

2016-09-04 18:30:49 | 北海道低山紀行 & Other
 すでに過去のものとなったはずである「富士山 Sea to Summit」であるが、私の身体はまだ余韻を引きずっているようだ。なかなか疲労が抜けないのだ…。そんな中、購入した記念のTシャツが届いた。 

 「富士山 Sea to Summit」に出かける前、「富士山登山ルート3776」ユニフォーム(Tシャツ)が販売されていることは知っていた。ところが販売している富士山観光交流ビューローがコースから外れていたこともあり、現地で入手することはできなかった。
 そこで帰宅してからだったが、注文したところ本日その現品が届いたのだ。
 普段着用するには相応しいとは思えないが、記念の一品として大切に保管したい。

          
          ※ 「富士山登山ルート3776」ユニフォーム(Tシャツ)の表側です。

          
          ※ こちら背中側に「富士山登山ルート3776」のロゴが入っています。

 富士山登頂の記念品としては、ルートの中のポイントポイントでスタンプを押印して、最後に登頂した写真を添付して富士市の観光課に送付した。近いうちに挑戦達成証と達成バッジが送付されてくることになっている。

 今日の午後、息子の家族が我が家を訪れた。
 私が孫娘(6歳と3歳)に購入してきたささやかなお土産を受け取りにきたのだ。
 そのささやかなお土産とは?
 富士宮口の山頂にある「富士館」の売店で販売していた富士山をモチーフとしたシールとストラップである。
 もっとも、孫娘たちは、シールやストラップより、東京駅のキャラクターストリートの「日テレ屋」で購入した「アンパンマン人形焼」の方に興味があったようだが…。

                  

          

 最後は、先日太平洋で採取した海水と砂利の写真を掲載したが、夜に撮影したため色がきれいに写っていないきらいがあった。改めて撮影したものを再掲したい。

          

 となかなか富士山から離れられていない私である。このような状態を「富士山ロス」とでも称するのだろうか?

NHKカジュアルクラシックコンサート2016

2016-09-03 22:59:47 | ステージ & エンターテイメント
 Casual…、「格式ばらず、くつろいでいるさま」を表す形容動詞であるが、文字どおり演奏者も聴衆もくつろいだ雰囲気の中でクラシック音楽を楽しんだ。その上、日本最高峰とも称されるN響のメンバーを中心としたアンサンブルは、安定した演奏ぶりが際立つコンサートでもあった。

               

 8月28日(日)午後、友人H氏が入手したチケット(ペア招待)を都合していただき、かでる2・7ホールで行われたコンサートを聴くことができた。
 コンサートは「カジュアル」と冠に記されたとおりに、演奏者もリラックスして軽い冗談をはさみながらのコンサートとなった。

 今回の出演者は、〔ピアノ〕高橋希、〔オ―ボエ〕小林裕、〔ヴァイオリン〕松田拓之、〔ヴァイオリン〕大宮臨太郎、〔ビオラ〕坂口弦太郎、〔チェロ〕山内俊輔という6人のメンバーだった。この6人のうち、高橋、小林を除く4人はNHK交響楽団の現役のメンバーである。
 クラシック界に疎い私は開演前に調べてみたところ、日本のオーケストラとしてはN響(NHK交響楽団)が最も評価されているということが分かった。そのオーケストラのメンバーが4人いて、ほかの二人も国内的には名だたる演奏者と聞けば、上質のコンサート間違いなしである。

 演奏された曲を羅列することにする。
 ◇モリコーネ/ニューシネマ・パラダイス
 ◇メンケン/ホール・ニュー・ワールド
 ◇成田為三/浜辺の歌
 ◇服部隆之/真田丸のテーマ
 ◇ベートーベン/ベートーベン ピアノ三重奏曲第4番「街の歌」より
 ◇山田耕作/この道
    ( 休  憩 )
 ◇ガーシュウィン/サマータイム オペラ~「ポーギーとベス」より~
 ◇マスカーニ/カバレリア・ルスティカーナ
 ◇モンティ/チャールダーシュ
 ◇ドボルザーク/ユーモレスク
 ◇フランセ/フランセ イングリッシュホルン四重奏曲より
 ◇カプースチン/カプースチン ピアノ五重奏曲

