高塔山から峠跡まで降りると、北に延びる低い稜線尾根を歩きました。尾根と言っても笹が生えていたり木が茂っているので気が抜けません。私が子供の頃は、お風呂の薪に利用するため定期的に木々を切っていました。そのため、いつも禿山のようでした。ところが、日本が高度成長した頃から薪を燃料として使わなくなり、樹を伐採したり笹を刈る人がいなくなりました。そのため、今では人が歩くことができないほど木々か茂るようなりました。今回は、これらの山を知り尽くしている私だからこそ歩けたと思います。頭の中にある山道を辿りながら皆さんを誘導しました。
高塔山から北に伸びる稜線尾根、皆さんを誘導しながら歩く
笹を中心とした下草をかき分けながら進んでいると、やっと山から下りることができました。今回は数時間にわたる藪漕ぎの連続でした。山を下りると、國木田独歩も見たであろう祇園牛頭天王社に行きました。そして、江戸時代にはお社があったであろう跡をみました。このお社は、昭和19年頃に軍からの命令により撤去されました。そして、戦後に祠だけ再建されました。お社跡を見学すると、高塔公民館に行って昼食休憩を取りました。
険しい山裾を通る やっと山を降りる 祇園牛頭天王社
高塔公会堂での昼食休憩が終わると、吉見山山頂跡に行きました。私が子供頃に360度の展望があった吉見山のことについて説明しました。40年位前に団地を開発するために削られて、今は吉見山山頂はありません。今は静かな団地になっています。団地に住んでいる方で、吉見山を削って団地が作られたことを知っている人はいないのではないかと思います。次に國木田独歩が仮寓していた吉見家跡に行きました。そして、國木田独歩仮寓吉見家跡石碑前で説明をしました。
仮寓吉見家跡石碑前で説明 解説した第二奇兵隊顕彰列石
吉見家跡の解説が終わると、麻郷神社(惣田山招魂社)に行きました。そして、第二奇兵隊の顕彰列石前で戊辰戦争で亡くなった方々の解説をしました。それが終わると、スタートした平生MaxValueに戻りました。高塔山の大変な山道歩きでしたが、有意義な一日ではなかったかと思います。参加された方々お疲れさまでした。
実踏しながら詳細に解説した吉見家跡,高塔山,八海周辺
今年も干柿を作りました。去年までは久留米市まで干柿にする渋柿をもぎに行きました。しかし、今年はコロナ惨禍などの理由で行きませんでした。そのため、今年は干柿にする渋柿を購入しました。購入するにあたり、紐で結ぶための枝が付いている渋柿を選びました。アルコールで脱渋したり、竹を刺して干柿にする渋柿は、この枝が付いていません。天気が良い日にのんびりと、渋柿の皮を剥いて紐に結んで天日乾燥しました。
渋柿の皮を剥いて紐に結び、軒下にぶら下げ天日乾燥
私が住む田布施町の伝統的な干柿は串柿でした。複数の渋柿を横に竹串で刺したものです。鏡餅にこの串柿を飾りました。かつての串柿ブランドに大波野柿がありました。その渋柿の大木が今でも大波野にあります。その品種は西条で10月に実ります。しかし、近年気候が暖かくなったためか10月に干柿を作るとカビが生えるようになりました。ところで、最近串柿を見たことがありません。串柿を作る農家が減ったのか、買う人が減ったのでしょう。あるいは鏡餅に串柿を飾る習慣が無くなったからでしょうか。
箱で届いた渋柿 ひたすら皮を剥く 皮を剥いた渋柿
温暖化による影響のためか、渋柿は11月中旬以降に収穫する品種に変わっているようです。実際私の家にある渋柿は10月に実りますが、干柿にするとカビてしまいます。そのため、一昨年から11月中旬以降に実る渋柿品種に転換しています。来年は数個でもよいので実らないか期待しています。例年のことですが、たくさん作った干柿は、家内や息子夫婦などに贈ったり友達にあげています。そのため、自分で食べるのは多くありません。贈った人に喜んでもらえたらと毎年のように作っているのです。なお、故郷の風物詩として、干柿を少しばかりですが郷土館の古民具展示室にぶら下げます。
バケツに入れたこれから干す渋柿 軒下に天日干し、夜は屋内に収納
