鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

いよいよ一大事業が、

2018-01-13 15:43:27 | 思いつくまま

 今日の最低気温はマイナス2.4度くらいで、きのうと比べると大分ましとは言えますが、それでも寒いことには変わりはありません。そのカンパならぬ寒波はあしたまで続きそうで、正直気が重くなってきますね。

  

              (午前9時20分頃)

 というのもあした14日は大崎八幡宮のどんと祭があるからです。我が奥方はなぜか一日早くきょう午前中松飾をすべて取り外して、散歩がてら、また買い物がてら大崎八幡宮へ持っていきました。

       

 もうたくさんの松飾が持ち込まれており、うず高くなっていたとのこと。自分が投げた松飾は上の方に無事のっかったということで喜んでいました。14日の当日行けない場合は翌日15日の午前中に行っていたのですが、前日でもたくさん集められていたそうです。

 

 明日は地元のお正月の最後を飾る一大イベントの日ですので、午後3時頃から10時頃までこの寒空の中交代とは言え立ち尽くすのです。加齢とともに寒さに弱くなり、極端に動きも精神状態も冬眠状態になりつつある現状ではとっても厳しいものがあるのですが、これも地域貢献です。

          

 みんなのお祭りを守り続けていくためにもろんな事故は極力なくしていかなければなりません。なんてカッコいいことを言っていますが、交通指導隊としての大きな仕事の一つとなっていますので、寒さに打ち勝って克己して任務を遂行するのみです。

 

 まあ今からホッカイロを幾つ貼っていくか、足下用のもあるし、背中と肩と腹には貼って行こうかなと思っています。もちろん厚着をしてのことですが。これさえ乗り越えれば、あとはもう何とかなるのですが。

    

 きのう書いた袋に入っていたごみはなくなっていました。どなたかが川そばから引き上げて持ち帰ってくれたようです。ありがとうございました。でもその奥に行くとまたもやゴミです。

 

 いったん帰宅してから、地域清掃用のゴミ袋を持ち出して集めてきました。今年初の善行ですね。ついでにそのまわりのゴミも拾ってきました。

                 

  結構な量でした。

 

 

 そうそうきょうとあすは大学入試のためのセンター試験があるのですね。受験生も寒いときですので大変です。風邪を引くことなく実力を発揮してくれればいいのですが。大学入試はもう50年以上も前のことになりますか。50年といえば半世紀ではないですか!!!びっくりです。

 当時は受験の機会は3回はありましたね。国立では一期校(旧帝大系)と二期校(おおむね旧制高校母体の各県1校で、酷い言い方では駅弁大学なんていわれました。)があり、他に私立大学の受験が可能でした。

 思い出してみると国立一期校の入試は3月のはじめにあり、国立の二期校は3月下旬にありました。一浪しても一期校からはお呼びじゃないと断られ、仕方なく?二期校に入ったものでした。だから最初は大半の人はある種の挫折感を抱きながら二期校に入ったものです。私の場合はもう浪人はできないので入らざるを得なかったのですが。

 入ってはみたものの、宿泊施設は学内にあった大正時代の木造二階建ての建物で、6棟が廊下でつながっていましたね。最初は1階に住んだので気が付きませんでしたが、2階に移ったら廊下を人が歩くと揺れるのです。慣れるまで時間がかかりました。

 冬は殊の外寒かった。貧弱なガラス窓だけですから。それも壊れているところがあって段ボールなんかで塞いでいたりもしました。暖房は「炭」です。その前に部屋は畳敷きでの12畳でした。そこに5人が寝泊まりし、勉強したわけです。

 冬の暖房は火鉢二つに、炭が1週間に1俵支給されました。炭を熾すのは下級生の仕事でお蔭で火熾しは上手になったものです。でも冬は寒いので机に向かっての勉強ではなく、布団に入っての勉強となりました。

 今思えばよくやっていたなあと思うのですが、若かったから何とかなったのでしょう。コタツに入ってのように布団に入って、むかしよくあったリンゴ箱を加工して机代わりにして勉強したものです。一応勉強はしたのですよ。でも時代が時代でしたから、・・・・。

 そうそう夜中に1つのラーメンを3人で分け合って食べたりしたことを思い出しますね。寒いから電熱器を持っている人が居てお世話になりました。そのためよく停電というか漏電防止用のスイッチが落ちたものでした。

 話しが逸れてしまいました。思い出しながら書くつもりならいくらでも書けそうですがきりがないので止めときます。読みたくもない人が多いかもしれませんし。要は寒くても若かりし頃は何とか耐えて生きてきたということです。

              


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