鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

考えさせられます、

2022-10-13 22:07:38 | 思いつくまま

 

きょう10月13日は朝からいろいろありまして、とうとうブログは午後10時過ぎに着手ということになってしまいました。 

 

朝の見守り、午後からの会議(協議や報告事項、審議事項等)は長時間の会議となりました。夜は趣味の方の集まりもありまして、夕食が遅くなると、入浴等も遅くなり、新聞の切り抜きも遅れ、そして今こうブログを書いています。 

書きながら、何をどのように書くか頭では考えているのです。今日は疲れたこともあり、それでなくても遅い頭の回転がますます鈍くなっています。

 

いいことを思いついたなあとその時は思ってもすぐに忘れたりして、もうなかなかそれを思い出せないという悲劇は何回経験していることでしょうか?これが年・歳を取るということの表れなのでしょうが、それにしてはちょっと厳しくもあり悲しくもありますね。

  

10日の月曜日は祝日でしたので、また秋季休業日もありましたので、今週の朝の見守りはきょう13日木曜日となった次第です。基本的なことは変わりません。そうそう、PTAの方からも1名が出ていました。

  

だから道路を挟んで大人二人が子どもたちにあいさつをします。声がけをすることになります。「お早うございます」「行ってらっしゃい」が大半です。 あいさつは子どもたちとは限りません。

  

脇を通る大人にもあいさつをします。「行ってらっしゃい」とは言いませんが。すれ違う大人から子供全員にあいさつをすることになるかな。いまは高校の全面改築工事中ですので、工事作業員にも声掛けしています。

  

こちらとしては楽しく声掛けをして、その結果子どもたちも朝の元気をもらい、また子どもとしても元気を呼び起こしてもらったり、登校したあとは楽しく勉強したり遊んだりしてもらいたいなあと思っていますが、ややもするとあいさつを強要しているといわれても仕方がないかもしれません。

  

まあ、こちらとしては朝方大きな声であいさつすれば気分もよくなり、ある意味スカッとしたりしないか、気分転換にもなるし、大きな声を出すことは決して悪いことではない、それよりはいいことだと思うのですが・・・。

  

このまえの朝日新聞の声欄に高校生の投書がのっていました。見出しは「あいさつって全員に必要?」というものです。要約してみると次の通りとなります。

  

≪ あいさつすることに、本当に意味があるのだろうか。私があいさつすることで、相手に気を使わせてしまうんじゃないか。気持ちのこもっていないあいさつに意味なんてないんじゃないか。

このような気持ちを顕著に感じたのは、小中学校での「あいさつ運動」で、あいさつを返す人はごく少数だし、気持ちも入らなくなり、ロボットのように淡々と作業をこなすだけなった、という経験があるからです。

親しい友達や先生方あいさつするのは分かるが、それ以外のあいさつを求めていない人に対してどう接すればいいのか、というような投書です。≫

確かにそうだよなあ、そう思う人だっているよな、大人の声掛けに迷惑だと思っているかもしれないし、あいさつの押し売りは御免だと思う人もいるでしょうね。わたしの青春時代を振り返ってみると、たぶんそう思っていたのではないかなと思う次第です。

でも、それはそれとして私としては子どもたちには声掛けを続けていきたいなと思っています。

こういう年寄りもいるんだということ、いろんな人間が地域に住んでいるが話をするチャンスがないこと等々理屈になるかならないか自分でも分からないようなことを自分自身に言い聞かせて、週に1回は朝の見守りに立つようにしています。

ここまで書いてきてそんなことはどうでもいいじゃないか、とふとおもうこともあります。物事はもっと簡単、単純なのかもそれません。そうなのです、交通事故防止と不審者対策です。これで十分かもしれません。

なんかあまりにも支離滅裂な文章で非常に恐縮です。いくら眠いとはいってもこれでは失礼です。自分でもそう思います。  おやすみなさい。

  

 

       


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