東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

5穴黒マルチにタマネギ苗を移植(3/4)

2012年11月15日 | 野菜:根菜

 タマネギの苗を作っていますが、そろそろ植え替える大きさに育ってきました。このため、雨が降る前にタマネギの苗を本畝に植え替えました。前回は、衝動買いしてしまったタマネギ苗でしたが、今回は9月下旬に種をまいて育てた苗です。売っているのとは違って、育ち具合がまちまちなのは仕方がありません。

                  植え替えにちょうど良い大きさのタマネギ苗


 今回のタマネギ苗床はこれで終わりです。なお、タマネギの苗床はもう一か所作っているため、あともう一回の植え替えでタマネギ植え付けは全て終了です。黒マルチに空いた穴の数は300以上あります。すべてのタマネギを春に収穫すると、膨大な数になりとても我家では食べきれません。近所の方に分けようと思っています。

     苗床からタマネギ苗を採取         黒マルチの穴に苗を次々に移植
 

 今回のタマネギ苗移植で、黒マルチの穴が2/3程度ふさがりました。私は大きなタマネギよりも小ぶりなタマネギが好きです。このため、あまり肥料をやらないようにした方が良いのではないかと思っています。山口県でタマネギを作るのは初めてです。いくつかのタマネギは初春に、とうが立つかも知れません。肥料のやり具合をみながら育ててみようと思います。

                   黒マルチの2/3程度にタマネギ苗を移植

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パン用小麦を手押し式種まき機で播種(1/2)

2012年11月14日 | 麦,穀類,雑穀



 去年は東京八王子市の畑で小麦の種まきをしました。しかし、今年は山口県の畑で小麦の種まきをしました。小麦の品種はパン用の硬質小麦「ユメカオリ」です。今回小麦の種をまいた畑は、雑草だらけになって稲刈りが散々だった陸稲畑です。一度トラクタで耕しましたが、種まきする前にもう一度トラクタで丁寧に耕しました。

     稲刈りが散々だった元陸稲畑、小麦の種まき前に再度耕運


 耕し終わると、ようやく種まきをすることができます。種まき機を小麦用に設定しました。種が落ちる穴の大きさ(播種量)を「小麦」位置に合わせます。次に種まきの間隔を小麦用に合わせます。私は、その間隔を24cmにしました。

  播種量を「小麦用」に合わる       播種間隔を24cmに設定
 

 次に畝の間隔を決めました。私は除草などを耕運機で行うので、耕運機のロータリー幅を考慮して90cmにしました。ロータリーの幅+20cmです。畑の南端と北端に90cm間隔の印を付け、その位置に棒を差し込みました。

  90cm間隔の畝幅を位置づけ       種まき機に小麦を入れる
 

 畝幅を決めると、種まき機に小麦を入れました。畝幅ごとに張った棒にひもを張り、そのひもに沿って種まき機を押しました。種は自動的に蒔かれ、さらにその上に土が自動的に被覆されます。この種まき機は種をまいた後に土を被覆してくれるのは良いのですが、畑が凸凹していると被覆がうまくいきません。春に陸稲の種をまいた古い種まき機は、土を被覆してくれないのが欠点です。しかし、畑が凸凹していても確実に種をまいてくれます。どちらの種まき機が良いかは、畑の耕運状況に左右されます。このため、畑の状況に応じて二つの手押し式種まき機わ使い分けています。なお、もう一か所の小麦畑は一週間後位に種まきする予定です。

        畝を示すひもに沿って、種まき機をひたすら押す

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田布施町 麻郷 高塔ふれあい祭り

2012年11月13日 | イベント,行事

  高塔地区のふれあい会は11日10時からの開催ですが、私は焼き芋を作らなくてはなりません。また、豚汁用の白菜を3束頼まれていました。7時頃起床してさっさと朝食を済ませて、畑に行きました。雨がザーザーと降っていましたが、両手を使わないと白菜を収穫できません。傘もささず白菜を収穫しました。収穫した白菜は9月上旬に種まきしたものです。収穫したばかりの白菜を一輪車に乗せて、雨の中を高塔公会堂に向かいました。

                豚汁の具材を加工している高塔地区の方々

 豚汁を作っている方々に白菜を手渡しした後、私は焼き芋を作ることにしました。雨が降り続く中、コンロに点火しました。鉄鍋やその中に敷いたゴロ石が熱を持つまでに時間がかかります。その間、少し時間が空いていたため、雨を避けるためテントの裾をビニールシートで延長したりする手伝いをしました。天気予報のとおりの雨降りでした。

    子供達も大人に混じってお手伝い     大根を加工している方々、ご苦労様
 

 それにしても大ぶりの雨でした。昨日設営したテントだけでは足りません。急遽、竹竿を組みその上に広いビニールシートを張りました。高塔地区の方々の中には、竹を組んで簡易テントを設営でする方がいるのでとても助かります。男数人が雨の中を助け合って、簡易テントを設営しました。困っているときほど、一致団結できることはすばらしいことだと思います。

