東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

梅の花が咲き始める

2019年02月13日 | 樹木,果樹

 このところ、忙しさにかまけて山や畑に行くことがありませんでした。久しぶりに休みが取れたので畑に行くと、梅の花が咲いていました。そう言えば、もう2月も中旬になりました。梅が咲いていても不思議ではありません。この梅が咲き終わると、春の花である桜が咲き始めます。梅は春の先駆けです。

           まだまだつぼみが多いものの咲き始めた梅

 

 私の家にはたくさんの梅の木があるのですが、近年ほとんど利用していません。以前は、梅の実を収穫して梅酒を作っていたものです。近年は梅の実を収穫しないので、大量の実が地面に落ちて無駄になっていまして。今年もたくさんの梅の実が取れそうです。久しぶりに梅酒でも作ってみようと思います。

   梅のつぼみ、開花率約50%        咲いたばかりの梅の花
 

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息子の結婚記念に桜を植樹

2019年02月12日 | 家族関連

 TMKP(田布施まるごと公園化プロジェクト)にお願いしていた桜の苗木が届きました。息子の結婚記念として、その桜の苗木を植えました。植えた苗木は2本で、30cm位離して植えました。その2本は新郎1本と新婦1本に見立てています。二つの苗木は今後どんどん成長して、30年後頃には合体して1本の桜になるはずです。実は、35年前に私が結婚した時に植えた桜、今や一体化して巨木になり毎年春に桜が咲きます。

        息子と嫁に見立てて、30cm位離して植えた桜の苗木


 桜の苗木を植えた場所は、比較的日当たりが良い場所です。最初、3本グワで穴を掘り、続いて穴が深くなるようにスコップで掘りました。掘り終わると、それぞれの穴に苗木を植えました。そして、穴の周りに土を寄せた後しっかりと足で踏み固めました。

 最初3本グワで穴掘り    スコップで深く穴掘り    苗木を入れて土寄せ
  

 近づけて植えた2本の桜は、他に二ヶ所あります。一ヵ所目は35年前に私が結婚した時に植えた桜です。二ヶ所目は娘が結婚した時に植えた桜です。4年前なので、一体化するにはあと20年以上かかるでしょう。気の長い話ですが、夫婦ともにずっと仲良く暮らして欲しいとの願いが込められているのです。

 35年前に植えて、今や一体化した桜   娘が結婚した時に植えた2本の桜
 

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少年少女発明クラブ 今年度最後の工作

2019年02月11日 | ふるさと



 今年度最後の田布施町少年少女発明クラブの活動がありました。1月と2月は3回に分けて田布施農工高校で電子工作をします。工作するのは電子ホバークラフトです。1月はモーターを制御する電子回路を組み立てて、最後の今回はモーターなどの機械部とそれを制御する電子回路を一体化して電子ホバークラフトを完成させます。この電子ホバークラフト、子供達には難しい箇所が山盛りであるにも関わらず一生懸命作っていました。

        完成させた電子ホバークラフトを動かしている子供達


 私が見ていて一番難しそうだったのは擦り合わせです。例えば、ペットボトルの筒にモーターをはめ込む時です。モーターの台座とペットボトルの筒の大きさが微妙に合わないのです。そのため、ヤスリを使って削るなどして両者を合わせる必要があるのです。あと、ホットボンドを長く使い過ぎて、ペットボトルが熱で変形していた子供が多くいました。素早く接着する必要があるのです。今の世の中、子供が作るプラモデルなどの工作の多くははめ込み式です。そのため、ヤスリで削って微妙に大きさを合わせたり、バリを取る経験がないのではないでしょうか。

 工作を始める前に講義   加工するペットボトル   ペットボトルの切断
  

 子供達の先輩である高校生に教えてもらいながら、電子工作を完成させていました。ただ、微妙な凸凹やバランス違いのため、風に浮くホバークラフトはできなかったようです。微妙な擦り合わせ、微妙な重心位置、モーターと筒の偏芯などが原因のようです。しかし、今回の苦労は子供達に良い経験になったと思います。