 演奏者がリラックスして演奏していることが私たちにも伝わり、私たちもリラックスしてクラシックを楽しめたコンサートだった。

 その中でも彼らの実力を思い知らされたのが、モンティの「チャールダーシュ」を二人のヴァイオリニストが演奏した時だった。この曲はヴァイオリンの難曲として有名な曲である。これまで幾人かの演奏を耳にしたことがあるが、彼らの演奏は難曲を難曲とも思わせない演奏でいともあっさり(という感じで)弾き熟してしまったところに彼らの実力を見た思いがした。

 それはほかのどの曲にも対しても言え、心豊かなひと時を過ごすことができた。

Sea to Summit を振り返る 7

2016-09-02 22:35:29 | 北海道低山紀行 & Other
エピローグ

 「富士山 Sea to Summit」 を終え、帰宅してから一週間が経とうとしている。身体の中には4日間の疲れの記憶が微かに残っている。しかし、その記憶も一両日中には過去へのものと消え去るだろう。私の振り返るシリーズも今回を最後としたい。最後は今回の“旅”そのものを振り返ってみることとした。 

               
          ※ できるだけ未掲載の写真を、と考えたときにM女史がフェイスブックに載せた写真を拝借しようと思った。
           写真は私が太平洋に向かうところを撮っていただいたものです。(以下3枚がM女史提供)

 私が今回の富士山の剣が峰登頂を目ざそうとしたのには、次のようなキッカケがあった。
 そのキッカケとは、2013年7月に私が初めて吉田口から富士山登頂を果たし「日本のてっぺんに登ってきました!」というブログを発信したところ、知らない方から「剣が峰に立ったのか?剣が峰に立ってこそ富士山登頂といえるのだ」というコメントをいただいた。
 実は2013年のときは、高山病に罹り吉田口山頂までが精一杯で、剣が峰は断念していたのである。そのため、先のコメントは私の中にず―――――っと気がかりな一事となっていて、「いつかリベンジを!」との思いがくすぶっていた。

               
          ※ 「はじまりの鐘」のところで登山の安全を祈願する私です。          

 その後も趣味として札幌近郊の山々を登っていたが、徐々に体力の低下も自覚するようになってきた。そうしたこともあり、「リベンジするなら今年だ!」との思いが強くなった。
 その際、前回と同じようにツアーで吉田口から再び登るのは芸がないなぁ、という思いもあった。今回は単独で別の登山口から、ということがまず私を支配した。

               
          ※ 第一日目は不完全ながらも頭上高く聳える富士山を目ざしてスタートしたのですが…。

 さらには、海抜〇(ゼロ)メートルから登るという方法があるようだが、私にもできるだろうか?という思いが頭をもたげ、思い切って挑戦してみることにした。このあたりの経緯については「Sea to Summit 富士山登頂計画」の中で触れているので復唱は避けたい。
 さらに今回の「富士山 Sea to Summit」に意味付けを加えたのが、私自身の70歳(古希)の誕生日の日に剣が峰に立とう、と思いついたことだ。

 この思い付きには我が意を得たりという思いだった。自分の節目の誕生日を最高の形で迎えられることができるとの思いにワクワクするのを禁じえなかった。
 構想が固まったことで、私は走り始めた。旅の全体計画を作成し、それに基づいて、航空便を手配し、宿泊先を確保し、高速バスを予約し、と…。

 実は旅をするとき、全体計画を立て、それに伴う各種の予約作業をする、この時間が実はとても楽しい時間である。私の場合、できるだけ安価な手段を選択するようにしているのだが、結果として旅行社などを通した方が割安になる場合もあるが、私はこの作業を手放したくない。私の場合は、そこから“旅”は始まっているからだ。インターネット時代に入り、自宅のパソコンから旅のすべてをプロデュースできることになったことで、“旅”する楽しみが増えた思いである。

          
          ※ 私の今回の旅で、最も印象的だった一枚を掲載します。

 そしてブログである。ブログで自らの“旅”を公表すること、ブログで自らの“旅”の様子をライブで発信すること、こうしたこともインターネット時代に入って“旅”の形を変えることにつながっている。
 2007年にベトナムへオシムジャパンのサッカー観戦に出かけたときは、まだ海外からブログを投稿するノウハウを身に付けていなかった。しかし、その後にアメリカ、ニュージーランドを旅した時には海外であるにも関わらず一日も欠かさずブログ投稿を続けてきた。

 旅をライブで発信することは、私の場合、旅するうえでのモチベーションを高める役割を果たしている。また、家族などに無事を伝える役割を果てしているとも思っている。
 ただ、今回のような冒険的、挑戦的な旅の場合は、ブログで公表していることで、無理をしてしまうというリスクを負っていることを自覚する必要がある。けっして無理はしない、ということをこの旅では心がけたつもりである。

          
          ※ 海抜〇メートル太平洋で採取した海水と砂利は結局我が家に持ち帰ってしまいました。

 こうして迎えた本番。そのことについてはライブレポで伝えたとおりである。けっして楽な旅ではなかった。炎暑に苦しみ、暴風雨におののき、疲労と闘い、登山に入ったときには、すでに私の筋肉は疲労の極致という状態だった。
 しかし、時間はかかろうとも一歩一歩が確実に山頂(剣が峰)に近づいているという登山の摂理が私を山頂へと押し上げた。
 そうして立つことができた富士山の剣が峰は、何にも勝る悦びを私に与えてくれた。
 私は70歳の誕生日という記念日に、最高のプレゼントを自分に与えることができた思いである。

          
          ※ 旅での唯一購入した記念物は山頂の売店で購入した富士山がデザインされた手拭いでした。

 そして、私が体験してきた数ある“旅”の中でも今回の“旅”は記念碑的な旅になったと思っている。


 東京での一日、高尾山に登るというアイデアにも私は満足してしまった。自画自賛?  (了)

Sea to Summit を振り返る 6

2016-09-01 19:33:38 | 北海道低山紀行 & Other
宿泊先について 

 「富士山 登山ルート3776」は3拍4日での登山を勧めている。ということは道中、3泊の宿泊先を確保しなければならない。これが今回、私にとってはけっこう難しかったり、不安だったりした点だった。 

 ガイドマップでは、一泊目が大淵にある「薬草湯の宿 よもぎ湯」を、二泊目は「表富士グリーンキャンプ場」を、三泊目は富士山六合目にある山室「宝永山荘」、「雲海荘」をそれぞれ紹介している。これ以外の紹介はない。
 ところが、一泊目の「よもぎ湯」は4月段階で予約しようとしたら満杯で断られた。また、二泊目の「表富士グリーンキャンプ場」の予約センターの電話は何度トライしても全く通じなかった。
 唯一スムーズに予約できたのは、三泊目に推奨された「宝永山荘」や「雲海荘」ではなく、その先にある新七合目の「御来光山荘」だけがすんなりと予約することができた。

 さて、一泊目であるがウェブ上を繰ったところ「よもぎ湯」から少し離れていたが、同じ大淵集落に農家民宿「やまぼうし」という宿を見つけた。ところがここは農業体験をしながらの宿泊する人を対象とする宿のようだった。
 大淵集落での宿泊が不能となれば、計画自体を断念しなければならない。私は「廊下でも、どこでも屋根のついたところであればシュラフ持参なのでぜひ泊めてほしい」と懇願するFAXを送信した。すると、宿の方から「歓迎する!」との嬉しい返事をいただいた。

          
          ※ 一泊目の農家民宿「やまぼうし」のエントランスです。

 二泊目の「表富士グリーンキャンプ場」である。その後も日をおいて何度もトライしたがダメだった。夏休み中なので、キャンパーで賑わいダメなのだろうか?と半分あきらめ、その先にある「西臼塚駐車場」の東屋での野宿を覚悟した。
 それでも不安である。ダメもとで、出発三日前だった。予約センターではなく、直接キャンプ場のフロントに連絡を入れてみた。すると、すんなりと予約が取れたではないか!なんということだ!
 でも、これで三泊とも見通しが立ち、安心して出発することができた。