     簡易テント、上部の組立中          ほぼ出来上がった雨避け簡易テント
 

 雨避け簡易テントが出来上がった頃、焼き芋を作るための鉄鍋が熱くなりました。これから、昼まで私はえんえんと焼き芋を作り続けました。雨が降り続け少し風も吹いていましたので、ちゃんと焼けるかどうか心配でした。しかし、熱量の高いプロパンガスコンロを貸していただいたり、コンロに風が吹き込まないように工夫していただきました。おかげで、すべてのサツマイモを焼き上げることができました。

          左は、貸していただいたプロパンガスコンロと風避けの覆い


 私が焼き芋を作っている間、隣りで豚汁を作っている方々は大忙しでした。凍った椎茸を切ったり、大根の表面をピラーで剥いで一口サイズに切ったり、最後に白菜を加工していました。最初は数人の方だけで作業していましたが、そのうち次々に人が集まりはじめました。焼き芋を作っていると、豚汁を作っている奥様方大勢の楽しそうな声が聞こえてきました。

   大人は豚汁、子供は綿菓子作り         美味しそうな豚汁の出来上がり
 

 朝10時がふれあい祭りの開会式です。最初、高齢の方に小さな子供からのプレゼントです。このふれあい祭りは、お年寄りや小さな子供を集めての3世代のふれあいも目的としています。普段は見ず知らずの、お年寄り,お父さんお母さん,お孫さん達の3世代の交流です。私はこの春に約40年ぶりに高塔に戻ってきましたので浦島太郎の気持ちです。名前を知らない人がとても多いのですが、今回の催しで少しは知ることができて良かったと思っています。

   10時に開催された高塔地区の3世代ふれあい会、手前は昨日作ったポン菓子


 ふれあい会が始まると、いよいよ豚汁などが配られました。子供達には昨日作り置きしたポン菓子も配られました。公会堂内は狭くて全員が食べることができません。ちょうどその頃、私はすべてのサツマイモを焼き終ったため、各テーブルに焼き芋を数個ずつ配りました。

      豚汁を配膳している方々        公会堂内で楽しそうに食べる家族達
 

 半数程度の方は、テント内に並べたテーブルで食べました。テント内は暖房がきいていないためとても寒かったのですが、話に花が咲いたため寒さはあまり感じませんでした。大人にはお酒やビールがふるまわれましたので、さらに口が滑らかになったようでした。

          豚汁,焼き芋,お酒もふるまわれ、寒さにも関わらず話に花が咲く


 子供達は豚汁や焼き芋より、綿菓子の方が好きのようです。綿菓子製造機の前にたくさんの子供達が並んでいました。高塔地区で春に行われる通称「天王さんのお祭りでも、綿菓子製造機が子供達に人気でした。単に食べるだけでなく、自分で綿をからめ取り綿菓子を作ることも楽しいのでしょう。

      完成した焼き芋、全量配布            綿菓子を作っている子供達
 

 40年ぶりに高塔に帰ってきましたが、私が子供の頃は地区をあげてのお祭りはこれほど盛んでは無かったように思います。今回のようなふれあい会はありませんでしたし、通称「天王さんのお祭り」も旅回りの劇団が来るだけだったりしました。子供会もバスをチャーターしてのおきまりの遠足でした。スポーツセンターなどありませんでした。むしろ地区よりも、浮島神社,おだいっさー,田布施座,平生座,各寺などの昔からお祭りや娯楽が中心でした。40年間のブランクは大きいです。早く慣れるようにしようと思います。
 ところで、ふれあい会の終わり頃、私はスポーツセンターでウォーキングクラブの定例会議があったため途中で抜けました。定例会議が終わって高塔公会堂に行くともう誰もいませんでした。焼き芋作りに使った竹製テーブルを、一人静かに持って帰りました。

     にこやかに食べる家族               笑顔で楽しそうな子供達
 

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田布施町 麻郷 高塔ふれあい祭りの準備(2/2)

2012年11月12日 | イベント,行事

 11月11日(日)に行われる麻郷高塔地区のお祭りの最終準備を10日(土)にしました。私が焼き芋店を出すため、焼き芋にするサツマイモを畑で掘りました。掘ったのはサツマイモ品種の中でもとても甘く美味しい安納芋です。これまで、野焼きした時娘と焼き芋を作って食べましたが、まだ3株のサツマイモが畑に残っていました。その3株をすべて掘り出して焼き芋にすることにしました。

     掘っている途中のサツマイモ        洗って干しているサツマイモ
 

 掘ったサツマイモは水で洗って泥を落としました。そして、新聞紙をひいた上に並べて干しました。サツマイモを干している間、竹で組んだテーブルを高塔公会堂に運びました。運び終わると、風が当たらない場所にセットしました。うまく焼けるかどうか試しに焼き芋を二個作ってみることにしました。