モーターを筒にはめ込む、これが難しい    電池BOXを取り付ければ完成
 

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収穫期を迎えた冬物野菜の冬菜

2019年02月10日 | 野菜:葉菜

 11月末に種をまいた冬菜、冬まっただ中の今収穫期を迎えました。この野菜は冬にめっぽう強いため私はよく栽培します。小松菜などは遅くても10月中までは種をまかないと育ちません。その点この冬菜は、冬直前まで種を蒔くことができます。とても重宝していますが、なぜだか山口県では種を売っていません。

       小松菜よりもやや肉厚の冬菜、冬場の貴重な葉物野菜


 冬に強い冬菜とは言え、育て方に工夫がいります。一番の工夫は畝を下げることです。窪みのような畝です。寒冷紗などで防寒対策すればより万全です。3月末まで、この冬菜を毎日のように食べることができます。3月末以降は、小松菜,ホウレンソウなどの見慣れた葉物野菜に交代します。

     所狭しと育った冬菜        間引きするように冬菜を収穫
 

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東京都日野市 新撰組のふるさとを訪ねて

2019年02月09日 | 歴史探訪他ウォーキング

 グアムから帰った次の日、我家の周りをウォーキングしてみることにしました。八王子市の南原台に暮らしていた時、毎日日野駅から都心に向かって通勤していました。また、子供を連れて日野市周辺をよく散策しました。一番よく行ったのは黒川清流公園です。小さな小川なのですが、子供が足を入れて歩くことができる公園でした。大小の魚が泳ぎ、ザリガニが釣れました。今回、新撰組発祥の地でもある日野市を散策してみました。

           高幡不動で、久しぶりにモノレールに乗車


 1時間位歩いたでしょうか、高幡不動尊に行きました。この境内には新撰組の銅像があります。高幡不動駅にはモノレールの駅があります。今回はモノレールに乗って土方歳三の墓所に行ってみることにしました。高幡不動駅からモノレールに乗車し、次の万願寺駅で降りました。下車しないでそのまま乗車し続けると、立川へ行き、さらに玉川上水方面に行きます。久しぶりに万願寺に来ましたが、すっかり変わっていました。一番変わっていたのは道路が広くなっていたことでしょうか、交通量が格段に増えていました。

  モノレールの線路    日野市を流れる浅川   久しぶりに来た日野高校
  

 万願寺駅から歩いて、浅川左岸の堤防を日野高校に向かいました。日野高校は息子が通学していたので何度も来ました。この高校に初めて来たのは、息子が野球部に入った時のことです。野球部監督から保護者への話を聞くためです。ちなみに、息子の先輩の一人は巨人軍に入団しました。この日野高校の隣に土方歳三ゆかりの石田寺があります。

  土方歳三の墓地がある石田寺     土方代々の隣にある土方歳三墓石
 

 石田寺に入ると、南側(日野高校側)に向かって墓所が広がっています。その一角に、土方家代々の墓石と土方歳三の墓石があります。今でも墓参に訪れる人が多いのでしょう、たくさんの花が活けてありました。また、困った人もいるのでしょう、注意書きも立ててありました。浪士組として上京する前、土方歳三は石田村を中心に多摩地区を修行して回ったのだと思います。そして、武士よりも武士らしくをモットーに戦ったのでしょう。その生きざまを称賛する人は今も絶えません。

今もある土方歳三の生家   石田寺近くの清流     日が沈む八王子市内
  

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雨の中、楽しかった平生町 大野北ウォーキング(2/2)

2019年02月08日 | 歴史探訪他ウォーキング

 おうちえんではのんびりと過ごしました。1時間位過ぎると、次の目的地を目指すため外に出ました。そして、おうちえんで飼っている山羊、鶏、犬などを見ました。茶色の鶏が檻の外で草をはんでいました。そのころ、再び雨が降ってきました。笠をさしたりカッパを着るなどして雨に備えました。そして、坂道を登りました。

          お聞きした、弘中農園の生い立ちや苦労話


 おうちえんを出るまでは、下見ウォーキングのコースと同じでした。しかし、どんどん雨が降ってきたため予定のコースを大幅に変更しました。おうちえんを出ると、予定とは逆のコースをとりました。その逆のコースを通っていると、ちょうど真下におうちえんが見えてきました。

