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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■横井也有のパロディ「鳥獣魚虫の掟」

2019-11-18 11:28:29 | 書籍・読書

 「江戸随想集35」にある、横井也有の「うずら衣」にある、パロディ風の「鳥獣魚虫の掟」が非常に面白い。
労を惜しまずご紹介してみようと思う。原文については「早稲田大学図書館」がアーカイブで公開しているのでご覧いただきたい。(最末参照)

 世の中がいま不景気で困っているから、今般鳥獣並に魚や虫どもに、みなみな節約倹約をするよう申し付ける。
 その行儀作法のわるい事は改めるよう申し付ける。左の個条/\はきつと相守らねばならぬ。
  一、蝉はすずしの羽織を着ていることは、身分不相応も甚だしい。今から後は、横麻一羽ぬきに仕替えること。
  一、松虫や鈴虫どもは、籠の中で砂糖水を好んでいるのは、贅沢のことである。今後は野山にいた時と同様に、露ばかり吸って精出して鳴くこと。
  一、蟻は塔を組むことは、自身のはたらきで建てることは差支えない。しかし他からの寄付や助力を頼むことは一切いたしてはならぬ。
    かつまた熊野へ参詣するために、大勢つれだすのは無駄な事である。これから後はニ三人づつひまがあつた時にお参りすること。
  一、蛍は一晩中火をともして飛びあるくことは、町々、家が立て込んでいる所は、火の元が心配だから、遠慮いたすがよい。
    池・川・田地などの水辺は差支ないこと。
  一、蜘蛛は御領地のうちで、むやみに綱をはり、諸虫を捕えるのは、不都合極まることである。
    以後は、その場所相応の税をお上に差し上げること。但し蠅取り蜘蛛は税をおさめるには及ばない。
  一、蜂蜜は、小便を高い値で売る事は、諸方の苦痛になるからよろしくない。今後は世間並みの値で、米六升ほどの計算で売りはらうこと。
  一、蟷螂は、自分が気の短かい強情で、斧をもつていろいろな虫を殺しているのは、甚だ不都合極まる事である。今後はむね打をも一切いたしてはならぬこと。

  一、金魚の仲間のものどもは、近年ことに派手になった。今後は金魚の飾りは一切してはならぬこと。ただし赤塗りに砂箔ぐらいまでは差支ないこと。
  一、蛤は春暖のころ、自分の気持ちがよいのに得意になって、楼閣を建てる事は、甚だ奢りのことに聞こえる。
    今後は、そのような普請は一切やめにすること。もし居宅の柱が損じても、其の時は根つぎをして使うこと。
  一、蝙蝠は、昼は、橋の下にかくれており、夜になると毎夜/\人里をあるきまわることは、そのわけがわからない。
    鳥獣の検査があるときは、どちらにも言いぬけをして、お上の役目を勤めないそうだが、不都合しだいである。
    今後は、立会人のさしずを受け、鳥の役も獣の役もきつとつとめること。
  一、いんこは、むやみ勝手に、五色の錦や、ぬいとりのある美しい着物を着ていることは、甚だ奢りである。
    今後は、何色でも一色に改め、勿論縫箔などは一切しない事。
  一、白鳥、白雀などこの間は見えたが、先年は頭ばかり白いのさえ稀であったのに、近来はむやみ勝手になったのは、甚だよろしくない。
    以後は決して変ったなりをしてはならないこと。
  一、鼠は、嫁入りの様子が仰々しいことである。廿日鼠に五升樽もたせることは身分に過ぎることである。以後は提錫ですますこと。
    馳走した上に、天井で躍りなど催してさわがしい。人々の妨げにならぬように、空二階や、縁の下などが盆の中に躍るのは差支ないこと。
  
  一、猩々は、常に大酒をのみ、乱舞の楽しみは贅沢である。持出し振舞など、今後は一切してはならないことである。
    まことにやむを得ないわけがあつて、会合などがあつても、一種類の料理で、酒は盃一杯だけにするがよい。もっとも酒はその付近のうけ酒屋で小買にすること。
  一、狸はふぐりを四畳半にのばしたり、茶をたてて人をま迷したり、諸道具に金銀を費せしめたることはよろしくない。
    右のような仕業はやめなければならぬ。自分の楽しみとして腹つづみを打つことは別に差支ないこと。
  一、馬の太鼓をうつことは、交通のはげしい道筋、または問屋の前を遠慮しないで無礼の至りである。
    つまるところこれも自分のおごりというものであるから、以後はやめること。
    ただし、厩ではさしつかえないが、火の見時の太鼓に当りさわりのないようつつしむこと。
  一、青鬼・赤鬼の仲間どもは、虎の皮の褌はしてはならぬ。今は病犬の皮があるから、早速仕替えるがよい。ただし、右は家持とか頭分の事である。
    借家住とか、召使の鬼どもは、古い桐油合羽の切れを腰に巻いて用いること。

 右の個条/\をかたく守らねばならぬ。ゆるがせにして心得ちがいの者共がある場合は、きつと罰を申しつけるであろう。
 その心得違いの種類によっては、蟻の町代や組頭まで、おちどとなるであろう。
    宝暦九卯七月

                                    

                      早稲田大学図書館所蔵の「鵜衣‐四/四」
                      この中の53~57コマが該当文になります。 
                      クローズアップしてご覧ください。


 
    