           公会堂玄関前に竹製テーブルを置き、試しに焼き芋を作る


 サツマイモを入れて焼く鍋が温まるのに時間がかかったためか、焼き芋が出来上がるのに1時間ほどかかりました。しかしながら、とても美味しい焼き芋が出来上がりました。試作した焼き芋を自分でも食べ、ふれあい会の準備をしているほかの方々にも数人食べてもらいました。明日11日は2台のコンロで焼き芋を作るので、鍋さえ温まれば次々に焼き芋ができあがる予定です。本番ではうまく焼けるでしょうか。

     ポン菓子を作っている方々           子供達もポン菓子のお手伝い
 

 なお、ポン菓子は出来上がるのに時間がかかります。このため、1日前に全量作ることになりました。ポン菓子製造機で何回かに分けて100人分以上を作り上げました。私も、出来立ての暖かいポン菓子を袋詰めする手伝いをしました。ポン菓子のお手伝い以外に、肉じゃがを作るための大型ガスコンロを設置する手伝いや、テーブルやイスを並べる手伝いなどもしました。明日は確実に雨が降るようでしたので、公会堂前にテントを張るなどの手伝いもしました。

                天気予報で雨が降る予想のため、あらかじめテントを張る

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田布施町 麻郷 高塔ふれあい祭りの準備(1/2)

2012年11月11日 | 農機具,工具

 田布施町麻郷の高塔地区では、去年までは地区内でバレーボール大会を開催していたそうです。ところが、今年は参加希望者が少なくて大会が中止になったそうです。そして、その代わりとして、高塔地区の三世代ふれあい祭りを11月11日(日)開催することになったそうです。ボランティア募集があったため、私は当日焼き芋店を出すことにしました。その準備をしています。

        必要な長さの竹を切り出す         竹テーブルの脚を組み上げる
 

 お店を出すからにはテーブルがどうしても必要です。竹を使った構造物の作り方をボーイスカウトなどで指導した経験を生かして、久しぶりに竹製のテーブルを作ることにしました。小さい物は「たちかま」と言っているものです。小さな「たちかま」は、火を起こした上で料理をすることができます。今回は、これを大きく作ってテーブルとして利用することにしました。

     支柱の頂点を組み上げる             頂点に横竹を結びつける
 

 竹を組み立てるには、麻ひもを使います。しかし、麻ひもがなかったため、稲を束ねるために使うバインダーひもを使いました。麻ではなくジュート製ですが、同じように使えると思います。ひもの結びは、まきむすび、角しばりを使いました。10年間位竹を組んだことがないので、少しずつ思い出しながら組み立てました。

               傾かないように、すじかいを二本交差させる


 骨組みができあがると、テーブルの部分を作りました。乾いた竹がたくさんあったため、その竹を割って作りました。このテーブルの部分は、10日の午後に高塔公会堂に持ち込んで組み立てるつもりです。竹を組み立てていると、ボーイスカウト時代に竹製の椅子やテーブル、そして橋などを作ったことを思い出しました。そう言えば、竹で箸をつくったり、竹トンボなどを作ったこともありました。

      乾いた竹を見つけ等間隔にカット        竹を鉈で次々に割る
 

 このようにして、竹製テーブルを仮に完成することができました。このテーブルの上で、実際に焼き芋を作ってみましたが、風があるためなかなか鉄鍋が熱くなりません。屋内で作るより出来上がりに時間がかかりました。このため当日は早めに行って、焼き芋を渡す前に作り置きしておく必要がありそうです。

             仮に完成した竹製テーブル、看板を付けると完成

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椎茸(しいたけ)のほだ木を積み替え

2012年11月10日 | 麦,穀類,雑穀

  そろそろ椎茸(しいたけ)が生える季節です。すでに小さな椎茸が生えています。亡くなる前に父親が、しいたけ菌を植え付けていたほだ木を積み重ねていました。このほだ木は去年の冬に父親といっしょに伐採したものです。積み重ねられたほだ木を、椎茸が出やすい場所に移して積み替えしました。

     亡き父親が積み重ねたほだ木              ほだ木を一本一本移動
 

 私が山口県に帰ってきた時に食べられるようにと、父親はほだ木を積み重ねておいたようです。亡き父親が私のためにと作ったほだ木を、一本一本運んで湿った林の中に移して立てかけました。父親と一緒に作業できれば良かったのにと、ふと思いました。高校卒業後約40年間、山口県に帰省すると必ず父親がいました。しかし、もういないのだと思うと、ぐっと寂しさがこみ上げてくることがあります。

                湿った林の中に移して立てかけた、しいたけのほだ木


 古いほだ木はカラカラのむくろになっています。その古いほだ木は手で掴むと簡単にポロポロに崩れます。少し硬いものでも、足で踏みつけると同じように崩れます。崩れたほだ木はやがて土に帰ります。

