鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

きょうは、と思ったが、

2020-08-18 14:50:01 | 思いつくまま

 

きのうまでは文句なしに暑かったですが、きょうはもしかして30度を切ってくれるのではないかと半分期待していました。そして、辛うじてそうなるかなと思っていたら、熱の神様は甘くはない、きょうも30度を超えてしまいました。

 

午前11時43分に記録した、30.1度が目下の最高気温のようです。過去の記録を見ていくと、過去というほどのことでは全くないのですが、仙台で10日以降最高気温が30度を連続して記録しています。きょうで9日目となります。※14日は29.5度でした。失礼しました。

 

今日はまだ8月の18日です。仙台市内の小学校等はきょうまでが夏休みで、あしたから学校再開です。明日の登校時間、子どもたちはどういう表情でやってくるか、楽しみです。みんな明るく元気に登校してくれたらうれしいです。こんなに暑いのにプールに入れないというのは何とも気の毒です。

 

まだ8月の中旬ですので、先の大戦や原爆にこだわってもいいですよね。8月はヒロシマの原爆投下、9日のナガサキの原爆投下、9日のソ連の中立条約を一方的に破棄しての対日参戦、満州や樺太での蛮行の数々、そして15日のポツダム宣言の受け入れと続きます。

 

ソ連の参戦については、長崎への原爆投下直前の8日深夜(日本時間)にソ連が日ソ中立条約を破棄し、日本に宣戦布告して参戦してきたということになります。そして、ポツダム宣言には日本の降伏のための「条件」が提示されています。以下、「ポツダム宣言を読んだことがありますか?」という本からの抜粋です。

 

主な条件;日本軍隊の無条件降伏 /  武装解除と復員  / 領土の占領  / 領土の縮小  / 軍国主義の除去  / 民主主義の確立 /  平和産業の確保 /  戦争犯罪人の処罰 

 

終戦の詔書(玉音放送)については、部分的にはみなさんご存じかと思います。

「戦局必ずしも好転せず」「敵は新たに残虐なる爆弾を使用して頻(しき)りに無辜を殺傷し」「斯くの如くんば、朕何を以ってか億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや」「惟(おも)うに今後帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず、爾臣民の衷情も朕善く之を知る」「然れども朕は時運の趨く所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以って万世の為に太平を開かんと欲す」最後は「爾臣民其れ克く朕が意を体せよ」です。

あらためて全文を読むとその格調の高さ?というか古めかしさ、その世界の違い、古い漢字の使い方、文語文の圧倒的な質量感を感じてしまいます。

ソ連の宣戦布告文を読んだことがありますか。1945年8月10日11時15分、マリク在日ソ連大使が東郷外務大臣に手渡したと書かれています。布告文の日付は8日です。

 

(引用開始)「(日本がポツダム宣言を拒否(留保)したことから)従って、極東戦争に対するソビエト連邦に宛てられた日本政府の提案は、一切の基礎を失った。調停に関する日本の降伏拒否を考慮し、連合国はソビエト政府に対して日本の侵略に対する戦争に参画し、戦争終結の時期を短縮し、犠牲の数を少なくし、全面的和平をできる限り速やかに克復することを促進するよう提案した。ソビエト政府は連合国に対する自国の義務に従い、連合国の提案を受諾し、本年7月26日の連合各国の宣言に参加した。

 

ソビエト政府においては自国の政府の右針路が平和を促進し、各国民を今後新たな犠牲と苦難とから救い、日本国民をしてドイツが無条件降伏を拒否した後被った危険と破壊避けしめ得る唯一の方法と思惟する。

 

 (澱橋の下流のトロ場ですが、魚がよく跳ねていました。)

以上に鑑み、ソビエト政府は明日すなわち8月9日よりソビエト連邦が日本と戦争状態に入る旨宣言する。            1945年8月8日 」(引用終わり)

 

 (その後この人は鮎を掛けました。慎重にためて、寄せて草むらに引き上げました。)

言っていることと実際にやったこととの落差のなんと大きいことか!!文章自体はとても立派です。しかし、現実にソ連兵が日本軍・日本人に行ったことはいったい何ですか。あれだけ悲惨な目に合わせておいて、どう弁解するのですか。と強く問い詰めたいところですが、・・・・・。悔しいですね。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする