田布施川沿い史跡巡りシリーズ8回の第3回目のウォーキングです。今回は、第1回の終点だった八海バス停留所からスタートして、いくつかの史跡を巡りながら田布施交流館まで歩きました。昨日はずっと雨でしたが、今日は朝から快晴のウォーキング日和でした。最初に鳥越に向かって188号線の歩道を歩きました。鳥越に着くと188号線と別れて、麻郷護国神社に向かいました。
麻郷護国神社に向かう山の小道、昨日の雨で少しぬかるむ
麻郷護国神社に着くと、最初に戊辰戦争でなくなった方々の慰霊碑をお詣りしました。この神社は、毎年4月1日に慰霊祭が行われます。この慰霊碑の中で、戊辰戦争時に奥羽列藩同盟や会津攻めの原因の一つになったといわれる世良修蔵の慰霊碑に注目しました。仙台で亡くなって、お墓が当地にあるそうです。
戊辰戦争で亡くなった方々の慰霊碑群 世良修蔵の記載があった歴史雑誌
今年偶然に、NHKテレビドラマ「八重の桜」に関わる歴史を説明した歴史雑誌を買いました。その中に6ページを使ってこの世良修蔵のことが記載してありました。もしかしてNHKテレビドラマ「八重の桜」に、この方が出るのではないかと思っています。
戊辰戦争当時、長州藩と会津藩は互いに天敵同士で対立していました。このため、いまだに両県にはわだかまりがあるようです。なお私は山口県出身ですが、私の家内の父親の出身は福島県の会津藩があった地域です。だからと言うわけではないのでしょうが、私の父親と家内の父親は気が合わず一度も顔を合わせることなく2人共亡くなりました。
麻郷護国神社前にて、今回の参加者8人
麻郷護国神社に別れをつげて、次に国木田独歩が明治時代に住んでいた吉見家仮寓跡に行きました。今その家はなく、石碑だけ残っています。国木田独歩は、当時田布施町城南に住んでいた吉田松陰門弟の富永有隣を訪ねたそうです。そして、それを題材に小説「富岡先生」を書いています。国木田独歩がいた当時、戊辰戦争を生き抜いた富永有隣のような人がいて明治維新の熱気がまだ残っていたようです。
麻郷護国神社の石階段 国木田独歩の吉見家仮寓跡碑そば
吉見家仮寓跡近くに私の畑があります。ちょうど麦の穂が出始めたため、参加者の一人である新一年生のAちゃんに麦畑を見せました。最近は麦を作る農家が少ないため、麦畑はとても珍しいようです。Aちゃんは、珍しそうに麦の葉を見たり穂を摘まんだりしていました。
麦畑の中で、少し照れながら笑顔の新一年生Aちゃん
麦畑を見た後、麻郷中学校の石碑を見学しました。そして一路、高塔11班傍にある人島橋跡に向かいました。この人島橋跡脇には江戸時代の史跡があります。お地蔵様の両側に、この人島橋の由来が石碑として残っています。橋が架けられたのが文化9年3月15日(1812年)と刻んであります(再架橋昭和2年)。今から約202年前に人島橋が架橋されたことになります。江戸時代のそろそろ幕末にさしかかる頃です。江戸時代はこの付近が河口で、まだ八海橋が無い頃と思われます。このため、麻郷から平生方面に行くための唯一の橋だったようです。八海橋が架けられてから、その役目が終わったようです。
昭和30年代(1960年頃)の人島橋、人がかろうじて渡ることができる
{※その後の調査で、この人島橋が架橋された文化9年3月15日(1812年)当時、八海橋はまだ架橋されておらず、渡船場がありました。その後、天保6年(1835年)に八海橋(今の八海公会堂付近~対岸の三新化学に)が架橋されました。麻郷の人々は、八海橋を渡りさらに、こくぼ橋を渡って平生に行っていました。====2013.8.18加筆}
昭和52年(1977)年8月の人島橋、橋の柱だけがわずかに残る