              古いほだ木を片づけて、新たなほだ木を積み直す


 椎茸を栽培している個所は二つあります。もう一か所は竹藪です。この場所も湿っているので、しいたけ栽培に向いています。この竹藪傍にも、亡き父親がほだ木を積み重ねていました。そのほだ木も移動して、暗い竹藪の下に積み替えました。

       竹藪傍の椎茸のほだ木            すでに椎茸が出かかっている
 

 これから雨が降るなど湿った日が続くと、椎茸が一気に出てきます。ほだ木をよく見ると椎茸がたくさん出かかっています。一ヶ月先には食べきれないほどの椎茸が出てきます。食べきれない椎茸は干します。そして、干し椎茸を作ります。毎年椎茸を取るには、やはり毎年ほだ木となる原木(しい,なら,くぬぎなど)を伐採する必要があります。この冬、来年,再来年用の椎茸栽培のための原木を伐採しようと思います。

                 竹林に並べて置いた椎茸のほだ木

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ダリヤの球根を掘り上げ,埋め戻す

2012年11月09日 | 花,野草

 タマネギ畝を作るためにダリヤの畝を壊しました。ダリヤは花期を過ぎていましたので、少ししか花が咲いていませんでした。タマネギのために、その花も含めてバッサリと刈り取りました。この春、ダリヤの種をまいて栽培しましたが、ダリヤは育つと球根が地中にできます。この球根を植え付けると来年の春には球根から芽が出てきます。

      夏に咲いていたダリヤの花             掘り上げたダリヤの球根
 

 タマネギの畝を作る時、ダリヤの球根を別の穴に埋めておきました。その球根を掘り出して来年芽を出して花を咲かせて欲しい、ダリヤ専用の畝を新たに作りました。そして、ダリヤの球根を約30cm間隔で埋めておきました。

             一株のダリヤの複数の球根芋、売っている球根は一芋


 ダリヤや雑穀など、この春に畝を東西に作りました。あとで「しまった。」と思ったのですが、畝は基本的に南北に作ります。東西に作ったため、ダリヤの北側の畝に種をまいた、百日草の育ち具合がよくありませんでした。このため、新たなダリヤの畝は南北方向にしました。今後ダリヤ以外の野菜も含めて南北の畝に少しずつ変更しようと思います。

            丸は、ダリヤの球根を植えた場所、枯れた茎の根本が見える

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柳井市 伊保庄方面を散策(2/2)

2012年11月08日 | 歴史探訪他ウォーキング

 柳井市伊保庄の山近地区をいったん小川沿いに戻り、福井畑地区に向かってやっと車が一台通れる登り坂を上りました。これから先は初めていく地区です。田布施や平生側から見て、大星山や箕山の向こう側になる地域です。小川に沿ってどんどん登りました。

    山近地区から下がった地域          福井畑への上り坂途中のお地蔵様
 

 登り坂の途中、農作業をしている方に福井畑の場所を聞きながら登りました。しばらく登った後、稲を刈り取った田んぼから海を振り返りました。すると、青い海の向こうに大島などの島が見えました。この地域に住んでいる方々はその昔、坂を上り下りして歩き大変だったのではないかと思いました。

               福井畑近くの稲刈りが終わった田んぼ、振り返ると海が


 福井畑の話は、母親からよく聞きました。母親の祖母(私の曾祖母)がこの福井畑の出身で、母親が小さいころ福井畑によく遊びに来たとのこと。母親が子供の頃よく遊びに来た、私の知らない曾祖母の実家を訪ねてみました。しかし、呼び鈴を押しても誰もいませんでした。その家の廻りを見ると、祠かお地蔵様が祭ってある小さな小屋がありました。

    曾祖母の出身、福井畑の山崎家     祠かお地蔵様が祭ってある小さな小屋
 

 その家に誰もいないので、がっかりしながらさらに山を登って大星山に向かいました。ところが途中で道を間違えてしまったようです。困ったなと思っていると、道のそばの田んぼで野焼きをしているおじいさんがいました。その方に正しい大星山へ登る道を教えてもらいました。そのおじいさんと談笑しながらその方の名前を聞くと、まさに私の曾祖母の実家である山崎家の方でした。驚きました。その方は、母親から聞いたことがある、徳山から山崎家に養子に来られた方でした。

       探していた山崎家の方            柳井100選の福井畑の棚田
 

 先を急いでいたため、山崎家のおじいさんとはゆっくり話ができませんでした。私の母親や曾祖母のことを聞きましたが知っていませんでした。その山崎家に「96歳のおばあさんがいるので、それに聞けば覚えているかも知れない。」とのことでした。その96歳のおばあさんが養女でなければ、私の曾祖母や母親のことを知っているかもしれません。曾祖母は昭和27年頃(1952)に亡くなったそうです。96歳のおばあさんが35歳の頃ですので、知ってる可能性があります。今度の機会に福井畑を訪問しようと思います。