 

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■細川小倉藩(77)寛永元年・日帳

2019-11-18 08:52:38 | 細川小倉藩

                         (寛永元年八月)十八日

         |                          
         |     十八日   両人詰 晴天 
         | (香春村、田川郡)                                             (衍)
香春村ヨリノ大橋 |一、かわらゟ小倉へ出シ申大橋板三百枚有之ヲ、三拾枚ハ町中ゟ、残分ハ御家中ゟ出シ申申儀ニテ、
板ノ分担 夫積リ |  夫づもり河田八右衛門・林弥五右衛門仕、御奉行衆へ被申渡候事、右之夫づもり、板壱枚ニ付八
         |  人かゝり
数寄屋ノ松葉ノ借 |一、江戸へ積廻シ申松ば無御座故、御家中御すき屋持衆へ、御かし候やうニ御ろぢノ孫大夫へ被申
用        |  渡候事              〃
         |一、神西長五郎儀、泰勝院御給仕ニ罷出候へと被触候ハヽ、與右衛門中津へ御目見えニ参候跡ノ御番
         |               (小笠原長元)
         |  ノ名代ニ、長五郎罷出候へと、民ア殿へ與三右衛門申理之由候て、御給仕ニ罷出候儀不成候由候
         |  事
諸奉行ニツク者ハ |一、御無足衆、者奉行ニ被付候時ハ、御番無用之由か申渡之由候、今迄ハ諸奉行ニ被付候衆も、当番
当番無用     |      被                                                                                                                         (ママ)
         |  之時ハ罷出候儀不入事ニ候、拙者式は冣前ゟ左様ニ存候而、折々ハ此中も申而候事、
         | (朽木昭知、内匠)
幟竿下行ノ可否  |一、三渕與七郎殿ゟ、昇さほ拾本被下候ハヽ、きらせニ遣度由、田中猪兵衛ヲ以被申候、則切せられ
         |                       (栗)
         |  候へとのさしかミ、御奉行衆ゟ昨日被遣候処ニ、粟野伝介申候ハ、先年ゟ被遣たる例無之候間、
         |  いかゝと申候ニ付、進候儀ハ不成候間、御かい候へと被申候
         |               殿                    (削)
         |一、泰勝院〇廿日御吊ニ付、そうぢ奉行ニ後藤喜大夫・弓指勘十郎被申付候事
肥前刀荒押スルニ |一、竹屋喜兵衛登城、今度肥前ゟうたせ候て参候 御こしの物、荒おしを仕候へハ、きす出来候由候
瑕アリ      |  て、御奉行衆へ見せニ参候事
江戸詰銀奉行交替 |一、江戸へ替りニ参御銀奉行、浅井五左衛門相仕ニ宗田伝左衛門被申付候へ共、伝左衛門成かね可申
         |  と候て、此替を御小姓頭衆へ被見立候へと、被申渡候事
小倉城廻ノ売田ノ |一、小倉御城廻ノ売田ノ御年貢被召上候儀、此中数度談合候へ共、不相済候、福田善左衛門昨日御郡
年貢       |  ゟ罷帰候ニ付、昨夕も談合候へ共不済候
         |        (伊)
幟竿作製     |一、御昇さほ之儀、井藤文五郎・成田與平次御奉行にて、切せ候間、御昇衆之内奉行ニ遣候へ、此地
         |  へ取寄せ、徳右衛門奉行にてため候へと、徳右衛門ニ被申渡候事
豊後横目交替ニ付 |一、豊後御横目衆御替り候而、御上候様申候ニ付、何成とも御用等被仰付候へと、式ア殿・民ア殿ゟ
挨拶       |  被進之候御飛脚、今日九つ時ニ罷帰候事
         |         (有吉英貴)                                  (割)
新知取ノ不足米ノ |一、式ア殿・民ア殿・頼母殿ゟ御使、此中数度御談候新地取衆不足米之儀、 御家中判苻ニ成可申候
処置       |  間、御算用衆へ可被申渡之由候事
大坂城仕置普請  |一、同御両三人ゟ、去年大坂御仕置普請ニ、重而六百人御上せ候者之儀、御蔵納へも割符可有儀と被
         |    (野田幸長)
         |  申候、小左衛門中津へ参候而、罷帰次第、談合可仕之由返事候
江戸詰ノ物書ノ交 |一、江戸御供替ニ参候御物書衆ハ、重而 御諚有之迠ハ、上せ申間敷惣談究候事
替        |
諸郡へ催促人ノ書 |一、諸御郡へ催促ニ、御馬廻衆被出候書立相究候事
立        |
         |一、荒川與三殿先納之儀、重而 御諚次第ニ可仕之由、小惣庄やニハ両人ニ過■三石、惣庄やニハ弐
         |  石被申付候ニ相究候事
鋳銭ノ奉行    |一、新銭鋳申奉行ニ、野田喜兵衛被申付候事
         |            (甫)
馬具奉行     |一、御馬具奉行ニ道珎・慶浦被申付候、孫兵衛御供替ニ参候上野角左衛門罷帰候間之儀ニ候事
         |
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■豊前叢書「鵜の真似」拾い読み(2)

2019-11-17 19:01:12 | 書籍・読書

「鵜の真似」拾い読み(2)