    おうちえんからの坂道       崩れそうな道を恐る恐る通る
 

 しかし、おうちえんを見下ろせる道は車やバイクが通れないほど崩れていました。道が崩れた場合、修復するのは優先する道路からようです。この道は直るまで数年かかるのではないでしょうか。しばらく雨の中を歩いていると伊保庄から長谷方面へ向かう県道に出ました。

 おうちえんを見下ろす  もうすぐ長谷地区の下り坂  道端の立派なお地蔵様
  

 県道と言っても軽トラックがギリギリ通ることができる道幅の坂道です。その坂道をどんどん下りました。その坂道に並行するように立派な石垣が続きます。さらに下り坂を降りて、常春寺近くまで来ました。今回訪れる弘中農園はもうすぐです。

   カーネーションの温室を見学       苗作りをする温室を見学
 

 弘中農園は私の親戚筋です。早朝に訪問することを伝えておきました。いつものことですが、快く迎えていただきました。ブラジルに住む私の従妹の子供が来日した時にもお世話になりました。弘中農園に着くと、最初暖房が入ったログハウスに入りました。この小屋は、言わば弘中農園の迎賓館です。年に何回か、このログハウス前で野菜などが売られます。ログハウスを出ると、弘中農園の温室をいくつか見学しました。

 各温室を回りながら見学   ログハウスに戻る     農園などについて拝聴
  

 中でもカーネーション栽培する温室は圧巻でした。カーネーションは見込み栽培・販売とのこと。そのため、母の日を過ぎると需要が一気に下がるそうです。そのため、残ったカーネーションはすべて廃棄するそうです。栽培に加えて需要と供給を判断する経営的なセンスが必須のようです。各温室を見学すると、ログハウスに戻りました。そして、販売していたブルーベリージャムを購入しました。その後しばらく、いろいろなお話をお聞きしました。その後雨の中を、JA南すおう平生に戻りました。雨の中、ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。

        雨の降りしきる中、ウォーキングしたルート

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息子の結婚式など、グアムを楽しむ(5/5)

2019年02月07日 | 家族関連

 日本に帰る日がやってきました。その日の午前中、JPスーパーストアなどがあるグアム一番と言われるタモンの繁華街を散策しました。ホテルを巡るLeaLeaバスに20分位乗っていると、目的のバス停に到着しました。最初にJPスーパーストアに行きました。家内がどうしても欲しい手提げを売っているとのこと。しかし、店員さんは自分の持ち場の商品しか分からないようでした。そのため、その手提げ売り場がなかなか分からなくて困りました。その手下げ、ギフト売り場にありました。

       グアム一番の賑やかさと言われるタモンの繁華街


 JPスーパーストアで買い物を楽しんでいると、にわかに雨が降ってきました。グアムは日常的にスコールがあるようで、誰もあわてていませんでした。走るような人は皆無です。私はJPスーパーストア一階のアイスクリーム店で雨があがるのを待ちました。雨があがると交差点を通って道の反対側に行きました。そして、ショッピングモール内にあるコンビニ風ABCショップに入りました。

  ショッピングモール前の交差点     ショッピングモール前の広い歩道
 

 私は日本ではまったくカードを使いません。もっぱら現金です。グアムでは家内がドル紙幣を持っているため、私は現金で買物ができません。そこで恐る恐るカードを差し出したら使えました。サインをする面倒くささはありましたが、カードで初めて買物をしました。

 ホテル室内を片付け    海岸に降りてみる     海岸から見上げた式場
  

 買物を終えると、ホテルを巡るLeaLeaバスに乗ってシェラトンホテルに戻りました。そして、日本に帰る準備をしました。部屋を簡単に片づけるなど帰国する準備が終わると、荷物をフロントに預けてホテル周辺を再度散策しました。海岸に降りてのんびりと渚を歩いてみました。夜に見つけたヤシガニが探しましたが、昼間はいないようです。巨大ガエルや大トカゲも探しましたが、やはり昼間は出てこないようでした。小さなトカゲはたくさんいましたが。

   シェラトンホテルを去る         グアムから成田へ
 

 午後2時頃に帰国するメンバーがホテルのフロントに集まりました。そして、迎えのタクシーにのってグアム国際空港に向かいました。入国時と比べて出国はとても楽でした。空港内の移動などは不安でしたが、新婦のご親戚に助けていただきながら移動しました。3時間位でしょうか飛行機に揺られていると夜の成田国際空港に着きました。飛行機を降りると、成田国際空港内で家内と夕食をとり、バスでのんびりと八王子に向かいました。楽しいグアムありがとうございました。

