1月に小麦畑隣りのケヤキやこならを何本が伐採しました。それらの伐採木が少しは乾いたようなので、友達のI君と搬出できる長さに細断しました。午後2時頃から作業を開始しました。午後の日差しが当たる中、二人でのんびりと作業しました。
午後の暖かい日差しが当たる中、伐採木の細断作業
私は主にチェーンソーを使って、太い幹を切断する作業をしました。そして、ある程度切断が終わるとナタを使って細断作業に加わりました。細断する枝が無くなると、再びチェーンソーで太い枝を切断しました。I君はひたすら、細い枝を切り揃えては積み重ねました。
細断作業用に持ち込んだ農具 カマで細枝を細断しているI君
太い木は、チェーンソーで簡単に伐採して倒すことができます。しかし、一本の木はたくさんの枝を付けています。この枝を一つ一つ細かく切断するのはけっこう時間がかかります。太い枝はチェーンソーで、中くらいの枝はナタで、細い枝はカマで細断します。I君と談笑しながらの作業です。ノルマがある仕事ではないので、のんびり作業するに限ります。
太い枝はチェーンソーで、中くらいの枝はナタで、細い枝はカマで裁断
細断した枝や木は同じ太さにごとに仕分けして積み重ねます。今回は全ての枝や木を細断できませんでした。次回、すべての伐採木を細断しようと思います。そして搬出しようと思います。
ところで、チェーンソーで太い枝を切断しているとだんだん切れなくなってきました。ガソリンは十分あるのに不思議でした。そのうち、切断面が摩擦熱のためでしょうかだんだん黒くなるようになりました。それで気がつきました。チェーンソーオイルが無くなっていたのです。その頃になると日が傾いてきたため、今回の作業は終わりにしました。
太さ別に仕分けした枝 チェーンソーオイルが無く、切断面が黒く
このSONY製トランジスタラジオ TR-610の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
修理(1/6) 修理(2/6) 修理(3/6) 修理(4/6)
修理(5/6) 修理(6/6)
オークションなどで、故障した年代物ラジオがたまに安価で出回ることがあります。そんな故障したラジオをお小遣いで買うことがあります。私は古いラジオをコレクションすることよりも、故障を直すことを楽しみにしています。今回、故障したSONY製トランジスタラジオ TR-610がやってきました。電池を入れてもさっぱり音が出ない故障です。私のところにやってきた以上、時間をかけてでも生き返らせてあげようと思います。雨が降って農作業ができない日などは、ラジオの修理がとても気晴らしになります。
まったく音が出ないSONY製トランジスタラジオ TR-610
私はラジオの修理を始める前に、使われている部品などについて調査します。いきなり修理することはしません。このラジオが作られた年代背景や、どんな人が使っていたんだろうと思いをはせます。
私はかつてテレビ製造工場で働いていました。その時の実習で、夜間高校生の女の子達と一緒にベルトコンベアラインに並んで働いたことがあります。このため、古いラジオやテレビを見ると、いったいどんな女工さん達が汗水して作ったのだろうかと思ってしまいます。
このラジオ、故障しているにも関わらずどうして今まで捨てられなかったのでしょうか。100円ラジオが売っている、この使い捨て時代に稀有なことです。
9V電源、535~1605kHz 出荷時の製造番号67927?
このラジオを手にとってざっと見た感じでは、ポケットタイプの創世記のトランジスタラジオに思えました。基板の取り付け方、ネジの取り付け位置などがとてもユニークです。私が保育園に通っていた1958年(昭和33)頃の製造のようです。当時は真空管式ラジオが主流でしたので、このラジオを持つことはステイタスシンボルだったにちがいありません。主にアメリカ向けだったのかも知れません。SONYブランドを、海外に決定付けたトランジスタラジオではないかと思います。
ユニークな基板の固定方法 基板を固定している外ネジ
次に内部を開いてみました。ざっと見て、さっそく二か所の不具合を見つけました。1つはOSCコイルのフェライト欠けです。製造時か修理時の欠けだと思います。この欠けがあるとトラッキング調整がしずらいです。次に、スピーカー端子のショートを防ぐシートが脱落していました。低周波出力トランス上に貼り付けていたものが、はがれて落ちたのでしょう。
ラジオの内部 下丸:SP端子のショート防止シート 上丸:OSCコイル
なお、ダイヤルが黒く汚れていました。このラジオはダイヤル窓に透明板が無いのでしょうか、長い間にその窓から汚れが入ったようです。窓に透明板が無いラジオは初めてです。それとも脱落したのでしょうか。汚れたダイヤルを綺麗に掃除しました。
黒く汚れたダイヤル 綺麗に掃除したダイヤル
