東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

楽しかった平生町 曽根,水場,田名,夫婦松方面ウォーキング(1/3)

2017年01月18日 | 歴史探訪他ウォーキング



 久しぶりに平生町をウォーキングしました。今回は曽根方面ウォーキングです。私にとっては同じルートを、調査,下見,そして今回で三回目のウォーキングとなります。今回は、寒波が強い日だったのでとても寒いことが予想され、参加者も10名ぐらいかと思っていました。ところが21名の参加者でした。小さな年長さんも参加です。

  曽根公民館を元気に出発           最初に水場の金毘羅社を訪問
 

 寒い風が吹く中を元気に出発しました。最初に訪れたのは水場の金毘羅社です。ここで、江戸時代から明治にかけて水場周辺はとても繁栄していたことを説明しました。その一例として水場に遊郭があったことを話しました。ちなみに金毘羅社の鳥居は、今から188年前の文政12年(1829)に建てられました。往時の水場を想像しながら旧道を歩きました。

 往時の水場の雰囲気    渡船場跡,対岸は戎ヶ下    百済部神社を見学
  

 水場の旧道をしばらく歩くと、渡船場跡に着きます。海に突き出るように桟橋の残骸が残っています。その桟橋跡に立つと、対岸の戎ヶ下が見えます。戎ヶ下の桟橋はだいぶ前に撤去されましたが、水場まだ残されています。桟橋跡を見終わると、百済部神社に行きました。海にせり出すようにある珍しい神社です。昔は島だったのでしょう。神社をぐるりと回りました。

           綺麗に飾られていた水場の教相寺


 百済部神社は海にせり出すように建立されていますが、かつては海の神様としてあがめられたのでしょうか。鳥居が海に面しており、階段が海中に向かって水没しています。古代において、平生,田布施.そして柳井につながる海峡がありました。この神社はその安寧を祈る大事な場所だったように思います。百済部の地名のとおり、古代は渡来系の人々が住んでいて崇めていたのかも知れません。

  お線香の後にお祈り     天井画などを見学      隣の部屋の仏画
  

 百済部神社を過ぎると、道を少し戻って教相寺に行きました。催しがあるのでしょう綺麗に飾られていました。お寺の方に聞くと、午後から催しとのことでした。お寺のご厚意で本堂に上がらせていただきましした。本堂に上がりいろいろと見学させていただきました。合掌を済ませると、本堂内の仏画や天井画などを見させていただきました。教相寺のご厚意に感謝いたします。ありがとうございました。

    今回ウォーキングした平生町 曽根,水場,田名,夫婦松方面のルート


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