          帰国する日に散策したグアムのコース

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雨の中、楽しかった平生町 大野北ウォーキング(1/2)

2019年02月06日 | 歴史探訪他ウォーキング



 久しぶりに雨の中をウォーキングしました。通常今の時期ならば雪が降るのですが、最近の気象温暖化の影響なのか一日中雨が降っていました。早朝天候が不順だとウォーキングを実行しようかどうかいつも悩みます。前回は早朝雨だったのでウォーキングを中止したら10:00頃から快晴になりました。逆に今回は早朝雨は降らなかったのでウォーキングを実施したら10:00頃から雨が降ってきました。今回、雨でも楽に歩くことができる短いルートに変更しました。

          実質的に貸し切り状態だったおうちえんでくつろぐ


 雨の中、JA南すおう平生を10:00にスタートしました。最初の目的地である毘沙門堂に着くと立ったまま休憩しました。休憩しながら旧道や国道188号線の変遷について説明しました。毘沙門堂を出ると道端のお地蔵様に行きました。その後しばらく歩いて、古い県道に合流しました。長谷の県道は、かつて大野南と伊保庄をつなぐ街道でした。

 毘沙門堂に向け歩く     集会所内の毘沙門様    道端のお地蔵様
  

 県道を100m位歩くと、おうちえんへ行く道に分かれました。15分位緩い坂道を進むとおうちえんの建物が見えてきました。雨が降らなければ、節分の豆まきをする予定だったそうです。ところが、雨のため節分の催しが延期になったそうです。そのため、我々がおうちえんに着いた時には誰もいませんでした。我々が実質的におうちえんを貸し切った状態となりました。子供達が座るであろう床に腰をおろしました。雨が降りしきる中、美味しくお弁当を食べました。

  おうちえんに向かう坂道を散策     おうちえんで飼われている鶏や山羊
 

 おうちえんには、昭和30年代の生活が残されているように思います。子供達は野山を駆け回り、自分たちで工夫しながら遊びます。テレビゲームなどの遊びはありません。おうちえんの庭には草が全く生えていません。それは、ふだん子供達が庭で走り回っていることを示しています。また、子供達に混じって鶏が畑や庭を自由に走り回っています。子供達は鶏の卵を採卵することが朝の日課になっているようです。

 吠えるおうちえんの犬   茅葺屋根のおうちえん  草一つないおうちえんの庭
  

 私が子供の頃、おうちえんに遊ぶ子供達のような生活をしていました。毎朝鶏の卵を取り、お肉が食べたいときには鶏をしめて食べていました。お米や麦も作っており、自給自足の生活が当たり前でした。子供にも仕事があり、私はお風呂の仕事を持っていました。山から木を伐り出し、斧で木を割り、その木を燃やしてお風呂をわかしていたのです。さらに我家は酪農をしていたため、牛の餌やりの仕事もありました。子供も貴重な労働力でした。今の子供には想像できないと思います。

         雨の降りしきる中、ウォーキングしたルート

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息子の結婚式など、グアムを楽しむ(4/5)

2019年02月05日 | 家族関連



 Pacific War Museumから帰ると、ホテルに戻って仮眠して疲れを取りました。夕方は新郎新婦とバーベキュー会場に行って美味しい焼肉料理を食べました。ホテルから100m位離れた、海を見下ろせる高台がバーベキュー会場です。予約された席に座って、美味しいお肉や野菜などを食べました。座った席、実は特別のプレゼント席でした。

    新郎新婦と一緒に、海を見下ろしながら美味しい焼肉料理を楽しむ


 自分で食べたい野菜や肉を取ってきて、席の中央に設けられた鉄板で焼きます。やはり肉中心です。私はさすがにお肉は食べ飽きたので、トウモロコシや野菜などを中心に食べました。自分で取ってくる以外にも、ウェイターから肉を渡されました。結局すべての肉を食べきることができませんでした。グアムでは、食べきれないほどの料理を出すのが礼儀なのでしょう。