            福井畑奥の崩れかけた段々畑、石垣跡がむなしい


 大星山に向かう正しい山道を進むと、人家が絶え牧場がありました。荒れ果てた段々畑に牛がポツンと放牧されていました。群れで放牧するではなく、一頭一頭が離れて放牧されていました。私が山道を行くと、牛が興味深かそうに寄ってきました。この付近は柳井市の棚田100選に選ばれていますが、山の上に進むほどその棚田は荒れ果てていました。高齢化と共に荒れ果てていったのかなあと思いました。荒れ果てた棚田の石垣は、遠い昔から祖先が苦労して作り上げてきたのだと思うと残念でなりません。

     ポツンと放牧されていた牛        大星山付近から福井畑奥を見下ろす
 

 牧場からさらに山道を進むと、やがて林の中に入っていきました。しかし、車一台が通る道幅が尾根道まで続き、傾斜も比較的ゆるやかでした。このため、舗装されていないにも関わらず登りはとても楽でした。時折り、木々の間から垣間見える伊保庄や福井畑を見ながら休みました。

       左下の丸から順に、福井畑奥の牧場,福井畑,そして伊保庄


 山道をどんどん進むと、やっと大星山に続く尾根道に出ました。時間がないため、大星山山頂に向かわないで佐賀方面に下る道を選びました。そして、どんどん下って佐賀に着きました。その後、平生方面に向かい、南周防大橋を渡って麻郷の我家に着きました。
 なお、今回初めてGPSなるものを使ってみました。地図上の自分が通った道をプロットしてくれます。我家に帰った後パソコンで、地図上にプロットされたGPSポイントを見ました。GPSを使うと、地図上のどこを通ったかはっきり分かります。また、どこで道を間違えそうになったのか明確に分かります。次回、同じ道を通る時の参考になります。

         地図にプロットされたGPSポイント、どこで迷ったかなど明確に

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我家の10月の気温変化

2012年11月07日 | 田舎暮らし

 9月の気温変化と同様に、10月の気温変化をみてみました。9月は夏から秋への変化でした。また、9月下旬に夏から秋へと気温が下がりました。毎年のことですが、10月は気温の下降が急激です。10月中旬までは緩やかな下降でしたが、中旬は雨が降ったためか、気温が下がりつつも上下していました。しかし、10月30日、31日は急激な下降です。全体的には、10月上旬の気温が、約20℃だったのが、10月最終日は約10℃近くまで下がりました。一ヶ月で10℃近くの下降です。11月は、いよいよ晩秋とともに冬の訪れがありそうです。


                 我家周辺の気温変化、どんどん気温が下降

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5穴黒マルチにタマネギ苗を移植(2/4)

2012年11月06日 | 野菜:根菜

  DIYのお店にカーテンレールの部品を買いに行った時、タマネギ苗がたくさん売っていました。自分で苗を作っているにも関わらず、つい苗を衝動買いしてしまいました。そこで急遽、雑穀のシコクビエとダリヤの畝を壊してタマネギ畝にしました。シコクビエはまだ穂が付いていましたが、刈り取って束にして干しました。ダリヤは、まだ花が咲いていましたが掘り返しました。球根は別に穴を掘って埋めました。近いうちに掘り出して植え替えるつもりです。

  シコクビエを刈り取りタマネギ畝に           5穴黒マルチで畝を被覆
 

 耕運機でシコクビエとダリヤの畝をきれいに耕した後、レーキを使って鞍型畝にしました。そして、秋冬野菜の種まきの時に使った5穴黒マルチの余りで畝を覆いました。この、黒マルチはもともとタマネギ用です。黒マルチを張り終わると、購入したタマネギの苗を植え付けました。ただし、大きめの苗でしたので、春先にとう立ちする恐れがあります。今回購入した苗だけには肥料をあまりやらないなど、とう立ちしないよう気を付けようと思います。

             黒マルチの穴、一本一本丁寧にタマネギ苗を植え付け


 売っているタマネギ苗は、採取してから数日経っていることがあります。今回購入した苗もやや元気がないように思えました。一気に採取したのか、根の短い苗が多く含まれていました。根が活着するまでの間に日光当たると、苗はしおれてしまいます。

                植え付けを終わったタマネギの苗


 根が活着するまでなるべく日に当てないようにしました。そのために、先日余分に作っておいた竹製のU字支柱と日よけシートを使って日よけしました。根が活着するまで日よけをしておけば、しおれるだけで済み枯れるリスクを避けられます。

     竹製のU字支柱を畝に差し込む          日よけシートで畝を覆う
 

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母親の部屋をバリアフリーに改造

2012年11月05日 | 家族関連

 今介護をしている母親が寝る部屋は、日が当たらず広いため冬はとても寒くなります。このため、台所近くの日がよく入る南側小部屋を母親の寝室兼居間にしようと改造しました。その小部屋、畳なのですが根座が腐ってるのか歩くとふかふか揺れます。母親はすり足歩行のため、畳があまりふかふかしていると転倒するリスクがあります。数年前、母親は布団につまずいて足を骨折したことがあります。布団に足を取られて骨折するなんて普通の人には考えられません。

