鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

いやはや、相撲界

2017-11-15 15:49:34 | 思いつくまま

 きのうですが、飛んでいました、見つけました。雪虫です。

    (実物はもっともっと小さいです。)

 そしてきょう11月15日は「七五三」ですね。

 

             (午前9時過ぎ)

 そんなに寒いということはなかったのですが、午後遅くから天気予報どおり小雨がぱらついてきました。 明日は冬型の天気になるのかな。 まだ早いな冬は。12月から冬らしくなってもいいかな、12月なら止むを得ないかなと思います、何とも勝手ですが。

         

 今朝も広瀬川分流付近を往復しましたが、サケらしい姿の魚はとうとう見つけられませんでした。 かといって新しいサケの死骸が見つかったというのでもありません。 でも多分今年遡上してきたサケはきょうからはいなくなったといっていいのでは?

                  

 

 きのうの1匹も3メートル四方を流されるかのように、泳ぐというよりは動いていただけですから。 はっきりと酒ならぬサケを確認したのは10月26日でした。きょうが11月15日。ということは約20日間だけの楽しみだったということになりますか。

 

 小魚の姿が左岸へチで見られました。

         

 狭い分流でサケの生と死のドラマを見させていただきました。サケに感謝ですね。サケを含む魚類に改めて感謝です。

 

 そうそうまだ生きていました。

 

                 

 

 しかし、それにしても、どこまでが本当かは何とも言えませんが、日馬富士の暴行・傷害事件はちょっとひどすぎませんか。

 平手で叩くというのならまだしも、30余発も殴って、それでも足りなくてビール瓶で後頭部を殴ったというのですから。すぐには症状が現れなかったようですが、日々の経過とともにリンパ液が出てきたりとか。

 このところ相撲界も落ち着いてきた感じで、稀勢の里の活躍等もあり、それなりに大相撲のテレビでの感染ならぬ観戦(午後5時以降がメインですが)を楽しみにしてきたのですが、きょうからはシラケた気分で観戦することになりそうです。

 これが小さな会合等での出来事ならまだしも、その席には白鵬も鶴竜も居たというではありませんか。だから今回の傷害事件は簡単には許せません。二人の横綱も一回は日馬富士を止めたというらしいですが、それも本当かどうか怪しく感じます。

 そして呆れてしまうのは、そういうことがあったにもかかわらず、九州場所を何ごともなかったかのように振る舞い、取り組んでいたことです、張本人の日馬富士も白鵬も。

 かって貴乃花や若乃花は”相撲道”に邁進するとかいっていましたよね。横綱になる時かな。なんとも白々しく空しく響きます。 白鵬や鶴竜が真剣になって日馬富士の暴行を止めに入っていれば、傷害事件までにはなっていなかったかもしれないですよね。

 そう考えると傍観者である彼らも同罪、加害者のひとりと言ってもいいようにさえ思ってしまいます。だからなおのこと呆れかえるし、いたたまれない気持ちになってしまいます。

 これで日馬富士は横綱にはふさわしくないということがはっきりしたわけで、もう相撲界から追放しかありません。そして傷害事件として裁判を受け刑に服する、それがけじめであるし責任をとるということでしょう。 横綱4人なんて多すぎますし、横綱昇進のときは政治家が大臣になる時にやっているような”身体検査”も必要でしょう、情けないことですが。

 

                 (逆さまな写真ではありません。)

 昔むかし、むかしも昔、私が小学校の低学年だった頃かな、野球場である評定河原球場に相撲取りの一行が巡業?でやってきたことがあります。 練習風景をガキどもで見に行ったことがあります。

 そのときは横綱はいなかったようで、大関の朝潮(汐、これだったかな)と松登がいました。朝潮は体も大きくて胸毛がすごかったし、その後映画にも出たことがあるし、松登はとっても太っていたので記憶しています。 その後秩父山?かいや若秩父か、もっと太った関取が出てきました。

 陰の方でお金はもちろん払わず(お金をとったのかどうかもはっきりしませんが)、若い相撲取りの練習を見ていました。その練習風景を大関たちも見ていたと思います。気合が入っていないと大関連中はどうしたか?叩きつけたのです、竹箒で。

 いやあ迫力があったなあといまでも思い出されます。もっとも何回も叩いたわけではないし、もちろんビール瓶なんかは使いませんでした。でも裸なのに、竹箒で思いっきり叩かれるわけですから迫力がありました。

 

 (前の写真を180度回転させました。分流に映った中洲の大木です。)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

板門店、

2017-11-14 14:35:23 | 思いつくまま

 

              (午前9時頃)

 やはり天気予報どおり午後になって雨が降ってきました。シトシト雨です。

  (これは毎度毎度の分流の光景です)

          (分流の上流口)

  (2008年11月21日撮影)

 午前中県北の農家さんから玄米を3袋購入してきました。30キロ入りが3袋です。後は来春頃にまた3袋か4袋追加購入する予定です。 これで食料の確保ではホッと一安心です。 きょうは結食に”玄米の新米”を食べようかなと思っています。

           (今日の撮影) 

  (2008年11月21日の分流上流域)

 やはり新米ですので、我妻は色つやが違うと喜んでいました。精米した新米ももちろん食べてみるつもりです。

                         

 

 ただこの頃はもう30キロの袋を持てなくなりまして、車に積んでもらうのは農家の奥さん、細いけどそkはやはり鍛えられているのかな。車から自宅へはきょうは子どもに頼みました。去年は夫婦で車から玄関まで運びましたが、それだけでも一苦労でした。

              

 あと新鮮な野菜なんかももらいました。丹波の豆?もいただきました。こちらはお土産を持っていきます。

 

 

 きのう夕方のニュースを見てびっくりしました。北朝鮮の兵士が38度線上にある板門店で貴宝南へ逃亡してきたというのです。当然北朝鮮は黙って見逃すはずもなく、2か所ですか、撃たれましたが死んではいないようです。

 (分流と本流の合流域)