この日立製トランジスタラジオ TH-660の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
修理( 1/10) 修理( 2/10) 修理( 3/10) 修理( 4/10)
修理( 5/10) 修理( 6/10) 修理( 7/10) 修理( 8/10)
修理( 9/10) 修理(10/10)
去年の2月に修理を開始した日立製トランジスタラジオ TH-660、ようやく修理が終わりました。修理開始からほぼ1年でしたが、その間に東京八王子市から山口県への引っ越し、退職、父親の葬式などが次々に重なってしまいました。その間ほとんど、このラジオの修理に関わる時間がありませんでした。最後にラジオの受信状況を調べました。
最低受信周波数は520kHz 最高受信周波数は1850kHz
受信周波数範囲は520~1850kHzでした。このラジオの規格は535~1605kHzです。低い側はほぼ標準的ですが、高い方にだいぶずれているのが気になります。OSCコイルを回せないなどトラッキング調整がとてもやりにくく、また部品が外しにくいのでこれ以上調整できません。ただ、実用周波数範囲に収まっているのでこれでよしとしました。なお、AGCの効きが少し悪いような気がしました。受信状況を動画で取ろうと思いましたが、デジカメが発生する雑音をどうしても受信してしまいます。雑音を発生しないデジカメは無い物でしょうか。
ラジオの背側を濡れティッシユぶ拭く 細かい窪みはアルコール綿で拭く
このトランジスタラジオは、修理屋さん泣かせです。部品が狭い所に入り組んでいるため確認や調整が非常にしずらいです。また、ろうであちこちが固められているのは困りものです。そのため、トラッキング調整が細かくできません。
デザインはGOODで申し分ないのですが、メンテナンスを考えないデザイン本位のラジオではないかと思いました。そのためか、このラジオ以外に、このような構造のポケットタイプのトランジスタラジオにお目にかかったことがありません。
デザインは申し分ないものの、メンテナンスが困難なトランジスタラジオ
先日会ったI君と、椎茸の種駒を原木に打ち込む作業をしました。先日種駒を打ち込んだ原木は、直径10cm未満の細い原木でしたので比較的楽に作業できました。しかし、だんだん太くなるとそれだけ重くなるので移動だけでも大変です。I君が原木の移動を手伝ってくれたので、とても助かりました。
山裾から原木を運んでいるI君、お疲れ!
I君が原木を山裾から運んでいる最中。私は原木にチョークで印を付けて、種駒を打ち込む穴をひたすら開けました。穴は規則正しく開けなければなりません。原木に均等に椎茸菌が生えるために、なるべく正確に開けました。そのために、チョークを使って原木に穴を開ける位置を正確にマーキングします。まずは、原木の切り口(切断面)にチョークで円柱線を決める印を付けます。
運んだ原木を並べる 円柱線を決めるため切り口に印
円柱線の数は、原木の円周長を4cmで割った数を偶数になるように切り捨てた数です。4.3の場合は4,7.5の場合は6です。その偶数を切り口にマーキングします。そして、その円柱線上に沿って20cm間隔の穴開け位置をマーキングします。このマーキングにけっこう時間がかかります。一度マーキングすると、あとは円柱線上にマーキングされた印すべてを電気ドリルで穴開けします。
円柱線上にチョークでマーキング中
最初充電式電気ドリルを使って穴を開けていました。しかし、充電池内の電気容量が無くなってきたため、途中から100Vの電気ドリルを使いました。さすがに、100V用はひょいひょいと穴を開けることができます。今回は家庭用100V電源が使える作業小屋前で作業しましたが、100V電源が無い山の中で作業する場合は予備充電池を用意した方がよさそうです。
100V電気ドリルを使って穴あけ 原木のマーキング上に開けた穴
穴を開けると、穴が乾かないうちに椎茸の種駒を打ち込みました。この時、I君に原木の移動作業を一時中断してもらい、一緒に打ち込みしました。I君に種駒を穴に軽く挿入してもらい、その上から私が金槌で叩きます。すると、種駒が穴の中に叩き込まれます。種駒は生きています。原木が乾きすぎたり、日差しで熱くなりすぎると、簡単に死滅してしまいます。一方で、梅雨などによって原木が湿り過ぎると、他のきのこやカビなどが生えてくるため良質の椎茸を生産できません。
椎茸の種駒を穴に挿入 種駒を穴内に金槌で叩き込む
良く分からないのですが、狭い穴の中に種駒を押し込むと椎茸菌が圧力で死なないのか不思議です。おがくず菌ならば穴の中に入れても押しつぶされないので理解できます。しかし、種駒は強い圧力で穴の中に無理やり押し込められます。菌とは言え、圧死しないのかと思います?
