きのうのことから始めさせていただきます。
地下鉄東西線国際センター前駅にあるこの二人のモニュメントは先にお知らせしています。いまこの駅の2階のギャラリー?で誰あろう羽生結弦選手のポスター展が開催されています。街中とこの駅と2か所で開催のようです。
(仙台城隅櫓と彫刻)
それできのうの夕方前、散歩も兼ねて歩いて行ってみました。カメラを持って。多分駄目だろうなとは思いつつも、もしかして写真撮影OKとなるかもしれないと思ってカメラも持ちました。
しかし、結論から言うと{撮影お断り}でした。まあそうでしょうね、いいカメラで撮られたりしたらそのまま販売できるかもしれませんので。私のみたいなど素人ならいざ知らず、上手な人もいるでしょうからね。
何十枚の写真があったかな。ポスターだけではなく、滑る羽生のいい表情の写真が一杯ありました。大きい写真ですので、しかもプロの撮影ですから、ついつい魅入ってしまいます。かれの表情がこれまたいいのですね。
いろんな表情をしているのが思わず見る人に語りかけるかのようでもあります。いろんなシーンの生き生きとした表情、体全体からオーラみたいなものが漂うかのようです。 自分としては、撮影OKなら、彼の顔の表情だけをアップで撮ってきて、並べて見たかったのですが。
この駅の周辺はまあ申し分のない自然の美しい景色、風景が広がっています。これがまたいいのです。文と文の間に挿入しているのでじっくり見てください。
この高さも大きさも統一されたかのような大木の並び。これもすごいでしょう。この写真の奥(西側)は東北大学のグラウンドとなっています。 もちろんこのへん一帯は旧仙台城跡地です。
以上きのうの夕方前の国際センター駅周辺の景色でした。
突然ですが、みなさんは昼の連続ドラマ”トットちゃん”を見ていますか?家では見られない日のためにも録画もしています。 いやあ面白いですよ。さすが死なない、不死身の黒柳徹子さんです。
(午前9時過ぎ頃)
生まれる前から、トモヱ学園に転入し、素晴らしい校長先生に巡り合い、小さな片思いもして、お父さんが徴兵され、空襲が激しくなり青森県へ疎開、そこでお母さんが青森と東京を往復して行商で金儲け、トットちゃんも高校生となり、東京へ戻りました。
教会ができていて、そこの神父さんに恋をし、失恋し、音楽学校へ通っているときにお父さんが4年ぶりにシベリア抑留から帰国しました。そしてお父さんはNHK交響楽団に復帰し、コンサートマスター・・・・。
私が言いたかったのはそういうあらすじではなく、時々ラジオから流れてくる「引揚者のお知らせ」です。お父さんが帰国した(舞鶴に)ことを知ったのも近所の人が教えてくれたのでした。ドラマでは戦後4年くらいだからでしょうか、引揚者の名前を放送していましたが、私は覚えてはいません。
わたしが記憶しているのは、帰国者のお知らせではなく、尋ね人の放送でした。『尋ね人の時間』という番組がNHKの朝(と限らないかも)の放送で毎日流れていたことです。今となっては全くはっきりはしませんが、「満州の・・・に住んでいた・・・さん、・・・さんが探しています。』
(よろよろ飛んでいました。)
そういうような内容の放送だったとおぼろげながら記憶しています。小学校の低学年頃かな、その前かも知れませんが。子ども心にも戦争で会えなくなった、離れ離れになったんだななんて気になったものです。
そういえば、むかしはお祭り何かにはよく「傷痍軍人」がいましたよね。ひとりというのは少なく、3,4人くらいの複数の人たちが佇んでいました。手や足を失った元軍人たちがアコーディオンやハーモニカを哀愁たっぷりに弾いていました。
哀愁も感じましたが、また一方では怖さというかそういう感じも味わいました。 大きくなってからは、その中には金儲けのための偽の傷痍軍人もいたのだとも聞きましたが・・・。
そんなことも思い出しながら昼のテレビドラマ”トットちゃん”を見ています。その代り?NHKの”わろてんか”はここ2週間くらいは見ていません。小さい子どもの頃は面白かったのですが、大きくなってからは何か染み入るものがなく、遠のいてしまいました。 面白くなればまた見るかもしれませんが・・・・・・。
今日の分流のサケです。
元気なサケは3匹くらいしか見られませんでした。もしかして4匹いるかも。
中洲へ渡り分流の右岸沿いに上流へ歩いていたら見つけました。一見すると蛇の死骸?と思いますが、これはサケの死骸です。
よくぞきれいにここまで食べられたものです。無駄がありません。天晴です。
(きょうは夕食前に一旦アップして、その後午後9時過ぎに取り掛かりました。)