South Is. Alps
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Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
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『ブルックリン・フォリーズ(新潮文庫)』

 寝本だったので長くかかった。久しぶりのオースター本。

晩年を迎えるネイサンと彼を取り巻く人々の物語。彼の作品の常として、次から次へと登場人物が現れるのだが、ネイサンを中心とした物語ということが読み取れたので、安心して(というのも変だが)読み進んだ(話の流れから取り残されずに)。離婚をしてがんを患い中西部からふるさとのブルックリンに戻ったネイサンは結果としては、ハッピーな老後を迎えることができそうで、一安心といったところだ。とはいえ、登場人物が引き起こす事件(問題)は、こじれていて、そう簡単ではない。かつて読んだ『ナショナル・ストーリーズ』のネイサン版といったところだろうか。

オースターの次の翻訳がまたれるところだ。

2023-05-19 22:19:32 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『日米交換船』

 ずいぶん長く書架に眠っていたが(購入してまもなく読んだ形跡があったが初めから読み直した)、ようやく読了することができた。著者のひとり鶴見俊輔にもちろん直接の面識はないが、遠に亡くなっている恩師と同世代なので、戦争前後の話に絡んで「思想の科学」関連の話しを聞いたことがある。それはそれとして、本書で繰り返されるのは、アメリカで暮らし日本への帰還を選択した交換船に乗船した人々を鏡とした日本人論、とくには、「転向」というキーワードだろう。くわえて、彼らの存在(あるいは不在)が結果的には戦後日本の、ひいては現代日本を形作ってしまっているということでもある。

本書は日米交換船から60年をへて記述されたものなので(資料との照合が行われたとのことだが)、正確性を云々するというよりも、むしろ、原点を振り返るという意味が大きかったということだろう。

合わせて、黒川創の『鶴見俊輔伝』を読んでいる。

2023-05-09 22:59:09 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『七王国の玉座〔改訂新版〕(上)(下)』(ハヤカワ文庫)

著者によるとファンタジーのジャンルではなく「イマジネイティブ・フィクション」だそうだ。著者のジョージ・R・R・マーティンは、ヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞を総なめするSF作家として知られるそうだ。今まで読んだことはなかったが、読んでみることにした。

本書(上下巻)は7部まで続く長い物語のエピローグとしての第1部にすぎず、これからどのように物語が展開するのかわからないものの、登場する主要人物の名前がつけられた章が続いていて、アンソロジーのようにも見えるし、同じ人物のタイトルの章を続けて読むこともできそうに思う。

主要登場人物の一人、ディリオン・ラニスターはトリックスターのような位置づけだろうか。ほかに、「北の王」として戴冠しそうなロブ・スターク、冥夜の守り人となったジョン・スノウ、ドラゴンの最後の末裔として輝きを増すデナーリス・ターガリエンといったところが、第2部以降どのように活躍するのだろうか。期待をもたせるところだが、さあ、続けて読むかどうか・・・。

 
 

2023-04-07 15:18:30 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『禁断領域:イックンジュッキの棲む森』、 『失われた黄金都市』


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 『失われた黄金都市』(電子版:2014、原題:Congo、原作出版:1980、ハヤカワ)、マイケル・クライトン

手話を話す7歳のメスゴリラ・エイミーと研究者のエリオット、資源探査会社のロス、案内人のモンローが頭部コンゴのヴィルンガ山地におけるブルー・ダイヤモンド探査の物語だが、古代都市「ジンジ」で護衛として創り出された新種の灰色ゴリラ(マウンテンゴリラより小型で、手話と囁きのような言語を使う。「ジンジ」の住民が原題の遺伝学の知識なく作り出した仮説をエリオットは立てた)や霊長類の生態や言語(エイミーは灰色ゴリラの言語を理解できる。手話はアメスランを学んでいるのでコミュニケーションできない)、コンピュータ関連産業、ダイヤモンド半導体、軍事に関連する国際政治、火山活動などが様々絡み合う物語。

『禁断領域』で一行が難を逃れるきっかけとなったのは、霊長類に共通する感情領域に接点があったからであったのに対し、『黄金都市』の場合は、霊長類の言語使用という接点。

邦題は、「黄金都市」だが、黄金の話はストーリーの中に出てこない。ダイヤモンドなのだ。

 

2023-04-03 14:17:18 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『クララとお日さま』

 物語は、クララの一人称小説で、すべて、彼女の視点で描かれる。クララはAF(Artificial Friend、省略形のAF)、雑貨屋で展示されていたクララは太陽光を動力とする旧世代のAFで、店のショウウィンドウから、太陽の陽を浴びて、外の世界を観察するのが楽しみだった。それだけでなく、見たことを観察し、洞察をくわえて自己の学習につなげていくことを得意としていいる。ある日、ジョージーという身体の弱い少女がクララに目を止め、からなず迎えに来ると言ってくれる。クララは待ち続ける。