種駒を金槌で次々に穴の中に押し込む
種駒を全ての穴に叩き込むと、その原木を伏せ場に持って行きます。細い原木ならば楽々と移動できますが、太い原木を持ち上げて移動するのは大変です。伏せ場では原木を規則正しく並べます。そして、最後に遮光用の黒い網を被せました。今回はI君に手伝ってもらい作業がはかどりました。感謝!
今後、時々ジョロで水を掛けるなどの世話をしながら来年まで世話をします。標準的には再来年に椎茸が出るようになります。椎茸は気の長い世話が欠かせません。
伏せ場に並べた原木、遮光用の黒い網を被せる
私が子供の頃、近くの山にヤマモモの木がありました。山に遊びに行った時、その木によじ登って赤い実をよく食べていました。今、我家の裏山の一角に一本のヤマモモの木があります。しかし、まったく実をつけません。ヤマモモには雄と雌の木があるようですので、裏山のヤマモモは雄の木のようです。
購入したヤマモモの苗 裏山の一角に植穴を掘る
我家には以前、庭にヤマモモの木が植えてありました。父親が植えたようです。遠くから見ても分かるほど赤い実をぎっしりつけていました。しかしながら、そのヤマモモはいつの間にか枯れてしまいました。ヤマモモはやはり庭よりも山の方がよく育つのではないでしょうか。購入したヤマモモの苗は、日当たりが良い裏山の斜面に植えました。うまく育てば、来年には実をつけるのではないかと期待しています。
日当たりが良い裏山の斜面に植えたヤマモモの苗
先日、柳井市の茶臼山古墳を中心に散策しましたが、今回はその東隣のJR柳井港からJR大畠駅までを散策してみました。柳井港周辺は子供の頃に何度も来たことがあるので知っていましたが(とは言っても50年もの昔)、大畠方面は初めての散策です。瀬戸内海の笠佐島を見ながらの高台は、なかなかのウォーキングルートだと思いました。
柳井港近く、琴石山登山口踏切傍 春日神社の長い境内
JR柳井港駅西側近くの旧188号線から踏切を渡ると、すぐのところに春日神社があります。鳥居をくぐり長い境内の小道を進むと神社の建物があります。周りはこんもりした林になっており、柳井市の有名木が何本があるようです。例えば、とても大きなヤマモモの木がそびえるように立っていました。綺麗に掃除されているので、この神社は昔から地元の方々から大切にされてきた神社ではないでしょうか。神社裏に回ってみると、眼前に琴石山がそびえるように立っていました。この付近は、琴石山への登山ルートの一つです。
静かな林に囲まれた春日神社
神社の参拝を終わると、山陽本線北側を線路伝いに東に進みました。JR柳井港駅北側の道は、人が一人通れほどの狭さです。その狭い道は、JR柳井港駅を見下ろせるほど一段高くなっていました。JR柳井港駅北側をしばらくして進んで、再び踏切を渡って旧188号線に出ました。そして、柳井港街の旧道に入りました。そして松戸八幡宮にお参りしました。
188号線から左の旧道に入る 急な石階段上の松戸八幡宮
松戸八幡宮は、遠崎小学校の北側に接する場所にあります。普通の神社ですが、素晴らしい石段を登ります。急な石階段を上ると、だんだん視界が広がって海が見えるようになります。神社から笠佐島や上関半島が良く見えました。昔は、この神社から海が今より広々と見渡せたのではないかと思います。
素晴らしい一直線の急こう配の石階段
松戸八幡宮を参拝し終わると、妙円寺内の月性展示館に行きました。月性(げっしょう)は幕末の尊王攘夷派の指導者だった人で、この妙円寺で住職の傍ら海防などを指導していたそうです。第二奇兵隊の世良修蔵もここで月性の指導を受けたとのこと。ちなみに世良修蔵は戊辰戦争中の東北で襲撃され亡くなりましたが、これが奥州列藩同盟の発端の一つになったようです。NHKの「八重の桜」での会津攻めの遠因になった人です。月性展示館近くにある遠崎小学校では、月性が始めた教練を踊りの形で伝えているそうです。
妙円寺の月性展示館 柳井港の高台から柳井湾を見下ろして
月性展示館を過ぎてそのまま大畠に行くには、普通国道188号線を進むことになります。しかし、今回は柳井港街から踏切を再び渡って高台に登り、海岸を見下ろすコースを散策してみました。
松戸八幡宮から月性展示館までのコース、最初はいったん188号線に戻ってから行きました。しかし、遠崎小学校横を通って行った方が早く行けることに後で気がつきました。みんなとウォーキングするときは、遠崎小学校脇を通る行くコースにしようと思います。
柳井港街の高台から周防大島,笠佐島を見下ろして
