この秋に子供達に作ってもらおうと思っているICラジオの試作をしています。ラジオの一番重要な回路が同調回路です。同調回路は同調コイルとバリコンから構成されます。まずは基板は高価なため使いません。板に打った銅釘に電子部品を取り付けました。次々に電子部品を取り付け、同調コイルとして安価な200μHのコイルを取り付けました。しかし、これは失敗でした。
銅釘に半田メッキ バリコンなどを取り付け 各電子部品を取り付け
同調コイルはバーアンテナではないため、電磁波を拾いません。そのため、アンテナ線を取り付けてみました。すると、Signal Generatorからの1MHzの電波をかすかに拾いました。しかし、選択度がさっぱりです。今後は、小型バーアンテナで試作しようと思います。
今回のことで、安価にラジオを作ることはなかなか大変なことだと分かりました。今回のラジオは、電池BOX 30円,IC 25円,0.1μF 10円,0.01μF 10円,220μH 10円,1kΩ 1円,100kΩ 1円,セラミックイヤホン 180円,バリコン 240円,ダイヤル 60円です。セラミックイヤホンとバリコン関連だけで460円もかかります。同調回路をμ同調にすればバリコンは不要になりますが、難しいところです。
今回試作してみた安価なICラジオ
このところ何やかやで、トウモロコシの種まきがすっかり遅れてしまいました。去年は5月末に種まきしましたが、いくらなんでも6月中旬までには種まきをしなければなりません。種まきの基準の一つに夏至があります。夏至を過ぎると日中の時間が短くなり夜の時間が長くなります。植物はそれが分かるようで、7月を過ぎた頃に一斉に花を咲かせて種を付け始めます。例えば稲がそうです。
草が生えた畑をトラクターで耕し、トウモロコシ畑に
最初、低い雑草が生えた畑をトラクターで一気に耕してトウモロコシ畑にしました。耕耘機で丁寧に時間をかけて耕したいところですが時間がありません。効率良く耕せるトラクターを使いました。トウモロコシ畑が出来上がると、去年採種したトウモロコシの穂から種を取り出しました。手で強く握るようにして種をボロボロと外しました。
次に、畝幅が1mになるように巻き尺を引きました。そして、30cm間隔で一つの穴に2,3個の種をまきました。背をかがめての種まきなので、そのうち腰が痛くなりました。1週間後頃には芽が出ると思います。
種をボロボロと外す かがんで丁寧に播種 一つの穴に2,3個の種
私が毎年種をまくのは硬質トウモロコシです。いわゆる昔よく食べた硬いトウモロコシです。種がよく出回っているスイートコーンではありません。硬質トウモロコシは、あまり美味しいとは言えませんが、焼いて食べるか、粉にしてコーンスープにして食べると美味しいです。
私は、トウモロコシに肥料は与えますが、農薬はいっさい使いません。そのため、毎年のようにトウモロコシの害虫であるアワノメイガに食害されます。それでも何とか一定量を収穫できています。去年は11月上旬に収穫しましたが、今年はちゃんと育って収穫できるでしょうか。
種をまき終わった硬質トウモロコシ、腰が痛い!
