邦訳では当初別の書籍として出版されたそうだが、著者としては、関連のある物語として捉えていて、文庫での再刊に当たり一冊にまとめたのだそうだ。
本書も凝ったしつらえになっていて、難解であった。「写字室の旅」では、ブランク氏と名付けられた主人公は、本人自身も自分自身や置かれている状況がわかっていない。だから、ブランクと名付けられている。ブランク氏は、一部屋に幽閉されているようだが、しかし、その部屋に鍵がかけられているのかどうかも不明のまま。身の回りを世話してくれる女性や医師や警察官が部屋を訪れる。医師は文書を残し、理解力の判定のために、読後にその後の物語を語り継ぐように支持する。主人公は、物語の中の人物のだれが、自分自身あるいは、自分とどのように関連があるのか訝りながら、語り継ごうとするが、その内容は記憶から出てくるのかそれとも創作するのか・・・。
もう一つの物語の「闇の中の男」の構成もまた凝りに凝っている。主人公は妻を亡くしてまもなく交通事故にあって車椅子や松葉杖を頼りにしている書評家、今は、離婚して物語を書こうとしているらしい娘と恋人?友人を自分のせいで亡くしたと思って引きこもってしまった映画評論を目指す孫娘とが同居している。しかし、この物語のもう一つの筋書きは、この書評家が頭の中で構築しているもう一つの物語の中の人物の物語である。こちらの方は、どうやら2000年のワールドトレードセンターの合衆国の混乱の結果、合衆国は2つの陣営に分裂して両陣営は戦闘状態にあるという背景の中で語られる。もう一つの物語の主人公は、「伍長」とよばれ、書評家が戦争を作り出している元凶であるとして、殺害が明示される。ところが、この「伍長」は、手品師であって自分自身は「伍長」であると認識していないだけでなく、殺害を命じる陣営とは異なる陣営からテレポートされてきた男なのだ。とはいえ、この男は書評家の知る人物、たとえば、書評家の高校時代のガールフレンド、と妙に交錯している。「伍長」こと手品師も、テレポートされた先で再会するガールフレンドは全く同姓同名なのだ。もちろん、同姓同名だからといって同一人物かどうかはわからない。とはいえ、書評家を殺害するように明示されている原因は書評家が作り出す物語が戦争を作り出している、ということは、「伍長」は創作上の人物とも見える。ガールフレンドとともに何らかの解決のために書評家のもとに向かおうとしている「伍長」は突如、殺されてしまう(書評家が、このもうひとりの主人公を物語から抹殺してしまったのだ)。
そして、物語の後半になると、書評家は孫娘の依頼に応じて、妻との出会い、一時の別れ、再会と再同居、娘の結婚と同居、孫娘の引きこもりの原因について、語っていく。まことに、複雑な構成をとっていて、しかも、ストーリーや主人公、背景が交錯していて、次はどのように展開するのか予想もつかない流れが展開していく。著者のポール・オースターの本領発揮といったところのように思える。最近読んだ『インヴィジブル』もまた凝った構成だが、本作のほうが厄介なしつらえとなっている。本書の帯には「これはオースターの自伝・・・・なのか?」と惹句が書かれているが、それは単純すぎるだろうな。オースターの作風からすると、おそらく自伝を書くとしても一冊に一つの物語として書くとも思えない。