柳井港街から高台へ登り、瀬戸内海を見下ろす素晴らしい景色を堪能しながら進みました。しばらく進むと、大畠斎場があり、続いて奥まった場所に特別養護老人ホーム 大畠苑がありました。さらにその奥に大畠ふれあい公園と大畠バイテクファームの温室群がありました。今回は時間が無かったため温室は見学しませんでした。みんなと来る時はぜひ見学したいと思います。
特別養護老人ホーム 大畠苑 大畠バイテクファームの温室群
特別養護老人ホーム 大畠苑を見下ろす場所にある、大畠ふれあい公園で休憩しました。公園は芝生の急斜面に作られており、きのこ型の小屋が2個ありました。この頃になると、大畠がだいぶ近くに見えます。鳴門小学校近くになると、周防大島と本州を結ぶ大島大橋がだんだんと近づいてきました。
周防大島と本州を結ぶ大島大橋が、だんだん近づいて見える
JR大畠駅近くで、再び踏切を渡って海側に出ました。国道188号線は交通量が多いため、静かな旧道を通ってJR大畠駅の南側に進みました。JR大畠駅の南側はとても静かで、誰もいない堤防が続いていました。堤防によじ登ると、大島大橋が目の前に見えました。ここで少し休憩をとってから家に帰ることにしました。寄り道し過ぎたためか、JR柳井港からJR大畠駅までは約13kmの道のりでした。
堤防沿いのJR大畠駅南側 JR大畠駅からの大島大橋
秋初めに種をまいた秋冬野菜は、晩秋から冬にかけて毎日のように収穫をしてきました。それらカブ,チンゲンサイ,タアサイなどの収穫はもう終わりです。今、それらの野菜はとうが立って花を咲かせようとしています。こうなると、もう食べることができません。これら野菜の畝を壊して、新たにジャガイモ用の畝に変える作業をしました。
収穫が終わった秋冬野菜の畝、丸は収穫したカブ
秋冬野菜のほとんどは、春になると花を咲かせます。葉の中心部がだんだん伸びてつぼみになります(とうが立つ)。花が咲くと葉茎は筋っぽくなって食べることができなくなります。代表的な飼料作物である菜の花も同様です。ただし、菜の花は花が散った後に菜種油を取りますが。
とうが立ち始めたカブ チンゲンサイのとう
秋冬野菜を全部処分しようと思いましたが、カブだけはまだとうが小さいので食べることができるかも知れません。捨ててもよいつもりで収穫しました。母親が「調理して食べることができるかも知れない。」と言うので、この収穫したカブは全て母親にまかせました。なんとか、葉は炒めたりお汁に、そして根は薄漬けにできるかも知れません。
カブを洗っている母親 葉と根に分断したカブ
カブだけは収穫して、他の野菜は全て引き抜きました。そして、畝を覆っていた黒マルチをすべて剥ぎとりました。黒マルチは何度も使えます。傷がつかないように丁寧に剥ぎ取り、畳んで倉庫に保管しておきました。引き抜いた野菜くずは軽く粉砕して、一日天日乾燥させました。そしてあくる日、畝を耕運機で耕しました。
秋冬野菜の畝を覆っていた黒マルチを、傷めないように丁寧にはがす
この畑は湿り気が強いので、土が耕運機のロータリーにしっかりと食いつきます。それだけ、エンジンに負担がかかります。しかしながら急いで耕耘するわけではないため、エンジンを低回転でゆっくりと動作させました。ジャガイモを植え付ける直前に再度耕耘しようと思います。ついでに、秋に白菜を栽培した畝も耕耘しておきました。この元白菜畑には、里芋でも植え付けようと考えています。
ジャガイモを植え付ける直前に再度耕耘予定
ところで、畑を耕耘していて珍しい小動物を発見しました。土の中で冬眠していたのでしょう、シュレーゲルアオガエルが飛び出てきました。このカエル、八王子のユギ・ファーマーズの田んぼでよく見かけたカエルです。田植えの時期に泡のような卵塊を産みます。山口県で再び見ることになるとは驚きました。緑色が綺麗な大型のアオガエルです。
緑色が綺麗なシュレーゲルアオガエル、山口県で再び見ることになるとは
11月末に種をまいたホウレンソウが、ようやく収穫できるようになりました。冬の間は弱弱しい限りでしたが、2月以降日差しが強くなるにつれてぐっと成長しました。種まきから約三か月後の今日、新鮮なホウレンソウを初収穫しました。このホウレンソウの種袋に「11月下旬に種まきをすると3月上旬に収穫可」と書いてありましたが、その通りでした。
3月になり、ぐっと伸び始めたホウレンソウ