    内蔵助切腹の朝、茶道小坊主日々付居候付、殊の外兼々愛され候に付、其節涙ぐみ居候処、
    随分殿様へ忠を尽しご両親え孝行尽し、わるさをすまいぞあまり悪さをし給ふと幽霊に成て
    出て喰付ぞと笑ひ申され候由、誠に平気にて有し由

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■細川小倉藩(76)寛永元年・日帳

2019-11-17 06:39:25 | 細川小倉藩

                         (寛永元年八月)十七日

         |                          
         |     十七日   両人詰 曇り 
         |
         |一、浅清右衛門・河五郎右衛門、御金山ヨリ夜前更候て被罷帰候事
卵漆喰      |一、河田八右衛門登城候て、しつくいニ合候玉子之儀申候、御郡中へ被申触候へと、田中猪兵衛ニ被
         |  申渡候事
         |一、福田善右衛門御郡中廻り候て、昨日罷帰申候て、登城候事
         |一、浅山清右衛門、式ア殿ゟ状参候て、被参候事
         |一、長崎ゟ、田町かきや作大夫状ことつかり、参申候事
三斎十月末ニ中津 |一、民ア殿ゟ、中津御奉行衆ゟ状参候を、御奉行衆へ見せニ参候、 三斎様、江戸へ十月之末ニハ、
出立ノ予定    |  中津御出舟可被成御意之由ニ候、就夫、御供衆之知行爰元御供衆ノハ如何被成候哉、様子承度
         |  由、被申越候事
幟竿差物ノ竹切  |一、伊藤文五郎、御のほりさを・御さし物さほ切せ、被罷帰候事
         |   (首)                             (細川藤孝)
幽齋年季施餓鬼  |一、圭主座ゟ使、来廿日 泰勝院様御正月、毎年御せかき被仰付候通被申越候、則万事被申付候事

         | (雲嶽霊圭) 
         |                        寸
餌差へ雀ノ餌ノ板 |一、御ゑさし七人ニ、じゝめきノゑとして、一日ニ五廻ハしめ宛、稲を在々〇請取可申通ノ板札七
札        |  枚、河井権丞ニ被仰候
入牢者危篤    |一、籠舎の與七、又煩おこり、はて候やうニ見ゑ申候間、薬あたゑ可然之由申候て、籠之番登城被
         |         医師・明寰
         |  申候事、則めいくわん所へ参候て、様子申聞せ、くすり請取用させ可申由、被申渡候事、則薬請
         |    〃
         |  ト理候て参候、急のませ候へと被申付候事
忠利狼ノ頭ヲ求ム |一、大かめノ頭上ケ候へと、江戸ゟ被 仰下候ニ付、御郡奉行衆へ触状被廻候事
囮雀ノ餌稲    |一、じゝめきノおとりノゑ稲之儀ニ付、御郡へ触状被廻候事
         | 
          
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■私のチョンボ

2019-11-16 16:05:33 | 熊本史談会

           

 今日は史談会11月例会、昨日スクリーンやプロジェクターを借りるために熊本市民会館に電話を入れたら、私のミスで会場を確保できていなかった。
頭が真っ白になってしまったが、ただ一部屋和室が空いていた。これを頼んで何とか開催することが出来た。
写真のような塩梅になり、会員の皆様には大変ご迷惑をかける結果となってしまった。
写真は会員で「蒙古襲来絵詞」を所蔵しておられた天草五人衆の大矢野家のご当主である。遠い先祖は渡来人で東漢氏、永い大矢野家の歴史をご説明いただいた。
今一つは会員でドングリ博士の澤氏の「天保の飢饉と救荒食品」というテーマでお話しいただいたが、氏自らが縄文時代に遡るドングリのお菓子・ようかん、そして現代風のお菓子・ようかんをおつくり戴き、又ドングリコーヒーを焙煎してお持ちいただき、お菓子を頂戴しながら和気あいあいと時間を過ごした。
いろんな7~8種類のドングリを粉末にして木灰を入れ、何回も流水で晒して一週間以上試行錯誤された、本邦初のドングリ御菓子制作の苦労話を伺った。

ドングリを種類ごとに拾い集められたことも大作業だが、10キロのドングリで大変な作業を繰り返して、1~2キロのドングリ粉しか取れないというからなんとも氏のご苦労に感謝である。
都合2時間半、笑い声の絶えない例会で、私のチョンボもお忘れいただいたようである。両氏に感謝申し上げる。
1・2・3月の会場予約を忘れずにして終了となった。

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■豊前叢書「鵜の真似」拾い読み(1)

2019-11-16 06:05:38 | 書籍・読書

 豊前叢書「鵜の真似」は、細川家が肥後へ移つた後に入国した、小笠原小倉藩の逸事を記したものである。
旧藩時代の風俗習慣、宮本伊織など藩士の動静を伝える本書には、江戸文化と人々の生活が描かれている。
小倉藩士小島礼重が著し、武士階級に留まらずその時代の人々の日常性を伝える貴重な資料である。
      (鵜の真似‐小倉藩歴史叢書‐)
の中から、興味ある記事を抜粋してご紹介する。

  (1)熨斗目
     熨斗目始室町殿御時代宿直士貧士にて 素襖之下に妻の小袖着て出仕候処 急に戦争事出来て比類無き働き有し
     右之次第達 御教え甚だ吉例なりとて夫より士の礼服とは成し由 (以下略)

