■馬方 捧庵二度目の上書
二度目之目安
上申候三ヶ条之書付理之事
一、肥後守祝言ゆい入之儀、御輿請取之事相談ニ不付、美作守ほしきまゝの事
一、斎藤采女と申者、秀頼おち右京大夫、おいなから子ニ仕候、古肥後守かゝへ召置候、
先年大坂籠城之刻、大坂江走入申候、彼者、美作守・丹後守・周防守引廻シ申者ニ
御座候故、大坂江采女はいり候跡、知行万肝煎遣候事
一、木村長門守弟左兵衛と申者、古肥後守時より召置候、大坂被 仰事之時、長門守弟之
義ニ御座候間、大坂江走入候義可有之と、加藤丹後守ニ両度迄心付仕相届申候処、丹
後守目をかけ申者之事候間、はしらせ申間敷之由、慥請乞候へ共、次之年御陣之刻、
大坂江走入申候、旁以美作守親子、逆心之様ニ御目付衆も御覧被付ニ付而、拙者ニ被
仰聞段御座候事
一、大坂申事之砌、肥後守船共兵庫江廻シ申候、大船三艘舟子無之付而大坂川口残置候、
右馬允申付、引出させ候歟、出候事於不成者焼わり候様ニと申候処ニ、丹後守、秀頼ニ
左程にくミを請候事不入事と達而申、吉村橘左衛門・相田内匠其座ニ居申候、丹後守同
前ニ橘左衛門も申ニ付、多分背かたく船其儘置候事
一、下川古又左衛門所ニ而、年寄共寄合之刻、立身を存候ハゝ証人を可捨と、美作守親子
誓文ニて申候事
一、美作守太閤譜代之者ニ御座候、其上関ケ原之時、被成御改易候橋本掃部・寺西伊豫
(次郎助)・伊(生)駒主水・新宮安房守か様之者、別而美作親子目をかけ申候、其内新
宮相果候跡ニ、大坂江遣状出候、此外国侍返(迄カ)引入之事
一、橋本掃部・井上茂大夫公事之儀ニ付而、去月霜月ニ目安肥後主上申候処、玉目丹波
請取、周防ニ相渡、美作親子計ニ申聞、残年寄二ハ当年二月二申聞せ候、如此之仕合
不相届候様ニ存候事
一、桑原少斎と申者、何茂年寄共談合ニて国を払候処ニ、残年寄共も不存、今迄国ニ居申
候、美作守親子・周防守・備中守ハ存召置候事
一、和田備中守、中川周防守妹縁辺之儀、古肥後守申候筋目相違之事
一、丹後守知行高違之事
一、玉目丹波守ニ知行遣候時、国中えり取ニ仕候、古肥後守給人之知行取上、蔵人ニ付
仕候をも遣候、此知行所二ハ段々申分御座候事
一、丹波守新屋敷申候普請之儀、家中役目之者并諸百姓ニ申付こし大垣外かいまてつき
まはし、杣とめ仕候山をも切あらし、材木とらせ并植付迄も諸百姓ニ申付、数人つかひ
候故、百姓迷惑候事
一、柴山五兵衛と申者ニ、知行高二百五拾石あき跡可遣之候旨、肥後守被申出し(候)、
然所三百余遣候、此段美作守親子、丹波ハ存、残年寄共ハ不存候、山岡杢太夫と申
者、不相届儀御座候て、肥後守知行取上召置候処に、于今至而所務仕候、美作親子・
周防目をかけ候者ハ、か様之仕度尽之儀数多御座候事
(天和四年)
七月廿三日 捧庵
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二度目之目安
上申候三ヶ条之書付理之事
一、肥後守祝言ゆい入之儀、御輿請取之事相談ニ不付、美作守ほしきまゝの事
一、斎藤采女と申者、秀頼おち右京大夫、おいなから子ニ仕候、古肥後守かゝへ召置候、
先年大坂籠城之刻、大坂江走入申候、彼者、美作守・丹後守・周防守引廻シ申者ニ
御座候故、大坂江采女はいり候跡、知行万肝煎遣候事
一、木村長門守弟左兵衛と申者、古肥後守時より召置候、大坂被 仰事之時、長門守弟之
義ニ御座候間、大坂江走入候義可有之と、加藤丹後守ニ両度迄心付仕相届申候処、丹
後守目をかけ申者之事候間、はしらせ申間敷之由、慥請乞候へ共、次之年御陣之刻、
大坂江走入申候、旁以美作守親子、逆心之様ニ御目付衆も御覧被付ニ付而、拙者ニ被
仰聞段御座候事
一、大坂申事之砌、肥後守船共兵庫江廻シ申候、大船三艘舟子無之付而大坂川口残置候、
右馬允申付、引出させ候歟、出候事於不成者焼わり候様ニと申候処ニ、丹後守、秀頼ニ
左程にくミを請候事不入事と達而申、吉村橘左衛門・相田内匠其座ニ居申候、丹後守同
前ニ橘左衛門も申ニ付、多分背かたく船其儘置候事
一、下川古又左衛門所ニ而、年寄共寄合之刻、立身を存候ハゝ証人を可捨と、美作守親子
誓文ニて申候事
一、美作守太閤譜代之者ニ御座候、其上関ケ原之時、被成御改易候橋本掃部・寺西伊豫
(次郎助)・伊(生)駒主水・新宮安房守か様之者、別而美作親子目をかけ申候、其内新
宮相果候跡ニ、大坂江遣状出候、此外国侍返(迄カ)引入之事
一、橋本掃部・井上茂大夫公事之儀ニ付而、去月霜月ニ目安肥後主上申候処、玉目丹波
請取、周防ニ相渡、美作親子計ニ申聞、残年寄二ハ当年二月二申聞せ候、如此之仕合
不相届候様ニ存候事
一、桑原少斎と申者、何茂年寄共談合ニて国を払候処ニ、残年寄共も不存、今迄国ニ居申
候、美作守親子・周防守・備中守ハ存召置候事
一、和田備中守、中川周防守妹縁辺之儀、古肥後守申候筋目相違之事
一、丹後守知行高違之事
一、玉目丹波守ニ知行遣候時、国中えり取ニ仕候、古肥後守給人之知行取上、蔵人ニ付
仕候をも遣候、此知行所二ハ段々申分御座候事
一、丹波守新屋敷申候普請之儀、家中役目之者并諸百姓ニ申付こし大垣外かいまてつき
まはし、杣とめ仕候山をも切あらし、材木とらせ并植付迄も諸百姓ニ申付、数人つかひ
候故、百姓迷惑候事
一、柴山五兵衛と申者ニ、知行高二百五拾石あき跡可遣之候旨、肥後守被申出し(候)、
然所三百余遣候、此段美作守親子、丹波ハ存、残年寄共ハ不存候、山岡杢太夫と申
者、不相届儀御座候て、肥後守知行取上召置候処に、于今至而所務仕候、美作親子・
周防目をかけ候者ハ、か様之仕度尽之儀数多御座候事
(天和四年)
七月廿三日 捧庵
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