数束を根ごと引き抜きました。すると葉と共にホウレンソウ特有の薄赤い根が抜けました。葉をかじって噛んで、そして飲み込んでみました。すると、えぐみがあまり無く飲み込む頃にようやくホウレンソウ特有の味が出てきました。このえぐみの少なさだと、サラダとしても食べることができそうです。今夜はまず、さっと茹でて醤油を付けて食べてみようと思います。そして、明日にでもドレッシングをかけてサラダとして食べてみようと思います。
えぐみが少なく、サラダとしても食べられそうなホウレンソウ
初冬に伐採した椎茸(しいたけ)用の原木を全て切断し終わりました。今度はその原木に椎茸の菌を接種する作業を始めました。原木に穴を開けて、椎茸菌が付いた種駒を入れる作業です。穴開けには2種類の方法があります。
1つ目は、穴開け専用の金槌を原木に打ち付けて開ける方法です。穴開け専用の金槌を原木に振り下ろすと、穴が開くと同時に木のかけらが金槌の横から飛び出ます。種駒を穴に打ち込む機能もあります。
2つ目はドリルを使って開ける方法です。ドリルは穴を簡単に開けることができますが、種駒を打ち込む金槌が別に必要です。
左は穴開け専用の金槌、右は電気ドリル
原木に穴を開ける前に、原木の外周をメジャーで測定します。その測定値を4cmで割った数(※)の印を、原木の切断部にチョークでマーキングします。例えば外周が32cmの場合、原木外周に8個(32/4=8)の印を等間隔にチョークでマーキングします。
※割った値が奇数ならば、その値から1を引いた偶数です。3なら2,5なら4,7なら6,~,17なら16です。私はこのように計算してマーキングしています。
この原木の外周は32cm 切断面に、8個の印をチョークでマーキング
次に外周8個の印のうち、奇数番目の印の原木円柱線上にチョークでマーキングします。切断面から5cmの場所、その次からの4個所は20cmごとです。そして、外周8個の印のうち、偶数番目は20cmごとに4個の印をマーキングします。外周32cmで長さ90cmの原木の場合は、32個の印がマーキングされることになります。この32個の印の箇所に穴を開けて種駒を打ち込みます。
奇数番目の円柱線にチョークで印、5,20,20,20,20cm間隔に5個所の印
偶数番目の円柱線にチョークで印、20,20,20,20cm間隔に4個所の印
原木が十分乾燥していない可能性があったため、より深く穴をあけることができる電気ドリルを使うことにしました。ドリルに取り付けたビットのストッパーまで穴を開けました。そして、回転を逆にしてビットを抜きました。全ての印の箇所に穴を次々と開けました。
ドリルで、印の個所に穴を開ける 種駒を穴の入口に挿入
全ての穴を開けると、椎茸菌の種駒を穴に打ち込みます。種駒を穴の入口に挿入し、その種駒を金槌で軽く叩いて穴の中に完全に打ち込みます。全ての穴に種駒を叩き込むと椎茸菌の接種は終了です。私は種駒しか使いませんが、おがくず菌を使う場合は接種後に蝋などでシールして菌がこぼれないようにかつ雑菌が入らないようにします。
穴に挿入した種駒を金槌で叩く 穴に埋没した種駒
直径が小さい原木ほど早く乾燥します。椎茸菌は原木が乾燥すると死滅します。このため、細い原木を優先的に椎茸菌を接種しなければなりません。今回は、直径10cm未満の原木に椎茸菌を接種しました。
全ての穴に椎茸菌の種駒を打ち込んだ原木
椎茸菌を接種した原木は、すぐに伏せ場に持っていきます。そして、伏せ場の底に並べるように置きます。このように、細い原木は湿り気がある地面側に置くようにします。その上から順番に、だんだん太い原木を置くようにします。今回は、直径10cm未満の原木に椎茸菌を接種しましたが、次からはより太い原木に接種して伏せ場に並べようと思います。
椎茸菌接種作業で一番時間がかかるのは、穴を開ける位置決めです。目分量で穴を開けてもいいのではないかとも思いますが、今のところ椎茸栽培の説明書どおりに椎茸菌を接種しています。
伏せ場に並べた接種完了の原木 乾燥しないように黒い覆い
2月の我家の気温データをパソコンに取り込んで分析してみました。すると、1月の気温と比べて気温がだいぶ緩んできたことが分かります。1月の最高気温がおよそ10度でしたが、2月は13度位です。最低気温は、1月が-2.5度でしたが、2月は-2度です。3月はいよいよ春です。気温がどんどん上昇するのではないかと思います。
我家の2月の気温変化
今日は日差しが強くポカポカ陽気でしたので、午前中タマネギの除草をしました。黒マルチで栽培しているのですが、タマネギ苗を植え付けた穴内に雑草がだいぶ生えていました。すべての雑草を1穴1穴丁寧に取りました。今後タマネギはどんどん成長します。5月には新タマネギを収穫できる予定です。