20年以上前から我家の注連縄は自家製です。いつ頃から自分で作るようになったのか覚えていません。おそらく、30年以上前に八王子市で活動していたユギ・ファームではないかと思います。毎年今頃になると、ユギ・ファームの仲間たちが集まって各自注連縄を編んでいました。そして、注連縄と合わせてわら細工を作ることをユギ・ファーム以外でも指導してきました。例えば、ボーイスカウトで指導したこともありました。その後、山口県に帰省してからも作り続けました。私が作る注連縄は、公民館などで作るような豪華な注連縄ではありません。素朴な注連縄で、飾り付けは参加者の自由です。
暖かな日差しを浴びながら、今年も楽しい注連縄作り
注連縄作りの数日前に、城南の山にウラジロを取りに行きました。去年は良いウラジロがありませんでしたが、今年は小さめのウラジロをたくさん採集することができました。次に、我家の裏に生えているユズリハも何枚か葉を取っておきました。私は、このウラジロとユズリハしか注連縄に使いません。飾り付けは各自自由ですので、さらに橙や五平を付ける方もいます。
ユズリハの葉を採集 良いワラを選別中 水をかけて加工しやすく
ところで、初めて注連縄を編む方が難しいと思うことがあります。それは、三束の稲ワラを同時に左回ししながら、三束を巻き付けていくことです。その三束が解けないように、左手の各指でしっかりと握って押さえておかなければなりません。そのため、注連縄を編み終わった頃には、左手の各指の股部が赤く痛くなります。私は何年も編んでいるため、それほど痛くなることはありません。暖かい日差しを浴びながら、楽しくしめ縄作りをしました。各人納得の注連縄ができたと思います。
三束を同時に巻きながら編み込む ウラジロとユズリハを取り付け
山口県で飼われている羊の羊毛や毛糸を使った作品展示会「山口ウール展 in 防府」が防府でありました。最初、岩国市でもあったのですが、忙しくて行きそびれてしまいました。恥ずかしながら私もタペストリーや毛糸を出品しました。私の作品をよーく見ると、素人が作った作品であることがすぐ分かります。とは言え、出品することに意味があると思い、去年に続けて出品しました。他の方の作品は、よくできています。着物やマフラーなど、実際に体にまとっても気品があるような気がします。来年はもう少し丁寧に毛糸を紡いで、もう少し良いものを作ってみたいと思いますが。
「山口ウール展 in 防府」会場で、こたつを囲んで楽しいフェルト細工
展示会の場所は、防府市街から遠く海側にある中浦と呼ばれる地区です。中浦に行く途中に三田尻塩田記念産業公園があります。この公園では塩作りを体験できるようです。また年に一度「塩田祭り」もあるようです。一度見学したいと思います。塩田跡がたくさんあると言うことは、古代においては海であったかも知れません。そのため、中浦地区はかつては島だったのではないかと思われます。
会場近くのお地蔵様 レンガ塀の会場 趣のある会場の玄関
さて、中浦地区に着いて展示会場に向かいました。山に向かう上り坂口にお地蔵様があることに気が付きました。去年は山側の道から下りてきたので気が付きませんでした。この道はかつては古道だったことを思わせます。レンガ塀の趣のある家の玄関をくぐると会場です。たくさんの作品が展示されていました。私の作品もありました。ざっと作品を見終わると、こたつに足を入れてフェルト細工をする子供達のお手伝いをしました。
並んだ立派な山口ウール作品 羊毛,毛糸,フェルト細工作品
去年よりもたくさんの子供達(1歳~小学6年生)が来ていたように思います。子供達はあらかじめ近くの羊牧場(BAA BAA ファーム)に行って羊を見学したようでした。見学後に、チクチク針を使ってのフェルト細工です。私はもっぱらフェルト細工のお手伝いをしましたが、羊毛や作品を物色する家族連れや数人のグループの方々もおられました。夜が早いので15時少し前に会場を後にしました。
廊下に置かれた紡ぎ機 作品に見入る方々 羊毛を選ぶ方々
もう少しでクリスマスです。今年も倉庫に眠っていたクリスマスツリーを起こして飾りました。たわいのない事ですが、ツリーを飾っていると一年の速さに気が付きます。クリスマスが終わるとすぐに新年がやってきます。それに備えて、年賀はがき出し,注連縄作り,大掃除などをしなければなりません。せわしない年越しが、もうすぐやってきます。ちなみに、このツリーを郷土館で飾り始めたのは6年前からです。
倉庫から取り出して飾ったクリスマスツリー(1994.12.24購入)