                     「熨斗目」の画像検索結果 松平資料集サイトから

                  

 

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■矢野誠一著「昭和も遠くなりにけり」

2019-11-15 17:34:13 | 書籍・読書

                                                                              昭和も遠くなりにけり

  昭和生まれの私が、平成を生き、令和の新しい時代を迎えて、つくづく昭和は遠くなったと思う。
17年生まれの私は19年に祖父母と父が亡くなり熊本へ帰ることを余儀なく仕、幼少期は終戦後の苦難の真っただ中に生きた。
貧乏であったがあまり苦しかったとも思わない。誰もがそういう境遇であったからだ。
28年の大水害で財産の粗方をなくし、母は大いに苦労したのだろう。
私が社会に出たころは、「所得倍増」が謳われ、まさにそれが実現していく面白い時代だった。
東京オリンピックや大阪万博が開催され、高度経済成長で世界の仲間入りをした。

 この本の著者・矢野誠一は「やなぎ句会」のメンバーの生き残りである。メンバーのほとんどはあの世に御座る。
それぞれの皆さんは私よりは5歳~10歳年上の方ばかりだが、まさに昭和の匂いをぷんぷんさせた人達である。
粋で洒脱でそれぞれの世界で一流の方々である。時代が下って平成の御代では、こういう粋人たちは出ないのではないか?
出版社の案内に「50年続く「東京やなぎ句会」の句友たちの動向を中心に、多くの藝人や俳優たちが歩んだ人生を生き生きと描く。」とある。
せめてこの本を読んで、その空気感を味わいたいと思うのである。

   目次
    1 東京やなぎ句会のこといろいろ(十二人の熱気あふれる才人たち;安息日の近況 ほか)

    2 日日雑感(閏年の手帳;御籤の効用 ほか)
    3 藝という世界(落語とメディア展;この落語が聴きたい ほか)
    4 劇場にて(伸の知恵、綺堂の知識;東の万太郎秀司の西 ほか)
    5 来し方の…(噫七十年;笑いの飢餓を一気に充足させた、庶民の娯楽 ほか)



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■細川小倉藩(75)寛永元年・日帳

2019-11-15 06:35:34 | 細川小倉藩

                         (寛永元年八月)十六日

         |                          
         |     十六日   朝曇 両人詰 夜七つ時分大雨 
         |
天主貯蔵ノ干飯ノ |一、御天主のほし飯仕御奉行ニ、岩田新蔵・杉や三郎両人へ被申渡候事
奉行       |一、小川彦左衛門・寺井十兵衛大坂ゟ夜前罷下候由候而、登城被仕候事
         |   (正成)
         |一、藪図書夜前罷下之由候て、使を被上ケ候事
         |            (ママ)             (筑紫重門室、細川幸隆女)
かねの賄     |一、筑紫八十郎ゟ使、知行参、夜前罷下候由候、然はおかね殿御賄七月中迄被仰付忝之由、御礼之
         |  事
         |一、沢村吉兵衛、昨日大坂ゟ罷下候由ニて登城、同弥左衛門同舟ニ下申候由ニ候事
小倉及ビ領内へ他 |一、他国ゟ小倉へ、其外御国中へ米不入儀、又御給人衆知行ゟ、米小倉へ廻り候様子、大与頭衆四人
国ヨリ米入レザル |  へ、昨日触状被廻候、中神與兵衛河口番衆ヲ呼候て、被申渡候事
ニツキ触     |
天主ノ干飯ノ用具 |一、杉弥三郎干飯奉行ニ付、莚之儀可被仰付之由候事、其外白米手伝桶かすなとノさしかミ調、被
         |  遣候事
         |              (豊岡)
江戸切米取算用ノ |一、江戸へ御切米取衆算用之儀、豊甚丞へ被申付候処ニ、算用者壱人、物書壱人被下候ハヽ、仕立
算用人物書    |          (新介)(惣兵衛)  
         |  可申との儀ニ付、深野・財津手前衆弐人被渡候へと被申付候ヘハ、彼衆手前も御算用つかへ申候
         |  間、いかゝと申候へ共、先被渡候へと被申付候事
豊岡甚丞算用多忙 |一、甚丞手前殊外つかへ申候間、江戸へ被参衆斗ノ知行御明候儀迄被仕候へと、被申渡候事
         |一、右ノ通ニ究候故、財津・深野手前ノ衆、甚丞ヘハ不入候
         |        手                               江戸へ参候儀
         |一、入江・元田伝ノ御鉄炮衆二人〇被指替候へと、差帋被遣事
         |  (沢村吉重)
         |一、沢大学ゟ、伊佐源七ニ御矢蔵御かし、庄村五郎右衛門御門番被仰付候儀、主知行口明為札、御奉
         |                    (正重)
         |  行衆へ書状参候事、則返事被申候、又魚住加助所之儀、江戸へ可被仰上可被下之由、伝左衛門被
         |                              〃
         |  申由御申候、是又原久助江戸へ参候時、言上仕たる通、返事被申候事
         |   (五脱)
大橋ノ板供出ニツ |一、林弥左衛門・河田八右衛門登城、大橋いたノ儀、米田與右衛門所へ今朝参、内談申候所ニ、御上洛
キ内談      |  前ニ町人頭へ御茶被下候時、当町すいび仕候由、 御諚被成候、何としたる事ニすいび仕候哉、
忠利小倉町衰微ノ |  いたミたる事候ハヽ、先年ノれいニはつれたる事成共申上候ハヽ、御かなへ可遣 御諚ニ候、又
対策ヲ問ウ    |  其後與右衛門ニもかたく被仰渡候、か様ニ 御諚御座候間、 如何可有や、然共、板數百枚在之
         |  ハ、五・六十枚ほとハ町人ニかけ、相残候分ハ、御家中ゟも出シ可申哉とたんかうニ候事、何も
         |  此儀ハ少之儀ニ而候ハヽ、町人ニ可申付候へ共、日用ニ仕候ヘハ、大分之儀ニ而候間、言上可仕
         |  由ニ候事
         |一、大安寺家御作ニむき申候由、被申上候ニ付、河田・林ニ被申渡候事
         |        (鹿毛)
中津ノ四白鹿毛ノ |一、中津御馬四白かけ御用ニ不立候間、たれニ成共可被下旨、被仰出候故、牧山へ放可申と候て、中
処分       |  村八右衛門ゟ河口九兵衛所へ、書状遣候返事只今参候、得御意候て、やかて左右可申之由候事
         |