  夕闇が近づく海    バーベキュー会場に到着  夕闇と共にダンスの始まり
  

 私の座った席は、ステージ正面の最前列中央でした。その席は実は一番の招待席だったのです。日が落ちて暗くなると地元のダンスが始まりました。踊りが佳境に入ると、最初新婦が、踊りの中に入るようダンサー達から催促されました。新婦は恥ずかしそうにダンサーの中に入って踊りました。その後、なんと私と家内がダンサーに呼ばれました。杖に簡単な衣装も渡されました。私の誕生日プレゼントとして、踊りへの参加が仕組まれていたのです。誘われた以上断るわけにはいきません。ダンサーの動きを真似てなんとか踊り通しました。

   動きを真似てなんとか踊る私   子供のダンサーと一緒に写る新郎新婦
 

 踊りはその後、ファイヤーダンスとなり最高潮に達しました。ダンスが終わると、バーベキュー会場の方々とダンサー達の交流です。握手したり、ハイタッチしたり、一緒に写真を撮影しました。一番人気のダンサーは小さな女の子でした。可愛くけなげに踊っていたからでしょう。バーベキュー会場からホテルに戻ると、皆と示し合わせて新郎新婦のスイートルームを訪れました。そして、ベランダにあるジャグシーに皆が入ってわいわい楽しみました。結婚式,博物館,そしてダンス付きバーベキューと、楽しい一日はあっという間に過ぎていきました。

  ファイヤーダンス    ダンサーとの交流   スイートルームのジャグジー
  

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田布施町麻郷ウォーキングの下見(2/2)

2019年02月04日 | 歴史探訪他ウォーキング

 二ッ池入口横に建つ溜池記念碑からしばらく道を進みました。数年前は獣道のような荒れた道しかありませんでした。それが、軽トラックが通れるような林道が開通していました。その道をどんどん歩きました。もしかして、葬儀場まで続いていることを期待しましたが、山の中にどんどん入っていきます。そのため、途中で引き返しました。

          田川邸近くの道端にあるぴんころ地蔵


 その後、二ッ池に戻って奈良地区に向かいました。奈良地区に着くと、倒れた竹を避けながら古道を抜けました。しばらく歩いていると広い道に出ました。さらに歩いていると、ぽっかりと奈良の大岩に出ました。大岩の前で立ったまま休憩しました。ここから麻郷公民館に向けて戻ろうかと思いましたが、田川邸まで歩いてみることにしました。数年前と比べて大岩と田川邸の間の道が歩きやすくなっていました。

 大岩に向けて歩く      大岩前で休憩       田川邸前に出る
  

 田川氏にご挨拶をしようと思いましたが、車がありませんでしたのでご不在のようです。ミツバチの巣箱がまだあるかどうか山に登ってみました。すると、巣箱はありませんでした。冬は巣箱を置かないのでしょう。または、冬の間だけ養蜂家に戻してハチを養生するのではないでしょうか。続いて田川邸近くの道端にあるぴんころ地蔵に寄ってみました。

   田川邸近くの木工所を見学       西竹重集会所(旧西遊寺)に寄る
 

 ぴんころ地蔵は今の世相に合ったお地蔵様です。子供達に迷惑をかけないように、私もいつかはぴんころと逝きたいものです。続いて、ぴんころ地蔵から100m位離れた道端にある木工所に寄りました。木工所内を見学させていただきました。次に、第五番札所竹重西遊寺に行きました。今は西竹重集会所として使われています。今回は集会所内に入れませんでしたが、中には立派なお地蔵様が数体安置されています。

  大東亜戦争時の釣鐘    発掘中の遺跡を見学    大室遺跡(弥生時代)  

  竹重地区を抜けて尾迫地区に入りました。尾迫地区に入ると最初に、出征兵士を送る時に鳴らした釣鐘を見学しました。この鐘が道端にあることは知っていましたが、火事の時に鳴らすとばかり思っていました。そうではなくて、出征兵士のための鐘だったのです。釣鐘をぶら下げる柱を支える石柱に「大東亜・・・・」と確かに刻まれています。その後、遺跡を発掘する現場を見学した後、麻郷公民館に戻りました。途中、大室遺跡の碑を見学しました。下見ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。

