(飛行機雲がきれいでした。)
早朝は冷えましたがその後は順調に気温は上がってきました。午前6時でマイナス0.2度ですから(きのうは4.1度)。きょうの最高気温は9.3度のようです。
このままいい天気が続いてくれればいいですね。来週の10日は中学校の卒業式があり、その翌週の17日は小学校の卒業式が予定されています。高校は1日でした。
今年卒業する中学校生や高校生は3年間ほぼ丸々コロナ禍の渦中にいたわけで、ある意味”とんでもないこと”を経験したと言えるのかもしれません、この頃なの3年間を否定的にばかり捉えないで、前向きに受け入れてその後の人生の活動のエネルギーにしてほしいですね。
この前ある市民センターの窓口で見つけたチラシに3月5日の”みやぎの〈花は咲く〉コンサート”のことを知り、その中央に何となんとナント佐藤淳一先生の懐かしい顔写真が載っているではないですか!?
これは行かなきゃ、ときょう午後行ってきました、宮城野区文化センターのパトナホールへ。このブログでは何回も書いてきましたが、覚えているでしょうか?多分お忘れかな。仕方がないです。私がお世話になったのは2010から2014の5年間だけですから。
(淳一先生の右隣が奥さんの明子さん)
仙台フィルと第九を歌う合唱団に入ったのですねえ~、この俺が。過去に合唱なんか経験したことがありません、みんなで歌ったのは高校の音楽の授業が最後でした。でも、あとで分かったのですが、私の高校一年の時の担任の先生は宮城県のオペラとかの創設者?出会ったようなのです。なんとも素晴らしいバリトンの声がとっても印象的でした。
それはそれとして、何となんとナントきょうは佐藤淳一先生の奥様も出演されたのです。夫婦での参加ですね。プロフィールを見ていたら同じ佐藤だし、年齢的にも同じのようだし、もしかして夫婦か!?と思ったのですが、実際そうでした。
いやあ、まあ、何と申しましょうか、とってもきれいな奥様でした。メゾソプラノ歌手なのです。淳一先生はテノールです。テノールの高温がきれいなのです。子どもの頃はボーイソプラノと第九の練習の時に言っていたなあ。
そういう二人が一緒に歌うのです。淳一先生の方が一歩とまではいかないか、半歩引いた形での演奏でした。娘さんがいて、親子3人で福島原発からの避難家族を対象にしたコンサート何かにも出ているそうです。
すごいですね、親子3人での演奏ですよ。歌は最高です。人間の体自体が楽器ですからね。そうそう、淳一先生は、何となんとナント私がみちのくの誇り・誉れ・英雄、宝と考えている会津若松出身なのです。ますます淳一先生が好きになりました。
先生が単独で歌ったのは、「ばら・きく・なずな」と「愛燦燦」で、最後の『いつの日か』は夫婦での演奏でした。誰もが知っている文部省唱歌や童謡ですか。編曲とはすごいなあと聴いていて感じました。
「しゃぼん玉」「揺籃(ゆりかご)のうた」「叱られて」「夕焼小焼」「汽車の歌」「赤とんぼ」をメドレーで歌ってくれました。感激感動です。思いっきり拍手をしてきました。
時間も一時間ちょっとでちょうどいい感じです。淳一先生、奥さんの明子さんともに東京藝術大学声楽科卒業です。ミュンヘンへの留学時期も一緒でした。