       小部屋の畳をすべて剥ぐ           根座だけになった小部屋
 

 布団につまずいて骨折して以降、なんとか歩くことはできます。しかし、すり足でしか歩くことができません。また、20mも歩くと足が痛くなる上にとても疲れるようです。なるべく長生きしてもらいたいので、またトイレやお風呂位は介護なしでやって欲しいと思っています。今後転倒することがあれば、下手をすれば寝たきりになってしまうかも知れません。

                   新しい根座の上に、断熱剤をつめる大工さん


 小部屋には母親が根寝起きしているベッドを持ちこみます。畳が傷んでいることもあり、このさい小部屋を板の間にすることにしました。古い畳を撤去してもらい、根座を新しくしてもらい、断熱材を入れ、その上に板ボードを敷き、最後に敷居などと段差がないように化粧板を敷き詰めました。

   ボードの上を歩いて確認する母親    最後に化粧板を敷き詰めている大工さん  
 

 しかし、この部屋は電気容量が少ないため、配電盤のブレーカーが落ちることがたびたびあります。小部屋に移るとエアコンや電気こたつを使うことが多くなります。そうすると、ブレーカーが落ちるリスクが増えますので、小部屋を改造するついでに電気屋さんにも来てもらい電気容量を増やしてもらいました。また、電気製品も多く使うようになりますので、コンセントも増設してもらうことにしました。

   元々ある配電盤、ここがよく落ちる     新たな配電盤を取り付ける電気屋さん
 

 工事は午前8時頃に始まり、午後3時頃に終わりました。小部屋は綺麗な板の間になり、テレビなどの位置も使いやすいようにレイアウト変更しました。電気容量も増やしコンセントも増やしたので、今後は電気製品を便利に使えるようになると思います。数日後に母親のベッドをこの小部屋に移そうと思います。

              綺麗な板の間の小部屋になって嬉しそうな母親


 なお、板の間はとても滑りやすいため、小部屋の床(6畳)にカーペットを敷くことにしました。冷たい板床が暖かくなりますし滑りがなくなりますので、転倒リスクが減ると思います。ただ、トイレがやや遠くなるのが心配です。トレイに行くのが辛いようであれば、ポータブルトイレを使ってもらうことも考えています。それでも、小部屋が新しくなったため、母親は嬉しそうでした。

        暖かい日差しが差し込む小部屋、そして小部屋にマッチしたカーペット

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柳井市 伊保庄方面を散策(1/2)

2012年11月04日 | 歴史探訪他ウォーキング

 前回、平生の大野側を散策しましたが、今回は山の反対側の伊保庄側を散策しました。そして、山道を通って大星山に出て平生の佐賀方面に出ました。伊保庄のうち、山近地区は私の母親の故郷でもあるため子供の頃に何度か来たことがあります。また、私の子供が小さい頃、夏に黒島海水浴場(今は「サザンセト伊保庄マリンパーク」と改名)によく連れてきました。この夏にも伊保庄に立ち寄りました

   柳井南小学校(旧伊保庄小学校)     山近付近の坂道(県道伊保庄平生線)
 

 旧伊保庄小学校から西に県道伊保庄平生線を登りました。県道とは思えない狭い田舎道です。この道を進むと山近地区から急坂になります。振り返ると、周防大島が大きく見え、大島と伊保庄の間の海に烏島(からすじま)が小さく見えます。稲刈りが済んだ棚田をどんどん登って行くと、パタリと人家が絶えます。

        山近地区から周防大島を振り返る、烏島(からすじま)が小さく見える


 人家が絶えた道をどんどん登ると、ミカン畑がありました。しかし雑草が生い茂っているのをみると、あまり手入れされていないようです。この道をさらに上に進むと、尾根道に突き当たり平生の大野方面に下りる道に出会うはずです。しかし、大野側の道が廃道となっていたように、この道も続いてるようには見えません。やはり、県道伊保庄平生線は廃道になったようです。

        ミカン畑を通る寂しい坂道       森の道、昼間にも関わらず暗い道
 

 県道伊保庄平生線は諦めて、等高線を北に向けて通る道を散策しました。しばらく進むと小さな草原があり、日光があふれるばかりに降り注いでいました。この近くに遠い親戚のお墓があるのですが、すっかり荒れ果てていました。住む人がいなくなると、お墓は確実に荒れ果てることがよく分かります。

           日光があふれるばかりに降り注いでいた小さな草原


 明るい小さな草原で少し休憩した後、山道を下りました。そして、南隣りの福井畑地区に行くことにしました。福井畑は私の曾祖母の出身地です。私は、この地域を訪れたことはありません。今回初めていく地域です。山近地区よりさらに南に行って上に登って大星山へと続く地域です。