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■蘭学事始めから「腑分け」

2019-11-14 09:11:04 | 書籍・読書

 「江戸随想録」(日本古典文学全集35)という本が出てきたので、久しぶりに頁をめくっている。
有名どころでは「折たく柴の記」や「蘭学事始」「うずら衣」などがあるが、都合14編が収められている。  
「折たく柴の記」については、松岡正剛が「千夜千冊」の中で、何か面白いことを書いていたな~と思ったが思い出せない。
ググってみたら「昭和平成の読者が司馬遼太郎を通して“この国のかたち”に立ち会ったようなものである。」とあった。
皮肉っぽいがなるほどな~と思わせる。
「うずら衣」は尾張藩士で俳人の横井也有のもので、洒脱で面白い。俳句を通して知った人物である。
「蘭学事始」は真剣に読んだ記憶がない。パラパラページをめくると「腑分け」の項に目が行った。
「ガラシャ像は青邨」でご紹介した「前田青邨遺作展」の図録の中に、「腑分」と題する絵があったのを偶然見ていた。
罪を得て仕置きされたのであろう若い女の白い裸体を取り巻き、二重三重に見物する医者たちが取り囲んでいる。
若い執刀者により、まさに始まらんとする緊張した空気感が、全体を淡い抑えた色彩であらわされている。

                  クリックすると新しいウィンドウで開きます

  青邨の絵とは違い、その日の死刑者の遺体は、50歳ほどの老婆であったとされる。 執刀したのは誰なのだろうか。
「蘭学事始」がその正解を教えてくれる。
明和8年(1771年)3月4日「骨ケ原(小塚原)」の刑場で行われた「腑分け」には、著者の杉田玄白や、中川淳庵、前野良沢などが立ち会っているが、これらの人たちが自ら執刀している訳ではない。単なる見学者であったことが判る。
特に腑分け上手だといわれる民の「虎松」に頼んでおいたが、急病になったため、祖父で90歳の老人が執刀している。
この老人が腑分けを行い、それぞれの部位を指し示して、名称を教えたり切り分けたりしたという。
医者たちは無言でただただ説明を聞くだけで、質問さえするものもなかったと玄白は記す。
彼等がそれまで持ちえた知識との違いに唖然とし、改めて良沢が所蔵する洋学書「ターヘルアナトミア」の正確な内容におどろき、それから玄白らの苦労に満ちた翻訳作業がはじめられた。

