鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

あの日から、6年8か月

2017-11-11 16:01:34 | 思いつくまま

 

                 (午前9時50分過ぎ)

 朝日新聞の地方版に掲載されていました。

  11月4日です。

 

 興味が湧いてきて8日に荒浜の深沼へ行ってきました。 幸い天気も良く海辺まで行っても寒くはないだろうと思われましたし。今まで何回も行っていますが、防波堤というか防潮堤の上までで海辺までは行っていませんでした。風が強いか寒いかしてそこまで行けなかった。

 

 「荒浜の野菊 18年振り『帰郷』」 「江戸期の作家・真葛の縁、研究者持ち帰る」 「元住民ら『また集まるきっかけに』」 という見出し。 菊の名前は「真葛(まくず)菊」 真葛菊の名付け親は、愛知県大府市二住む門玲子さん。女性史の研究者で、真葛研究の第一人者とのこと。

                     

 1999年門さんは取材のために宮城県を訪れ、荒浜にも立ち寄り、その時近くの沼のほとりで、一輪の野菊に目がとまり、小さな花が「こんにちは」と語りかけてくれているようだったといいます。

 

 それえで自宅に持ち帰り、大切に育てているとどんどん増えていったそうです。門さんは10回ほど取材に通い、2006年に解説書「わが真葛物語」を出版しました。 

                  

 そして2011年3月11日、東日本大震災の大津波が荒浜を襲いました。すぐにでも見舞いに行きたかったのですが、ショックが強すぎると周りから止められ叶わぬままになっていた。

 

           (いまでも土台もろとも破壊されたままとなっています。)

 でも「せめて真葛菊を荒浜に里帰りさせたい」という思いから、仙台市の出版社「荒蝦夷(あらえみし)」の代表者に思いを託し、2鉢を預けたけれど、やはり自分で行きますと決心して、11月1日荒浜を訪れて花壇に無事大事な真葛菊を植えたということです。

                 

 「この花だけは潮をかぶらず、津波の怖さも知らない。お嫁に出したみたいでほっとしています。」(門玲子)

 (注) 真葛は、江戸在勤だった仙台藩医の娘として、1763年に生まれ、35歳で仙台藩番頭の只野伊賀の後妻となり、仙台に移り住んで多くの随筆や哲学書を残した。その中には「ながぬま道記」という作品があり、荒浜海岸での地引網を見に行ったことを書いている。

 ここの花壇の手前には電話ボックスがあります。また木製のポストもあります。

 

 通話はできません。 

 

             

  (再掲)

 上の写真の手前の草むらとなったところに咲いていました。

 

 (上の写真の後方は「荒浜小学校」(震災遺構)です。県外からのバスも含め大型バスが3台止まっていました。)

   変わった模様の百合です。 

 

 

                    

 

 

 

     (海岸の砂浜から) 

 

 

 

 

 

 

 


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