本来ならば郷土館1日勤務でしたが、同級生N君演じる暗唱劇(太宰治原作:走れメロス)を鑑賞するため、午後は勤務を交代してもらいました。場所は田布施町図書館の2階会議室です。一昨年の1人芝居講演会は鑑賞できましたが、去年12月の朗読会は発掘調査現地説明会の方に行ったため行けませんでした。そのため、今回は入念に勤務計画を立てて鑑賞できるようにしました。
走れメロスのパンフ 受付を済ませる 会場に来られた方々
今回鑑賞したのは、太宰治原作:走れメロスを題材にした暗唱劇です。本番前に3ヶ月をかけて暗唱したり練習したりしたそうです。衣装は古代ローマの装束を取り入れていました。ところで、暗唱劇が終わった後に聞いたのですが、昨日よりも今回の方が良かったそうです。
その昔、走れメロスは国語の時間か何かで学んだように記憶しています。しかし、当時はこの小説の訴えている内容を理解しようとしませんでした。
走れメロスを一生懸命演じるN君、田布施町図書館2Fの会議室
当時の私は、走れメロスのような訓話めいた話はあまり好きではありませんでした。そして、親,学校,先生,政治家など、いわゆる権威あるものを疑っていました。立派な話には裏があるのではないか、立派な話に心を汚染されるのではないかと、自ら遠ざけていたように思います。今思えば、偏屈な青年だったのですね。
暗唱劇の終了 会場の後片付け 設備などは図書館外に
N君の暗唱劇が終わると、みんなで後片付けをしました。片付け完了後、いったん解散して、午後6時頃喫茶スイートメモリーに集まりました。そして、今回の暗唱劇の反省を含めて、ご苦労さん会を開きました。美味しいサラダや手料理などに舌鼓をうちながら楽しく談笑しました。ほとんどの方が同級生です。小中高校の頃に戻って、思い出話などに花を咲かせました。
暗唱劇(走れメロス)、ご苦労さん会
久しぶりに秋葉原に行ってきました。昔はひなびたラジオ部品街だったのが、今ではフィギュア,パソコン,萌え喫茶などが謳歌しています。やれやれ、私が散策する範囲が毎年のように狭まっています。私が一番好きだった秋葉原は、まだ鉄道博物館があった頃でした。鉄道博物館で売っている駅弁を食べながら休憩することが癒しでした。
レトロな鉄人28号、なんだか周りの景色から浮いている
最初行ったのは秋葉神社です。江戸の昔からあったそうで、お社が数年前に建て直しされました。お社前の銅版に由来が刻まれていました。秋葉神社を過ぎると、お決まりの秋月電子に行きました。今回は、この秋に子供達に工作してもらう予定のICラジオの部品をいくつか購入しました。いろいろな部品棚に入った部品を選んで、買い物かごに入れました。40年前と比較すると、部品の種類が増えかつ量も増えました。秋月電子は、昔も今も電子工作が好きな方々の殿堂です。
建て直した秋葉神社 秋月電子入口 たくさんの部品棚
さて、今回私が購入した部品はICラジオ工作のためです。まずは、低価格で制作しなければならないため、とにかく安い部品を探しました。例えば、コンデンサや抵抗は袋入りのものを購入しまた。例えば、100kΩは100本入りが100円です。つまり、1個1円です。コンデンサ0.1μFは10個100円です。つまり1個10円です。一番重要なAMラジオ用ICは4個100円です。つまり1個25円です。また、バーアンテナはそのまま買えば、1個200円位します。しかし、子供達にフェライトコアに線を捲かせれば60円で済みます。安い部品を求めて秋葉原中を歩き回り、疲れました。
今回購入した、AMラジオを試作するための部品
お昼過ぎ、御茶ノ水のあるレストランに入ってチキンのグリル焼きを頼みました。その料理を食べている時のことです。隣の席を片付けていた給仕さんが、誤ってコップを倒し水や氷がこぼれてしまいました。私はとっさに「お昼過ぎて、疲れがピークだよね。お疲れ!」などと彼女を慰めました。少しびっくりした様子でしたが、照れ笑いしながら少し嬉しそうに「すいません」と小さく会釈してくれました。
私はこれまで、事務,組み立て,音楽演奏,家庭教師などのバイト、そして設計,部品試作,営業,販売,ホームヘルプ,深夜介護などの仕事をしてきました。仕事や子育てなどに一生懸命な人を見ると、何か自分の過去に重なるものを見ます。そして、いつも応援したくなるのです。
食事を済ませると、八王子の我家に向かいました。
秋葉原ラジオデパート 秋葉原ラジオセンター JR秋葉原駅
何年ぶりのことでしょう寝台列車に乗ったのは。仕事が終わった次の8日早朝、寝台列車は横浜に着きました。そして、9日に山口県にトンボ帰りして、10日に山口市に出張です。やれやれ忙しい日々です。定年退職後のんびり生活が待っていたはずなのに、このせわしなさは、いったいなんでしょう。
久しぶりに乗った寝台列車 列車名「サンライズ瀬戸」
私が知っている寝台列車は10年位前?に廃止された富士やあさかぜです。いらゆるブルートレインです。あさかぜは窮屈でしたので、富士が私のお気に入りでした。いったい何度寝台列車に乗ったことでしょう。思い出しましたが、40年位前のある日私は富士に乗って大分近くを走っていました。夕食頃寝台列車の食堂で、ある出会いがありました。心がちくりと痛む思い出です.