                                                                          解体新書

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■細川小倉藩(74)寛永元年・日帳

2019-11-14 08:36:17 | 細川小倉藩

                         (寛永元年八月)十五日

         |                          
         |     十五日   両人詰 曇 九つ時ゟ雨 
         |
         |一、浅山清右衛門・河喜多五郎右衛門、今朝御金山へ被参候事
         |        (林)
作事奉行等大橋ノ |一、河田八右衛門・弥五左衛門登城、大橋之板出候儀、町人出可申旨 御諚ニ候へ共、其節ハ大坂御
板ノ出方ヲ相談ス |  普請衆罷下申間敷故ニ、町人ニ出せ候へとの 御意候、御普請衆も罷下候間、町人ニ出候儀成間
         |        (是門)
         |  敷之由、米田與右衛門被申候由、八右衛門申候、左候ハヽ、御家中御役人ニ可申付候哉との儀ニ
         |  候事
         | (中)                            (横山重嘉)
河口舟留ノ奉行  |一、神與兵衛河口舟留ノ奉行ニ、小倉へ米入ノ様子、助進被申渡候事
         |一、大坂ゟ、山内六太夫・樹下清十郎・木原猪右衛門・堀長兵衛罷下候事
間男刃傷一件   |一、林與兵衛登城、田川郡樋口淡路百性清右衛門と申者おい作右衛門と申候、筑前ゟ走り参候を、名 
走者ヲ名子トス  |  子ニ仕置候、然ハ清右衛門事、人ノ女房ニ心をかけ申ノ由、清右衛門ニ■見仕候ヘハ、ねくびを
寝首ヲ斬ル    |                  (田川郡)
         |  きり申候由、名判もなきおとし文を、猪膝ニ置申候、清右衛門申候ハ、人ノ女房ニ心をかけ候事
         |           (前略、以下同)                                 (以下略)
         |  偽ニ候、作右衛門筑へ参、しうとをうちはたし嘉申之由申候間、ころし申候由申候、「作右衛門
         |  筑へ参、しうとをころし可申と申候」、子細ハ作右衛門筑ゟ参候時、親女房をもすて参候処ニ、
         |  女房をゑんニ付ケ候由承候、暇をも不遣候ニ、ゑんニ付ケ候事いかゝニ候間、参候て、しうとを
         |  はたし可申と申たる由候、とかく作右衛門をころし候ハヽ、御惣庄やか御郡奉行衆へ可申儀ニ候
仕方曲事     |  ニ、かやう仕候儀曲事ニ候、御家老衆へ談合可申之由ニ候事
         |
         |   (樋口) (安宅、田川郡)
女敵討一件    |一、又淡路百性あたか村之助兵衛と申者、となりの四郎右衛門と申百性を、なたにてきり申候、四郎
         |  右衛門ハ死不申候、此子細ハ、 助兵衛女房ニ四郎右衛門心をかけ申候ニ付、如此仕候由候へと
よきヲ焼キテ把ラ |               (斧)                             又
シム       |  も、偽ニ而候、助兵衛女房ニよきをやきてとらせ候へ共、手やけ不申候、其上子むこ・名子共書
         |  物ニも、少も助兵衛女房と四郎右衛門心ノ有候儀、内々ゆめ/\不存候由書出候、助兵衛筑前へ
訴人ヲ恨ム    |  走り可申と仕候ヲ、四郎右衛門注進申候ニ付、其いこんニ仕たると相聞へ申候、御家老衆へ談合
         |  可申之由ニ候事
         |       江戸へ                   (米田是門)  (矢野)
安国寺住持出府  |一、安国寺急度被参候様ニと、冣前被申渡候、然ハ與右衛門殿・利斎へ被遣候 御書、昨日御奉行衆
         |                    (友好)       (可政)
         |  頂戴候、九月ニ御詰替衆被参候時、松井宇右衛門・加々山主馬同道ニて可被参旨、 御諚ニ候
         |  間、其通ニ被仕候へと被申候ヘハ、安国寺登城にて、ねかわくハ一日も急度由ニ候へ共、莬角
         |   御諚次第ニ候て可然之由、御奉行衆被申候ヘハ、同心ニ而被罷帰候事
         |
         |                                 安国寺→明智光秀子・明巌梵徹だと伝えられる。
         
        |                       「縫い」の意か、一時期二本の尾羽を結ぶらしい
鷹ノ爪手入   |一、山路左介登城にて、大指のつめ・熊鷹之尾羽のひ申候間、御きらせ可被成之由候、則河合権丞所
         |  へ被申付候事
御船ニ竹ノ買入  |一、式ア殿ゟ御使、小豆嶋ノ宮家三右衛門と申者、御家中之御普請請石なとニ殊外情入申者二而候、然
         |  ハ、今度御普請之者下候を、彼三右衛門舟ニのせ下シ候、此舟ニ竹をかい候て罷上度之由候間、
         |  馳走旁々候間、御うらせ可然之由御申候、則伝介ニ被尋候ヘハ、御切置竹ハ帆柱儀左衛門手舟斗
         |  五、六百石ほと御座候間、かい候ハヽ御うらせ可被成之由候、重而もかい候ハヽ、やかて御きら
         |      〃
         |  せ被成候間、国東ニ■而もうり可申由候、右之通式ア殿へ返事被申候事
大阪ヨリノ万力  |一、大阪ゟ下り候万力之儀、上野勘平・香山與介なとへ御請取せ被成候ニと、式ア殿・頼母殿へ指
         |  帋にて、御奉行衆ゟ被申入候ヘハ、大坂御普請奉行衆頓而可罷下候間、此衆被渡候へと御申候、
         |           (仲間)
         |  万力ハ林久大夫・中广市大夫請取下候事
明寰調薬     |一、あをかい仕候休徳煩申ニ付、めいくわんニ申付、くすりあたゑさせられ候事
鷹落シニ鷹箱ノ用 |一、河井権之丞登城、御鷹をとしニ参候間、御鷹箱御申付候て可被下之由ニ候事
         |一、鏡善右衛門登城、御加子壱人かゝゑ申候由被申候事
(槻門)
欅門備要ノ突棒出 |一、けやき御門ノつくほう出来仕、佐分利五郎八奉行ニ而、門番へ被渡候事
来        |
         |                                   けやき御門槻門

           

 

 

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■逆流性食道炎?

