『いのち:生命科学に言葉はあるか』
最相葉月、2005、『いのち:生命科学に言葉はあるか』、文春新書
クローン・脳死・ES細胞・遺伝子診断・DNA鑑定など生命科学に関わる話題にこと欠かない現代、それにもかかわらず、われわれは、我々の生命に直結する問題に、無関心でいやしないか。一人一人が、イエス・ノーを問われているに等しいのだが。
著者が本書を書くきっかけになったのは、「内閣府総合科学技術会議生命倫理専門調査会」を傍聴したことで、下記のサイトを立ち上げて、生命倫理の問題に関してディスカッションを続け、さらに、問題関心を深めるために本書の対談を企画したのである。生命科学に関わる人々との対談を通じ、問題点の所在について、賛成も反対の意見も参考にしつつ、それでも、ヒト胚細胞研究の認可には反対であることを述べている。わたしも、著者の話の流れに同意したい。生命科学に関連するトピックには、直接生命に関わることであるので、慎重に事を運ばなければならないにもかかわらず、調査会の審議の過程は、はなはだ疑問である。
http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/index.html
著者の意図にそっているかどうかわからないが、わたしが興味深く読めたのは、以下の諸章である。
第二章:「宇宙のなかの人間」柳澤桂子との対話:自己の難病と戦いながら生命について深く考える。
第三章:「いのちの始まりと宗教の役割」島薗進との対話:生命科学はもっと宗教と対話が必要。
第九章:「宇宙で知る地球生命」黒谷明美との対話:重力と生命など、スケールの大きな話。
第十章:「遺伝子診断と家族の選択」アリス・ウェクスラー&武藤香織との対話:遺伝病の診断とインフォームドコンセント、診断についての自己決定。
第十一章:「進化と時間の奇跡」古澤満との対話:ゲノムをいくら読んでも生命の形はわからない。これまで知らなかった進化論があった。
クローン・脳死・ES細胞・遺伝子診断・DNA鑑定など生命科学に関わる話題にこと欠かない現代、それにもかかわらず、われわれは、我々の生命に直結する問題に、無関心でいやしないか。一人一人が、イエス・ノーを問われているに等しいのだが。
著者が本書を書くきっかけになったのは、「内閣府総合科学技術会議生命倫理専門調査会」を傍聴したことで、下記のサイトを立ち上げて、生命倫理の問題に関してディスカッションを続け、さらに、問題関心を深めるために本書の対談を企画したのである。生命科学に関わる人々との対談を通じ、問題点の所在について、賛成も反対の意見も参考にしつつ、それでも、ヒト胚細胞研究の認可には反対であることを述べている。わたしも、著者の話の流れに同意したい。生命科学に関連するトピックには、直接生命に関わることであるので、慎重に事を運ばなければならないにもかかわらず、調査会の審議の過程は、はなはだ疑問である。
http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/index.html
著者の意図にそっているかどうかわからないが、わたしが興味深く読めたのは、以下の諸章である。
第二章:「宇宙のなかの人間」柳澤桂子との対話:自己の難病と戦いながら生命について深く考える。
第三章:「いのちの始まりと宗教の役割」島薗進との対話:生命科学はもっと宗教と対話が必要。
第九章:「宇宙で知る地球生命」黒谷明美との対話:重力と生命など、スケールの大きな話。
第十章:「遺伝子診断と家族の選択」アリス・ウェクスラー&武藤香織との対話:遺伝病の診断とインフォームドコンセント、診断についての自己決定。
第十一章:「進化と時間の奇跡」古澤満との対話:ゲノムをいくら読んでも生命の形はわからない。これまで知らなかった進化論があった。
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