さて、今回乗ったサンライズ瀬戸、寝台車はずいぶんと進化したものです。とても寝やすくて、揺れる列車がゆりかごのようでした。ぐっすりと寝てしまいました。朝7時頃に横浜で下車しました。駅構内でモーニングサービスを朝食としました。
寝間着付きの部屋 寝台列車の車窓 モーニングサービス
今回、上関町戸津(へつ)地区の戸津八幡宮に行きました。2月末の上関桜まつりに行った時に白井田地区に行きましたが、その時に行き損ねた八幡宮です。とても気になっていたため、今回この八幡宮に来てみました。
北西側にお寺が見える戸津地区の街並み
最初戸津八幡宮は普通の神社ではないかと思っていましたが、意外に変わった神社でした。まず、後宮が新たな屋根や柱で囲まれていることです。その工法は、平群島の早田八幡宮後宮と同じ工法ではないかと思われます。
戸津八幡宮と石鳥居 戸津八幡宮 後宮を囲む屋根と柱
もっと驚いたのは、拝殿の構造です。普通の神社はほとんどが神殿作りです。しかし、この戸津八幡宮の拝殿は、茅葺屋根と同じように屋根裏が見えるのです。屋根の中央に何本もの柱が集まるような構造なのです。今は無くなってしまった茅葺屋根を彷彿させる珍しい作りでした。
茅葺屋根を彷彿させる戸津八幡宮の拝殿
さらに、屋根は茅葺構造ですが、屋根の側面は土壁のしっくい構造なのです。普通の神社の拝殿ももともとはこのような構造で、天井を設けて神殿作りにしたのかも知れません。こんな所で茅葺構造を見るとは思いませんでした。日本の建築技術の特徴の一つは、木の曲がりを生かすことです。この戸津八幡宮拝殿を作った宮大工は、いい仕事をしたと思いました。
柱が屋根中央に集まる屋根構造 屋根側面は土壁
郷土館には時々子供達が遊びにやってきます。何度か来ていると仲良しになります。今回やってきた子供達に、先日田布施農工高校でいただいた羊の原毛を毛糸にする体験をしてもらいました。初めて羊の毛を見たのでしょうか、最初は綿だと思ったようです。なお、使った原毛は洗浄済みのものです。
最初、カードを使って原毛を柔らかくふかふかにする体験です。子供は一度興味を示すと覚えるのが早いものです。原毛を何度も裏返ししながら漉くと、最初はごわごわしていた原毛がだんだんふかふかになります。
カードを使って原毛をふかふかに
ふかふかにした原毛を今度は、スピンドル(紡錘車)と呼ばれるクルクル回るコマのような器具を使って毛糸にします。これまた、子供達は面白そうに回しながら毛糸にする体験をしました。一定の太さの毛糸にするのはなかなか年季がいります。しかし、今回は体験なので、途中で糸が切れたり、太さがバラバラになるのはかまいません。「夏休みの宿題としてやってみたら?」と言うと、まんざらでもなさそうでした。とにかく興味を持ってもらったのは良かったと思います。
カードでふかふかにした原毛、これをスピンドル(紡錘車)で毛糸に
とかく郷土館や資料館は古いものを展示してあるだけのことが多いものです。しかし、今回のように古い手仕事を町民に体験してもらうことも大切な仕事だと思います。去年行った亥の子や石臼体験もその一環です。
なお、スピンドル(紡錘車)は古代の遺物として田布施町内でも時々発見されます。それほどに古代では一般的な道具でした。スピンドル(紡錘車)を使ってみることは、古代田布施の手仕事を体験することと同じだと思います。スピンドル(紡錘車)は、日本では糸車の発明によりすたれてしまいました。しかし、今なお世界中で使われてます。
スピンドル(紡錘車)を使って、ふかふかの原毛を毛糸に
