先日、納蔵原古墳周辺を調査しました。今度は国森古墳と石走山古墳周辺を調査してみることにしました。この付近は古墳がたくさんある地域です。近くに比較的大きな円墳である木ノ井山古墳もあります。その他小さな古墳が散在しています。古代において墳丘地帯だったのではないでしょうか。
国森古墳の案内板 案内板とお地蔵様 急斜面のルート
まず、観音橋を渡って200m位進むと、国森古墳を指し示す青色の案内板があります。ライオンズクラブがルート7.8として建てた案内板です。その案内板の示すとおりに進むと、今度は国森古墳の入口を示す低い案内板があります。その隣にお地蔵様があります。ここでバイクを降りました。ここからは歩いて山道を進まなければなりません。
この角をターン 地元の稲荷社 納所のお地蔵様
少し歩くと、国森古墳に最も早く行ける急斜面のルートがあります。その前に案内板が建っています。急斜面はローブを掴まないと登ることができません。今回は、急斜面のルートを登りませんでした。道なりに進むと、ここを曲がると国森古墳へ行く案内板が建っています。
国森古墳の説明版と山口県指定史跡国森古墳柱
しかし、すぐには国森古墳に行かないで周辺の山道を探索しました。北への小道を進むと、地元の稲荷社がありました。明治35年に奉納された短歌集板が掲げられていました。さらに進むと眼下に石原璋(たまき)の石碑が見えてきました。ここで道を戻って西側の道を進みました。すると、納所の舗装道路に出ました。道の反対側に、道を見守るようにお地蔵様が安置されていました。
国森古墳の祠 国森古墳の葺石? ロープを掴んで降りる
道を戻って国森古墳に行きました。そして方墳と言われる頂上に行きました。整備したのでしょうか。ここに倒れていた山口県指定史跡国森古墳柱が説明板の横に建てられていました。ところで、説明板の近くに古墳の葺石と思われる丸い石がごろごろしています。葺石を少し手直して並べれば、観光の目玉になるのかなと思います。国森古墳からの帰路は急斜面を降りました。ロープを掴んで降りたのですが、やや危険に思いました。
山すそにひっそりと建つ石原璋の石碑
続いて、古墳とは関係ないのですが石原璋の石碑を訪れました。明治時代、富永有隣に学んだ学者です。とても立派な石碑です。彼の弟子がこの石碑を建立したとのこと。この石碑がある場所に御屋敷があったようですが、今は何もありません。往時を思わせる立派な石垣だけが残っています。なお、この石碑の奥にさきほど行った稲荷社がありますが、神主の名前が石原となっていました。石原家はこの稲荷社の神主をしていたようです。
国森古墳と石走山古墳の周辺ルート