きのうの元旦はとってもいい天気だったのですが、きょうは気温も低いし、風も強く余計に冷たく感じます。
(午前9時40分頃)
みなさんは年賀状を精力的に出す方ですか?きのうかなりの数の年賀状が届けられましたが、今年から割と頻繁に会う人には出さないようにしようと思っていたのですが、予め断っておかないとどうすべきか悩みますね。
めったに会わない人、会えない人、何年も会ってはいない人を中心に出そうと決心?して食えには少ない年賀状を出したのですが、いつもどおりに年賀状が送られてくると、もらったからには出さなければならないとう責任感、義務感が生じますし、出すべきか出さざるべきかそれが問題だと大いに悩んだところです。
金銭とか手間暇とかの問題ではないのです。終活の一環ということも考えてのことなのですが、いままでやっていたことを変える、止めるということはなかなか難しいものです。 そうそうそう考えるようになったのは日本郵政で働く人たちが年賀状の押し売りをさせられているということを改めて知ったからということもあります。
地位というか職階に合わせて年賀状の販売を強制させられているというではないですか。そういうことなら今のご時世年賀状は止めてもいいのではないかと思った次第です。年賀状でなくて平素からハガキ等を出すようにしておけばいい訳です。まあそうしたら年賀ハガキの売り上げは激減することでしょうね。
きのうのNHKのテレビ「風雲児たち~蘭学革命篇~」、面白かったですね。ちょっとだけ見てみようかなと思ったのですがすっかり掴まってしまい、最後まで見てしまいました。見てよかったなと思った次第です。
(酉年は終わったのですが、)
前野良沢と杉田玄白とのやり取り、和訳していく過程でのやり取り、議論や考えの応酬、真剣身があってとってもよかったです。精魂込めて訳した解体新書ですが、前野良沢の名前がなかったことも分かりましたし、なんでも一番最初にやるということはいかに大変か、どれだけの覚悟が必要か、考えさせられました。
その取り組みの姿勢は見事です。見習いたくてもとてもできません。きょうも、いやきょうからいままで一日伸ばしにしてきたことを、もう先送りはできないとやりはじめ、あたふたとしているような身ではどうしようもありません。身につまされます。
今尾の日本があるのもいろんな先人たちの、光が当たっているのはごく一部で。たくさんの人たちの目に見えぬ努力の積み重ねがあったからなのでしょうね。
きのうは恒例の大崎幡宮へ初詣に行きましたが、今日は午後から気分転換も兼ねてすぐ近くの三居沢のお不動さんへ行ってみました。情けないことですが、寒いので近いのですが車で行きました。もちろんお酒は飲んではいません。
ここもかっては薄暗くてはっきり言って怖くて子ども一人ではとても近寄らないような感じのお不動さんでしたが、いまではとっても明るく氏子?さんもいるし、参拝客も結構いました。明るい雰囲気なのはいいですね。 今はどうか知りませんが、かってここは有名な心霊スポットだったそうです。
肝心の滝ですが全く凍ってはいませんでした。とっても水量が少なく、これでは凍りたくても凍れないのではと思ったりして。まあその分不動明王はよく見えましたが。