 北朝鮮情勢が世界の耳目を集めていますが、まさか板門店でこういうことが起きるなんて意外でした。よくぞここで南へ脱出しようと思ったものです。朝鮮戦争は終結したわけではなく、あくまでも”停戦中”だということが思い出されます。

                           

 それと板門店はかって平成9年の2月か3月に若い人たちと視察に行ったことがあり、その時のことが思い出されました。もう20年も前のことではっきりとは覚えてはいませんが、そこで感じた気持ちは、緊張感とある種の解放感というかゆったりとしたものを感じました。

 相反するようで変な気もしますが、建物の中が意外にも穏やかだったということかな。行きのバスの中では、近くなってきたときに韓国軍の兵隊の検問というか尋問がありまして、パスポートの提示と写真と顔のチェックがありました。

 

 その時すぐ目の前で見たのが兵士の腰にある黒光りしていた拳銃で、かなり大型の拳銃なのにびっくりし、そこに手を添えながらのチェックでしたね。いつでも拳銃を抜き出せるように身構えていたということです。

 バスを降りて北緯38度線をまたぐようにして建てられている建物に入りました。建物の中では自由に北朝鮮側へも行けました。往来は自由でした。至って簡素、質素な机や電球スタンドかな、がありました。

                        

 38度線を境にお互いに兵士が立哨しています。当然北朝鮮側の兵士の姿も見えます。同じ軍服でも、北朝鮮側のそれは質素で、韓国側の軍服は華やかさがあったように記憶していますが。

 

 北朝鮮の核実験や大陸間弾道弾の発射等日米中韓露を振り回しています。楽観はできないのはもちろんですがあまりに危機を煽るというのもいただけません。一方的に追い詰めるだけではなく、どこかに話し合いという逃げ道も確保しておかないと、本当に大変なことになってしまいます。

 

 やはりサケは死んでいました。これで全滅です。と下流域へ下っているときはそう思いました。水中にサケの姿が見えなかったから。でも帰り上流域へ向かいながら水中をじっと見るとサケの姿が見えました。 

 

 なんともゆっくりとした泳ぎで、きのうのようには背びれを水面い出すような格好にはなっていませんでした。

  

 このパンダサケ、あしたはどうなっていることやら・・・・・。上野動物園のシャンシャンは間もなくお披露目となりますが。

 

 そうそうきょうの「徹子の部屋」は”デュークエイセス”でした。 もう62年間も現役で活躍してきたそうです。二人はもう80歳を超えていると言います。見吟二人が結成当時からの縁バーで左側の二人は後から加入したメンバーです。

 

 

 でも62年で解散するそうです。凄いことですよね。感心するばかりです。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よく冷えた日で、

2017-11-13 15:47:36 | 思いつくまま

    

             (全く雲一つない青空です。冷え込むはずです。)

 いやあ今朝方はよく冷えましたね。とっても寒く感じられました。最低気温は4度台ですか?12月の気温とか言っていました。

                

  

 もう立冬も過ぎたし、11月は夫婦で山形のそば街道めぐりをしようかなと思っていたのですが、行けるかどうか?微妙なところです。新そばを気持ちも新たにいただこうかなと思っていたのですが、まだスタッドレスタイヤに交換していないこともあり、行くのに躊躇してしまいます。

                

 あしたは県北の農家の人から新米の玄米を買ってくるつもりです。新そばと新米というつもりでしたが、そばはどうなることやら・・・・。

 

 まだ忘年会は一回も経験してはいないのですが、今日の午後はさらに先を行く会合がありまして、来年の新年祝賀会の打ち合わせです。140名以上の大規模な会合ですので、何かと大変ではあります。 

 

 生きていく上ではいろんなことが必然的にありますが、考え方によってはそれがいいことなのだとも思います。 定年退職して10年も過ぎれば、残りの人生をどう過ごすかということが大事になってくるわけでして、そのためのモットーを自分なりに大切にしています。

 

 (この水量が乏しくなった分流にサケは何とか2匹浮かんでいます。元気に泳いでいるとはいいがたいです。)

  (この2匹です。)

 (背びれを出して、浮いています。ゆっくり旋回しています。1匹はそれでもなんとか潜ったりはしていますが。)

 市内のシニアの団体の活動から知ったのですが、① することがある   ② 行くところがある ③ 会う人がいる  この①から③の全部が揃えばいいのですが、全部とまではいかなくても一つでも二つでもあればいいということです。

 

 何もしないで一日中テレビを見てボーとしているのは、一日二日くらいなら耐えられても毎日となったら地獄でしょう、少なくとも辛いと思います。 何とも思わなくなったら、と思うとぞっとしますが、それもある意味傲慢なことかもしれません。

 

 私にとっては今のところ河原の散歩やサケとかの出会いが生き甲斐とまではいきませんが、楽しみとなっています。 今ブログも毎日何かしら書くことが日課となっていて、それなりに楽しみでもありますが、時には苦痛でもあります。

 

                  (この痛々しい背びれ)

 こんなことを書いて一体何になるのだろうと思うことしばしです。虚しさを感じることもあります。これが真夏、盛夏であればそんなことは言っていられませんが、鮎釣りシーズン終了後のブログをどうしていくか、いろいろ考えてはいます。

 

 それなりの迷いがあるからでしょうか、このところアクセス件数は大幅に落ち込んでいます。そうなると相乗的にブログをどうすべきか悩みは大きくなってしまいます。今はそういう葛藤に入っているということなりますね。

 

 

 もうこの2匹の命は風前の灯火のように感じます。だから?か1匹は私の方にいつもよりも近付いてきたように感じます。)

 

                         

  

                  


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

快晴、紅葉、黄葉、白黒

2017-11-12 14:12:33 | 思いつくまま

 

 風もなく、申し分のない天気となっています。午前中は雲が多かったですが、陽射しが強くなり、まさに小春日和真っ最中という感じですか。

                  

 

 そして世の中は木々の葉が散る前の短い命の燃焼を静かにそれでいてしっかりと表現しているふうけいで溢れています。

                 

 

       

 広瀬川分流では生き残っているサケは2匹だけとなっているようです。近くにすんでいますが、ときおり追っかけっこをしたりもしています。 巣作りをする動作は見られません。