2019-11-13 16:31:39 | 徒然

 ここ一週間ばかり、不快な胸部痛におそわれ、あと数日でひと月おきの診察日なのだが、待ちきれずに病院行き。
左胸に痛みがあり、胃のあたりにも鈍痛が慢性的にあり不快極まりない。一年ほど前心臓肥大だといわれて、心臓に起因するものかと思って出かけたが、即座に否定されてこちらは一安心・・・。
症状から「逆流性食道炎」とのご託宣が出た。「ファモチジン錠10㎎」という胃薬の処方を受けて帰る。
原因は何なんでしょうね。年寄に又症状が一つ増えて、不愉快な事ではある。

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■細川小倉藩(73)寛永元年・日帳

2019-11-13 10:58:17 | 細川小倉藩

                         (寛永元年八月)十四日

         |                          
         |     十四日   両人詰 朝曇 
         |              (安宅)
田川郡奉行ノ報告 |一、林與兵衛登城ニ而、田川郡あたか村に而助兵衛と申百性、四郎右衛門と申百姓をなたニ而切申
間男刃傷一件   |  候、様子ハ助兵衛女を、四郎右衛門内々心をかけ、ぬすミ申由きヽ候て、切申由申候、然共、慥
女鉄火ニ焼ズ   |  成せうこ無之候、女二てつ火なと取せ申候へ共、手もやけ不申候由申候、右之四郎右衛門口を尋 
         |  候ヘハ、少も左様之きハ不仕候、以下様之御きうめい被成候共不存候、四郎右衛門すいりやう仕
訴人ヲ恨ム    |  候ハ、当春彼助兵衛走申候ヲ、郡代へ申候、其いこんニ仕たると存候事
筑前へ走者    |一、同郡作右衛門と申者、前かとハ田川郡ニ居申候百性ニ而候、彼者ちくせんへ壱とせはしり申候、
土蔵破リ     |  ちくせんニ而蔵をやふり、米をぬすミ申候、あらわれさうニ御座候故、おやをすて、たがわへはし
         |  り参候て、おぢ御座候ニかゝり居申候、彼者女しくせんニ置申候、跡ニ而、余人へゑんニ付候由
         |  きゝ候而、我等ノ有もきかすニ、はやゑんニ付候由、口をしく存候間、しうとをうちはたし可申
         |  と申、又ちくせんへ参候由申候、色々留申候へ共、きゝ不申候間、不及是非、おいなからうち切
         |  申候様ニ承候由、與兵衛被申候事
         |                             ニと
惣奉行京都中津郡 |一、宮部久三郎登城ニ而、京都・中津郡へ御詰衆御借米渡シ候やう、ミな/\さしかミ参候へ共、両
詰衆ヘノ貸米ノ断 |  人郡ニミな/\へ渡シ候ほとハム御座候、いまた田ニ米出来不申候間、成不申候、無念ニ思召候
リ        |  〃
         |  間、前かとニ申入候由候事
野田幸長中津ノ算 |一、野田小左衛門中津へ御算用ニ、小早舟ニ而参候、かちにて参筈ニ候へ共、眼病相煩候故、小早を
用        |  被申付候事
新百姓ノ新築ニ竹 |一、有間刑ア登城、当御郡ぎおん原ニ、新百性拾四人家数廿作り申候、此竹木被下候様にと、目録上
木渡シ      |     (規矩郡)  
         |  ケ申候、西大野山にて遣候へと、御奉行衆判形被仕候、判分ハ西大野山、半分のちぎやう大塚ニ
         |  而被渡候事
銀鍋ノ算用延引  |一、藤本勘五郎、御上洛前ニ銀なべ被仰付、上ケ申候、其銀子ノあまり預置申候ヲ、 上方へ御使ニ
法度ハ一倍    |  上、又下候ても、かなたこなた仕、利さかい〇まて延引仕候、御法度ニハ 一ばいニ而可召上旨
         | (ママ)
         |  ニ之由被仰候、 一ゑん左様ノ儀不存候て、ゆき当申候、右之段せい帋ニ而候ハヽ、くるしかる
         |                加三わり銀子上ケ  
         |  ましき由ニ候事、則せいし被仕〇候事、相弁候事
         |        〃
         |一、井戸亀右衛門与小頭登城、御鉄炮ノ藤本二左衛門と申者病死仕候事
         |
新銭鋳造ノ奉行手 |一、瀬崎猪右衛門新銭鋳申御奉行ニ、香春へ参候へと被申付候ヘハ、手前礑不罷成候、其上小者も所
前ナラズ差替ウ  |  持不申候間、余人ニ被仰付か被下之由、達而申ニ付、右之通無紛候間、指替可申之由候事
         |   (義近)        (藤崎正義)               (ママ)
         |一、藤崎喜八郎登城候て、言斎家屋敷之儀、喜八郎江戸へ罷候刻、明可申之由、被申越候事
         | (細川藤孝室)沼田麝香                           (首)
光寿院七回忌ノ布 |一、光寿院様七年忌之地僧衆へ御布施金、西堂ヘハ銀子五枚、圭主座共ニ四人ニハ八木九石、 三斎
施        |  様ゟ被遣候事                   (雲嶽霊圭)
         |



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■旅家老・三宅藤兵衛から三卿家老・長岡監物宛の書状

2019-11-13 06:41:59 | オークション

 大石内蔵助ほか赤穂浪士引取り熊本藩責任者 三宅藤兵衛書状 長岡監物宛 というヤフオク、内容は赤穂浪士引き取りに関するものではないのでご注意を・・・
主税(綱利養子、のちの宣紀)の名前が出ていることを考えると、主税が綱利の養子となった宝永五年(1708)から藤兵衛が家老職となり江戸を離れる正徳二年(1712)までの間のものか?
この時期太守・綱利は生母・清高院の看病の為と称して帰国しようとしない。そんな中、世子として認められた主税(宣紀)は綱利に替り、宝永七年六月熊本に向け発駕しており、約半年を熊本で過ごし、八年二月に熊本を出発して三月七日江戸についている。
二月廿八日の日付からすると、文中の「大井川」云々の記述も整合する。さて私の推量は正解であろうか?