秋に種まきをした紫大麦の収穫をしました。本来ならば、小麦よりも先に収穫しなければなりません。今年は仕事が忙しくて後回しになってしまいました。小麦よりも少量しか作っていませんので、食べるよりも来年用の種にします。今は、食べることよりも、より紫色のものを選別することに力を注いでいます。
穂,長いのぎ(トゲ),そして茎が紫色の大麦
ところで、刈り取り方法は小麦と同じです。稲刈機を使って刈り取ります。量が少ないため、農作業小屋で干しています。大麦は特にのぎ(トゲ)が長いので、服の間に入り込むとチクチクと刺してかゆくてたまりません。ビニール製の合羽を着て作業すると、のぎが入り込むことが少ないようです。
稲刈機で刈り取り 紫色の穂 紫色の茎
モロッコいんげん豆は、普通のいんげん豆よりもさやが大きいので食べがいがあります。そのモロッコいんげん豆の種まきをしました。5月初めに種まきすれば良かったのですが、うっかり忘れていたのです。育ちが遅くなりますが、6月の今ならまだ間に合います。8月末になるとキュウリやナスなどと同様に毎日収穫でき、食べ飽きてしまうほどです。
モロッコインゲン豆の種袋 手に取りだした種 エンドウ豆跡に種まき
種をまいたのは、えんどう豆類の枯れ跡です。芽が出た後は、枯れたえんどう豆の茎や竹に巻き付いて育ちます。6月内は梅雨で育ちが悪いのですが、7月からはぐんぐん伸びます。そして、8月からさやを収穫できるようになります。いんげん豆類はえんどう豆と同様に、さやが柔らかいうちに収穫しなければなりません。つまり、収穫時期を逃さないように毎日畑を見回る必要があるのです。
モロッコいんげん豆の種をまいた、えんどう豆の枯れ跡
郷土館では、田布施町の古い民話に基づいた紙芝居を作っています。その絵を描いていただいている先生方が主催している油絵教室があります。中央公民館で2回/週、教室を開いているそうです。その油絵教室の方々が描いた作品の展示会が田布施町商工会館サリジェでありました。日ごろ紙芝居などでお世話になっていることもあり、その展示会に行きました。受付を済ませると、展示会場に入りました。一番最初のコーナーに、田布施町の民話をモチーフにした油絵が展示してありました。
田布施町商工会館 展示会の受付 民話を題材にした油絵
ところで、私が中学生の頃(昭和41年頃)に田布施町郷土史研究会が発足しました。発足以降、研究会の方々がたんねんに聞き取りしながら民話や伝承を集めました。それらの民話や伝承を、油絵教室の方々が思い思いに油絵にされたようです。
田布施町の民話をモチーフにした油絵展示コーナー
民話のコーナーはどれも、私にとって親しみのあるものばかりです。例えば、「別所薬師のお試し壺」は、城南宿井別所の薬師堂のお話です。「山姥の穴」は、石城山の神籠石の東水門に関わる民話です。「ひっかり観音」は、呉麓山裾にある岩に関わる伝承で、子供の遊び歌も伝承と共に残っています。ひっかり観音は何度行ったことでしょう。この岩の前で紙芝居をしました。
別所薬師のお試し壺 山姥の穴 ひっかり観音
竹尾の小さな川の窪みにある姥ヶ盥は竹尾ウォーキング時に見学しました。灸川沿いにある流れ恵比寿は、田んぼのど真ん中にある祠です。そして麻郷川添の田布施川土手にある清三郎が運んだといわれる石。この石が元あったと言われる伊佐里峠の茶屋跡にはこの4月に行きました。どれも懐かしい場所であり民話です。
竹尾の姥ヶ盥 灸川沿いの流れ恵比寿 清三郎が運んだ石