 

  この2匹です。

 

 河原の石の芸術?作品でしょうか。

 

           

 本流右岸へチに、中洲の右岸から飛んでいきました。

    

   

 これはきのう撮影の近くの中島町公園の様子です。 全体風景はこうです。

 

 近寄って下からの撮影です。

 

 銀杏が一杯実っていて、きのうは風があったものですから、パラパラとというよりはバラバラと凄まじいような音を立てて落ちてきます。

 

 頭や服の上にも落ちてきそうです。二人の人が銀杏を拾っていました。銀杏は美味いのだけれども、食べるまでにするのが嫌ですね。

 

 

 

 きょう午前の河原の様子です。

 

       サギ と カラス         サギ とカ ワウ

                      

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの日から、6年8か月

2017-11-11 16:01:34 | 思いつくまま

 

                 (午前9時50分過ぎ)

 朝日新聞の地方版に掲載されていました。

  11月4日です。

 

 興味が湧いてきて8日に荒浜の深沼へ行ってきました。 幸い天気も良く海辺まで行っても寒くはないだろうと思われましたし。今まで何回も行っていますが、防波堤というか防潮堤の上までで海辺までは行っていませんでした。風が強いか寒いかしてそこまで行けなかった。

 

 「荒浜の野菊 18年振り『帰郷』」 「江戸期の作家・真葛の縁、研究者持ち帰る」 「元住民ら『また集まるきっかけに』」 という見出し。 菊の名前は「真葛(まくず)菊」 真葛菊の名付け親は、愛知県大府市二住む門玲子さん。女性史の研究者で、真葛研究の第一人者とのこと。

                     

 1999年門さんは取材のために宮城県を訪れ、荒浜にも立ち寄り、その時近くの沼のほとりで、一輪の野菊に目がとまり、小さな花が「こんにちは」と語りかけてくれているようだったといいます。

 

 それえで自宅に持ち帰り、大切に育てているとどんどん増えていったそうです。門さんは10回ほど取材に通い、2006年に解説書「わが真葛物語」を出版しました。 

                  

 そして2011年3月11日、東日本大震災の大津波が荒浜を襲いました。すぐにでも見舞いに行きたかったのですが、ショックが強すぎると周りから止められ叶わぬままになっていた。

 

           (いまでも土台もろとも破壊されたままとなっています。)

 でも「せめて真葛菊を荒浜に里帰りさせたい」という思いから、仙台市の出版社「荒蝦夷(あらえみし)」の代表者に思いを託し、2鉢を預けたけれど、やはり自分で行きますと決心して、11月1日荒浜を訪れて花壇に無事大事な真葛菊を植えたということです。

                 

 「この花だけは潮をかぶらず、津波の怖さも知らない。お嫁に出したみたいでほっとしています。」(門玲子)

 (注) 真葛は、江戸在勤だった仙台藩医の娘として、1763年に生まれ、35歳で仙台藩番頭の只野伊賀の後妻となり、仙台に移り住んで多くの随筆や哲学書を残した。その中には「ながぬま道記」という作品があり、荒浜海岸での地引網を見に行ったことを書いている。

 ここの花壇の手前には電話ボックスがあります。また木製のポストもあります。

 

 通話はできません。 

 

             

  (再掲)

 上の写真の手前の草むらとなったところに咲いていました。

 

 (上の写真の後方は「荒浜小学校」(震災遺構)です。県外からのバスも含め大型バスが3台止まっていました。)

   変わった模様の百合です。 

 

 

                    

 

 

 

     (海岸の砂浜から) 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

落葉の前に、

2017-11-10 17:33:14 | 思いつくまま

 きのうのことから始めさせていただきます。

 

 地下鉄東西線国際センター前駅にあるこの二人のモニュメントは先にお知らせしています。いまこの駅の2階のギャラリー?で誰あろう羽生結弦選手のポスター展が開催されています。街中とこの駅と2か所で開催のようです。

 (仙台城隅櫓と彫刻)

 それできのうの夕方前、散歩も兼ねて歩いて行ってみました。カメラを持って。多分駄目だろうなとは思いつつも、もしかして写真撮影OKとなるかもしれないと思ってカメラも持ちました。

 

 しかし、結論から言うと{撮影お断り}でした。まあそうでしょうね、いいカメラで撮られたりしたらそのまま販売できるかもしれませんので。私のみたいなど素人ならいざ知らず、上手な人もいるでしょうからね。

       

 何十枚の写真があったかな。ポスターだけではなく、滑る羽生のいい表情の写真が一杯ありました。大きい写真ですので、しかもプロの撮影ですから、ついつい魅入ってしまいます。かれの表情がこれまたいいのですね。

 

 いろんな表情をしているのが思わず見る人に語りかけるかのようでもあります。いろんなシーンの生き生きとした表情、体全体からオーラみたいなものが漂うかのようです。 自分としては、撮影OKなら、彼の顔の表情だけをアップで撮ってきて、並べて見たかったのですが。

 

 この駅の周辺はまあ申し分のない自然の美しい景色、風景が広がっています。これがまたいいのです。文と文の間に挿入しているのでじっくり見てください。

 

     

 この高さも大きさも統一されたかのような大木の並び。これもすごいでしょう。この写真の奥(西側)は東北大学のグラウンドとなっています。 もちろんこのへん一帯は旧仙台城跡地です。

 

        

 以上きのうの夕方前の国際センター駅周辺の景色でした。

 

  突然ですが、みなさんは昼の連続ドラマ”トットちゃん”を見ていますか?家では見られない日のためにも録画もしています。 いやあ面白いですよ。さすが死なない、不死身の黒柳徹子さんです。 

   

                            (午前9時過ぎ頃)

 生まれる前から、トモヱ学園に転入し、素晴らしい校長先生に巡り合い、小さな片思いもして、お父さんが徴兵され、空襲が激しくなり青森県へ疎開、そこでお母さんが青森と東京を往復して行商で金儲け、トットちゃんも高校生となり、東京へ戻りました。

                 