ちなみに長岡監物は5代・米田是庸、三宅藤兵衛は3代・重経(元禄十五年~正徳二年一月 旅家老、正徳二年一月~正徳五年八月 家老)である。

          
                                         

 

                      
                                                                   

           

                                中央部

 

   左

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■細川小倉藩(72)寛永元年・日帳

2019-11-12 08:23:25 | 細川小倉藩

                         (寛永元年八月)十三日

         |                          
         |     十三日   両人詰 曇 
         |                                   (林)    (河田)
矢蔵預り     |一、伊佐源七ニ、樽井左衛門居候御矢蔵ヲ御預ケ候之間、移可申通被申付候、弥五右衛門・八右衛門
         |  ニ指帋被遣候事
上リ薮ノ竹切  |一、御郡中上り薮ノ竹切、御百姓共ニきらせ可申通ニ、小林半左衛門ニ被申渡候事     (せり)  

         |              
大阪米奉行交替  |一、釘本半左衛門ニ、大坂ニ居申候金子喜左衛門替ニ、被上候へと被申渡候事
         |
         | (筑紫重門室・細川幸隆女)                   (筑紫)
かねの賄     |一、御かね殿の人呼ニ遣、御まかない方、八月朔日ゟ八十郎殿ゟ御まかない被成候通、被申渡候事
         |
家老等談合    |一、式ア殿・頼母殿・民ア殿登城、御本丸ニて御談合、 去年大坂御仕置之普請ノ入目、九十貫め
大阪仕置ノ普請銀 |  銀之事、御蔵納へも可懸様ニとの儀ニ候へ共、 殿様御下国之上、被得御諚候ハてハ、相済申間
         |  敷由之事
無足ノ三石米造作 | 一、御無足衆三石米之儀、御家中ゟハ出申間敷由ニ候、造作れうノ儀ハ出可申候由ニ候、重而得
料        |   御諚可申ノ由事
         |                         給候へと
給人等ノ小倉へノ | 一、御郡給人小倉へ入申米ノ儀、前かとのことくニ仕遣度ハ中神與兵衛判形ニ而、惣庄屋判ニ
入米ハ河口ノ切手 |                         〃〃〃
改幷ニ惣庄屋ノ判 |                         (ママ)
ヲ要ス      |   而、小倉へ入可申由ニ究候、但、中津ノ儀ハ別御用ニ候事由被申渡候事
         |                           〃〃
         |  (国東郡)
科人誅伐ノ裁可  | 一、古市村與三左衛門儀、科人ニ相究候間、誅伐之儀得諚可然由候事
供侍等ノ造作料  | 一、御供衆造作料之儀、御印帳之前にて算用相究、重而御諚可申由、爰元之御詰衆中津へも此由可
御印帳      |   申遣候由候
         |   (速見郡)(同上)
湯布院横灘検見奉 | 一、湯布院・横なた検見衆、国東川成奉行、佐藤孫左衛門・財津市兵衛・野瀬吉右衛門・服部九
行  国東川成之 |   郎左衛門、四人被申付候
奉行       |                            (是門)   (矢野)
丸木舟ノ出入   | 一、■はまノ者と田川ノ河請之者、丸木舟出入之儀ニ付、米田與右衛門・利斎ゟ御家老衆談合、出
舟ノ十分一役   |      (ママ)  
         |   入有之由、舟之拾分一ヲ返し候へと被申渡候、若ぬけて上り候ハヽ、番を付ケられ候へと、式
         |   ア殿・民ア殿被御申候事
         |         〃
         |         (老脱)
         |  右之六ケ条、御家衆・御奉行衆・與右衛門殿・利斎惣談ニ候事 
         |

             

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■くずし字文書解読ソフト

2019-11-12 07:02:20 | 徒然

 以前ある会合に出席した折、講師の方が「AI技術の発展に伴い、くずし字文書が簡単に読める時代が近い将来やってくる」と発言された。
日頃、一つの文字の解読にさえ四苦八苦している私としては夢のような話ではあるが、「そう簡単にはいかぬだろう」と正直思ったことだった。
処が昨日ヤフーのサイト上で「読売新聞」の記事にとして、古典・古文書の難読「くずし字」、AIが瞬時に解読…精度90%も】と紹介された。
開発者は、「古典の解読は、専門家でも1ページあたり10分程度はかかる。このAIなら、1ページを1秒間ほどで解読できる」と発言している。
KuroNet(クロネット)」というソフトで少々驚いたことだが、詳細に読んでみるとまだ「版木本」の解読の段階らしい。
AIには約68万字分のくずし字を学習させ、変体仮名や草書体の漢字などを含むくずし字約2400種を認識し、江戸時代の文献なら90%の精度で解読できるという。
「文章の段落や行などにとらわれず、見つけた文字からどんどん解読していく」というから、わからない文字は読み飛ばしていくという事になる。
まさに我々がやっている方法と同じである。
今年11月までに学習の対象を約100万字に増やし、さらに精度を高めたうえで、誰でも使えるようにホームページで公開する予定だそうな。

 
AI技術の発展は目を見張るものがある。ソフトが公開されたら是非とも使ってみたいものだ。
手元に全く手がついていないくずし字史料が沢山ある。大いに期待して待ちたいが、長生きはするものだとつくづく思っている。

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