このクリスマスツリーは1992.12.24に聖跡桜ケ丘駅前のデパートで購入しました。娘が小学5年生の頃に購入しました。買物をするお客がとても多く、レジ前がとても混雑していたことを覚えています。飾った後に仕舞えるように、円柱形の箱付きのツリーを購入しました。このツリーは、クリスマスが終わると次年のクリスマスまで倉庫でお休みします。購入から27年経っています。点灯していた色とりどりのランプは1/3は光りませんし、点滅しなくなりました。今年はこれで我慢しますが、来年は点滅するLEDランプでも購入して取り付けしようかと思っています。ところで、ツリー隣のサンタの家は数年前にいただいたものです。
自家製の綿を載せる まだ点灯するランプ 光るサンタの家
前回までの手芸は、端切れを使ったポケットティッシュケース作りでした。今回は、去年と同じようにクリスマスにちなんだ羊毛フェルト細工をしました。今回は、Oさんに来ていただいてご指導いただきました。使用する材料はいろいろな色の羊毛とフェルト布です。加工に使う小道具は、羊毛フェルト細工に必須のちくちく針,スポンジ,額縁などです。
成器塾開始の挨拶後にOさんから、サンプルを見ながらクリスマス羊毛フェルト細工の方法について教えていただきました。Oさんのお話が終わると、子供達は好きな色の羊毛フェルト布と好きな色の羊毛を選びました。サンタクロース,雪ウサギ,クリスマスツリーなど、各人が好きなものを羊毛フェルトで描きました。
フェルト細工の方法をOさんから聞く子供達
選んだ羊毛フェルト布や各色の羊毛を机に持ち帰ると、描きたいものを考えた後にチクチクの開始です。いきなりフェルト布にチクチクする子もいれば、紙にデザインを描いてからチクチクする子もいます。見ていると、羊毛フェルト布の上に置いた羊毛のまとめ方に困っている子がいました。各色の境目がはっきり分かるように、羊毛を寄せる方法です。私は子供達に「こうすると良いようだよ。」とチクチク見本をして見せました。
各色のフェルト布など どの色にしようかな? 紙にデザインを描く
1時間半後には出来上がった子もいれば、まだの子もいました。そのため、次回全員が完成するよう時間を取ろうと思います。それが終わると、今年最後の成器塾として干柿作りでもしようかと思います。去年はコロナ惨禍でできませんでしたが、一昨年は干柿作りをしました。小学生はまだ包丁を使わないそうですので、ピラーを使って渋柿の皮を剥ごうと思います。その後、紐にぶら下げてアルコールで消毒します。子供達にはそれを袋に入れて持ち帰ってもらいます。帰るとすぐに、風通しの良い軒下にぶら下げてもらおうと思います。
次はどんな色の羊毛にしようかな もうすぐ完成、羊毛フェルト細工
その後、次のようにしてもくもくとほぼろの側面を編んでいきます。
①ワラを4本位選んで、真ん中を折るように曲げます。
②ワラ中心部のU字部分を取っ手になる紐に掛けます。
③一段目位置の駒二つを交差してワラを編んで固定します。
④二段目位置の駒二つを交差してワラを編んで固定します。
⑤三段目位置の駒二つを交差してワラを編んで固定します。
同じように①~⑤の作業を繰り返します。ワラの編み方を一度覚えると、何も考えずにもくもくと作業を繰り返すことができます。1~2時間編んでいると、ほぼろの側面が完成します。
ほぼろの側面を編み終わると、ほぼろの底を閉じるように編む
ほぼろの側面が完成したかどうかは、ほぼろの大きさ(直径)で変わります。小さなほぼろは直径が小さいため側面の長さが短くなります。数学的に言うと、側面の長さ = ほぼろの直径 x π となります。実際にはサンプルのほぼろと同じ側面の長さになればOKです。ただし、特大のほぼろを作ろうとすると、ワラの長さの制限があります。最大のほぼろの直径 = (ワラの長さ/2 - 側面の高さ) x 2 が大きさの制限となります。無理してこれ以上の大きさにしようとすると、中心に穴が空いたほぼろとなってしまいます。どうしても大きなほぼろを作りたい場合は、長いワラを用意する必要があります。例えば、お酒を造るための品種である山田錦のワラを使うと大き目のほぼろを作ることができます。
側面を編み始める 側面編み終わり 側面の長さ調整