除草前のタマネギの畝 除草後のタマネギの畝
ところで、野山では梅など早春の花がたくさん開花しています。我家では濃い紅色の紅梅が満開です。そして、4月上旬に咲く桜も少しずつつぼみが膨らんでいるのが分かります。晩秋に種をまいた花畑を見ると、ルビナスと同じ畝に種をまいたヒナゲシのつぼみがだんだん首をもたげてきました。砂粒のような種でしたが、何株かはこうして大きく育ちました。
鮮やかな色の紅梅 首をもたげてきたヒナゲシのつぼみ
午後、確定申告のために町役場に行く準備をしていると、友達のN君から電話が入りました。高校同級生のI君と喫茶店にいるとのこと。そこで、すぐにその喫茶店に行きました。I君とは高校卒業後約40年ぶりに逢いました。彼は高校で生徒会長をしていたのでよく知っていました。
10年位前に私が介護の仕事を始めた時、彼が勤めていた柳井伊保庄の介護施設を訪れたことがありました。時すでに遅し、I君は辞めていました。逢いたいと思っていたI君でしたので、電話をくれたN君に感謝。
左より、I君,そしてN君 喫茶店スイートメモリにて
去年の12月椎茸(しいたけ)用の原木を伐採しました。その後3ヶ月を経て少しは乾燥したので、今回その伐採した原木を90cm間隔で切断しました。後日、この90cm間隔で切断した原木に椎茸の種菌を接種します。今年中に菌が原木中に蔓延して、早ければ来年から椎茸が収穫できると思います。一昨年までは父親と一緒に伐採や切断をしましたが、さびしいことですが今年からは私一人が伐採や切断をします。
倒れた原木をチェーンソーで90cm間隔で切断
切断する上で一番困ったことは、他の木に寄りかかった原木です。寄りかかった原木の根元から90cmを切ると、積み木落としのように上の木がどすんと地面に落ちます。このような作業はとても危険ですので、いったん原木を地面に倒すことにしました。そのため手巻きウインチを使いました。原木を切断するよりも、倒すことに時間がかかってしまいました。
積み木落としのように 倒立した幹を
幹下を切断すると上の幹が落下し倒立 ウインチで引っ張り倒す
山で伐採した原木を倒して90cm間隔で切断し終わると、次に小麦畑に行きました。そして、小麦横で伐採した原木2本も山と同じように90間隔で切断しました。この2本から切り出した原木を椎茸用として持って帰りました。
90cm間隔でチョークで印を付ける 印の通りにチェーンソーで切断
山での原木切断に苦労したためか、小麦畑横での切断作業は簡単に済んでしまいました。幹の直径も10cmでしたので、楽に切断することができました。唯一大変だったのは、切断した幹を一輪車で持って帰ることでした。10本もの幹を積んで運ぶので、一輪車を運ぶ腕や肩が疲れました。
切断した原木の幹を一輪車に積み込む
一輪車にはチェーンソーやガソリンも一緒に積むので、すべて合わせて50kg以上の重さになったと思います。人を一人載せて運ぶ重さです。途中で休み休み運びました。
今回、5本の原木を切断して全部で40本位の椎茸接種用原木ができたでしょうか。原木全てを作業小屋に運び終わると、椎茸菌を接種する準備を始めました。その準備の一つとして、種駒を打った原木の伏せ場を作りました。日が当たらず、湿気が強い場所です。何段にも原木を積むので、その重さに耐えるように木のハンマーで地面をたたいて地面を固めました。
休み休み一輪車で原木を運搬 原木を伏せる場所を作る
これまで父親が同様な伏せ場を作っていましたが、そこは午前中に日が当たります。そのため、一部の原木が乾いて椎茸菌が死んでいました。今回、1日中日陰で,湿っていて,かつ風通しが良い場所を新たに伏せ場としました。ただ、その場所は地面が斜面になっているため、低い側にレンガを積むなどして、水平になるようにしました。今後は椎茸菌を原木に接種して伏せる作業を始めます。
緩やかな斜面を整地して作った、椎茸原木の伏せ場
エアフィルターを交換した耕運機の調子を見る意味で、カルチベータを使って小麦畑の除草をしてみました。カルチベータは広い畑の畝間を除草する道具です。慣れた人ならば、小走りに耕運機を動かして除草します。狭い畑では使いません。
耕耘機横に置いた、取り付ける前のカルチベータ
カルチベータは耕運機の後ろに取り付けて、耕運機で引っ張るようにして使います。ロータリーは土を耕すようにして除草しますが、カルチベータは雑草を削るようにして除草します。このため、上手に使うとロータリーよりも格段に早く除草できます。ただし、使う前に、畝幅に合わせるなどの調整が必要です。