          
          ※ 二泊目の「表富士グリーンキャンプ場」のセンターハウスです。

 さて、それぞれの宿泊先についてそれぞれの印象を記したい。
 一泊目の農家民宿「やまぼうし」である。ここについては、ライブレポでも「かなりあたりです」と記した。私にとっては、ここでの宿泊が今回の旅の中でも最も印象深い宿泊先となった。
 私が炎暑に苦しみながらようやく到着したとき、オーナー夫妻をはじめ、オーナーの友人知人までもが揃って私を歓迎して迎えてくれた。 それからの対応も、およそビジネスライクではなく心から歓迎してくれていることがビンビンと伝わってきた。
 ライブレポでも触れたが、篤農家らしく建物も立派で、食事も素晴らしかった。私は広い部屋を二間も使わせてもらった。

          
          ※ 農家民宿「やまぼうし」の玄関を入ったところの「上がり框(かまち)」の様子です。

 私が「やまぼうし」のオーナーがビジネスライクではない、と感じたのは翌日の台風上陸を非常に心配して何度も情報を入れてくれたことだ。そして、翌日出発する私に「何かあったら、遠慮せずに電話してほしい。どこでも迎えに行くから」と心強い言葉をいただいた。そして、オーナーからは、その後2度にわたって私の安否を心配する電話をいただいたことからも、その温かな心づかいが伝わってきた。

          
          ※ 上がり框にそなえられた豪華に生け花が目立ちます。

          
          ※ 庭のスペースに備えられたテーブルとチェアです。

          
          ※ 翌朝、私を見送ってくれたオーナーのご主人です。          

 二日目の「表富士グリーンキャンプ場」である。ここでの宿泊について、スタッフの好意に甘えたことはライブレポで触れた。
 台風襲来で一日中降り続いた中をキャンプ場のセンターハウスに辿り着いた私に、「こんな状況の中で、テントでのキャンプをお勧めするわけにはいかない」と言って、同じ料金でキャビンの使用を認めてくれた。
 台風のために利用客の大半がキャンセルしていたことも幸いしたが、この措置には本当に感謝した。何せ6人用のキャビンを一人で使用するのだから、濡れた衣類などを部屋いっぱいに広げることができた。濡れた地面に直接触れるテント泊から逃れることができたことは何にも増して嬉しかった。

           
          ※ 何度もお見せした、私に提供された6人用のキャビンです。

 三泊目はガイドマップが推奨する六合目の山室ではなく、その上部に位置する新七合目の「御来光山荘」に宿泊することにした。これは翌日の負担を少しでも軽減することを狙ったものだった。富士山の山室に多くを期待することはできない。お腹が空かない程度の食事が提供され、仮眠がとれるだけ場所と心得ていた。
 前回、吉田口の八合目で止まった某山室など、一人分が畳半分程度しかスペースがなく、とてもゆっくりと寝ることできる状況ではなかった。もっとも、その時は高山病のため一睡もできず、早々と寝るところから逃れてしまったのだが…。
 今回の「御来光山荘」は予約状況が好ましくなかったようだ。私は4人分のスペースを一人で使用することができた。そのためここでも濡れた衣類を乾かすために広げることができた。
 宿泊客が少なかったこともあり、スタッフともいろいろと話をすることができ、いろいろと情報を得ることができた。

          
          ※ 三泊目に利用した「御来光山荘」の前です。
          
          
          ※ 「御来光山荘」の内部です。

 と結果として、三泊ともに幸運に恵まれていた今回の「富士山Sea to Summit」の宿泊だったと言えるだろう。
 しかし、「富士山 登山ルート3776」を推奨する富士市としては、一泊目、二泊目について、複数の宿泊先を確保するべく改善策を模索してほしいと思う。特に、今後私のように単独で踏破に挑む人たちのことも考慮したルート整備をお願いしたいと思った。