      草原から海を見下ろして     草原を降りる途中、周防大島と烏島を遠望
 

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5穴黒マルチにタマネギ苗を移植(1/4)

2012年11月03日 | 野菜:根菜

 9月末に種まきして育苗中のタマネギがそろそろ移植できるまでに成長しました。また、DIYのお店でもタマネギの苗を売っているのを見かけるようになりました。このため、我家でもタマネギ苗を移植することにしました。これまでタマネギは、苗を購入しては植え付けしたり、種をまいて育苗して植え付けてしたりしました。費用的には自作タマネギ苗の方が安上がりなのは確かです。

       成長したタマネギの苗                掘り出したタマネギの苗
 

 購入した苗と自分で育苗した苗を比較すると、購入した苗は大きさもそろっておりまず間違いありません。しかし、高価であることと、売れ残っている苗は根などが傷んでいるものがあります。特に時期遅れに出てくる苗はそうです。自分が作った苗は、育ちぐあいに差があるため苗の大きさがまちまちになりがちです。しかし、育苗した苗をすぐに移植できるため茎も根も生き生きしています。

               5穴の空き黒マルチに、取ったばかりのタマネギ苗を植え付け


 ホウレンソウやカブなどの種まきをした5穴の黒マルチに空きがありました。その空きの穴にタマネギ苗を植え付けました。次回タマネギ苗を植え付ける時、タマネギ専用の畝を作るつもりです。その畝にはタマネギを数百も植え付けることができます。そのため、新たに種をまいて追加のタマネギ苗を育苗中です。この育苗中の追加タマネギは11月中旬には植え付けできると思います。早生タマネギも作ればよかったのですが、すっかり忘れていました。

     黒マルチに植え付けたタマネギ苗        追加育苗中のタマネギ苗
 

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田布施川沿い史跡めぐりウォーキング8回シリーズ(その1)の下見

2012年11月02日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今年から来年にかけて、田布施川の河口から源流に向けて川沿いにある史跡を見ながら散策する8回シリーズを計画しています。河口から源流まで一度で歩くことは出来ないため、8回に分けました。今回は第1回の下見で、田布施町側の河口から八海橋まで歩き、途中にある史跡などを見ながら下見をしつつ距離や時間を測ってみました。ちなみに、この田布施川沿い史跡めぐりの2回目は、春に田布施川の平生町側の河口から上流に向かって散策する計画です。

   麻里府の別府バス停で降車      麻里府公民館前の国木田独歩碑
 

 スタートしたのは田布施町麻郷八海のバス停留所です。ここから10:00のバスに乗って麻里府別府バス停留所に着きました。ここから、のんびり八海に向かって川沿いを歩きました。バスに乗ったのは久しぶりのことです。乗っていたのは私を含めて4人程度でした。バス料金は確か270円でした。バス停から降りて歩き出すとすぐに、お地蔵様やミツバチの巣箱がありました。

  漁船が係留された麻里府漁港      麻郷小学校の前身「成器堂」跡
 

 しばらく歩くと、麻里府公民館がありその敷地内に国木田独歩の碑がありました。その碑を読んだ後、麻里府漁港に行きました。数人の方が働いてしました。麻里府をのんびり歩いて、次に戎ヶ下を通りました。戎ヶ下には江戸時代(天保6年創立)の郷教「成器堂」跡があります。田布施町史によると、この「成器堂」が麻郷小学校の前身と書かれています。20人も入れないような狭い敷地が、今の麻郷小学校になったのかと思うと驚きです。しばらく歩いて、南周防大橋が完成する前に使われていた水場と戎ヶ下を結ぶ渡船場跡も見ました。

      戎ヶ下の田布施川沿いを歩く、南周防大橋や風車を遠望


 麻郷の浜城に着くと、少し休憩することにしました。その前に、南周防大橋の麻郷側十字路にあるコンビニに寄って飲み物を調達しました。そして、トイレを使うことができることを確認しました。橋の入口近くに6人位が座れる石のテーブルとイスがありましたので、そこでしばらく休憩することにしました。麻里府別府バス停留所からここまで、3.4Kmでした。

  南周防大橋の石テーブルで休憩       南周防大橋の真下を歩く
 

 南周防大橋を車などで通ることはあっても、その橋の裏側を通ることはまずありません。今回は、橋の裏側を見ながら下をくぐるように歩いて通りました。この付近は、私が子供の頃は埋め立てされておらずよく潮干狩りにきていました。また、今では天然記念物になっているカブトガニが大量に生息していました。私もそのカブトガニを何匹もバケツに入れて持って帰ったことがありました。

 太陽光メガソーラー発電所工事現場        米出の船着き場跡
 

 埋立地をぐるりと田布施川側を歩いていると、対岸の鳥越側埋立地で太陽光メガソーラー発電所の工事をしている現場を見ることができました。まだ太陽光パネルは全面的に敷き詰められていませんでした。一枚だけパネルが敷いてあり、数人の人だかりがありました。太陽光パネルのテストか工事手順の打ち合わせをしているのでしょう。テレビで放送していた田布施のメガソーラー太陽光発電所はここではないかと思われます。このウォーキングを実施する11月末、もしかして太陽光パネルがだいぶ敷かれているかも知れません。メガソーラー発電所工事現場を過ぎると、米出に着きました。

          鳥越側の砂浜から平生町曽根側を見て


 米出には、江戸時代ここに置かれていた「上関宰判勘場」跡があります。この米出港から麻郷で獲れたお米を出荷していたのではないかと思います。「米出」の地名の由来が分かる史跡です。米出を過ぎると鳥越地区に向かいました。私が小学6年生の頃、この付近の国道188号線に沿って大量のカンナを植えました。東京オリンピック記念としてです。暑い真夏、小学生全員でクワを持って並んで植えました。そして秋、オリンピック聖火をここで迎えました。しかし、そのカンナは10年位前に歩道整備のために無くなりました。

  三つの国道188号線、右は明治期、中央は今、左は10年ほど前の国道


 鳥越を過ぎて八海地区の田布施川沿いを歩き続けました。この付近の河口では昔、アサリやエビがたくさん獲れました。しかし、近くに化学工場ができてからは獲れなくなりました。残念なことです。八海橋近くには、三つの国道188号線が走っています。その三つの国道を歩いた後、八海バス停留所に到着しました。麻里府別府から歩いた距離(ウォーキングメーターの値)は7865.0mでした。ウォーキングとしては標準的な距離です。ほどよい疲れで到着することができました。

     終点の八海バス停留所      ウォーキングメーターの測定値
 

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平生町 大野~大星山~宇佐木の散策(3/3)

2012年11月01日 | 歴史探訪他ウォーキング

 宇佐木の山田公会堂付近から左折して平生方面に行きました。この道は、私が高校生の頃に学校から般若寺に登った道ではないかと思います。今回はとてものどかで、あちこちで稲刈りをする光景が見えました。ほとんどの農家は、コンバインを使って一気に稲刈り,脱穀,ワラ切りをしています。しかし、何軒の農家は昔ながらに、稲刈りした稲をはさ架けして干していました。このはさ架けの風情を見ると、何かほっとするものを感じます。

                  稲刈り後、はさ架けして干している稲束


 稲刈りがだいぶ進行してるいる田んぼでは、籾ガラが田んぼに無造作に置かれています。新米として売り出すためか、稲刈り直後に籾摺りして精米したのでしょう。私も先日稲刈りした陸稲を脱穀したので、そろそろ籾摺りしようかと思っています。

                遠くに赤子山を見ながらの、何か懐かしい里山風景


 山田地区から稲刈り中の田んぼを見ながら、大野地区に着きました。ここから北に赤子山がよく見えます。そして、宇佐木から平生街にかけての平野を眺めることができます。千年以上前の古代、ここは海岸でした。広大な田んぼを海にみたて、古代の人はここをどのように見ていたのか想像してみました。

     大野から般若寺へ行く道       宇佐木から平生街に広がる広大な田んぼ
 

 大野に出ると旧国道188号線に出ました。ここの国道は、昭和20年位前はため池(天池)のそばを通って平生街内を通り旧平生座傍を通っていました。それが、昭和20年頃に今の平生町体育館やアルク前を通り平生町役場や平生郵便局前を通る道に変更になりました。そして、10年位前に今の道になりました。国道の変遷に合わせて平生街内がさびれていきました。旧平生座があった頃、平生街はとても賑やかでした。

      大内川傍の旧188線              旧188号線、今は静かな幹線
 

 旧国道88号線を通り平生街を目指していると、大きな池(天池)が見えてきました。この池は、江戸時代初期に作られた農業用のため池です。この地区は稲作奨励のため、灌漑をしたり、ため池を作ったりと大規模工事をしていました。その痕跡が、このため池として残っているのではないかと思います。

           米作り奨励や日照り対策として、江戸時代に作られたため池


 ため池(天池)のほとりで、少し休憩しました。ほとりにはたくさんのコスモスが咲いていました。10分位休憩すると、平生街に向かいました。途中、赤子山の前に広がる、田んぼがいくつもありました。先週、稲刈り中でたくさんの稲束がはさ架けされていましたが、もうその稲束もはさもありませんでした。
 私が幼児の頃の話です。この付近に飛行機が不時着したことがあります。不時着できる場所を探しながら低空飛行している飛行機を、平生保育園の広場で見上げました。新聞の地方版に写真入りで出たことを覚えています。強烈な記憶だったのでしょう、低空飛行しているジュラルミン製飛行機の銀色や小さなハッチや窓を今でも思い出します。

             赤子山前に広がる豊かな田んぼ、この付近に飛行機が不時着

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