ジョージーと暮らすようになったクララ、そして、彼女を大勢ではないが沢山の人々、母親、別れて暮らす父親、家政婦、近所に住むリック、その母親、などなど。ジョージーの母親は、サリーというジョージーの姉を亡くしていて、ジョージーがもし亡くなったら、クララに身代わり(「ジョージーを継続する」)させようと考えている。クララは学習してジョージーを継続する準備を整えるが、同時に、ジョージーは彼女自身で世界に立つのではなく、彼女を取り巻く様々な人にとっての存在でもあることにも気がつく。クララは「お日さま」にお願いして、エネルギーをジョージーに与えてもらう。まるで、AIが信仰心を持つようではあるが。ジョージーは回復して、大学に進学して家を離れる。クララはお払い箱になってしまう。

寓意に満ちた未来小説なのだが、AIが人間を超えるというカーツワイルのシンギュラリティに対するある種の批判でもあるようだ。一人の存在は、一人の頭脳の中に存在するのではなく、一人を取りますすべての存在にとっての存在であって、一部を切り取ってすべてを構成することはできないのではないか、AIの限界を語っているように見えた。

2023-02-11 16:44:23 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『爆発物処理班の遭遇したスピン』

 短編集、表題作の「爆発物処理班の遭遇したスピン」のほか、「ジェリーウォーカー」「リヴィル・ライツ」「猿人マグラ」「スマイルヘルス」「ボイルド・オクトパス」「九三式」『くぎ』、合わせて9篇からなる。

作者の作品が短編とはいえ、当然社会問題を背景にしていることは、長編の作品と同様。それぞれに、問題が適される。たとえば、表題作は量子スピンを用いた新世代のテロの可能性を指摘したものだ。

今後も圧倒的なパワーを持つ新たな作品の登場を望む。

2023-01-18 20:26:33 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『QJKJQ』

本作品は2016年の第62回江戸川乱歩賞を授与された。作者は『テスカトポリカ』で2021年上半期の直木三十五賞を授与されていて、本作品を続けて読もうと思ったのは、その作品を読んでそのスタイルに関心を持ったからだ。

本作が取り上げるトピックは殺人である。聖書で語られるカインとアベルの物語から人間の持つ原罪でもある。個人で行われる殺人は倫理的にも法的にも断罪されるにも関わらず、社会は戦争など社会が認める殺人は許容する。作中に登場する謎の機関「アカデミー」は、殺人の類型を調査し、殺人犯を泳がせ、殺人を観察する。ところが、普通の人間が殺人を犯すことが明かされる。また、殺人という行為を記憶に刷り込むことも可能である。

ストーリーとしては、並行してネット検索しながら楽しんで読めたのだが、一つ気になったのは、匂いだ。血の匂いや死の匂いは一切語られないのだが、私には、その意味では、リアリティを感じることができなかったのは残念だった。

 


2023-01-03 22:14:57 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『二世兵士 激戦の記録: 日系アメリカ人の第二次大戦 (新潮新書)(電子書籍)』

 本書を手にとったのは、先に読んだ『宿無し弘文:スティーブ・ジョブズの禅僧』の作者のことを知りたかったからだ。同時に今はなき両親とほぼ同世代の「二世兵士」に惹きつけられたからだ。

太平洋戦争(第二次大戦)を日米両国に分かれて戦い、名誉のために志願してヨーロッパ戦線や太平洋戦線で戦った彼らにたいし、父は日本陸軍の職業軍人だった。中国やフィリピンで戦い捕虜となった。母は女学校時代英語を志すも、国語教師になった。しかし、戦後、大阪のGHQで英語を生かして働いていた。

両親がなくなった2011年12年、しばらくは、両親の痕跡をさがそうとネットを探ったこともあった。時代が変わってしまったから、ネットだけでは容易ではなく、やがては放り出してしまった。今となっては両親が健在のうちに、もう少し話を聞いていれば、多少なりとも手がかりは多く見つけることができただろうと思うが。それでも、いつかは、なにかまとまったものにしたいものだと思っている。

2022-12-07 16:20:31 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧』

 ジョブズの作ったアップル製品には禅の心が込められているというが、どうかなあ。むしろ、ゼロックスのパロアルト研究所でアラン・ケイが構想したダイナブックやその前段階として製作したAltoをジョブズは現実のものとしたのであって、ダイナブックはiPhoneとiPad(その前はiPod)となり、AltoはMacのシリーズになっていった。デザインの原点も、アラン・ケイのものを現実化したという方がいいのではないだろうか。