A:耕運機への取付け部 B:除草する幅調整 C:左右の爪の深さ調整
D:中央爪の深さ調整 E:爪全体の深さ調整用車輪
カルチベータの調整が終わると、小麦畑に移動します。そのさい、道路をスムーズに移動できるようにタイヤが付いた移動車輪を耕運機の車軸にはめます。畑に着くと、カルチベータを引っ張るための鉄車輪に交換します。鉄車輪は鉄爪が付いているため、強力にカルチベータを引っ張ります。この引っ張る力で、カルチベータの爪で雑草を削り取ります。
移動用車輪を取り付けた耕運機 小麦畑の除草中
このカルチベータは、雑草がまだ小さい時に有効です。雑草が大きくなるとロータリーで、それでも除草できない高い草のときは、ハンマーナイフモアの出番です。雑草の生え具合に応じて適切な除草器具を使います。もっとも楽に除草できるのは除草剤ですが、私は農薬類は基本的に使いません。面倒でも、カマ,平クワ,草刈機,カルチベータ,ロータリー,そしてハンマーナイフモアを、雑草に応じて使い分けています。以前、雑草を取る道具を作ったこともあります。田んぼで使う田車と呼ばれる草取り機です。その機械は、田植え後に田んぼの中を押して歩くようにして使います。
雑草を削りながら除草しているカルチベータ
一昨日、柳井市の茶臼山古墳を初めて見学してきました。この古墳は、柳井市周辺の山などからとても目立ちます。今でも目立つので、古代にはもっと目立ったのではないでしょうか。この古墳自体が強大な権力の誇示なのかも知れません。古墳の文献を読むと、この古墳の様式である前方後円墳は大和朝廷と関わりがあるとのことのようです。
この県営大屋住宅すぐそばに茶臼山古墳 左から行者山,石城山,大平山(古墳から)
この付近で茶臼山古墳より以前に作られた古墳は、田布施町の国森古墳(方墳)です。この国森古墳は、まだ大和朝廷の権力が定まらないころの古い様式の古墳だそうです。国森古墳やその近くの石城山古代朝鮮式山城跡などと合わせると、古代(5~6世紀)において田布施町がこの地域の中心だったのかも知れません。その後次第に、この茶臼山古墳のある柳井市方面に勢力が移ったのかも知れません。
茶臼山古墳の後円墳部 前方墳部、埴輪が並ぶ
この茶臼山古墳はあまりにも大きい(全長90m)ため、全容を見ることができません。一番高い後円部に登って前方墳部を見てもよく分かりません。古墳の横から見ると、なんとなく全容が分かります。いったいどんな人がこの古墳を作ったのでしょうか。この古墳を覆っている葺石の説明を見ました。すると、葺石には区割りがされています。その区ごとに葺石を置く割り当てがあったようです。例えば、この区域の葺石の担当は田布施、この葺石の担当は平生,・・・・などと地区ごとに割り当てられていたようです。その地区から何人もの人が供出されたのでしょう。
古墳の横から見ると、前方後円の全容がなんとなく分かる
古墳に並べられていた埴輪は複製で、後から備え付けられたものです。この古墳傍にある資料館に入館して、館員の方から説明を聞きました。すると、昔から地元の子供たちはこの山で瀬戸物を投げ飛ばしたり割ったりして遊んでいたそうです。投げたりした遊んだ瀬戸物が、実は埴輪の断片だったそうです。何百年もの間、埴輪の断片が子供の遊び道具だったのでしょう。なお、この古墳で出土した銅鏡は、日本で最大級の大きさ(直径約45cm)だとのことです。
古墳に並べられた複製の埴輪 資料館内部に展示されている出土物
丸は琴石山
この古墳を発見したのは子供だそうです。この古墳が子供達の遊び場でなければ、今も普通の小山として人知れず眠っていたのではないかと思います。去年の夏、中に入った御蔵戸古墳も偶然発見されたそうです。そう考えると、日本にはいまだ発見されていない古墳が数多くあると思います。
柳井病院横を通り代田八幡宮へ 代田八幡宮入口の鳥居
茶臼山古墳を見終わると、柳井病院横を通ってすぐの代田八幡宮へ行きました。柳井病院は、なかなか立派な病院のようです。看護師さんと一緒に散歩している患者さんがいました。一年前、私も患者さんを連れて院外を散歩したことを思い出します。病院に関わる施設を見ると、一緒に仕事をした仲間や行事,看護師たちを呼んだバーベキューなどを懐かしく思い出してしまいます。
代田神社は柳井市でも2番目に古い八幡宮とのことです(県下では4番目に古いとか)。この神社の前の通りは大畠や柳井港から通じる古道に面しています。この古道に面して古代には海が広がっていたのではないかと私的には思います。江戸時代、。この神社前を通り、柳井天満宮を通る古道を通って、今の柳井市の白壁の街に続いていたのではないでしょうか。
