(午後三時三十分過ぎ)
きのうからですか、気圧の配置図も西高東低になっているようで、いよいよ冬将軍か!?というのはまだ早いでしょうが、その準備をしておいてもいいのかもしれません。
きょうは十五夜ですか?お墓参りのあとススキ等を頂戴してきました。
さてこれは何でしょうか? まあすぐお分かりでしょうか?
そうです、これです。 何でこの時期に行ったのか?何のために行ったのか?
かねてより個人的に死ぬ前に満天の星空を、一回でもいいから眺めてみたいと言っていたために、町内の山男が釣れてではなく連れて行ってくれたのです。キリマンジャロやパプアニューギニアの山にも登っている男です。
九月がよかったのですが、いろいろと忙しく日程が上手くいかなかったために10月の上旬となった次第です。天気予報では午後4時位までは曇り空、その後は晴れるでしょうということでした。
二人できのうのお昼に出発して遠刈田温泉を経由してエコーラインを上りました。途中までは文句なしのいい天気で暖かくもありました。しかしエコーラインの途中から霧が出てきました。
15メートルくらいしか前方が見えなくなりました。これはやばいのではないか、と思ったのですが、山男は引き返そうとは言わなかったし、そのうち晴れるのではないかと勝手に自分に都合のいいように解釈して、ハイランドに入りレストハウスまで行きました。
一応は山登りの格好はしまして、冬用のスタイルにしたつもりです。厚着もしましたし、杖も念のため持ちました。これは鮎釣り用に買った”瀬渡杖”です。思いもがけないところで役立ちました。
濃霧に加えて風も出てきました。目的地は熊野岳の山小屋です。でも実際はその少し手前にある避難小屋にすることにしました。これが正解だったかな、結果的には。
レストハウスを出たのは13時30分くらい。それから約1時間くらいゆっくり歩いて避難小屋に尽きましではなく着きましたが、個人的には視界最悪、強風吹き荒れのなか力”尽きました”という感じでした。
濃霧や強風がなければ右手に蔵王のお釜が見えるというのですが、もちろん見えません。でも足下が歩きやすかったのは助かりました。熊野岳に近付くときに少し急なところを歩きましたが、鮎釣りで河原を歩くことと比べると大したことはないなんて強がりも言いたくなります。
大体が重い装備(水2リットル、0.5リットルが2本、他いろいろもちました)で、山の尾根を歩くのは初めてですね。1172メートルの泉ヶ岳は2回くらい上ったことはありますが、1800メートルクラスの山ははじめてです。
3,4年前に家族でお釜を見に来たことがありますが、その時あるいたのはレストハウスの周辺だけでした。 景色を楽しみながら歩くのであれば楽しいのでしょうが、何も見えないところを後をついて黙々と歩くだけというのは忍耐が必要です。
そもそもが満天の星空を見るための登山だったのです。星空どころか、景色さえ全く見えません。最悪ですがもう引き返せません。いろいろと葛藤を抱えながら歩くこと1時間ちょっと。 そこが写真の避難小屋でした。
建物はコンクリート造りの頑丈なものです。ドアは3つありましたが、ひとつは風と途に音楽を奏でるドアで、不協和音ですので気になります。入り口用のドアも二つあり、最初は外側のドアもちゃんとしまっていたのですが、強風とともに空くようになってきて、供えてある重い角材(柱)をつっかえ棒にしないといけません。
避難小屋ですので、いろいろと装備されています。石油ストーブ・石油缶・ヘルメット・電話・毛布・薪・ハンガー・薬缶ですか。石油ストーブには早速お世話になりました。嬉しいですね、こういうものが置かれているとは。
午後2時40分頃避難小屋に入ってからの時間の経過は遅いものです。4時半ころにはお湯を沸かしてラーメンとかおにぎりを食べ、5時半過ぎには寝袋に入りました。そうそう山男がワインをもってきていたので、そのおかげで酔って眠ることができました。
厚着して寝袋に入ったのに途中寒さを感じてしまいましたが、何とか夜中のおしっこに起きるまで(0:10am頃)は寝ることができました。その後はなかなか寝付かれませんでした。何しろ風はますます強くなり、それとともにドアの不協和音の共鳴音も鳴り響き、何とかしてその音を子守唄と思おうとしましたが無理でしたね。
そうそうおしっこで外に出てびっくり、一面霜が降りていました。草や石に、辻標にも風の吹く方向に沿って霜がびっしりときれいに降りていました。気温は零下だったと思います。
そいうことで1日目は過ぎました。 (以下あした以降に)