 教会ができていて、そこの神父さんに恋をし、失恋し、音楽学校へ通っているときにお父さんが4年ぶりにシベリア抑留から帰国しました。そしてお父さんはNHK交響楽団に復帰し、コンサートマスター・・・・。

        

 私が言いたかったのはそういうあらすじではなく、時々ラジオから流れてくる「引揚者のお知らせ」です。お父さんが帰国した(舞鶴に)ことを知ったのも近所の人が教えてくれたのでした。ドラマでは戦後4年くらいだからでしょうか、引揚者の名前を放送していましたが、私は覚えてはいません。

                

 わたしが記憶しているのは、帰国者のお知らせではなく、尋ね人の放送でした。『尋ね人の時間』という番組がNHKの朝(と限らないかも)の放送で毎日流れていたことです。今となっては全くはっきりはしませんが、「満州の・・・に住んでいた・・・さん、・・・さんが探しています。』

  (よろよろ飛んでいました。)

 そういうような内容の放送だったとおぼろげながら記憶しています。小学校の低学年頃かな、その前かも知れませんが。子ども心にも戦争で会えなくなった、離れ離れになったんだななんて気になったものです。

              

 そういえば、むかしはお祭り何かにはよく「傷痍軍人」がいましたよね。ひとりというのは少なく、3,4人くらいの複数の人たちが佇んでいました。手や足を失った元軍人たちがアコーディオンやハーモニカを哀愁たっぷりに弾いていました。

  

 哀愁も感じましたが、また一方では怖さというかそういう感じも味わいました。 大きくなってからは、その中には金儲けのための偽の傷痍軍人もいたのだとも聞きましたが・・・。

  そんなことも思い出しながら昼のテレビドラマ”トットちゃん”を見ています。その代り?NHKの”わろてんか”はここ2週間くらいは見ていません。小さい子どもの頃は面白かったのですが、大きくなってからは何か染み入るものがなく、遠のいてしまいました。 面白くなればまた見るかもしれませんが・・・・・・。

 

 今日の分流のサケです。

  

                   

 

                        

 元気なサケは3匹くらいしか見られませんでした。もしかして4匹いるかも。

 中洲へ渡り分流の右岸沿いに上流へ歩いていたら見つけました。一見すると蛇の死骸?と思いますが、これはサケの死骸です。

 

 よくぞきれいにここまで食べられたものです。無駄がありません。天晴です。

 (きょうは夕食前に一旦アップして、その後午後9時過ぎに取り掛かりました。)

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強い風が、

2017-11-09 14:01:18 | 思いつくまま

 きのうまでの小春日和のようないい天気とは異なり、寒くなってきましたし、何よりも強風が吹くようになりました。 今は陽射しが出ていて、風を遮ればあったかいのですが、やはり時折強い風が吹きます。

  

 昼前ちょっと自転車で外出したら、マフラーの人がかなり目につきました。もちろんコートも着ています。そういう時期なのですね、立冬を過ぎましたから。

                

 

 強い風が吹くとどうなるか、強くなくても風が吹くと困るのですね。 それは川面が乱れてしまうからです。さざ波が立ってしまって川底が見えなくなります。それでなくても川の仲の写真を撮るのは難しいのになおのこと撮り辛くなります。

                 

 

 結論からいえば、今日は川底の写真は、サケの写真は撮れませんでした。ということで先のとっておいた写真をご覧いただきます。7日に1匹の、また2匹で群れる、たまに3匹のサケたちの写真を撮ることができましたから。まだ紹介していなかった写真が一杯あります。

  

 

 それはそうときのうの北京でのドナルド夫妻の歓迎風景はすごいですね。北京の故宮を貸し切りにして、習夫妻が直々に案内するという力の入れようです。そのまえの韓国でのドナルドたちに対する韓国側の行動もいろいろと物議を醸しています。そういえばいつの間にか昭恵夫人も表に出ていましたね。(先の選挙では一私人どころではなく安倍晋三そのものになったかのように選挙運動をしていましね。)

 

 (そうそう下の堤防まで下りたときハッとしました。目の前の分流にカモが居たのですから。それも5羽も。多分カモの方も驚いたことと思います。)

 従軍慰安婦や領土問題等の問題はありますが、いいなと思ったのはドナルドたちの訪韓を歓迎しない人たちのデモがあったということと議会での演説が組み込まれていたということですね。日本だって国会が開会されていたのですから、アメリカ大統領の国会での演説があってしかるべきではなかったかと後になって思いました。

 

 (でもカモのリーダー(親かも)が偉かったです。すぐの飛び立とうとはしなくて、ゆっくりと分流の上流へ泳いでいきました。嬉しかった?ですね、そのカモの配慮が、気配りが。)

 政府関係者はだれも国会での演説について考えなかったのでしょうか。みんな安倍の気持ちを忖度に忖度して、ふたりだけの時間をたっぷりとってやろうと思ったのでしょうか。二人の親密さを何としても国民に印象づけようとそればかり考えたのでしょうか。だからゴルフであり、焼き肉であり、ピコ太郎だったのでしょうか。その挙句基金への拠出や兵器の購入を約束させられてしまいました。

 

 そうか、国会での演説なんかよりも護衛艦いずもですか、ヘリコプター用の大型空母にこそ何とかして乗船して欲しかったのか。でも必死の努力にもかかわらずそれは叶わず夢に終わりました。もしかして安倍はドナルドと空母の上で談笑し、この空母でアメリカを守って見せますなんてええかっこしたかったのかな。

 

 きょう発売の週刊誌、週刊新潮かないろいろ書かれていましたね。日本に来たのに、羽田や成田空港ではなくアメリカの横田基地に着陸したこと、日本国内なのに自衛隊の高官が厳しい身体検査を受けたこと等「世界が白眼視する究極のおもてなし」と揶揄していました。

 

 (そして上流の方へ言って様子見です。その間私は下流へ向かって不安を与えないようにしました。そしてまたゆっくりと上流へあるいたら、カモたちはいつしか下流へ来ていましたので、堤防の上に上がり遠回りして分流の上流域へ向かった次第です。)

 今朝のさラジオでかな、田中康夫が言っていました、ドナルドが天皇陛下に拝謁するとき背広のボタンを掛けていなかったと。確かにテレビで見た限りではそう言われてみるとそんな感じでした。何も日本式に深々と頭を下げて礼をしろとは言いませんが、マッカーサーのイメージが残ってるのかな、ドナルドには。

 

 (これは上流の方の本流の大きな岩盤の上のカモたちです。望遠が役立ちます。サギもいたようなのですが、カメラを向ける前に飛び去っていきました。)

 だからきょうのカモたちにバラのご褒美です。

 

                     

  

 肝心のサケの写真が抜け落ちました。 11月7日撮影です。

 

  3匹のサケが丸く泳ぎまわり、追いかけっこをしています。

 

  下の写真は2匹だけですが、自分としてはまあよく撮れたかなと思っています。

 

 体は柔らかいのですね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生と死は必然なれど、

2017-11-08 15:33:49 | 思いつくまま

 

 きょう午後からちょっとドライブしてきましたが、街中の落葉がすごくなりつつあります。とくにケヤキですね。信号待ちしているときでもケヤキの葉がパラパラとフロントガラスに舞い落ちてきます。 これを風情があるというべきか、無常を感じるべきか、いろんな考えがあるでしょう。

             

 

 ケヤキが一番目立ちますが、銀杏も多いですね。特に銀杏の葉は重いからか風に靡きながら散っていくというのではなく、そのままほぼ真下に落ちていくように思います。

              

 家の柿の木の葉もまだほとんど残ってはいますが、そろそろ散り始めてきました。肝心の柿の実は去年と比べて三分の一以下に減ってしまいました。30個も採れませんでした。聞くところによると柿の実は一年置きに実るとか。来年は期待しましょう。

 

 先週ですか、川をじゃなくて皮を向いて干してあります。 一年前のきょうこの頃はもう食べていました。今年は柿を獲るのも干すのも遅かったようです。でも少ないとはいえ、大好きな干し柿が食べられますので楽しみです。

   

 イチジクが終わると柿というのも乙なものでありがたいことです。

 

 今日の午前9時過ぎのいつもの広瀬川の分流では、まさに日々生と死が織りなされて時間が経過しています。 きょう上流側から数えた範囲では、死んだサケが9体(きのうは6体か)、生きているサケは6匹となっています。

         

 その6匹は面白いことに3匹ずつに分かれて群れており、その群れ同士の距離は10メートルもありません。6匹ですから、2匹ずつの3グループができれば一番よかったのですが、そううまくはいかないようですね。

 オスとメスの数が揃わなければ番(つがい)にもなれないでしょうし。3匹だから、時々仲間内で喧嘩して追いかけっこをしているわけです。まあ運動になっていいのかなとも思いますが、党のサケたちにしてみれば子孫を残せるかどうかですので必死なのかもしれません。

 

 やはりきょうもメスのサケは体をよじって川底の小石をどけようと一生懸命でした。ただ見ている限りでは、あまり深くなく、それでは川底の石に当たらないだろうと思ってしまいます。

  

 また小砂利よりも大きい石のあるところで産卵床をつくろうとしているようで、なんかちぐはぐというか無駄なことをしているようにも見え、「オイ、そこじゃないだろう、掘るのは」と言いたくなってきます。

       

 今分流にあるサケの死骸です。見てやってください。ここまで来てくれたのですから。

 上流からです。これは新しい死骸です。

  アップすると、

     

 

        

 

                   

 

      

 

 見事な死と言えるのかもしれません。寝たきりにはならないようで。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ありがとう、川に、サケに

2017-11-07 15:38:05 | 思いつくまま

 

            (会議のため、午後1時前となりました。)

 立冬ですね、いよいよ”冬”の文字が出てきました。 「山茶始開(つばきはじめてひらく)」 もともとは椿のことでしたが、日本では山茶花(さざんか)の名前として定着したそうです。

             

 

 旧暦の本には、冬の使者として、「木枯らし」「凩」「木の葉落し」「木の葉颪(おろし)」「落葉時雨」「風葉」などの言葉が並んでいます。風情がありますね。詩心がたっぷりです。

             

 言葉というと、きのうの新聞の「ひととき」欄に18歳の大学生の投稿が載っていました。 何でもスマホを落としてしまった1週間、その時に考えたこととして、『いかに考えることをせずに自分が思ったこと、感じたことをすぐに発信していたか』 『感じた瞬間に発する言葉には重みが足りないとは思わないだろうか。』 『自分がどれほど考えてから発信する行動に移しているのか、一度立ち止まってみることは大事だと思う。』 ということで、『今までの言葉との付き合い方を見直す機会を得た。』

 

 素晴らしい発見ですね、気付きですね。スマホをお風呂でもトイレでも寝る時も手放せない人は是非ともこの言葉を噛みしめてほしいですね。もっていないからいう訳ではないですが。

 

 

 結局ドナルドは何のために日本に来たのでしょうか。 はっきりしましたね。何が何でもアメリカファーストであり、アメリカ経済立て直しというか、貿易赤字解消のため軍事物資、兵器を買ってくれと売り込みに来たことが。

 二人だけの会談で日本側は例によって気前よくお金を出すことを喜んで約束したのでしょう。どうでもいいような基金に57億円もポンと出して、太っ腹なところを見せたいのでしょう、高額な最新兵器を気前よく買って、アメリカを潤し、日本の軍備を充実拡大し、ことあらばアメリカの盾となって北朝鮮のミサイルをカッコよく打ち落としたいのでしょう。

 

        (せめて画像だけでも、きれいな写真にします。)

 表向きは二人だけの首脳会議などと言っても、実際にはすべて日米地位協定や日米合同委員会で実務派取り決められていくのでしょうから、明るいかのような表と訳の分からぬ裏があるということを肝に銘じておかなくてはいけないようです。

 北朝鮮による日本人の拉致問題、ドナルドが拉致被害者の家族に会い記念撮影をした写真が大きく新聞に掲載されていましたが、みなさん何かおかしいと思いませんでしたか。私は非常に違和感を持ちました。恥ずかしささえ覚えました。

  (近くの中島町公園)

 何でドナルド夫妻と”森友”夫妻が中央にいるのですか。拉致被害者の家族たちこそが中央に並び、それを日米の首脳が挟むというか囲む、それこそが本当に拉致を何とかしたいと思っているのであれば、そういう配慮が必要ではなかったのでしょうか。

 本来拉致被害の解決は、被害者が頼み込んで解決すべき問題ではないでしょう。国の主権が侵されたわけですから、率先して国が、日本国が解決に向けて動き出すべき筋合いのものでしょう。口ではカッコいいことばかり言っておきながらサッパリ具体には動き出さない日本国のトップ。アメリカ頼みでいいのですか。

    (昔天賞酒造があったところ) 

 少しは小泉を見習えと言いたいです。小泉内閣のときから拉致問題には関わってきているのですから、自分が首相になったからには率先して自ら北朝鮮へ行って解決の糸口を探すというようなことがなぜできないのか。世界各国を回るのを自慢しているようですが、肝心の韓国や北朝鮮、そして中国、これらの国々にこそ何度でも足を運んでもらいたいものです。

 何か今回の選挙やアメリカ大統領の訪日は、北朝鮮を利用しての”国難選挙”であり、北朝鮮を利用しての”近代兵器の売り込み”と言っていいように思います。 情けない話です。

 

 

 ここからが本題です。 結論から言うと、きょうの昼過ぎの広瀬川分流には生きているサケは6匹、死んでいるサケは6体ありました。 そのうち巣作りに励んでいるサケの写真が何枚か撮れましたので紹介します。 写りはいまいちですが。

 

 (そんなサケたちにきれいなバラの花を捧げます。)

                         

 横になって尻尾で川底の小石を掘ろうとしています。

 

      

                    

           

 

 

 

               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何とも平和で、     ありがたく?

2017-11-06 15:54:01 | 思いつくまま

   

                  (午前9時前)

  (まだいました。)

                        

   このブログを書きながらいつも思っていることは何ともニンゲンの記憶というのはあやふやというか、いい加減だなということです。何ともお恥ずかしい限りです。 でもそれの繰り返しが愚かなるニンゲンの、それなりの人生ということになるのかななんて思ったりもして。

            

 

 きのうは寒くて外に出るのは大変だったのです。高齢のではなく恒例の河原の散歩も風がとても冷たく、冬間近と実感したと雑記帳には書いておきながら、すっかり忘れているのですから。 最高気温も14.4度までしか上がらなかったのです。最低気温は7.1度

 

      

 今日は朝から放射冷却現象で冷え込みましたが、日中は時間の経過とともに気温も上がりとっても過ごしやすい一日となりました。朝からその後も空には雲一つない青空が広がっていました。気温も20度近くまで上がっています。

 

       

 上ったと言えばTBSの世論調査ですか、安倍内閣の支持率が上がり、不支持よりも多くなったとかお昼のテレビでやっていました。 一体どうなっているのか?私には信じがたい現象です。正直言って呆れるばかりです。

           『国難と脅しゴルフをする笑止』 (千葉県 真庭さん)

 

 きのうですか、つい最近まで国難来ると騒いでいたのに、そんなものはどっかへ行ってしまって、好天の下平和そのもののようなトランプ大統領と安倍首相のゴルフがありました。2時間もかけたのです。何思う松山プロ。

           『被爆地も沖縄もパスしグリーンへ』 (三重県 山本さん)

           

 ゴルフしながらの方が話しのしにくいことも話しができるとか誰かが得意になって言っていましたが、そんなものでしょうか。 そして夜には高級鉄板焼きの店に入りました。ここには1時間30分居たのかな。何を話したことやら。

           『大統領希少な友に会いに来る』 (長崎県 下道さん)

    

 実に平和でのどかな時間の過ごし方ではないですか。日米同盟の絆がより深まったなどと言ってはしゃいでいる事柄でしょうか。得意満面の笑顔で”ドナルド”なんて言っていましたが、アメリカ史上最低の大統領と親しく親密になったと喜んでいるのは日本だけだというではないですか。 (Donald John Trump)

 『憲法に基づく臨時国会召集要求を無視、一切の国会審議を拒んだまま衆院を解散した安倍政権。これほど国民が下に見られては付き合いきれない。批判はこれで最後にする。』

 

 思い返せば、アメリカのどんな大統領でも無条件に親密になること、ファーストネームで呼び合う関係になることが日本国首相としての一番の願いであり喜びであったように感じます。感じますが、今度の大統領だけは、笑っていられない、まともに信じていいものかどうか、大いに眉唾物だとおもっています。

 『(大統領との夕食にピコ太郎、ゴルフに松山英樹を呼ぶことについて)もし日本ではなく、中国やロシア、フランスやドイツなどだったら、その国の首脳も同じことをするのだろうか。』

          

 何のことはない、本当はますます主従関係が強化されただけじゃないですか。独立国として恥ずかしいことではあってもはしゃぐことではありません。日本の何もかもがアメリカに取り込まれてしまうという危機感がないのでしょうか。 まあアメリカの属国だから、一つの州のようなものだから構わないということか。アメリカ合衆国のアジア州というか日本州ということか。

 歴史と素晴らしい伝統のある日本国民のひとりとして慙愧に耐えません。

 (注)『 』の川柳は朝日川柳より、『 』の文章は声欄(福岡県の吉野さん 83歳)よりの引用です。

          

   

 小魚がとっても多くなっていますし、嬉しいことに今朝は3匹の生きたサケを見ることができました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥は元気で、

2017-11-05 14:07:51 | 思いつくまま

 雲はありますが、陽射しもあったりしてそれなりに過ごしやすい天気です。

    

 昨夜の日本シリーズ、横浜DeNA、惜しかったですね。 折角3-1で勝っていたのに。 またあの小柄な左腕投手が好投快投していたのに、・・・・。

             

