今日は8月8日です。5日は仙台七夕前夜祭の花火大会(注し)、6日は広島の原爆の日で、仙台七夕の初日でもありました。でも今年はコロナ禍で、仙台七夕は中止となっています。
6日から8日までの三日間が七夕の期間なのですが、その三日間のうち必ず1回は雨降りとなるというジンクスがあります。きょうは8月8日、本来であれば仙台七夕の最後の日なのですが、外は午後から小雨となってきました。こんな社会でもジンクスは生きているのでしょうか。
ラジオのニュースによると、東日本西日本ともに全国的に猛烈な暑さだそうで、いろんなところで最高気温が35度を超えているようです。どこの国の話しか?と言いたいくらいです。今午後2時半頃ですが、もっかの最高気温と最低気温は24.6度ー22.6度となっています。午後2時の気温が23.2度です。
猛暑日の地域のみなさんからは、うらやましく思われるかもしれませんが、でも私としては夏というのに23度ではおかしいんじゃないの?と思わざるを得ません。24.6度が最高気温となっていますが、これは深夜も深夜の0時14分の記録です。
昨日は川に入らなかったので、きょうの午後に入ってみようかなと思っていたのですが、この雨と気温では無理はしないようにするつもりです。こうやってみると午後の方が天気は悪くなるようなので、これからは午前中に川に入るようにするかな・・・。
ちょっと前の話しになりますが、4日の朝日新聞の文化面の記事です。「寄稿」らしいですが、岡田暁生という音楽学者(こういう仕事があるのですね。)の『「第九」再び抱き合えるか」、「近代の夢はコロナに勝るか ベートーベンは問う」と見出しのついた寄稿文です。
楽譜は、ドイツの Bärenreiter 版です。かって私が第九の合唱団に入っていた時に使った楽譜の一つです。楽譜は3冊使いました。
(楽譜の上から、ソプラノパート、アルト、テノール、バスの順です。私は上から三番目のテノールパートでした。)
『いつか「コロナは去った」と世界の誰もが感じるようになる日。それを祝うコンサートとした、ベートーベンの「第九」ほどふさわしい曲はないだろう。・・・・・。しかし、今のところ、これは遠い未来の夢物語に思える。』
『「距離をとること」が世界的に求められる今、「第九」は最も上演が難しい音楽になってしまった。交響曲と合唱を合体させた「第九」にとって、舞台に所狭しと奏者や歌手を並べることで生まれるサウンドの「密度」こそ命だ。』
『しかも、ここで言う響きの密度とはただの音響効果のことではない。・・・。響きの密度は友愛理念を可聴化したものであると言っていい。』
『「第九」の初演は1824年。市民社会がまだ若かったころである。同様に、一般の人々に開かれたコンサートも目新しかった。・・・。コンサートという制度は、市民社会の申し子だったのだ。』
『オーケストラと合唱という最もホールに映える手段を駆使し、「分け隔てなく抱き合おう」と呼び掛ける「第九」は、民主主義のアイコンとなった。しかも巨大サウンドという点で、今日のロックコンサートも含む大規模イベント系音楽の原型でもあった。』
『「第九」が上演不可能という事態は、おのずと「近代社会のエンジン停止」という象徴的意味を帯びざるを得ないのである。』
『その感動は、コロナが露呈させた「近代社会の破綻」という現実を忘れさせかねない危険をはらむ。「力をもらった!」と一時的に鼓舞されるだけならば、きたるべき「第九」の再演は、単なる音楽イベントとして消費されて終わってしまう。
『ベートーベンは今、250年の時を経て私達に問う。これまで「第九」で歌い上げてきた理想社会を、きみたちは嘘だったと言い切れるのか。それとも君たちは、この「第九」の理念を真に自分たちのものにするため、再び本気で立ち上がるつもりなのか、と。』
Seid umschlungen, Millionen ! Diesen Kuβ der ganzen Welt !
抱き合え、幾百万の人々よ! このくちづけを全世界に
Brüder ! über'm Sternenzelt muβ ein lieber Vater wohnen.
兄弟よ! 星空の上に 一人の愛する父(なる神)が住んでいるにちがいない
595小節から626小節の部分です。
この部分は私が一番好きなところです。男声合唱から始まり、なんとも厳かな雰囲気の中で始まります。その後603小節から女声合唱が加わりますが、この部分だけは男性パートが中心となって力強く歌い上げますね。
でも4つのパートの出だしが微妙に異なっていて、自分のパートをしっかりと守って巻き込まれないように歌い続けるのが結構難しかったなあ。それはここだけの話しではないですが。
でも、改めて思います。ベートーベンはよくもまあこの第九交響曲をつくったものだ、第4楽章の合唱まで入れて、とつくづくしみじみ思います。ただただすごいとしか言いようがないです。こういう努力の大天才が250年前にいたのですから。