東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷北西地区 史跡巡りウォーキング(5/5)

2019年02月26日 | 歴史探訪他ウォーキング

 猫のお宿を出ると、ぴんころ地蔵に立ち寄りました。今の世相、長々と介護を受けずぴんころと逝きたいとの思いが強くなったように思います。誰の迷惑にもならず子供の世話にならず逝きたいとの思いなのでしょう、何人かがこの地蔵様をさすっていました。数十年後、私はどうなるのでしょうか。

          天王社がある丘のすそ野を散策


 ぴんころ地蔵を過ぎると、木工所に寄りましたが日曜日は不在のようです。続いて、西竹重自治会館に行きました。この会館内には立派なお地蔵様が安置されています。かつて、ここには西遊寺がありました。建屋の周りには、その名残として墓石がいくつかあります。虫干しをしていたのでしょうか、たまたま中の障子が開いていました。そのため、お地蔵様を外から拝むことができました。

  西竹重自治会館      林の中の天王社     なつかしいのうぐろ
  

 西竹重自治会館を過ぎると、丘の上にある天王社に行きました。この天王社のすぐそばに大きな穴があります。今、その穴には枯れ枝などが詰めてあります。古老によると、昭和の初めにこの穴の場所に大きな松が生えていたそうです。その松は巨大で、田布施駅方面からよく見えたそうです。そのため、麻郷に帰る人たちの道しるべの役割をしていたとのこと。しかし、いつの日かその松は倒れてしまったそうです。その根の跡が、穴として今でも残っているのです。

 ネズミモチの巨木     出征兵士を見送った鐘   発掘現場を見学
  

 天王社を過ぎると、竹重地区から尾迫地区に入りました。田布施町の名木の一つであるネズミモチの巨木を見上げながら尾迫地区に入りました。尾迫に入ると、昭和十年代のことと思われますが、出征する兵士を送る時に鳴らしたと伝わる鐘が道端にあります。大東亜戦争と読める石柱が、鐘をぶら下げる棒を支えています。戦争遺跡が、こんな所に人知れず残っているのですね。

  大室遺跡(弥生時代)碑を見学         麻郷公民館に帰着
 

  続いて、発掘現場に行きました。丘の高い場所にあります。弥生時代の遺跡とのことです。日曜日だったため発掘している方が誰もいませんでした。そのため、現場を眺めるだけにとどめました。続いて、最後の史跡である大室遺跡碑を訪れました。弥生時代の遺物が発見されたそうです。先の発掘現場と同じ尾根続きですので、この一帯には弥生時代にたくさんの人々が暮していたようです。大室遺跡碑を見学し終わると、しばらく歩いて麻郷公民館に帰り着きました。ウォーキングに参加された方々お疲れ様でした。来月のウォーキングでは、柳井新庄の大平山の尾根を散策する予定です。

           今回ウォーキングした麻郷北西部コース

コメント
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