なお、私の祖母は人島橋石碑対岸の人島地区に住んでいました。その祖母から聞いた話で本当か分かりませんが、この人島橋袂の近くで明治初期第2奇兵隊の反乱兵の処刑があったそうです。祖母の母(私の曾祖母:磯中イシ)は幕末の安政29年(1858)生れですので、明治初期に10代だった曾祖母は平生での反乱騒動の一部を見聞きしたのかも知れません。
第2奇兵隊は、幕末期の脱退事件や明治初期の反乱事件の悲しい歴史があります。この人島橋周辺の八海~庄山付近は第2奇兵隊の教練の場だったそうです。幕末から明治初期、この地域に住む人々はどんな思いで第2奇兵隊を見ていたのでしょうか。
ヒバリが鳴く中、広々とした田んぼを歩いて新川地区に向かう
人島橋跡近くから、広々とした田んぼの中を新川地区に向けてのんびり歩きました。しかしながら、冷たい風が吹いて寒くなってきたため予定を変更しました。参加者Eさんの家に、トイレ休憩兼昼食のために寄らせていただくことになりました。風が吹き込まない暖かいお庭で、みんなで楽しく談笑しながらの昼食でした。Eさん、ありがとうございました。
Eさんの家のお庭で、楽しく昼食を食べるウォーキング参加者
Eさんの家でくつろいでいると、あっという間に時間が過ぎてしまいました。午後から用事があるTさんはここでお別れです。予定では午後1時頃に終点に到着予定でした。時間通りでなくすみませんでした。Tさんと分かれると、新川地区の丘にある浮島神社に行きました。
浮島神社に向かってのんびり歩く 浮島神社の社殿を見学
浮島神社に着くと、境内にある力石や江良碧松碑などを見学しました。江良碧松は、地元の有志とここで年に一度月見を楽しんだそうです。私が子供の頃、江良碧松は存命でした。このような著名な歌人が地元にいたとは全く知りませんでした。社殿内部を見せていただきました。その天井には古い絵馬がたくさんありました。いつ頃の時代の絵馬でしょうか。
日が当たるポカポカ陽気の中、浮島神社を後ろに
浮島神社を見終わると、今回の史跡見学は終わりです。あとは田布施川の堤防に出て、ひたすら終点の田布施交流館に向かって歩きました。この田布施川沿いのまっすぐな堤防道は最高のウォーキング,ランニング,そしてサイクリングコースです。毎日夕方になるとウォーキングしたりランニングしてる方々に出会います。
歩いている途中、麻郷スポーツ大会に参加した方に出会いました。その方に、参加賞か何かでもらったのでしょうかジュースをいただきました。ありがとうございました。
田布施川のまっすぐな堤防を進む 途中ジュースをいただく、感謝!
田布施川を田布施交流館に向かって歩く途中、コースを一部変更しました。理由は、堤防上の舗装道は時々車が通りますので避けなければなりません。このため、舗装された道から川側に少し降りた堤防緑地を歩いてみました。ふかふかした柔らかい緑地ですので、誰にも邪魔されずにのんびり歩くことができます。しかも、たくさんの雑草の花が綺麗に咲いています。
ふかふかした柔らかい堤防緑地をのんびり歩く
ふかふかした堤防下の緑地を歩き終ると、ハミングロードを歩きました。所々に童謡の音楽が流れるBOXが設置されています。Aちゃんにスイッチを押してもらいました。すると、懐かしい童謡の音楽が流れてきました。いくつかの童謡BOXのスイッチを押して歩くと、終点の田布施交流館に到着しました。スタート地点の八海バス停留所に戻る方は、私が車で送りました。参加者の皆さん、お疲れ様でした。
Aちゃんがスイッチを押すと懐かしい童謡が、交流館傍のハミングロードにて
※第1回から最終回の第8回までのウォーキングは、次のとおりです。クリックしてみてください。
第1回 麻里府~八海 第2回 田名~平生 第3回 八海~交流館
第4回 平生~交流館 第5回 交流館~城南 第6回 交流館~行者山~田布施街
第7回 城南~光市塩田 第8回 小行司~余田畑
==========健康ウォーキングクラブ=========