東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 柳東地区の史跡巡りウォーキング(2/4)

2024年09月26日 | 歴史探訪他ウォーキング

 暗い茶臼山トンネルを出ると、50m位歩いた後にT字路を渡りました。そして、恵愛会運動公園に沿う道を下りました。暑いためか恵愛会運動公園には誰もいませんでした。200m位道を下ると、今度は十字路を左側に曲がりました。その道の終点はは茶臼山古墳です。
 この古墳は前方後円墳です。その前方部に回ってその角から古墳に登りました。簡易な石階段を登りました。ところで、古代において前方部で儀式をしていたそうです。皆が並べるように前方部は平になっています。古代、どんな装束をして儀式をしていたのでしようか。埴輪を見ると今とは全く違う装束や髪型だったようです。

        冷房の効いた茶臼山古墳資料館内で昼食休憩をとる


 飛鳥時代に防府が周防国の国衙に指定されました。つまり、それ以前の周防国の中心は防府ではなかったことになります。私見ですが、防府以前の周防国の中心は田布施の城南付近ではなかったかと思います。その証拠の一つとして、山口県内で古墳の数が一二位を争うほど多い事です。二つ目の証拠として、石城山神籠石(朝鮮式山城)の存在があります。古代において周防国の中心であった場所を守るため又は逃げ込む城が石城山ではなかったかと思うのです。

   恵愛会運動公園     茶臼山古墳前方部    茶臼山古墳後円部
  

 古代において柳井,田布施,平生は海でつながっていました。つまり海峡でした。その証拠が遺跡などから分かっています。古代地中海などではこのような地形にポリスが築かれました。当時の物流は陸路よりも海路が主でしたので。主に海伝いに人々が行き来していました。平安時代、清少納言は海伝いに父親の任地である防府に赴きました。柳井,田布施,平生を通って船で赴いたに違いありません。

   後円部に置かれた数々の埴輪     後円部から見下ろした前方部
 

  茶臼山古墳に登って埴輪を見たり周りを遠望してから資料館に行きました。下見時は休館でしたが今回は開館していました。涼しい館内で銅鏡などの遺物を見学しました。そして、涼しい館内でお昼休憩をとりました。休憩しながら、古代はどんなだったのかタイムマシンがあれば千年の時を越えて訪れてみたいと思いました。願わくばこの時代に生まれ変わってみたいものです。

        柳井東方面の史跡巡りをしたウォーキングルート


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