鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

気仙沼伝説、

2017-11-27 16:08:23 | 思いつくまま

 

 

              (午前9時過ぎ)

 今日の最高気温は8.9度とか、車の中でラジオが言っていました。でも朝方は冷えたなあ~、本当に。 今朝方の立哨は辛かった。まあ合服も今月いっぱいで、師走からは冬服になるから少しは良くなるかなと思っていますが、・・・。

            

 

 貼るホッカイロはもちろん、ネックウオーマーもつけて厚着をしての立哨でしたが、それでもじわじわと両手がかじかんでくるのには参りました。 陽が差していればそれなりにいいのですが、ここは冬は完全に陰になるところで、夏は夏で陽射しが真上から差してくるところです。

 

      

 日中はそれなりに過ごせましたが、寒いのは苦手です。子どもたちはもう完全な冬仕様の服装です。見ているだけで暖かそうで羨ましい限りでした。

 

 

 25日土曜日の夜久し振りに映画を見に行きました。この映画館で、この時間帯だけなので選択の余地はありませんでした。しかもふつう65歳以上となると映画の観覧料は1100円となるのですが、料金は前売りと当日料金だけで、前売りは1400円、当日は1600円均一料金でした。

 2回目の入場となる「桜井薬局セントラルホール」が会場で、時間は18:20~でした。といっても実際は18:30分近くからの上映でした。 しかも古くなっていたからか、開始数分で上映がいったん止まりました。

 こんなことは、お金をとる映画館では珍しいことではないでしょうか。観客は全く私語をすることなくじっと待ち続けます。これは日本人の美徳?なのでしょうか。 何としても見に来た目的とした映画を見るのだという、強い意識がそうさせているのか。

          

 肝心の映画の題名を言っていませんね。それでここまで引っ張ってきました。映画は小林政広監督で、『気仙沼伝説』です。 そうなのです、この映画の題名が、私を土曜日の夜の繁華街へ向かわせたのです。

       

 

 仙台と気仙沼を中心として撮影が行われた作品です。何となんとナントこの映画は私にとってエキストラに目覚めさせた記念すべき映画なのです。はじめて映画の撮影現場で、エキストラとして出させていただいた作品なのです。

 

 もう11年前となる2006年に今はなくなり、NHKの豪華なビルが建っているところにあった「ホテル仙台プラザ」の大広間が撮影会場でした。 その時は映画の題名は「ええじゃないか・ ニッポン 宮城編 気仙沼伝説」とばかり思っていましたが、他の地域編もあったのかもしれません。

 

 これはエキストラとして出た記念の手ぬぐいです。改めて探して触ってみると、手ぬぐいというよりもガーゼ地に近いようです。大きさは手ぬぐいです。

       

 ホテルでの撮影は”懇親会”の場でした。主演の鈴木京香や岸部一徳、山形弁をしゃべるおばちゃん俳優等が出ていました。大きな懇親会の会場ですので、丸テーブルに6人前後のエキストラたちが立っています。立食でしたから。

 テーブルの上には皿に盛られたオードブル等があり、ビールとジュースなんかもありました。食べても飲んでもいい、ビールは飲まないようにと言われていたかな、ということだったのですが、本当に少しずつ口に運びました。

 というのもカメラは私のテーブルを通って中央の方へ向かうのですが、そのシーンだけで何度撮り直ししたことでしょうか。テストテスト、本番となっても納得いかず撮り直し。カメラはレールの上を動くのではなく、カメラマンが重そうなカメラを肩から前に吊り下げて撮影していくのです。

 何度も何度も撮り直しさせられるので、カメラマンは汗一杯かいて頑張っているのです。その様子を見てとっても気の毒に思うと同時に、本当に映画をつくるのが好きでないとやっていけないなと実感しました。本当に大変だなあと思いながら、自分なりに”演技”をしていましたが。

         

 当然映像を確認するために暇な時間が生じるわけで、その時話した隣の女性の話しの内容がとってもおもしろく役に立ちましたね。彼女はベテランでいろいろ出ていたらしく、その時の情景を教えてくれるわけです。

 それとはじめて映画の撮影現場をまじまじと見たわけで、その時の現場の機材の多さ、ケーブルが何十本も床を這っている風景、そしてスタッフとして働いている映画好きの数の多いこと多いこと、そういう人たちがたくさんの機材を使って作っているのかとおもうともう本当に”感動”したものです。

 それ以来ですね、映画やテレビを見ていると、どんな人たちがどんなふうにして作ったのかそれを考えるようになり、一概に簡単に作品を貶すということが無くなりました。一応は敬意を表して見させていただきます。まあつまらないものはつまらないですが。

 撮影は何とか午前中いっぱいで終了したのですが、嬉しいことにいわゆるロケベンというものが出ました。手拭の記念品のほかに。それがとっても豪華で、いろんな食べ物が入っていました。家に帰ってから食べたのですが、いやあこれがロケベンといわれるものかと”感激”しながら家族の前で食べたものです。

 こういろいろ書いていても、自分で書いておきながらとっても懐かしく感じられます。自己陶酔?自己満足?かもしれません。ということはこれを読んでいる人にとってはとってもつまらないないようとなっているということになるのかもしれませんね。

 エキストラとしての原点が詰まっている作品ということになるのでしょうか。だから11年前のことでもいろいろ覚えているようです。

 そして何と言ってもショックだったのは完成した映画が封切されなかったことです。だからなおのことおもいいれが強くなったのかもしれませんね。長いこと日の目を見なかったのです。

 (長くなってしまいました。映画の内容やその理由等は次回に)


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