民話以外の油絵もたくさん展示されていました。油絵教室の方々が描いたたくさんの力作ばかりです。どれも素晴らしいです。私は、小学生~中学生の間しか絵を描いたことがありません。一番上手く書いたのは中学生の頃です。確か、県に出品して佳作だったように記憶しています。高校以降は、絵よりも電子工学に興味を持ちました。以降、絵画はさっぱりです。ましてや、油絵など描いたことがありません。
油絵教室の方々の力作
秋に種まきした各種エンドウ豆類を次々に収穫してきました。6月になり、今回収穫するグリーンピースが最後の収穫となりました。さやが、ふっくらと膨らんで、やや茶色になった頃が収穫時期です。より柔らかいな実を収穫したい場合は、さやが緑のうちに収穫します。収穫したさやを試しに割ってみました。すると、グリーンピースの実が、ぎゅうぎゅうに詰まっていました。
膨らんで薄茶色のさや 収穫したさや 試しにさやを割る
収穫したさやは割って実を取り外します。取り外す仕事は、婆さまの指のリハビリに最適です。取り出した実は一度洗います。その後は、薄塩のグリーンピースご飯にすると最高です。今年は、婆さまのリクエストに応えて、そのまま薄塩で煮ました。こうすると、ご飯に混ぜても美味しいし、そのまま箸でつまんで食べても美味しいです。
ところで、今年のエンドウ豆類はこのグリーンピースをもっておしまいです。ソラマメだけはまだ収穫が続きます。これからは固めの実を収穫します。煎るか油で揚げます。カリカリ食べるソラマメです。歯が悪い人は食べられません。
薄塩で煮る前のグリーンピース、美味しそう!
小麦の収穫をした同じ日、ジャガイモ畑の空いている隣に里芋の苗を植え付けました。購入した苗ではなく、去年収穫しなかった株から出た芽を掘り取って植えたのです。植え付け時期がだいぶ遅れましたが、日当たりが良く、しかも湿った畑ですので、里芋には最適な畑です。今月中には根付いて、この夏の間に大きく育ってくれると思います。
クワで植穴を掘る 肥料をまいて移植開始 一つ一つ丁寧に移植
味が沁み込んだ里芋は絶品です。特に冬のアツアツの煮物は最高です。今回植え付けた里芋の品種は何だった忘れましたが、美味しく育ってくれると思います。うまく根付いてくれれば、あと2,3度土寄せした上で追肥しようと思います。
植え付け終わった里芋の苗、このあと軽く土寄せ
ところで、里芋には芋を食べる品種と葉を食べる品種があったように思います。普通の里芋は葉をかじると舌や口内がひりひりします。しかし、葉を食べる品種はひりひりしません。確か「ハス芋」とか言って、葉を食べる品種なのです。葉の茎がハスのように穴が空いており、酢を付けてサラダのようにして食べたように思います。また、煮ると「ふ」のように柔らかくなったように思います。今ではあまり食べられなくなった里芋です。
移植した里芋苗の根元に軽く土寄せ
去年は小麦が成熟するまで防鳥網をかけていました。そして、成熟した頃を見計らって刈り取りをしていました。しかし、今年は忙しくて網をかける時間的余裕がありませんでした。そのため、今年の小麦畑はスズメやハトの食事場と化していました。
稲刈機を使って刈り取り 刈り取った小麦を集める 麦穂を次々にはさ掛け
すべての小麦を食べられる訳にはいきません。今回、3人に手伝ってもらい、小麦の刈り取りをして、はさ掛けをしました。ありがとうございました。おかげで、去年の刈り取りより1週間ほど早く刈り取りできました。スズメやハトに食べられたのは2割程度ではないかと思います。1ヶ月後頃に脱穀し、天日干しして貯蔵します。そして、秋頃には製粉してパンにして食べることができそうです。
刈った麦穂を上の段に重ねる 雨に濡れないようシートで覆う