 昨夜は横浜DeNAが勝つだろうと感じていました。ただ投手交代が難しいだろうなとも思っていました。悔やまれるのは8回裏のピッチャーゴロの処理ですね。

 

 3塁ランナーが飛び出してきていたので、また1アウトですから、何としても得点させないということが一番なのに、なぜかピッチャーは1塁へ送球してしまい、1塁はアウト、ホームはセーフで1点取られるということになってしまいました。

 

      

 このはっきりしないプレイが流れを変えてしまいましたね。悔やんでも悔やみきれない凡プレイとなってしまいました。 DeNAはきのう勝って、きょう負けるというのが個人的には望ましいと考えていたのですが、結局は延長戦でソフトバンクの勝利となり、日本一のチームとなってしまいました。

 

 

 午前9時45分頃河原の散歩となったのですが、一気に広瀬川分流のサケの生き残りは減ってしまったようです。つまりはサケの死骸が増えたということにもなります。

               ① 

 ② 

 死骸の位置関係は下の写真のとおりです。 ここはいつも元気なサケたちがたむろしている、泳いでいる場所なのです。

 

 ③の写真は、丁度①の死んでいるサケのそばを通る生きている貴重なサケです。

  ③ 

 どうしても感情移入してしまいがちになるのですが、生きているサケはどういう気持ちで生きているのでしょうか。気になりませんか? 気にする方がおかしいですか?

 サケの死骸は5体ありましたが、確認できた生きているサケは1匹だけでした。きのうは3匹のサケが流れに抗して元気に泳いでいたのに。単に見つからなかったということであればいいのですが。

      ④ 

 ④は誰かが支柱から引き揚げたのではないかと思いますが、鳥たちに食べられているようです。まあこれは輪廻ですから仕方がありません。 これは分流の最下流部にありましたが、そういえば分流を下流に向かって歩いているときに、下流域から鳥が2羽飛んできました。

 

                

 

 最初はカラスかなと思いましたが、カラスにしては翅が長いし大きい感じです。カワウだと思います。カワウと言えば、きのうの午前カワウのいい写真が撮れました。

 

                

 実はこの写真はカワウとカモが写っています。

 

 

                 

 もう一つの大きな岩の上にはカモたちです。

 

 何か今年の遡上してきたサケの寿命はとっても短いように感じます。遡上が多かった年は12月まで分流で生きていたのですが。 何か理由が、原因があるのでしょうか。ニンゲンとの一体感を楽しむ期間があまりに短すぎます。

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手塚治虫、

2017-11-04 16:36:22 | 思いつくまま

 

            (午前10時頃)

 きょうは寒くはないのですが、曇りがちで時々ぱらついたり不安定な天気ですね。きのうおとといの天気がまるで嘘のようです。

             

 (上の写真のブロックのところまでサケが3匹も泳いでいきました。)

 

 日本シリーズ、どうなるのでしょうね。DeNAも奮起して連勝しましたから、勢いに乗っているし面白い試合が展開されるのかなと楽しみにしています。 前にも書きましたが、きょうもDeNAが勝ってもいいです、というか今日も勝って欲しいですね。

             

 

 そしてあしたは死闘の末、ソフトバンクが勝つ、それでいいと思っています。横浜DeNAはプロ野球を面白くしてくれればいいのです、セリーグ3位の意地を見せてくれればいいと思っています。やっぱり日本シリーズは広島とソフトバンクとで行われるのが尋常なことと思いますね。

 

 生きているサケの写真はこれだけでした。死骸は3体あります。

    

 

 きのう11月3日は手塚治虫の誕生日ということでした。きのうの朝日新聞には一面全面の広告が掲載されていました。

           

    

 

 『 すべての手塚作品の根底には「戦争がいかに悲惨か」「命がいかに尊いか」というメッセージが流れています。それを子どもたちに伝えたいと必死に描き続けました。 』

 てもとですぐに見つかったのはこの本です。

         ①-1 

 ①-2 

 ①の本の解説で、白井聡は言っています。

 『 戦後日本の場合、・・・。手塚治虫も水木しげるも、ひたすら暗い、救いのない戦争漫画や実録的軍記物を描き続けた。その執念は、われわれは敗者であるがゆえに、現代戦争の悲惨さを虚心に見つめることができるのであり、それを世界に伝えることに普遍的意義があるとの確信に支えられていたはずだ。 』

 そして、『いままさに危機にさらされているのは、この確信である』、と続きます。最後は、『われわれは、一つの時代の終わりに臨んでいるのか、それとも終わりをさらに繰り延べようとしているのか、その答えは間もなく出るだろう。』

 ②-1 

    ②-2

 ③-1 

 ③-2 

 ③で、編者の中野さんはこう書いています。

 『そして今、「戦後70年は新たな戦前の始まり」と言われている。若者たちの間には、「戦争ですべてを破壊してしまう以外に、世の中を変える方法はない」と言い切る人もいる。政治も着々と日本を戦争のできる国に変えようとしてる。その行くすえを、手塚は何度も描いてきたのではなかったか。』

 このままでは日本は、ますます悲観の度合いを深めていくようで、先の選挙でもそれを追認するかのような結果になってきましたし、遂に理想は消えてしまうのでしょうか。それでいいのでしょうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あったかい、あついくらい

2017-11-03 17:01:57 | 思いつくまま

  

                   

 きょうは文化の日。 マンガの日でもあるようです。 何でも手塚治虫が生まれた日とか。 また明治天皇の誕生日でもあります。

                

                      ( ↑ この早瀬まで泳いでいく元気なサケもいました。)

 

 そのためということはまったくないのでしょうが、きょうはとってもあったかい、暑いくらいの一日でした。きょう昼を挟んで、地元の高校生たちとの交流会があったのですが、ハイネックのシャツでは暑いくらいでした。 ジャンパーなんか持っていくんじゃなかった。

 

        

 まあ若い人達と半日を過ごして、何かと大変ではありましたが、楽しかったし若返ったようです。

 

          

 

 ということで、河原へ行ったのは午後3時頃でした。いつもの分流には高齢者のほかにお祖父さんと孫娘がサケの観察に来ていました。6人いたかな。 高齢者のひとりは、分流のサケを見てもう嬉しくてきょうは3回目の分流詣でとか言っていました。