かといって、本書の趣旨を否定しようとするのではない。むしろ、60−70年代のアメリカ西海岸のサブカルチャーとしての禅ムーブメントを知ることができて大変興味深かった。本作品は、芥川の羅生門方式によって、主人公の乙川弘文の姿をえがこうとした。羅生門方式というのは一つの事実や出来事(本書では、弘文という人物)をそれに関わった人々の視点で語らせて、全体像を描くというもので、主人公弘文の人となりや悩み、苦しみ、宗教家として、また、人間としての生き方がよく描かれていたと思う。

2022-11-03 21:20:29 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『星落ちて、なお』


 
 第165回直木賞受賞作の本書、河鍋暁斎の娘とよ(河鍋暁翠)の物語連作。画鬼と呼ばれた暁斎や兄の暁雲にも及ばぬと感じるとよは明治の画壇の変化もあり暁斎はじめとした、江戸以来の日本画の各流派の中から次々と新しい流れが生まれているにも関わらず、彼女は画業を続けながらも頑なに父から教わった画法をまねぼうとするが、及ばないことを恥じてもいる。その彼女が村松梢風に暁斎について語り始めるまでを描く。

実在人物や歴史的な事件、風俗なども併せて興味深く読んだ。美人画が、明治の男性中心主義の中で生まれた流れだと知った。

2022-10-24 13:55:30 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『見えない絶景 深海底巨大地形 (ブルーバックス)(電子書籍)』

 バーチャル・ブルーと名付けた仮想深海調査船にのって、日本の宮古港から出発して、太平洋を深海底にある巨大地形、海溝、海台、海底大平原、海嶺(海膨)などを仮想的にめぐる。後半では前半の記述をふまえて、仮想地質学で地球の起源を解説していく。とてもスリリングで最新の地球科学と地球史の理解が深まった。


2022-10-24 13:02:22 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『写字室の旅/闇の中の男 (新潮文庫)』

 邦訳では当初別の書籍として出版されたそうだが、著者としては、関連のある物語として捉えていて、文庫での再刊に当たり一冊にまとめたのだそうだ。

本書も凝ったしつらえになっていて、難解であった。「写字室の旅」では、ブランク氏と名付けられた主人公は、本人自身も自分自身や置かれている状況がわかっていない。だから、ブランクと名付けられている。ブランク氏は、一部屋に幽閉されているようだが、しかし、その部屋に鍵がかけられているのかどうかも不明のまま。身の回りを世話してくれる女性や医師や警察官が部屋を訪れる。医師は文書を残し、理解力の判定のために、読後にその後の物語を語り継ぐように支持する。主人公は、物語の中の人物のだれが、自分自身あるいは、自分とどのように関連があるのか訝りながら、語り継ごうとするが、その内容は記憶から出てくるのかそれとも創作するのか・・・。

もう一つの物語の「闇の中の男」の構成もまた凝りに凝っている。主人公は妻を亡くしてまもなく交通事故にあって車椅子や松葉杖を頼りにしている書評家、今は、離婚して物語を書こうとしているらしい娘と恋人?友人を自分のせいで亡くしたと思って引きこもってしまった映画評論を目指す孫娘とが同居している。しかし、この物語のもう一つの筋書きは、この書評家が頭の中で構築しているもう一つの物語の中の人物の物語である。こちらの方は、どうやら2000年のワールドトレードセンターの合衆国の混乱の結果、合衆国は2つの陣営に分裂して両陣営は戦闘状態にあるという背景の中で語られる。もう一つの物語の主人公は、「伍長」とよばれ、書評家が戦争を作り出している元凶であるとして、殺害が明示される。ところが、この「伍長」は、手品師であって自分自身は「伍長」であると認識していないだけでなく、殺害を命じる陣営とは異なる陣営からテレポートされてきた男なのだ。とはいえ、この男は書評家の知る人物、たとえば、書評家の高校時代のガールフレンド、と妙に交錯している。「伍長」こと手品師も、テレポートされた先で再会するガールフレンドは全く同姓同名なのだ。もちろん、同姓同名だからといって同一人物かどうかはわからない。とはいえ、書評家を殺害するように明示されている原因は書評家が作り出す物語が戦争を作り出している、ということは、「伍長」は創作上の人物とも見える。ガールフレンドとともに何らかの解決のために書評家のもとに向かおうとしている「伍長」は突如、殺されてしまう(書評家が、このもうひとりの主人公を物語から抹殺してしまったのだ)。

そして、物語の後半になると、書評家は孫娘の依頼に応じて、妻との出会い、一時の別れ、再会と再同居、娘の結婚と同居、孫娘の引きこもりの原因について、語っていく。まことに、複雑な構成をとっていて、しかも、ストーリーや主人公、背景が交錯していて、次はどのように展開するのか予想もつかない流れが展開していく。著者のポール・オースターの本領発揮といったところのように思える。最近読んだ『インヴィジブル』もまた凝った構成だが、本作のほうが厄介なしつらえとなっている。本書の帯には「これはオースターの自伝・・・・なのか?」と惹句が書かれているが、それは単純すぎるだろうな。オースターの作風からすると、おそらく自伝を書くとしても一冊に一つの物語として書くとも思えない。

2022-10-19 22:21:00 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『カラー版 へんてこな生き物 世界のふしぎを巡る旅 (中公新書ラクレ)(電子書籍)』

 著者は「へんてこ」について次のように書いている。「生き物を通して感じる「センス・オブ・ワンダー」(うわーっ、びっくりしたぁ、というような感覚)を強く感じる性分のようで、その感覚を「へんてこ」と呼んできた。では、具体的にどんなものが「へんてこ」で「センス・オブ・ワンダー」をもたらすかというと、かわいかったり、美しかったり、ひねくれていたり、奇妙だったり、数奇な運命に弄ばれたり、とにかく自分の認識を新たにしてくれるものたち、ということだ。見た目だけではなく、生活史や、生息環境や、人とのかかわりなど、すべてが考慮に足る。結果、「へんてこな生き物」たちは、地球上の生命の「にぎわい」を感じさせてやまない」と。

様々な背景などを考慮しながら、「センス・オブ・ワンダー」を感じた動物を取り上げるということだ。本書では、節のタイトルとなっているのは31種で、本文の中にはさらに多くの「へんてこな生き物」が取り上げられる。わたしは、オーストラリアとニュージーランドで仕事をしてきたこともあって、本書には、第1章「西オーストラリアの不思議哺乳類たち」、第4章「飛べない鳥に会いにいく」と全5章のうち2章もあてられて、心強い。もちろん、実物を見たものは少数だが、それでも、オーストラリアとニュージーランドの特殊性(孤立性)がよく表現されていると思う。


2022-10-14 16:48:21 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『テスカトリポカ』

 2021年上半期の直木賞受賞作。なんで本書を読むことにしたのか、メモにタイトルがあったので、それをもとに図書館で借用した。とはいえ、一気に読んでしまう作品だった。

中南米の先住民族の信仰と植民地支配の残像、そして、現代社会の様々な矛盾、たとえば、とんでもない貧富の差、金で命を買えること、ストレス社会の中での薬物の蔓延、それに群がる黒組織などなど、これでもかとばかりに、濃密に構成したのが本書、読み上げるのには体力というか、耐性が必要だろう。

同時に、これまで、知ってはいても、突っ込んでは調べようとしなかったこともわかってくる。著者は、一作で上げる収益以上に投資して情報を収集するのが作家としての氏名であると言ったことをインタビューで語っているが、気がついたキーワードをネットでチェックでフォローしながら読むと、この世の中の矛盾が見えてくるだろう。

注目すべきは「キャピタリズム(資本主義)」の派生語(形容する言葉と組み合わされると見えてくる)、どのような現実が現れるか。本作はストーリーや登場人物、組織としてはフィクションではある(著者がそう書いている)が、現象としては、リアリティを持ったノンフィクションであり、読者はそのことをよく知っておく必要があるだろう。文学作品といえど(表現が奇妙かもしれないが)、そうした様々な警鐘(作者の問題意識)を投げかけているとみて、読み込まなければならないのではないか。

2022-10-01 20:10:59 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『インドの時代:豊かさと苦悩の幕開け』

 わたしは、インドに行ったことがない。その意味では、私には、過去のインドのイメージもない。もちろん、ステレオタイプなインドイメージを持っていることは、否定できない。とはいえ、本書によってインド現代史のあらましを知ることを通じてそのイメージを一新できたと言える。ヒンドゥー・ナショナリズムがインドの現代を形作っていると。

本書の第4章「多一論的共生社会へ」を読むと、ヒンドゥー・ナショナリズムの超克が課題であると理解できる。本書の「豊かさと苦悩の幕開け」という副題がまさにそれであろう。そのための処方箋として、著者はこの第4章を位置づけているようだ。ヒンドゥー中心のアイデンティティ・ポリティクスを乗り越えるための「多一論的共生」、すなわち宗教的には様々な宗教の持つ神が同一のものであって、表現の違いや理解の違いを「空即是色」や「自然法爾」によって包摂するという未来像を、インドの中流のビジネスマンとの会話を通じて描こうとする。

本書が上梓されたのは2006年で、その当時のインド国民会議政権は、2010年代なかばから現在のBJP政権に変わり、現在もヒンドゥー・ナショナリズムは現政権の揺るぎない方針に見える。もちろん、20年足らずの短期間で大きく潮流が変化することは望むべきもないが、この間は、インドだけでなく世界はむしろ、アイデンティティ・ポリティクスの渦中にあると言ってよいだろう。

その意味でも、続編を期待するところではある。

2022-09-25 22:03:36 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


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