刈り取った麦穂をすべてはさ掛けした後、雨に濡れないようにビニールシートをかぶせ、風であおられないように紐を張りました。そして、木陰に移動して休憩をとりました。お茶を飲んだり菓子類を食べながら談笑しました。休んでいると、鳥が小麦畑に数羽降りてきて落穂をつついていました。休憩後、はさ掛けした麦穂にスズメやハトが群がるのを防ぐため、防鳥糸を張り巡らしておきました。これで鳥たちに食べられてしまう心配は無くなりました。
次回は先日植え付けたジャガイモを掘り上げます。ジャガイモ収穫パーティーでもできればと思っています。
周りに細い防鳥糸を張り巡らす、これで安心
先週からほぼ毎日郷土館で棚卸です。ほとんどは確認ができたのですが、いくつかは確認できず困りました。例えば、ゴルフバッグに取り付けるネームホルダーです。三点あるはずなのに一点しかありません。さんざん探してやっと見つけることでできました。残りの二点は展示中の一点の背後に隠れていたのです。
棚卸が終わった資料を整理、新しい箱に保管
そんなこんなで、棚卸の山場を越えました。これまで保管していた箱は、長い間にだいぶ傷んでいました。そのため、衣服用に購入した衣装ケースと同様、すべての資料を新しい箱に入れることにしました。今回の棚卸は、とても時間がかかり心身共に疲れるものがありました。しかし、今まで目にしたことがなかった第一級の資料を見たり触れることができたことは良かったです。まだ棚卸は終わっていません。引き続き棚卸をされている方々、お疲れさまです。
資料とデータを突合せ 資料を順番に整理 新しい箱に順次保管
先日、藍の苗を畑に移植しました。畑を回っていると、藍の根元がポキリと折れている株があることに気がつきました。夜盗虫か根切り虫の仕業です。折れた根や葉はしおれているため、挿し木に使えそうもありません。そこで、この茎や葉を使って生藍染めができるかどうか試してみることにしました。
元気に育っている藍 ポキリと折れた藍 藍をハンカチで包む
折れた茎や葉を持ち帰り、たまたま私が持っていた綿のハンカチにくるみました。そして、その場所を万力で強く挟みました。強く挟んだため、藍の汁がハンカチに付着するはずです。1時間ほどそのままにしておきました。そして、万力を外してハンカチを取り外しました。すると緑や青い汁がハンカチににじんでいました。
ハンカチごと藍を強く挟む 藍の汁がハンカチに 青や緑の汁が付着
汁が付着した箇所をよく見ると、青汁のために緑色になっている部分と青い色をしている部分がありました。汁が着いた中心部分は緑色で周辺は青色でした。藍の青が固定化するためには酸素が必要だとのことですので、空気に一番多く触れる周辺部分が青くなったと思われます。
水できれいに洗った後、日陰で乾燥中のハンカチ
その後、藍の汁が付着したハンカチを何度も水で洗いました。すると心なしか、緑色が洗い流されたようです。薄い青が残りました。次に、木陰にハンカチをつるして乾燥させました。2時間後、乾燥したハンカチを手に取って観察しました。すると、生藍染めの青が残っていました。さらに洗剤などで強く洗いました。そして再度乾燥後、薄いながらも染色されたことを確認しました。
緑色が残るため水洗い さらに石鹸で洗い、青色だけを残す
なお、綿はあまり染まらないとのこと。絹が良いそうです。今後、絹のハンカチを購入して染まり具合を確認しようと思います。一番染まりやすい条件を探して、秋に子供達に生藍の染色体験をしてもらおうと思っています。
ところで、予備として育てている藍の苗がだいぶ大きくなりました。この苗を畑に移植して、秋には大量の藍の葉を収穫できるようにしようと思います。
予備として育てている藍の苗