 

                  

 わたしを上回るような気持ちの人がいました。嬉しいです。 サケが複数匹遡上してきたという為でしょうか、なぜかまたしても小魚が多くなってきました。 サケの産卵した卵を狙ってるのではないかという高齢者もいましたが、どうなのでしょうか。

 

            

 

 確かに毎年のことではありますが、サケの遡上と小魚とは因果関係みたいなものがありそうです。一体これだけの数の小魚がどこから集まってくるのかと驚くくらい狭い分流に集まることがあります。 そしてつしかどこかに行ってしまうのです。

 

                         

 不思議と言えば、もう3匹、いや4匹になるか、サケの死骸を見ているのですが、同じ場所に居続けるということはない死骸もあるのが不思議ではあります。いつしかそこから消えてしまっているのです。2匹の死骸がそうです。

  きょう発見

 前から同じところにあります。

 流されていくにしては水量が少ないですし、鳥やカニに食べられるとしても骨くらいは残るはずです。でも不思議なことに忽然と消え去る死骸もあるのです。

 

 うまく撮れません!!カメラのせい?腕のせい? 多分腕のせい・・・。

 

          

 

           

 

  よく撮れました。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は暖かく、

2017-11-02 14:29:21 | 思いつくまま

 きのうの仙台の最低気温は6.2度でした。一番冷えたようです。 きょうは過ごしやすい天気となっていますね。暖かいです。ありがたい。

    

 午前中はあしたの交流会用のミカンを5キロ入れで7箱朝市で買ってきました。あしたは200人規模の交流会があります。月曜日は災害用のアルファ米や小さい羊羹を区役所より頂いてきました。

 明日は寒くはないようだし、いい交流会になるのではないかと思っています。

                

 

 きのうのDeNA、よくやりましたね。6-0でソフトバンクを完封しました。あの左腕の若手の小さいピッチャー名前は何といいましたっけ、普段DeNAの試合は見たことがないので記憶に残ってはいません。失礼。172センチくらいの小さい体ですが、低め低めに投げようと努力しているのが伝わってきました。浜口投手ですか。

                

 ついついDeNAに勝って欲しくなり応援しながらテレビを見ていました。長いこと愛してきた我が広島カープを破って日本シリーズに出たのですから、せめて2勝はしてほしい、できたら3勝して接戦に持ち込んで欲しいと思うわけです。

 

 最終的には我が東北楽天を破ったソフトバンクに優勝してはもらいたいですが、ラミレス監督の笑顔を見るのもいいものです。何か可愛いですね、あのはにかむような表情が。

          

 

          

 

 今朝も午前9時過ぎに河原へ行ったのですが、また別のところでサケの死骸が見つかりました。(9人を2か月間で連続して殺した男、死体を風呂場で解体し、首をクーラーで保管するなんて、若い男の何がそうさせたのでしょうか。ひとりを殺すと怖くなくなり、殺すことが何ともなくなるのでしょうか、殺し続けなければならなくなったのか。今後の展開が待たれます。単なる猟奇殺人事件か、もしかして人肉食の虜になってしまったのか。)

 ①-1

    ①-2

 ②-1 

              ②-2

 早すぎるサケの死骸を見るのは辛いです。自然の理(ことわり)とはいえ、少し残酷だなと思わない子tもないです。

 ③-1 

     ③-2 

 ③のサケは定点観測しているところの右岸へチにいました。

  ④ 

          

  ⑤ 

                     

 ⑥ 

 何とか2匹のサケが写っていました。 (上)

                      

            


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだ早いのに、・・・・・・

2017-11-01 16:39:07 | 思いつくまま

    

                (午前9時15分頃)

 

 (朝の立哨のときも雲を見たのですが、細かい鱗雲みたいな雲が北から東の方にゆっくりと流れていました。)

 今朝方は冷え込みましたね。さすが霜月に入ったということだけあります。 午前5時で7.7度とかいっていました。 霜から雪に変わっていきます。 それが自然の流れ。

            

 

 きのうの朝日新聞の地方版に載っていました。 『上流までサケ遡上』 『台風の増水影響か』 『仙台の高柳川で確認』という見出しが並びました。 写真は2枚も掲載されていました。

 

 高柳川という名前自体聞いたことがありません。記事によると七北田川の支流のようです。七北田川にも堰堤があり、普段はサケが超えることは難しいのですが、台風21号による大雨で川が増水し、堰を上りやすくなったためではないかと書かれています。

       

                 (分流には2羽のカモの姿がありました。)

 サケは生まれ育った河川に3,4年後に戻って産卵して一生を終えると聞いていますが、ということは高柳川に遡上し、産卵したことがあるサケが居たということなのでしょうか。それともたまたま七北田川が増水したために遡上し、その勢いで支流の高柳川まで遡上してしまったということなのでしょうか。

 

 何にしてもそこで番となれて、無事産卵できたら素晴らしいですね。

 

    (分流への遡上口)

 

 

 高柳川に負けじと広瀬川の分流のにもサケがたくさん遡上してくれればいいのですが、きょう確認したところでは元気なのは4匹でした。

 

 ↑ このサケはここの場所を動きません。川底はきれいになっています。ここで何としても産卵するのだという静かな気迫のようなものが感じられます。

 ↓ 分流の右岸へチには2匹、時に3匹のサケが集まり、活発に動き回っています。

 

 

                

 

 

 でも分流の下流左岸にありました。 えっ何これ!?と言ってしまいました。

 

              (下の写真は水の中に戻したものです。)

 

 きのうはこういうことはなかったのに・・・・。どういうことでしょうか? まだ早いでしょう、早すぎます。分流のトロ場でサケの仲間同士もっと動き回って愛情を確かめ合う時間が必要でしょう。 それとももうすでに産卵したのかも・・・・・。

 何にしても残り少ないサケたちの命です。 悔いのない晩年を送っていただきたい、臨終を迎えてほしいと思うのはおかしいでしょうか。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする