ひじきとちりめんじゃこの玄米ご飯(ひじきを戻しておき、ちりめんじゃことともに加える。玄米三カップ、水三カップ、薄口醤油と日本酒あわせて、四分の三カップ。もちろん、薄口醤油は大さじ3くらい。圧力鍋で上記が出てきたら15分。後は圧力が下がるまで放置)
小松菜と舞茸の巣のもの(小松菜を湯がいて好みのサイズにきる。舞茸をほぐし、少々の水とともに、蒸し煮にする。火が通ったところで舞茸とあわせ、薄口醤油、玄米酢、水を注ぎ、味を整える。仕上げに、鰹節をかける)
赤魚の粕漬け
最近三週間、週一回の池下・浅野屋。
イベリコ豚のソーセージとトマトサラダを前菜に、カキフライとフォアグラソテーをメインに。
今夜お願いしたワインはコルクが悪くなっていたとかで、死んでいたようで、おとりかえ。こんなこともありか。これまで、二度ほどの経験がある。一度は、お店で、もう一度は自宅でワインをあけたときに。今夜が三本目。
キュルノンチュエのブロックベーコンが残っていて、これをつかう。ブロックの表の部分はかなり固く、包丁もなかなか歯が立たないので、これらを薄くきりとり、残りを、1センチ角ほどのブロックにきっておく。もちろん、歯の立たない固い部分も煮込む。
ベーコンと野菜のパスタ(ベーコンを赤唐辛子、ガーリックピューレとともに炒めるかおりがでたところで、セロリ、タマネギを入れて炒め、しんなりさせる。トマトダイス缶を入れ、三分の一量の赤ワインのこる分量に水を加え、なべに入れる。ろーりえ、ハーブミックス、塩。煮込む。買い置きのトリフパスタという乾麺をゆでて、オリーブオイルをかけ別の皿に盛っておき、好みのトマトソースをかけて食する)
ブロックベーコンの皮の部分、乾いていると固くて包丁もたたないくらいだが、煮込むと、柔らかくなる。食い意地が張って、少しかじってみた。歯ごたえがあり、おいしい。
豚しゃぶ(白ネギ、水菜、舞茸、松なめこ、豆腐。しゃぶしゃぶ肉(ロース薄切り)、三枚肉薄切り。仕上げに、稲庭うどん)。だし昆布でだしをとって、ゴマだれとポン酢だれ。
ブロッコリーと牛バラ肉薄切りの豆鼓炒め(ブロッコリーを小房に分けて、塩ゆでしておく。豆鼓醤と紹興酒、中国醤油、濃い口醤油を混ぜておく。中華鍋にサラダオイルを入れ、赤唐辛子小口切りを入れて香りを出す。肉を入れてあおる。ゆで汁をきったブロッコリーを入れてあおる。用意したソースを入れて、よく合わせる。忘れたけれど、片栗粉でとろみをつけてもよいだろう)
玄米といり大豆、ちりめんじゃこの混ぜご飯(圧力鍋を使った)
金時草と豆腐のみそ汁
野沢菜の漬け物
秋山なみ・亀井伸孝、2004、『手話でいこう:ろう者のいい分聴者の本音』、ミネルヴァ書房
著者ふたりはろう者と聴者のカップルである。本書ではろう者の秋山なみは「ねこ」、亀井伸孝は「かめ」と表記される。この二人の会話(手話と口話、文字による)のやり取りが意表をついている。「意表をつく」という表現がそもそも、無知をさらけ出しているのだが・・・。つまり、「ねこ」は手話と口話を駆使するのだが、「かめ」は手話しか方法がない。両者にとって筆談は共通の媒体である。さらに、手話は聴者にとっては第二言語であるので流暢ではない。両者の関係がとても興味深い。ろう者の文化や感じ方を理解するだけではなく、普段聴者同士ではでてこないトピックについて会話を交わす二人のやり取りも大変興味深い。
例えば、音に対する感覚の違い。聴者は聞こえる音のボリュームや響きについて敏感である。わざわざいうまでもないことのように思うこと自体、聴者の世界が当たり前であると思い込んでいるからである。それに対して、ろう者は音に対する感度は低い。いうまでもなく、程度の違いはあるにしろ、聴者に比べて聴覚感度が低いことがろう者であるのだから。二人は、音についても、意見をことにする。新居に移ったときろう者の「ねこ」は音については「気にすることなく」物を置いたりぶつけたりする。それが、聴者には気にかかる。マンションの上下左右の隣人たちとの関係は、微妙な音の否応ないやりとりが、問題なのである。だから、「かめ」は静かにしようようというが、「ねこ」はなぜ気にしていなければならないのかという。二人の最初の大げんかの種になったという。「気にするのは当たり前でしょう」というのはやすいけれど、これは、あくまでも聴者の論理。ろう者は人口の1%とのことであるので、マイノリティだから、99%の聴者の論理に従うべきとするのかどうか。問題はもっと深い。聴者に代表されるマジョリティはマイノリティに対する聞く耳の感度は低い。これは、変だ。
ろう者の手話は世界で120あまりも知られているとのことである。手話は、音声言語(音声情報を媒介とする言語)と同じく、文法も語彙も持つ人類の言語のひとつである。音を使う言語を使うのが多数派を占めているが、それとて、必然性はない。たまたま、音声言語が選ばれたにすぎないといってもよいだろう。
さらに、現実には、音声言語だけではなく文字言語(視覚情報を媒介とする言語)も持っている。もちろん、文字言語は音声言語に即していることが多いが、それでも、同じ言語でも音声言語固有の表現、文字言語固有の表現をもっている。どちらかで表現する方がふさわしいとの感覚も持っている。
手話は手や身体の動き(表情も大切)を要素とする人類に固有の言語のひとつなのである。さらに、ろう文化は建築にも深い影響を持つことも知らなかった。これは、意外だった。視覚に頼るのでアトリアムのような構造が目立つという。これは、アメリカのろう者の大学、ギャローデット大学で二ヶ月を過ごした彼らの報告のなかで述べられている。
以前、見たウィリアム・ハート主演の「愛は静けさのなかに」というろう学校を舞台にした映画では、暗い水の中(プールの中)というのが重要なシーンとなっていた。音声が伝わらない水中では聴者はコミュニケーションできない。また、暗ければ視覚に頼る言語をもちいるろう者はコミュニケーションできない。両者がフィフティフィフティである場が暗い水の中だったのである。
ついでながら、映画検索しているうちに見つけたのが、「デフ映画データベース」というサイトだった。
http://www.deaf.or.jp/movie/
実は、今年六月、「かめ」ととある会合で知り合った。彼との会話はとても刺激的だった。一方的にいろんなことを教えてもらったという意味なのだが、その後、ようやく二人の本を読むことができた。遅まきながら。ありがとう。
<11月3日付記>
ブログでこの本を紹介しているとことは少ないことがわかった。あさっていくうちに、以下のようなサイトを見つけたので、リンクしておく。
http://www.wombat.zaq.ne.jp/wanderers/
| 手話でいこう―ろう者の言い分 聴者のホンネミネルヴァ書房詳細を見る |
2005-11-02 16:40:56 |
読書 |
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今夜は、またもイメージがわかず、とりあえず、豚汁でも作るかと思った。スーパーにいって、まず、入り口でカブラをかごにいれ、たのだが、後は、でまかせ。
豚汁(カブラ、カブラの葉、白ネギ、なす、なめこ、豚切り落とし。八丁みそと麹みその合わせ味噌。食事のときに七味)
焼きサバ寿司