    下見ウォーキングした麻郷の助政,井神,奈良,竹重,尾迫

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息子の結婚式など、グアムを楽しむ(3/5)

2019年02月03日 | 家族関連

 結婚式が終わった午後、親戚たちは様々な遊びのツアーに出掛けて行きました。私はグアムに来る直前に熱が出たため、それらのツアーを楽しむ計画を立てるどころではありませんでした。式後どこに行こうかなと考えていました。そんな中、歴史好きな私のため息子が、とある博物館(Pacific War Museum)に連れて行ってくれました。日本軍とアメリカ軍が激しく戦った資料を展示した博物館です。 

    日本軍とアメリカ軍が戦った資料を展示するPacific War Museum

 博物館の場所は、グアムの中心地から外れておりバス路線からも外れていました。そのため、タクシーに乗って行きました。帰りの交通も不安なので、決めた時間に同じタクシーに迎えにきてもらうことにしました。グアムでは全島で戦いが行われましたので、遺跡はあちこちにあります。今回は日本軍が作った塹壕や洞穴へ行く時間がありませんでした。この博物館だけしか行くことができませんでした。次回グアムに来ることがあれば、日本軍の塹壕などの遺跡を見ようと思います。

 送り迎えのタクシー    日本の戦闘機エンジン   日本の戦闘機尾翼
  

 博物館に入館して一番感じたのは、アメリカ軍の機械化部隊のすごさです。機関銃や刀中心の日本軍はとても歯が立たなかったことは明白です。アメリカ軍の兵員輸送車,装甲車,食事製造装置,ジープ,トラックなどがたくさん陳列されていました。道を作るにしても日本軍はツルハシですが、アメリカ軍はブルドーザーなどを使います。日本軍も精一杯戦ったのでしょうが、戦いは兵站や機械化が勝負です。残念ながら一方的な戦いになったのではないでしょうか。

    日本軍の展示コーナー        アメリカ軍の展示コーナー
 

 先の戦争や最近の会社などの不祥事事例をみて思います。日本人一人一人は本当に優秀です。しかし、トップに立つ人のマネージメントは今も昔も劣っているのではないかと思います。日本人は今も、年功序列,男性優位,身内優待,御恩忠誠,義理人情などを優先してしまいがちで、論理的思考や規範実践がおろそかになりがちなのだと思います。グローバルな今の時代、古い美徳の中には今や不要なものがあると思います。今までのような生き方や文化を続けていては、これからの日本はもたないのではないかと心配になります。

  朽ちた大砲数門     アメリカ軍のトラック   アメリカ軍の装甲車
  

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田布施町麻郷ウォーキングの下見(1/2)

2019年02月02日 | 歴史探訪他ウォーキング

 2月は久しぶりに田布施町麻郷をウォーキングする予定です。そのための下見ウォーキングをしてきました。本番ウォーキングに合わせて午前10時に麻郷公民館に集合しました。皆さんが集まると、麻郷小学校に向けて歩き始めました。旧麻郷農協、交番などを抜けて麻郷小学校の裏山に行きました。

     2月は久しぶりに田布施町麻郷をウォーキング、そのための下見


 麻郷小学校西側の裏山上には神花社(じんがさー)と呼ばれる小さな神社があります。傾いているのか両側が棒で支えられていました。不思議なのは、別名「うぐらの神様」と呼ばれていることです。この話を知っている方はほんのわずかです。蟹守、虫守、牛守など動物を弔う祠や神社が少なくありません。他には、稲荷様はキツネと関係がありますし、金毘羅社はワニと関係があります。うぐらとはモグラのことなのですが、その伝承を知っている方が絶えているのは寂しい事です。

 麻郷公民館を出発      麻郷小学校に向かう    神花社のお社
  

 神花社にお詣りすると、江良碧松の歌碑に向かいました。続いて、江良家の墓所に向かいました。江良碧松の長男、次男のお墓が隣り合っていました。長男は碧松の自慢の息子だったそうです。長男を失った数年後、亡くなった次男のお骨を持って田布施駅に降り立った時のことです。駅で出征する三男とすれ違ったそうです。その三男は奇跡的に無事だったそうです。その三男さんは、私の父と森林組合の仲間だった関係でよく話を聞きました。江良家や江良家墓所はその三男さん達の子供達が守っているのではないかと思います。

