駅前通りを柳井駅に向かって散策しました。ほとんどのお店が無くなっていました。本屋さんも例外ではなく、駅通りの津野ブックショップだけが残っているくらいです。本橋以北の本屋さんは全く残っていませんでいた。津野ブックショップ内に入ってみると、置いてある本の種類が昔と比べ激減していました。参考書などはあまり無く、回転が良く再販がきく週刊誌中心になっていました。ハードブックなどはもう売れないのでしょうね。この本屋さんに入って柳井田布施域の白地図を買いました。
地図を買った都野ブックショップ 丸久跡地のイベント会場
本屋さんを過ぎて、旧丸久があった付近に行くとイベント会場がありました。この会場で、金魚ちょうちん祭り関係のイベントがあるようです。もっと昔、金魚ちょうちん祭りが始まる前の柳井のお祭りもこの近くで蛇おどりのようなイベントがありました。会場は、最終日のためか音声装置やイスを片づけや整理していました。
今も残る駅前通りの広島銀行(丸) 広島銀行(丸)横にあった旧丸久
デパートだった丸久はもともとは柳井津の土手町近くにありましたが、柳井警察署が今の場所に移転した頃に、広島銀行付近に移転してきました。そして、駅前の大丸が亡くなった頃に丸久も無くなりました。20年以上前から商圏がだんだん柳井駅の西に移っていきデパートも消滅しました。
金魚ちょうちんで飾られた、昔と比べて静かな柳井駅
柳井駅に着くと、JAや柳井園芸側に向かって歩いてみました。駅前の喫茶店千草に入ってみようかと思いましてが時間がないので止めました。そう言えば地下通路になった場所に小さなビルがあり、確か地下に喫茶店がありました。時間待ちにその地下喫茶店を利用したことがよくありました。喫茶店千草を過ぎると、目立つのはJAの立派な建物だけです。
建物が古くなった喫茶店千草 昔と比べて立派な建物の志熊眼科
JA付近を歩いていると、志熊眼科への案内図がありました。私が高校の頃、この眼科に通ったことがあるため、ちょっと寄ってみました。昔と比べて建物が立派になっていました。私がかかった眼科の先生はお年寄りでした。今は、その二代目か三代目が後を継いでいるのでしょう。
次に、柳井文化服装学院/クッキングスクールに行ってみました。知ってはいましたが、建物は廃墟になっていました。私の母親が定年後にここに通って勉強していたようです。しかし、今は洋裁などを習う人がいなくなり、料理を習う人もいなくなったのでしょう。このような民間の学校が無くなるのはさびしいものです。洋裁や料理の他に、趣味講座などを増やすなどして生き残れなかったのでしょうか。柳井園芸を通り線路を横切り、バイクを駐車している柳井駅西側に戻りました。そして家に帰りました。
廃墟になった柳井文化服装学院 今も比較的お客が来る柳井園芸