「江戸随想集35」にある、横井也有の「うずら衣」にある、パロディ風の「鳥獣魚虫の掟」が非常に面白い。
労を惜しまずご紹介してみようと思う。原文については「早稲田大学図書館」がアーカイブで公開しているのでご覧いただきたい。(最末参照)
世の中がいま不景気で困っているから、今般鳥獣並に魚や虫どもに、みなみな節約倹約をするよう申し付ける。
その行儀作法のわるい事は改めるよう申し付ける。左の個条/\はきつと相守らねばならぬ。
一、蝉はすずしの羽織を着ていることは、身分不相応も甚だしい。今から後は、横麻一羽ぬきに仕替えること。
一、松虫や鈴虫どもは、籠の中で砂糖水を好んでいるのは、贅沢のことである。今後は野山にいた時と同様に、露ばかり吸って精出して鳴くこと。
一、蟻は塔を組むことは、自身のはたらきで建てることは差支えない。しかし他からの寄付や助力を頼むことは一切いたしてはならぬ。
かつまた熊野へ参詣するために、大勢つれだすのは無駄な事である。これから後はニ三人づつひまがあつた時にお参りすること。
一、蛍は一晩中火をともして飛びあるくことは、町々、家が立て込んでいる所は、火の元が心配だから、遠慮いたすがよい。
池・川・田地などの水辺は差支ないこと。
一、蜘蛛は御領地のうちで、むやみに綱をはり、諸虫を捕えるのは、不都合極まることである。
以後は、その場所相応の税をお上に差し上げること。但し蠅取り蜘蛛は税をおさめるには及ばない。
一、蜂蜜は、小便を高い値で売る事は、諸方の苦痛になるからよろしくない。今後は世間並みの値で、米六升ほどの計算で売りはらうこと。
一、蟷螂は、自分が気の短かい強情で、斧をもつていろいろな虫を殺しているのは、甚だ不都合極まる事である。今後はむね打をも一切いたしてはならぬこと。
一、金魚の仲間のものどもは、近年ことに派手になった。今後は金魚の飾りは一切してはならぬこと。ただし赤塗りに砂箔ぐらいまでは差支ないこと。
一、蛤は春暖のころ、自分の気持ちがよいのに得意になって、楼閣を建てる事は、甚だ奢りのことに聞こえる。
今後は、そのような普請は一切やめにすること。もし居宅の柱が損じても、其の時は根つぎをして使うこと。
一、蝙蝠は、昼は、橋の下にかくれており、夜になると毎夜/\人里をあるきまわることは、そのわけがわからない。
鳥獣の検査があるときは、どちらにも言いぬけをして、お上の役目を勤めないそうだが、不都合しだいである。
今後は、立会人のさしずを受け、鳥の役も獣の役もきつとつとめること。
一、いんこは、むやみ勝手に、五色の錦や、ぬいとりのある美しい着物を着ていることは、甚だ奢りである。
今後は、何色でも一色に改め、勿論縫箔などは一切しない事。
一、白鳥、白雀などこの間は見えたが、先年は頭ばかり白いのさえ稀であったのに、近来はむやみ勝手になったのは、甚だよろしくない。
以後は決して変ったなりをしてはならないこと。
一、鼠は、嫁入りの様子が仰々しいことである。廿日鼠に五升樽もたせることは身分に過ぎることである。以後は提錫ですますこと。
馳走した上に、天井で躍りなど催してさわがしい。人々の妨げにならぬように、空二階や、縁の下などが盆の中に躍るのは差支ないこと。
一、猩々は、常に大酒をのみ、乱舞の楽しみは贅沢である。持出し振舞など、今後は一切してはならないことである。
まことにやむを得ないわけがあつて、会合などがあつても、一種類の料理で、酒は盃一杯だけにするがよい。もっとも酒はその付近のうけ酒屋で小買にすること。
一、狸はふぐりを四畳半にのばしたり、茶をたてて人をま迷したり、諸道具に金銀を費せしめたることはよろしくない。
右のような仕業はやめなければならぬ。自分の楽しみとして腹つづみを打つことは別に差支ないこと。
一、馬の太鼓をうつことは、交通のはげしい道筋、または問屋の前を遠慮しないで無礼の至りである。
つまるところこれも自分のおごりというものであるから、以後はやめること。
ただし、厩ではさしつかえないが、火の見時の太鼓に当りさわりのないようつつしむこと。
一、青鬼・赤鬼の仲間どもは、虎の皮の褌はしてはならぬ。今は病犬の皮があるから、早速仕替えるがよい。ただし、右は家持とか頭分の事である。
借家住とか、召使の鬼どもは、古い桐油合羽の切れを腰に巻いて用いること。
右の個条/\をかたく守らねばならぬ。ゆるがせにして心得ちがいの者共がある場合は、きつと罰を申しつけるであろう。
その心得違いの種類によっては、蟻の町代や組頭まで、おちどとなるであろう。
宝暦九卯七月
早稲田大学図書館所蔵の「鵜衣‐四/四」
この中の53~57コマが該当文になります。
クローズアップしてご覧ください。