側面を編み終わるとサンプルのほぼろに重ねてみて、合っていれば底部の編み込みに入ります。まずはワラの底部を中心部に向けて折り曲げます。曲げやすくするため、曲げ部を湿らせると良いでしょう。中心部に向けて曲げ終わると、ほぼろの底になるように編み込みます。その編み込みのために、先が曲がった曲がり針(鉤針とも言います)を使います。今そのような針を入手することができません。そのため、一番大きな釘を加工して作りました。下右の写真の上4本は昔からあった曲がり針、下4本は私が釘を加工して作った曲がり針です。太い針金を加工して作っても良いでしょう。次に底部の編み込みに入ります。
底部を中心に向けてワラを曲げる ほぼろ作りに使用する曲がり針
先日、八海地区から鳥越地区にかけてウォーキングの下見をしていたところ、思いもかけずサツマイモを収穫していたMさんと会いました。その後、Mさんからサツマイモをいただきました。ありがとうございました。ところで、我家は婆様と二人だけです。いただいたサツマイモ全てを食べきれません。そのため、そのサツマイモを息子夫婦に送りました。ついでに、採りたての長ネギやシイタケも一緒に送りました。息子が子供の頃、私の父親が採れたての季節野菜をよく送ってくれていました。いつしか、今度は私が息子や孫に送る番になってしまいました。
サツマイモに加えて、長ネギやシイタケも送る。紅葉した南天の葉も一緒に
サツマイモと一緒に送ったシイタケは、今が収穫時期です。我家の裏山に立てかけたほだ木にたくさん生えていました。また、長ネギは9月に苗を植え付けたもので、これまた今が収穫適期です。葉がしおれないように細根は切らないで、濡れたティッシュで根を包んでおきました。ところで、その送料金額を送った方が現地で野菜を多く買えます。ですが、手紙を入れたり季節の葉や野草を入れたりすることはできません。ちなみに、今回は紅葉した南天の葉を添えておきました。
同梱したサツマイモ 採れたてのしいたけ 美味しそうな長ネギ
先日畑の草を刈っていると、幅広く雑草が枯れている箇所がありました。その枯れた葉を覆うようにラーメンのような細長い糸状のものがたくさん絡みついていました。一目で分かりました。これは根なしカズラです。根も葉もない不思議な寄生植物です。相手の植物の茎に絡みつくと、棘のようなものが茎に差し込みます。差し込まれた棘は、根のように相手の養分を吸い出すのだそうです。そもそも植物なのに葉緑素が無いため、緑色ではなく黄色です。ラーメンをぶちまけたように相手の植物を覆いつくします。養分を吸いつくすと、その植物は枯れてしまいます。すると、隣の植物に狙いを定めるのです。こうして、あたり一面の植物が枯れつくされてしまいます。
相手の植物に絡みついて養分を吸いつくす根なしカズラ
それにしても不思議な生き物です。襲うのは主に広葉雑草で、稲やススキなどのような禾本雑草は襲いません。根なしカズラは、たまたま雑草を襲っていましたが、小豆や大豆などの作物なども襲います。春になると、小さな根なしカズラが出てくるので注意が必要です。
この植物は、動物で言えば寄生と言うよりも魚を食べるサメのようなものかも知れません。植物を食べる植物と言った方が良いかも知れません。根なしカズラは、一方的に相手の養分を吸い取って枯らします。雑草の中で食物連鎖の頂点に立つ植物なのかも知れません。
根なしカズラに覆われ、枯れた植物 根なしカズラの花
この前、毎年行われる田布施町子ども会育成連絡協議会(通称:町子連)主催の凧作り教室がありました。今年も参加させていただきました。去年、私は奴風の凧を作りました。ですが、今年は六角凧だけを作るとのこと。私はもっぱら、凧作りに参加した親子のアドバイスに回りました。あらかじめ、紙,竹ひご,糸などの材料やハサミなどの小道具が準備されていました。奴風の凧よりも容易だったのか、去年よりも早く凧を完成する家族が多かったように思います。終了の11:00までに、来年の干支などの絵を描いていた家族がいました。来年早々今回作成した凧を揚げる大会があります。とても楽しみです。
子供一人あたり一つの六角凧を、家族が楽しみながら製作
この凧作り大会は、かつては東田布施、麻郷などの各地区で開催されていたように思います。しかしながら、近年は少子化に加えて凧で遊ぶ子供が減りました。そのため、何年か前に各地区を統合して町主催で行われるようになったとのことです。それでも、少しずつ参加者が減っているように思います。そもそも、お正月に凧で遊ぶ子供の姿をここ数年見たことがありません。駒回しや羽根つきなども見たことがありません。今の日本から、季節のお祭りや行事が減っていることをとても残念に思います。
担当より材料を手渡し 凧作りを開始 糸のバランスの取り方
以前高塔山に登った時は、春だったためか山のシダ,笹,,雑草などがそれほど生い茂っていませんでした。そのため、せいぜい胸位の高さでした。ところが、夏を過ぎて晩秋になるとぐっとシダなどの高さが伸びていました。そのため、足だけではかき分けることができません。手も使ってかき分けないと進むことができなくなっていました。そんな中、私は先頭に立って高塔山の尾根を東に向かって進みました。高塔山西峰からのシダの群生の中を泳ぐように進みました。すると、高塔山最高峰の三角点を見つけることができました。
倒木,枯枝,切株,ごろ石などに注意しながら高塔山を下山
三角点までは比較的容易に行くことができます。しかし、三角点から高塔山東峰までのルートは、素人では危なくて歩くことができません。子供の頃に何十回と歩いた私でないと無理ではないかと思います。今の高塔山はこんもりとした森に囲まれていて、山の全容を掴むことができません。暗い森の木々に遮られ景色が全く見えません。そのため、山のどこを歩いているのか分からないのです。
高塔山西峰の景色 シダの海をかき分ける 高塔山頂上の三角点
高塔山東峰に来ると、木々の森が竹藪の森になります。私が子供の頃、この東峰からの眺めが一番良かった記憶かあります。ここからは、田布施川,平生湾,平生街,大星山,田布路木,そして琴石山がよく見えました。國木田独歩はここからの景色を見ながら、吉見家の子供達に詞を口ずんだのではないかと思います。國木田独歩が登った当時から私が子供の頃まで、高塔山は眺めが良い禿山だったと思います。なだらかな低山でしたので、幼稚園の遠足コースにもなっていました。
竹が生い茂る高塔山東峰 下山途中に休憩した小山
高塔山東峰からの下りはこれまた大変です。そもそも山道が消えているため、手探りで山道らしい窪みを下りました。下草は無いのですが、倒木,切株,枯枝,大きな石などが歩くのを邪魔します。さらに、落葉が厚く堆積しているため滑ります。一人が足を取られて転んでしまいました。そうこうしているうちに、私が子供の頃の峠道の跡に着きました。ここまで下ると、峠道の窪みがはっきり分かります。私が子供の頃、峠の頂上まで来ると我家が眼下に小さく見えました。峠道跡をどんどん下ると、三角点がある見晴らしの良い小山の頂上に着きました。ここで小休止しました。
実踏しながら詳細に解説した吉見家跡,高塔山,八海周辺
12月になりすっかり寒くなりました。早朝に外に出ると、畑は霜で白くなっています。もう少しすれば雪が降るのではないかと思います。今回は、仕事で忙しくてできなかったサトウモロコシの穂を収穫しました。最初に、寒さで葉が枯れ落ちそうな茎を何本も伐採しました。せっかくなので、サトウモロコシの名前の由来になった茎に含まれた糖分を楽しみました。その甘さを頼みながら伐採を続けました。伐採が終わると、穂だけを切り分けました。この穂は天日乾燥させます。冬の間に脱穀をして、来年の種まき分を別に取っておき、その他の穂は籾摺りして最終的に食べます。あまり美味しいものではありませんが、昔の生活を思い出すため団子にして食べます。
収穫したサトウモロコシの穂、天日乾燥後に脱穀
ところで、サトウモロコシの茎に含まれる糖分を次のようにして楽しみます。
①茎を長さ30cm位に切り分けます。
②茎の周りの皮を剥ぎ取ります。昔は歯を使って剥ぎました。
③皮を剥ぎ取った茎をかじって口に入れます。
④歯でガシガシ茎を噛み潰します。
⑤染み出た糖分を吸い出すようにして味わいます。そのまま飲み込んでも良いです。
⑥噛み潰した茎を吐き出します。
①~⑥を繰り返します。
茎の皮を剥ぎ取る 皮を剥ぎ取った茎 一口かじり取る
穂は50cm位の長さにそろえます。一掴みできる太さになるよう束ねて紐で縛ります。束ねた穂は、軒下にぶら下げるようにして天日乾燥します。1ヶ月程度乾かせば脱穀します。脱穀後、食べるための調整作業に入ります。最後に製粉して団子に調理します。今年は茶碗三杯程度の粉が取れそうです。
空に伸びたサトウモロコシの穂 サトウモロコシの穀実
先月は1回しかなかった、放課後学習成器塾は12月は3回あります。今回は前回に続いてポケットティッシュケースを作りました。1個目は子供達に手で縫ってもらいましたが、2個目以上は、手で縫ってもいいですしミシンで縫ってもかまいません。しかし、ほとんどの子はミシンで2個目を作りました。
ミシンと言っても、足で回したりモーターで回しません。手でぐるぐるハンドルを回すタイプの古いミシンです。縫う速さは遅いものの子供のペースに合っていると思います。自分のペースに合わせて手回しミシンを使ってもらいました。そして、可愛いポケットティッシュケースがたくさん出来上がりました。
自分のペースに合わせて、右手でハンドルを回しながら縫う
今回、6年生は修学旅行で放課後学習には参加できませんでした。4~5年生の少人数での手芸でした。そのため、指導員がマンツーマンで教えることができました。私はもっぱら手回しミシンを教えました。子供達は好きな模様や色の端切れでポケットティッシュケースを作りました。そのため、その端切れの色にあったミシン糸を選びました。そして、子供達は自分の好きな速さでミシンを回して縫っていました。
様々な模様の端切れ 端切れのしわを取る チャコで布に印付け
去年はやや難しい、蓋と小物入れが付いたポケットティッシュケースを作りました。そのため、子供達には作る工程が分からないままに指導して作ってしまったように思います。今回のような容易に作ることができる方が小学生には合っていることに気か付きました。子供達も要領を覚えたのか、いろいろな柄の端切れを使って楽しみながらポケットティッシュケースを作っていました。次回はクリスマスに合わせた手芸です。
右手で回し、左手で布を押さえる 完成したポケットティッシュケース
先日のコットンクラブで編機を使ってみました。私が子供の頃、二十歳の従妹が編機を使っていたことを覚えています。取っ手を左右に振る時に出る、独特の「ジャーコ・・ジャーコ・・・・」いう音をいまだに覚えています。布がぶら下がりながらだんだん編まれていくことが不思議でした。
今回、その編機を使ってみました。以前、編み針で毛糸を編んでみましたが、忍耐力のない私にはとてもできません。そもそも編機を使ってみたいと思った理由は、長崎の民族資料館に展示されていた明治時代の機械式編機を試してみたいと思ったことが発端です。
初心者向けと思われる編機で毛糸布を編む
編機を使って編む前に、テンション棒やカウンターを取り付けました。そして、編みたい幅の針位置を決めました。その後、あれこれセットして最初の編み込みをします。そして、最初に編み込まれた糸に重りを付けました。編んでいるうちにどうしてもカールすることを防ぐための重りのようです。このカールは、編み終わった後にスチームアイロンなどで伸ばしました。重りを載せると、あとは取っ手を左右に振るだけです。
テンション棒の取り付け カウンタの取り付け 網幅の針位置設定
今回は購入したウールの毛糸で試した編機でした。それなりに編めたので、今後は自分が紡いだ毛糸を編んでみようと思っています。まずは簡単そうなマフラーやひざ掛けを作ってみようと思います。編機を上手に使えこなせるなれば、孫用のカーディガンでも作ってみようかな思います。だいぶ先のことになりそうですが。
一段ずつ編まれることを確認 毛糸一玉分を編み終わる
草木染めに使っているヘナはとても寒さに弱い植物です。野外で育てていたヘナは、11月の寒さでもう枯れてしまいました。夏に植木鉢に移植したヘナは、一時的に暖かい軒下に避難していました。しかし、12月になるとさらに寒くなり霜が降りてきます。このままでは枯死してしまいまし。そのため、日当たりの良い場所に置いた温室に避難しました。年を越してさらに寒くなれば、ヒーターを取り付けて暖かく保温しようと思います。
日当たりの良い温室に避難したヘナ
ヘナは元々髪染めに使うそうです。また、肌染めにも使われているようです。私は紡いだ羊毛の染色に使っていますが、自然に脱色するのではないかと少し心配しています。そもそもヘナを布の染色に使っている話を聞いたことがありません。どの位の日数が経てば脱色するのか、紫外線が強い野外でも脱色するのか全く分かりません。今後、ヘナで染色した毛糸の脱色具合を観察しようと思います。
寒さで枯れてしまったヘナの樹 暖かい軒下に退避中のヘナ