    井神、江良碧松歌碑             江良家墓所
 

 江良家の墓所を出ると、溜池横の道をどんどん進んで奈良地区に入りました。奈良地区に入った頃にお昼タイムになりました。そのため、道横にシートを広げて昼食休憩をとりました。時々日がさして体がポカポカしました。早朝は雨、昼からは曇り空の不安定な天気でした。雨が降るような荒れた天気にならなかったのは幸いでした。

  道端で昼食休憩       溜池記念碑       二ッ池遺跡碑
  

 昼食休憩が終わると、奈良地区奥にある二ッ池と呼ばれる溜池に向かいました。この溜池は、戦後に戦地から戻った若者達がクワやスコップを使って作ったそうです。その作業を模した姿が記念碑として溜池の入口に建ててあります。しかし、笹薮をを分け入らないとその記念碑は分かりません。その溜池池記念碑から20m位離れた溜池土手に二ッ池遺跡碑が建っています。弥生時代の遺跡だそうです。古代にこの地に人が暮していたのです。

      下見ウォーキングした麻郷の助政,井神,奈良,竹重,尾迫

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息子の結婚式など、グアムを楽しむ(2/5)

2019年02月01日 | 家族関連



 グアムに到着した次の日のメインイベントは息子の結婚式でした。ホテル敷地内にある海を目の前にした式場での挙式です。グアムなのでキリスト教式の挙式で、地元の神父さんや声楽担当の方が挙式を担当していました。私が若い頃も、ハワイやグアムでの挙式はそう珍しくはありませんでしたが、まさか自分の息子がグアムで挙式することになるとは思ってもみませんでした。新婦と相談して決めたのでしょう。

           挙式中、式場に並んだ新郎新婦とその両親達


 最初、父親に連れられて新婦が式場に入場しました。そして、新郎に手渡される姿には目頭が熱くなりました。赤ちゃんだった子供達、いつの間にか成長して大人になったことを改めて嬉しく思いました。また、これまで育ててくれたお礼にと、息子がレイを肩にかけてくれたことも嬉しく思いました。家内もそう感じたに違いありません。

 神父さんと新郎新婦     まさに花嫁!       育ててくれた親にレイ
  

 結婚宣言,両親への感謝,聖歌など,着々と式が進行していきました。娘が挙式した神前結婚式はやや堅苦しいものの華麗でした。一方で、教会式は賑やかで晴れ晴れしいように思いました。それぞれに長所があります。教会式の今回の結婚式、笑いと楽しさが溢れていたように思いました。

   新郎側親戚の席                新婦側親戚の席
 

 式場での挙式が終わると、式場下の部屋に移動しました。降りる直前に新郎新婦の上から天使の羽がふわふわと降りてきました。そして、両親や親戚が投げる花びらのスコールに祝福されながら、新郎新婦は階段を降りました。部屋ではいろいろなセレモニーがありました。唯一私の担当は乾杯の挨拶です。出産間際のため出席できなかった娘を皆さんに紹介するなどした後、響くような声で祝福の乾杯をしました。

   ケーキ入刀後の新郎新婦        花びらのスコールに祝福される
 

 新郎新婦はそれぞれの従妹達の注目の的でもありました。これから結婚するであろう彼らのよい参考になったのではないかと思います。今後次々に結婚するであろう10人近くの従妹たちと、新郎新婦は新たな親戚関係になるはずです。私や家内の兄弟たちがこれまでしてきたような親密な関係のように。新たな世代の付き合いの始まりです。

 次々と美味しい料理   平成生まれのの若い女性達  平成生まれのヤングな男性達
  

 私が結婚したのは35年位前のことです。当時は仕事や育児に忙しくて振り返る余裕がありませんでした。気が付いたら今日の結婚式になっていたような気分です。光陰矢の如しとはこのことなのでしょう。まだまだ若いと思っていた私、いつの間にか若さは娘や息子達のものになっていました。このように次々に世代を超えて、人は年を重ねるのだと思います。世代の交代を体感した今回の結婚式でした。

 お互いに年を重ねてきた私と家内      いつも元気な家内と姉妹達
 

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