(午前9時頃)
やはり天気予報どおり午後になって雨が降ってきました。シトシト雨です。
(これは毎度毎度の分流の光景です)
(分流の上流口)
(2008年11月21日撮影)
午前中県北の農家さんから玄米を3袋購入してきました。30キロ入りが3袋です。後は来春頃にまた3袋か4袋追加購入する予定です。 これで食料の確保ではホッと一安心です。 きょうは結食に”玄米の新米”を食べようかなと思っています。
(今日の撮影)
(2008年11月21日の分流上流域)
やはり新米ですので、我妻は色つやが違うと喜んでいました。精米した新米ももちろん食べてみるつもりです。
ただこの頃はもう30キロの袋を持てなくなりまして、車に積んでもらうのは農家の奥さん、細いけどそkはやはり鍛えられているのかな。車から自宅へはきょうは子どもに頼みました。去年は夫婦で車から玄関まで運びましたが、それだけでも一苦労でした。
あと新鮮な野菜なんかももらいました。丹波の豆?もいただきました。こちらはお土産を持っていきます。
きのう夕方のニュースを見てびっくりしました。北朝鮮の兵士が38度線上にある板門店で貴宝南へ逃亡してきたというのです。当然北朝鮮は黙って見逃すはずもなく、2か所ですか、撃たれましたが死んではいないようです。
(分流と本流の合流域)
北朝鮮情勢が世界の耳目を集めていますが、まさか板門店でこういうことが起きるなんて意外でした。よくぞここで南へ脱出しようと思ったものです。朝鮮戦争は終結したわけではなく、あくまでも”停戦中”だということが思い出されます。
それと板門店はかって平成9年の2月か3月に若い人たちと視察に行ったことがあり、その時のことが思い出されました。もう20年も前のことではっきりとは覚えてはいませんが、そこで感じた気持ちは、緊張感とある種の解放感というかゆったりとしたものを感じました。
相反するようで変な気もしますが、建物の中が意外にも穏やかだったということかな。行きのバスの中では、近くなってきたときに韓国軍の兵隊の検問というか尋問がありまして、パスポートの提示と写真と顔のチェックがありました。
その時すぐ目の前で見たのが兵士の腰にある黒光りしていた拳銃で、かなり大型の拳銃なのにびっくりし、そこに手を添えながらのチェックでしたね。いつでも拳銃を抜き出せるように身構えていたということです。
バスを降りて北緯38度線をまたぐようにして建てられている建物に入りました。建物の中では自由に北朝鮮側へも行けました。往来は自由でした。至って簡素、質素な机や電球スタンドかな、がありました。
38度線を境にお互いに兵士が立哨しています。当然北朝鮮側の兵士の姿も見えます。同じ軍服でも、北朝鮮側のそれは質素で、韓国側の軍服は華やかさがあったように記憶していますが。
北朝鮮の核実験や大陸間弾道弾の発射等日米中韓露を振り回しています。楽観はできないのはもちろんですがあまりに危機を煽るというのもいただけません。一方的に追い詰めるだけではなく、どこかに話し合いという逃げ道も確保しておかないと、本当に大変なことになってしまいます。
やはりサケは死んでいました。これで全滅です。と下流域へ下っているときはそう思いました。水中にサケの姿が見えなかったから。でも帰り上流域へ向かいながら水中をじっと見るとサケの姿が見えました。
なんともゆっくりとした泳ぎで、きのうのようには背びれを水面い出すような格好にはなっていませんでした。
このパンダサケ、あしたはどうなっていることやら・・・・・。上野動物園のシャンシャンは間もなくお披露目となりますが。
そうそうきょうの「徹子の部屋」は”デュークエイセス”でした。 もう62年間も現役で活躍してきたそうです。二人はもう80歳を超えていると言います。見吟二人が結成当時からの縁バーで左側の二人は後から加入したメンバーです。
でも62年で解散するそうです。凄いことですよね。感心するばかりです。