きのうですが、飛んでいました、見つけました。雪虫です。
(実物はもっともっと小さいです。)
そしてきょう11月15日は「七五三」ですね。
(午前9時過ぎ)
そんなに寒いということはなかったのですが、午後遅くから天気予報どおり小雨がぱらついてきました。 明日は冬型の天気になるのかな。 まだ早いな冬は。12月から冬らしくなってもいいかな、12月なら止むを得ないかなと思います、何とも勝手ですが。
今朝も広瀬川分流付近を往復しましたが、サケらしい姿の魚はとうとう見つけられませんでした。 かといって新しいサケの死骸が見つかったというのでもありません。 でも多分今年遡上してきたサケはきょうからはいなくなったといっていいのでは?
きのうの1匹も3メートル四方を流されるかのように、泳ぐというよりは動いていただけですから。 はっきりと酒ならぬサケを確認したのは10月26日でした。きょうが11月15日。ということは約20日間だけの楽しみだったということになりますか。
小魚の姿が左岸へチで見られました。
狭い分流でサケの生と死のドラマを見させていただきました。サケに感謝ですね。サケを含む魚類に改めて感謝です。
そうそうまだ生きていました。
しかし、それにしても、どこまでが本当かは何とも言えませんが、日馬富士の暴行・傷害事件はちょっとひどすぎませんか。
平手で叩くというのならまだしも、30余発も殴って、それでも足りなくてビール瓶で後頭部を殴ったというのですから。すぐには症状が現れなかったようですが、日々の経過とともにリンパ液が出てきたりとか。
このところ相撲界も落ち着いてきた感じで、稀勢の里の活躍等もあり、それなりに大相撲のテレビでの感染ならぬ観戦(午後5時以降がメインですが)を楽しみにしてきたのですが、きょうからはシラケた気分で観戦することになりそうです。
これが小さな会合等での出来事ならまだしも、その席には白鵬も鶴竜も居たというではありませんか。だから今回の傷害事件は簡単には許せません。二人の横綱も一回は日馬富士を止めたというらしいですが、それも本当かどうか怪しく感じます。
そして呆れてしまうのは、そういうことがあったにもかかわらず、九州場所を何ごともなかったかのように振る舞い、取り組んでいたことです、張本人の日馬富士も白鵬も。
かって貴乃花や若乃花は”相撲道”に邁進するとかいっていましたよね。横綱になる時かな。なんとも白々しく空しく響きます。 白鵬や鶴竜が真剣になって日馬富士の暴行を止めに入っていれば、傷害事件までにはなっていなかったかもしれないですよね。
そう考えると傍観者である彼らも同罪、加害者のひとりと言ってもいいようにさえ思ってしまいます。だからなおのこと呆れかえるし、いたたまれない気持ちになってしまいます。
これで日馬富士は横綱にはふさわしくないということがはっきりしたわけで、もう相撲界から追放しかありません。そして傷害事件として裁判を受け刑に服する、それがけじめであるし責任をとるということでしょう。 横綱4人なんて多すぎますし、横綱昇進のときは政治家が大臣になる時にやっているような”身体検査”も必要でしょう、情けないことですが。
(逆さまな写真ではありません。)
昔むかし、むかしも昔、私が小学校の低学年だった頃かな、野球場である評定河原球場に相撲取りの一行が巡業?でやってきたことがあります。 練習風景をガキどもで見に行ったことがあります。
そのときは横綱はいなかったようで、大関の朝潮(汐、これだったかな)と松登がいました。朝潮は体も大きくて胸毛がすごかったし、その後映画にも出たことがあるし、松登はとっても太っていたので記憶しています。 その後秩父山?かいや若秩父か、もっと太った関取が出てきました。
陰の方でお金はもちろん払わず(お金をとったのかどうかもはっきりしませんが)、若い相撲取りの練習を見ていました。その練習風景を大関たちも見ていたと思います。気合が入っていないと大関連中はどうしたか?叩きつけたのです、竹箒で。
いやあ迫力があったなあといまでも思い出されます。もっとも何回も叩いたわけではないし、もちろんビール瓶なんかは使いませんでした。でも裸なのに、竹箒で思いっきり叩かれるわけですから迫力がありました。
(前の写真を180度回転させました。分流に映った中洲の大木です。)