柳井市でも2番目に古い(県下では4番目)、代田八幡宮の境内
代田八幡宮を見学した後、柳井港に行きました。柳井港の手前で、思い出のある柳井オートレース場跡を少し見ました。大畠に方に行ってみようと思いましたが、柳井市と大畠を結ぶ新しい道路がどの程度通じているか調べてみることにしました。以前大畠方面を確認したため、琴石山の麓まで行って、そこから柳井方面に向かって新しい道路に入ってみました。すると、茶臼山古墳手前までしか通じていませんでした。どうやら、金剛寺と茶臼山古墳の間はまだ完成していないようでした。
琴石山がすぐ上に見える新道入口 車が全く走っていない新道路を調査
新道が茶臼山古墳近くで通行止になっていたため、次に柳井天満宮に行くことにしました。この天神近くに、昔私の親戚が住んでいました。このため、何度かこの天神に来たことがあります。当時、天神はとても賑やかでした。確か、今の法務局近くに映画館もありました。今、天神の賑やかさはありません。唯一華やかなのは、柳井天満宮の華やかな朱色だけです。
鮮やかな朱色に塗られた柳井天満宮、50年近く前この界隈はとても賑やか
先日耕運機を修理した時、エアフィルターがオイルにまみれでした。その後、この耕運機のエアフィルターを注文しました。注文支払い後2日位して、郵便で新品のエアフィルターが届きました。これから、春になってこの耕運機を使う機会が増えるので、さっそく新品のエアフィルターに交換することにしました。
右下の箱が、届いた耕運機(Honda F410)の新品エアフィルター
早速、耕運機の古いエアフィルターを取り外すことにしました。この耕運機は、私が八王子に住んでいた頃から10年以上前から愛用した機種です。ところが5年位前のある日、この耕運機を盗まれてしまいました。このため今の耕運機は、おんぼろの中古品を安値で購入した二代目です。バルブなどを分解修理するなど使い慣れた同じ機種を、やっとの思いで探しあてて購入したものです。
エアフィルターの蓋部を取り外し 古いエアフィルターを取り外す
新品のエアフィルターに交換する前に、古いエアフィルターと比較してみました。すると、新品はフィルターを覆うようにスポンジで覆われています。スポンジと内部フィルターの二重構造になっていました。内部のフィルターは明るい色をしています。古いものは、スポンジが無い上にオイルまみれで暗い色をしています。
左は新品のエアフィルター、右は交換前の汚れたエアフィルター
エアフィルターを据え付ける場所に少しオイルが溜まっていたため、布きれで拭きとっておきました。取り付け後、エンジンをかけると快調に動きました。まだ他にも不具合があるかも知れませんが、そのつど修理するか調整しようと思います。子供の頃から機械などの修理が大好きでした。そのためか、今頃の年齢になって自分で修理できる喜びをかみしめています。
新品のエアフィルターを取り付け エアフィルターを交換し終わった耕運機
以前から栽培したいと思っていた果樹にブルーベリーがあります。しかし、いろんな品種があるためどれを購入してよいか分かりませんでした。また、種類によっては別種のブルーベリーが近くに植えてないと実つきが悪いものがあるそうです。いろいろ考えた末に、ラビットアイ種と呼ばれる品種を2種類購入しました(実はラビットアイ種はこの2種だけしか販売していなかった)。
購入したブルーベリー2品種の苗 購入した八朔(はっさく)の苗
この2つのブルーベリーを食べてみたことがないため、味や食感はまったく分かりません。ジュースにすることができるかも知れません。今年は無理として、うまく育てば来年収穫して食べて見たいと思います。
ところで私が子供の頃、我家にブラックベリーと呼ばれる果樹がありました。玄関前にアーチ状に誘引していたように思います。実が黒くとても美味しかったのですが(特にジュース)、棘がすごくて収穫が大変でした。旺盛に伸びるので半分野性化して、手に負えなくなったことを覚えています。
我家の裏に、隣同士に植えたブルーベリー2品種
次に、ミカンの仲間である八朔の苗を植えました。夏ミカンでも良かったのですが、あまり酸っぱくなく食べやすい八朔にしました。市販の八朔と同程度には美味しくなるよう、手間隙かけて育ててようと思います。乾燥気味で日当たりのよい裏山の土手に植えました。うまく育ってくれるでしょうか。
乾燥気味で日当たりのよい裏山の土手に植えた八朔